事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都目黒区/祐天寺 ]
東京都目黒区/祐天寺            2019/02/16(土)新規
探訪案内 

 東急東横線「祐天寺」駅にて降車、北口改札を出て東口より北側の「みよし通り」を東へ400mほど行くと都道416号線「駒沢通り」に出る。道路の向かい側に祐天寺の表門がある。
 享保七年七月、増上寺36世住持の祐天が亡くなる。祐海は、祐天が廟所は目黒の地を望んでいたので、同じ目黒にあった善久院を購入し住職となり損傷の激しい善久院に祐天の廟所と常念仏堂を建立再興した。 享保八年(1723)「祐天寺」の寺号が正式に許可され、祐天を開山とし、祐海は第2世となった。 また、境内には柳原愛子(大正天皇の生母)の墓がある。

寺名: 明顕山 善久院 祐天寺
宗派: 浄土宗
本尊: 祐天上人像・阿弥陀如来座像
創建: 享保三年(1718)
開基: 祐海
開山: 祐天(勧進開山)
札所:
住所: 目黒区中目黒5-24-53
アクセス: 東急東横線「祐天寺」駅、北口改札を出て東口より徒歩7分

【履歴】
・2019/02/16(土): 02/15(金)探訪。

表門 【登録有形文化財(工作物)】

表門

扁額「祐天寺」

 表門は祐天上人の100回忌にあたる文化十四年(1817)に建てられ、格式高い門構えであることから国の登録有形文化財(工作物)となっている。


仁王門 【目黒区指定有形文化財(建造物)】

仁王門

扁額「」

仁王像(吽形)

仁王像(阿形)

 仁王門は享保二十年(1735)に五代将軍徳川綱吉の養女竹姫より寄進された。目黒区指定有形文化財(建造物)である。
 右側の仁王像が阿形像、向かって左側の仁王像が吽形像だ。これは、「阿吽の呼吸」の阿吽から来ている。 「阿」には"物事の始まり"、「吽」には"物事の終わり"という意味がある。そのため、阿形像は口を開けて"物事の始まり"を表現し、吽形像は口を閉じて"物事の終わり"を表現している。

本堂 【国登録有形文化財】

本堂

扁額「大慈悲」

 本堂は、祐天寺起立の翌年の享保四年(1719)に建立されたが、嘉永四年(1851)大破し、元々は『常念仏堂』として建立された堂宇を再建したもの。 江戸時代/万延元年(1860)年、宝形造の内々陣を建立、明治二十七年(1894)に移築、明治三十一年に入母屋造にて外陣を建立、更に明治四十五年(1912)それらを繋ぎ、内陣を設けて複合した。 現在では書院および新築された仏舎利殿とも繋がっている。
 堂内には祐天上人像が安置されている。

書院 【国登録有形文化財】

書院


 書院とは居間兼書斎として使われる建物のことで、祐天寺では主に法事の控え室として利用されている。 現在の書院は明治二十八年(1895)に再建された木造平屋建寄棟造の建物である。


仏舎利殿 

仏舎利殿


 本堂横には、仏舎利殿があり、その壁に大絵馬が奉納されている。 月岡栄貴画伯によるもので、累の物語を絵で表したものだと云う。
 この仏舎利殿は壁の大絵馬を残したまま平成二十九年(2017)に木造に建て直された。


地蔵堂 【国登録有形文化財】

地蔵堂門

地蔵堂門−天井板

地蔵堂宇

扁額「開山本地堂」

 地蔵堂は天明八年(1788)に建立され、寛政十二年(1800)に増築して現在の姿となった。 正面の扁額には、祐天上人の本地身の地蔵菩薩像が祀られていることを示す「開山本地堂」と記されている。

阿弥陀堂 【目黒区指定有形文化財(建造物)】

阿弥陀堂

扁額「阿弥陀堂」

 阿弥陀堂は享保九年(1724)に五代将軍徳川綱吉の養女竹姫より仁王門に先立ち寄進された。宝形屋根・流れ向拝を持つ江戸時代中期の三間四面堂を知ることが出来る貴重な建造物として目黒区指定有形文化財(建造物)となっている。
 本尊の寄木造・阿弥陀如来坐像が安置されている。

五社稲荷、鐘楼、水屋 

五社稲荷

鐘楼【国登録有形文化財】

水屋【国登録有形文化財】

 祐天上人が出家を決意した際に(誕生の際との説もあり)白狐が三声鳴いたと言われており、その白狐を祐天上人の守護神として祀った随身稲荷がこの稲荷社の前身である。 のちに松黒、富山、天白、妙雲の四社が合祀され、現在の五社稲荷となった。
 鐘楼と梵鐘は六代将軍徳川家宣の17回忌追福のため、享保十四年(1729)に正室の天英院から寄進された。毎日六時と正午につかれているので時間が合えば鐘の音を聞くことが出来る。
 水屋は参詣に訪れた方が手を洗い、口をすすいで身を清める場所である。祐天寺十三世祐興上人が住職を勤めていた弘化三年(1846)に建立された。 正面には江戸時代後期の書家・龍眠による「浄水」の文字が刻まれている。

あとがき

 祐天寺は平成二十八年に一度訪れていたが、PCの突然の障害によりその時の写真が失われてしまっていた。 なので、今回再度の訪問となった。今回は建物の免振工事が完了し、静けさの戻った境内を散策できた。


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