会社員時代、常磐線には何度も乗っていたが、残念ながら用事がなかった途中駅の松戸市で降りたことはなかった。 今回初めて松戸市の「馬橋」駅に降りたち、常磐線東側に点在する神社を地図を頼りに途中道を間違えたりしながらも何とか約四時間ほどで無事松戸駅まで巡った。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 松戸神社 | 松戸市松戸1457 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「松戸」駅 |
02 | 松先稲荷神社 | 松戸市松戸1421 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「松戸」駅 |
03 | 小根本神明神社 | 松戸市小根本6 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「松戸」駅 |
04 | 金山神社 | 松戸市根本344-1 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「松戸」駅 |
05 | 雷電神社 | 松戸市竹ケ花141 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「松戸」駅 |
06 | 春日神社 | 松戸市南花島3-56 | 2018/01/30 | 最寄駅: 新京成線「上本郷」駅 |
07 | 風早神社 | 松戸市上本郷3108 | 2018/01/30 | 最寄駅: 新京成線「上本郷」駅 |
08 | 前田稲荷神社 | 松戸市上本郷 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「北松戸」駅 |
09 | 明治神社 | 松戸市上本郷2087 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「北松戸」駅 |
10 | 熊野神社 | 松戸市中和倉322 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「北松戸」駅 |
11 | 安房須神社 | 松戸市新作591 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「北松戸」駅 |
12 | 妙見神社 | 松戸市中根457 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「馬橋」駅 |
13 | 王子神社 | 松戸市馬橋1784 | 2018/01/30 | 最寄駅: JR常磐線「馬橋」駅 |
【履歴】
・2018/01/31(水): 01/30(火)探訪。
JR常磐線「松戸」駅にて下車、西口から左手の伊勢丹の裏側を目指して進む。伊勢丹の裏側の道を坂川の縁りまで進み、坂川の手前で左折すると真っすぐ先に鎮座している。
一の鳥居(靖国鳥居型) |
二の鳥居(靖国鳥居型) |
昔の水戸街道に面し、天保年間に奉納された狛犬が護る一の鳥居を潜り真っ直ぐに伸びる石畳の表参道を進み、二の鳥居、坂川に架かる潜龍橋をへて境内に至る。
拝殿 |
神額「」 |
神楽殿 |
松戸市の総鎮守とされ松戸神社は、寛永三年(1626)に創建された。
慶長十四年(1609)に徳川御三家が制定されると、水戸家往来に使われる水戸街道も整備され、その道中松戸宿として賑わい、水戸徳川家より崇拝を受けた。明治十五年(1882)には、「御嶽社」から「松戸神社」に改称された。
平成十八年(2006)に、三笠宮崇仁親王が参拝したことで知られている。
祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。
社殿は寛永三年(1626)に創建された。その後、元文元年(1738)の火災で焼失し、再建されたが、拝殿は安政二年(1855)の震災で倒壊し文久三年(1863)に再建された。
拝殿天井には、佐竹永海・永湖らが描いた天上絵がある。また「三十六歌仙」を始め多くの扁額が奉納されている。
拝殿右手、秋葉神社寄りには、もう枯れてしまっているが注連縄を巻かれた御神木の大銀杏が立っている。
徳川光圀公が、鷹狩でこの地を訪れたおり、御神木に留まった鷹を射ようとしたがどうにも撃てず、弓も折れてしまったことから、松戸神社に謝して帰ったとの逸話が残されている。なお、その際に奉納された弓矢は元文元年(1738)の火災で焼失してしまったとのこと。
秋葉神社 |
