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[ 神社探訪: 千葉県千葉市 ]
神社探訪: 千葉県千葉市  2015/03/30(月) 新規
コース案内

 千葉は横浜に住んでいると感覚的に非常に遠い処との思い込みがある。でも、実際は1時間半足らずで行けるので、足を延ばしてみた。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 千葉県護国神社 千葉市中央区弁天3-16-1 2015/03/28 モノレール「千葉公園」駅
 02 厳島神社 千葉市中央区弁天3-1-1 2015/03/28 モノレール「千葉公園」駅
 03 北総天満宮 千葉市中央区道場北1-2-3 2015/03/28 JR総武本線「東千葉」駅
 04 千葉神社 千葉市中央区院内1-16-1 2015/03/28 JR「千葉」駅
 05 香取神社 千葉市中央区院内2-17 2015/03/28 モノレール「葭川公園」駅
 06 八坂神社 千葉市中央区本町1-2-2 2015/03/28 モノレール「葭川公園」駅
 07 坂東稲荷神社 千葉市中央区中央4-7-13 2015/03/28 モノレール「県庁前」駅
 08 龍蔵神社 千葉市中央区長洲1-33 2015/03/28 JR外房線「本千葉」駅
 09 諏訪神明神社 千葉市中央区港町17 2015/03/28 JR外房線「本千葉」駅
 10 厳島神社 千葉市中央区港町10-15 2015/03/28 JR外房線「本千葉」駅
 11 神明神社 千葉市中央区神明町12 2015/03/28 JR外房線「本千葉」駅
 12 白幡神社 千葉市中央区白旗2-6 2015/03/28 JR外房線「本千葉」駅
 13 道祖神社 千葉市中央区新田町22-15 2015/03/28 JR「千葉」駅
 14 新町天満宮 千葉市中央区新町22-13 2015/03/28 JR「千葉」駅

【履歴】
・2015/03/30(月): 3/28に探訪。

千葉県護国神社 千葉市中央区弁天3-16-1

 千葉都市モノレール1号線「千葉公園」駅下車、出口を出ると公園の東門だ。 ここから公園に入り、谷戸伝いに延びる遊歩道を道なりに進む。 右手先に競輪場がある十字路に出たら左折し、蒸気機関車の展示を左に見て進むと正面にお花見広場がある。 このお花見広場に沿って左へ進むと神社の参道に至る。徒歩7分(500mほど)。


一の鳥居(明神鳥居型)

二の鳥居(靖国鳥居型)

 護国神社は明治十一年千葉県庁公園内に創建され、明治維新で亡くなった佐倉藩の安達直次郎盛篤ら16人の霊を祀った。 当時の名称は千葉縣招魂社と云う。 大戦後、頌徳神社と改称されていたが、昭和二十七年(1952)に千葉縣護國神社に復称した。 昭和四十二年には亥鼻山から現境内地に遷座した。 更に平成七年には、御創立壹百拾五年を記念し社殿などの主要建造物の大修復を行い、また、平成十七年には大鳥居を再建した。


神門

社殿
厳島神社 千葉市中央区弁天3-1-1

 千葉都市モノレール1号線「千葉公園」駅下車、出口を出ると公園の東門だ。 公園入口で直ぐ茶屋の手前左手の小路に入り、少し行くと綿打池に出る。神社は池の対岸にある南門の隣に鎮座している。


表参道鳥居(靖国鳥居型)

社殿

神額「厳嶋神社」

 明治以前には社殿がなく弁天の石碑があるだけだったと云う。その後、弁天碑に祠を作りきちんとしたようだ。 また、明治初年の神仏分離令によって「厳島神社」と改名された。昭和五一年に社殿・社務所を改築している。
 以前の祭神は弁財天であり町名の由来にもなっているが、明治以降祭神は市杵島姫命となっている。


手水舎

弁天社

蛇石

 社殿前右手に弁財天の石碑と蛇石が置かれている。石碑には「寛政十一年」の銘がある。


北総天満宮 千葉市中央区道場北1-2-3

 JR総武本線「東千葉」駅下車。国道126号線を南下し、千葉神社前交差点で左折、200m程先道場公園斜向かいにある。(徒歩7分、約650m)


北総天満宮

神額「北総天満宮」

 北総来迎寺天満宮と称し、伏見宮尊空法親王が菅原道真公の像を刻んで念仏として信仰していた。 来迎寺は建治二年千葉介十三代氏胤が武運長久の祈願時として一遍上人に命じて建立した。 天正十八年徳川家康の命により、浄土宗中興の満誉上人を開山として御朱印50石を賜り房総3州の念仏根本道場とした。 寺子屋時代には近郷の最高学府であったので、道場の地名が残っている。 明治五年神仏分離令により現在地に天満神社社殿が建立された。
 菅原道真を祀る。

