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[ 仏閣探訪: 森厳寺 ]
仏閣探訪: 森厳寺 2014/12/24(水) 新規
探訪案内 

 小田急線「下北沢」駅にて下車し、南口より渋谷側線路下を潜り南北に奔る通りを南へ向かう。「森厳寺西」四つ角交差点で左折し進むと寺の門前に至る。
 この寺院は、結城秀康の位牌所として慶長十三年(1608)に建立された。 慶長十二年(1607)、死期の迫った秀康はかねてより帰依していた越前国一乗寺の万世和尚に黄金を贈り、江戸に寺を建立するように遺言した。 万世和尚は年老いていてその任を果たせそうになかったため、弟子の孫公和尚(明暦元年7月11日寂)に秀康の遺言を託した。 孫公和尚は各地を巡って北沢村に適地を見つけ寺院を建立し、秀康の法名「浄光院殿森巌道慰運正大居士」にちなんで「浄光院森巌寺」と名づけた。

寺名: 八幡山 浄光院 森巌寺
宗派: 浄土宗
住所: 世田谷区代沢3-27-1
本尊: 阿弥陀如来
創建: 慶長十三年(1608)
開山: 清譽存廓孫公和尚
開基: 結城秀康
拝観: 無料
交通: 京王井の頭線・小田急線「下北沢」駅から徒歩約8分。

【履歴】
・2014/12/24(水): 12/22参拝。

山門 



 森巌寺の山門には、「粟嶋の灸」という看板が掲げられている。
 森巌寺の開山「孫公和尚」は紀州名草郡加太の人で、常日頃腰痛に苦しんでいた。 和尚は淡島明神に熱心に祈願を続けたところ、ある夜の夢に淡島明神が現れて灸の秘法を伝授した。 和尚は淡島明神の夢告に従って灸を試し、積年の腰痛はたちどころに完治した。 和尚はこの霊験に深く感謝し、加太から淡島明神をこの地に勧請して淡島堂を建立した。 和尚はさらに森巌寺の僧侶たちにも灸の秘法を伝授し、その効能の確かさは世間の評判を呼び、毎月3・8の灸治の日には遠くから訪れる人も多かったと云う。

本堂 

本堂

扁額「森巌寺」

イチョウの参道

 本堂は、江戸時代に二回の火災に遭って焼失したことが『新編武蔵風土記稿』、村尾正靖が文化四年(1807)から天保十二年(1841)の紀行文をまとめた『江戸近郊道しるべ』などに記述されている。 秀康の位牌は、本尊阿弥陀如来の元にある厨子内に安置されている[12]。徳川家の位牌所であるため、建造物などに徳川家ゆかりの三つ葉葵の紋所を見ることができる。 昭和の初期まで、秀康と関係の深い松平家の子孫が年に一度森巖寺を訪問した際に、三つ葉葵の紋が入った漆器で持成すことが恒例になっていたという。
 本堂は昭和三十九年(1964)に建立されたもので、本尊の阿弥陀三尊像とともに秀康の位牌を安置している。

淡島堂 

淡島堂


 現在の淡島堂は天保七年に完成している。なお、ここには大黒様も安置されている。
 淡島堂に祀られる淡島様は、江戸時代、女性や子供に関するありとあらゆるご利益を授ける守り神と崇められていた。 祭礼は医療と医薬の神の少彦名神。創建当時から佇む森巖寺の淡島堂は、開山上人に由来している。
 初代住職清譽存廓上人が持病の腰痛に悩まされていたが、ある夜、故郷の淡島様が夢枕に立ち、灸治の零示を受けた。 早速、自分の足へ施灸すると、永年の腰痛が嘘のように全快したと云う。 そのため、紀州加太の本社に願い出て境内に淡島様を勧請した。 近くにある淡島通りの名前はこの淡島様に由来している。

針塚、弁天堂 


針塚

弁天堂

 毎年2月8日に行われている針供養は道具を大切に扱った先人達の思想を今に伝える貴重な存在となっている。 古針・折針を豆腐に刺して供養し、供養された 針は豆腐より抜き取られ、淡島堂正面にある石棺に納められる。 森巖寺における針供養の創始は不詳だが、安政三年(1856)刊行の『狂歌江戸名所図 会』には同寺の針供養に関連した狂歌が詠まれており、遅くとも安政期にはこの地で針供養が行われ、その施灸と共にかなりの著名であったようだ。
 森巖寺の弁天様は八本の手をもつ一面八臂の姿で、頭上に頭は人、体は蛇の老人の姿をした宇賀神像が乗っている。 これは民間信仰であった農業神・穀物神の宇賀神と習合した形と見られている。
 弁天様にはいろいろな姿をしている像があり、森巖寺のように八臂の姿のものの他には、二臂で琵琶を抱える姿をしている弁天様もある。

不動堂・閻魔(えんま)堂 

不動堂・閻魔(えんま)堂

閻魔大王像

 堂に向かって左側に閻魔大王像、右側に不動明王像を安置している。 この二つの像は、悩める人々を教え諭し、救いへと導く力強さの現れである。
 閻魔大王はインド神話では光明神の一人とされ、人類の祖先で、最初の死者として浄土に住み、祖霊を司っていたが、後に死者の生前の善悪の最終審判を下 す地獄の神様となったと言われている。 また、お地蔵さまの化身とも言われている。閻魔大王像は目を大きく見開き、怒った怖い顔をしているが、これは 再び罪を犯さないように叱咤しているため。昔は子供の躾に「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれる」と言ったものだった。 四角い冠を被り、右手に笏を持 ち、赤い衣装をまとっている。閻魔大王像の脇には、三途の川のほとりにいて、罪の重さの目安とする亡者の着物を奪い取る奪衣婆の像も置かれている。
 不動明王は大日如来のひとつの姿と云われる。 閻魔大王と同様に怒った怖い顔をしているが、仏の教えに従わず、煩悩をかかえ、最も救いから遠い衆生すらも、叱咤し、力ずくで救うという表情である。右手に魔除けかつ人々の煩悩を切る剣を持ち、左手に悪を捕縛し人々を救い上げるための縄を握り、背中には悪を焼 きつくす炎を背負っている。 不動明王像の前には像の体内に納められていた小さな不動明王像が置かれている。

あとがき

 参拝する人も無く、静かに散策できた。


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