千葉神社 千葉市中央区院内1-16-1

 JR「千葉」駅で下車。東口より駅前ロータリーを経て駅前大通りを500mほど進む。 川を渡りモノレールの下を潜ると中央公園があるので、りそな銀行とその公園の間の道に入り直進する。 400mくらい進むと通町公園があり、公園傍斜め左前方にある。(徒歩12分)


鳥居

社殿

神額「千葉神社」

 千葉神社の創建年代等は不詳ながら、千葉氏の祖平良文が妙見(北辰)を篤く崇拝していたことから千葉氏も妙見を崇拝、当地には千葉家三代忠常が勧請したと伝えられている。忠常の次男覚算大僧正が伽藍を整備、長保二年(1000)北斗山金剛授寺と号して中興開山したと云う。
 天正十九年社領200石の御朱印状を拝領。明治二年(1869)の新政府発令による「神仏分離令」を受け「千葉神社」と改称、明治七年県社に列格。
 通称『妙見様(みょうけんさま)』とも呼ばれる北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)を祀る。 北辰妙見尊星王は、天の中央を定位とする北辰(つまり北極星と北斗七星)の御神霊であり、諸星諸神・方位方角を支配する尊い星の王であると讃称されており、 その絶大なる霊力を人間界に投射することにより、人間の星(=人間の運命)や全ての方位を守護・掌握する神様であると古来より伝えられている。
 社殿は、平成二年(1990)の『平成の大造営』により新たに竣工した上下に二つの拝殿を有する我が国初の重層社殿である。


尊星殿

福徳殿

 楼門型の分霊社「尊星殿」は、平成十二年の千葉神社開創1000年奉祝事業として平成十年に竣工した。 これは神社建築では類例のない楼門と社殿の複合建築物である。元来千葉神社に有った「山門」は昭和二十年の七夕空襲で焼失していたため、実に半世紀ぶりの再建となる。
 なお、この尊星殿は中央「福徳殿」・東「日天楼」・西「月天楼」・上階「開運殿」の四つに分かれ、星王である「千葉大妙見」が掌握する日・月・星の御力などがそれぞれ個別にいただけるようになっている。
 中央の福徳殿は祭神「北辰妙見尊星王」の分霊を奉斎し、陰陽道や九星気学・風水学と関わり深い妙見様の御神徳により、 各方位・五行・十二支・人間の身体各部等の役割を、八角形に配された八つの各星宮が個々に担い守護していると云う。


知恵の輪潜り

千葉天神社

神額「千葉天神」

 千葉天神は、平安末期の寿永元年(1182)、千葉神社境内に勧請された学問の神様・菅原道真公を御祭神とする神社。 千葉県内最大の天神様であり、その神紋「月星」に由来しての"ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う"という縁起の良さが広く知れ渡っている。 千葉神社の平成二年の『平成の大造営』において新社殿を造営する際、昭和二十九年再建された旧本殿を移築して天神様の祈祷殿とした。



境内末社群

亀石

 14社の末社がある。この亀石、霊験あらたかな石で、撫でると御利益があるとのこと。自分も御利益欲しさにシッカリ撫でて来たので、どんな良いことがあるか楽しみだ。


香取神社 千葉市中央区院内2-17

 千葉神社から道を隔てた公園の先にある。


全景

社殿

 千葉神社の境外末社である。勧請は885年。
 祭神は経津主命。


八坂神社 千葉市中央区本町1-2-2

 千葉都市モノレール1号線「葭川公園」駅で下車。出入口1番から線路沿いに北上し佐倉街道(国道14号線)の「中央公園」交差点に出る。 ここで右折し、400mほど直進すると三差路の分岐点にある。徒歩5分。


社号標

全景

 創立年代は不詳であるが、信仰深かかった柴田仁兵衛という人の守護神だったが、その霊験が頗る顕然たるものがあり、一社を建立して長年に亘って祭祀されてきたと云う。


坂東稲荷神社 千葉市中央区中央4-7-13

 千葉都市モノレール1号線「県庁前」駅にて下車。二番出口から線路沿いに北上し、川を渡り右折し、川沿いを進む。 県庁前の橋の次の橋の処の道で左折し、進むと70mほど先右手にある。徒歩5分(375m)




 明治初年千葉町の長者「紅谷四郎平」氏の宅地に奉安されていたが、明治十年同氏所有地を分割貸予し商店街を形成した際、町の繁栄の守護神として現在地に奉遷し独立の神社となった。 以来当社の御加護により町は年々隆盛となり信者も益々増加して来たが、昭和二十年七月の戦災により社殿を焼失した。 そして、昭和二十三年に再建され、現在に至っている。
 宇迦之御魂神(うかのみたま)/倉稲魂命。

龍蔵神社 千葉市中央区長洲1-33

 JR外房線「本千葉」駅にて下車。西口より線路沿いに北上し、県道20号線を横断し、50m先の左手脇道に折れると直ぐ左手にある。 (徒歩3分、200m)




 創建年代は不詳。「稿本千葉県誌」には「高瀧神社」として名社の一社に記載、戦前まで村社に列格していた。
 社殿は昭和四十六年に造営。


諏訪神明神社 千葉市中央区港町17

 JR外房線「本千葉」駅にて下車。西口より真っ直ぐ延びる道を西へ向かう。 150mほど先の十字路で左折し、進むと20m程のところに港町自治会館があり、港町自治会館の裏手にひっそりと鎮座している。鳥居も無く、港町自治会館に隠れ見逃しやすいので注意。


社殿

本殿

 社殿は昭和二十一年に改築されている。


厳島神社 千葉市中央区港町10-15

 JR外房線「本千葉」駅にて下車。西口より真っ直ぐ延びる道を西へ向かう。約200m先の2つ目の十字路の右手前角にある。




 江戸時代下総国千葉郡寒川村の半農半漁を生業とする村人たちが豊饒・多産の福徳を願って都川河口のほとりに小さな祠を建て弁天様を祀り信仰したのが始まりと云う。 明治以後は日本三大弁財天のひとつで全国的に約六千社の分祀をもつ安芸の宮島「厳島弁天」の亜流を汲み、市杵島姫命を祭神とする厳島神社弁財天となり今日に至る。
 昭和四十一年現地に遷宮した。




 境内には本殿・社務所をはじめ玉垣・御神木があり、奥には俗に「お穴」と称する洞窟・樹木・池・滝など弁財天の眷属である蛇の棲息し易い環境の神域がある。


神明神社 千葉市中央区神明町12




 元々は「結城神明」と呼ばれており、一説には、寒川神社の本社だったとも云われている。
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る。天照大御神は女神の太陽神である。 稲作を中心とした農耕社会であった日本において最も重要な神様の1人である。

白幡神社 千葉市中央区白旗2-6




 この辺は江戸時代以前までは結城野(ゆうきの)と呼ばれていた。 社伝では、「昔は結城稲荷ゆうきいなりと呼ばれ倉稲魂命うかのみたまのみことを祭神としていた。治承四年(1180)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝は、再挙を図り千葉城主千葉常胤を頼って千葉を通過する時、結城稲荷の境内に源氏の白旗を立て、その1旒を奉納したことより白旗(幡)大明神と呼ばれるようになった。」と伝えられる。 また江戸時代初期の『総葉概録』には「白幡八幡」と記され、江戸中期の『千葉盛衰記』には、前記伝承を記している。 明治になって白幡神社とその社号を改めた。
 神社は、古墳の上か、またはその側に祀られたものと思われ、昭和三十一年神社の境内から古墳時代後期(1400〜1500年前)の金銅装飾直刀2振が出土している。

道祖神社 千葉市中央区新田町22-15

 JR「千葉」駅にて下車。西口より南へ向かい京成千葉線のガードを潜り抜け千葉街道に出る。 街道を横断し、更に南へ向かい次の信号の交叉点の二辻先の交叉点まで進む。 この交差点で右折し、二辻進むと新田公園があるので、その手前の路地に右折すると50m先にある。




 祭神は、旅の神である猿田彦命と、芸能の神である天鈿女命(あまのうずめのみこと)の2柱を夫婦神として祀っていて、夫婦和合や良縁祈願の神様としても信仰されている。

新町天満宮 千葉市中央区新町22-13

 JR「千葉」駅にて下車。西口より南へ向かい京成千葉線のガードを潜り抜け千葉街道に出る。 街道を横断し、更に南へ向かい次の信号の交叉点で右折すると新町公園だ。公園手前の路地に入り、公園の側に回り込むとある。




 正徳五年(1715)の勧請と云われる。戦前までは隣の登戸町内に祀られていたらしく新町には戦後、現在地には平成になってから移転したと云う。 新町の氏神様でもあるらしく千葉神社とも縁があるようだ。


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