水神社 |
水神社・八幡社・八坂社・三峰社 |
境内には秋葉神社、水神社、松尾神社など多数の分社が祀られている。
秋葉神社の祭神『火之迦具土大神』(ひのかぐつちのおおかみ)は、火防・災害除けの神様として、古くから全国的に信仰を集めている。
JR常磐線「松戸」駅にて下車、西口から左手の伊勢丹の裏側を目指して進む。伊勢丹の裏側の道を途中左手脇道に入ると川縁りまで進む途中に鎮座している。
鳥居(靖国鳥居型) |
社祠 |
弁天社 |
文化三年(1806)の「松戸宿分間延絵図」(国指定重要文化財)によると、「宮田稲荷」とあるが、総本社の伏見稲荷大社の祝融の災いに、関西よりも早く、松戸宿の宮田稲荷が、真っ先に新たに御祭神霊を奉献したので、松先稲荷神社と称されることになった。
祭神は宇迦之御魂神。松戸神社の境外末社である。
JR常磐線「松戸」駅にて下車、東口から左手の道を北上し岩瀬こ線橋の処で右折し少し行くと松戸市役所につながる道の右手に鎮座している。
鳥居(靖国鳥居型) |
社殿 |
扁額「神明神社」 |
神明神社は、天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社である。
JR常磐線「松戸」駅にて下車、東口から左手の道を北上し岩瀬こ線橋の処で右折し少し行くと松戸市役所につながる道に出る。 この道に折れ、松戸市役所の前を通り過ぎ、最初の左側の脇道に折れ、直進すると200m先左手に鎮座している。 松戸駅からほど近いJR常磐線の線路のすぐ脇にある小高い山のような場所にある神社である。昔、根本城があった城域の一部とされている。
鳥居(神明鳥居型) |
境内参道 |
鳥居をくぐり進むと、すぐ右手に小山へと登る多数の階段参道があり、途中に社殿がある。
この小山全体が富士山を模した富士塚だ。富士講の信仰が盛んな場所であったようで、小山の頂上には富士登山記念碑が無数に設置されている。
階段の途中には「九合目」といったように富士山に模した標記があり、あたかも小さな富士に登っているような気分が味わえる。
ひときわ目を引くのが、神社境内すぐ横の線路上にかかる歩道橋から階段を降りずにそのまま社殿へ向かうことができる面白い構造だ。社殿は歩道橋とほぼ同じ高さにあり、スロープで直に社殿前まで歩いていける。
祭神は金山比古命である。
小御嶽大神 |
冨士嶽淺間大神碑 |
中腹には小御嶽大神が祀られている。いたるところに溶岩があり、富士塚の特徴を示している。頂上には富士嶽淺間大神が祀られている。 山のマークの下に「清水」と記された碑がいくつもあり、講(参詣のための信者団体)に参加した人の名前がずらりと記されている。
金山神社には伝説がある。『松戸の歴史案内』によると、神社の上のところに「かくれざとう」というところがあり、弘法大師(空海)が籠もって薬師如来を刻んだという。木の最も根本に近いところで刻んだものを安置したので、ここの地名を根本という。その薬師如来像は金山神社からほど近い吉祥寺の薬師堂に安置されているというが、秘仏のため見ることはできない。吉祥寺には弘法大師の立像もある。市内には中根という場所があるが、弘法大師が同じ木の中ほどの部分で作った薬師如来象を安置した寺院があったことから中根の地名が生まれたという。末の部分で作ったのが印西市の薬師様だと伝えられている。
JR常磐線「松戸」駅にて下車、東口から左手の道を北上し岩瀬こ線橋の処で右折し少し行くと松戸市役所につながる道に出る。 この道に折れ、松戸市役所の前を通り過ぎ、最初の信号のある四差路左折し、直進すると700m先右手に鎮座している。
一の鳥居(靖国鳥居型) |
二の鳥居(明神鳥居型) |
マンションと民家に挟まれて建つ一の鳥居を潜ると石畳の参道が50mほど先の丘まで続いている。
鳥居を潜ったすぐの所に、昭和十七年(1942)の落雷で枯れた御神木があり、左手横には"不動明王の石像"が鎮座している。
手水舎を過ぎると、やや上り坂の参道と長い石段(約60段)が始まる。石段を登っていくと広場になっている。
広場の正面に拝殿があり、右手の小高い所に「竹ヶ花富士」と呼ばれる富士塚がある。
竹ヶ花の雷電神社には、雷と黄門さまについての伝説がある。
黄門さまが江戸から水戸へ向かう途中、雷電神社の前を通ったところ、大神様(雷)が鳴りどうしようもなかった。
そこで、神社のご神体の分身を水戸に持って帰り祀ったら、その後は雷が鳴らなくなったと云う。
また、同社のある竹ヶ花にはこんな話も伝わる。
秋晴れのいい天気だったが、黄門さまを困らせようとしたいたずら好きの雷が一行をしつこく衝けて、ゴロゴロやりながら雨を降らせた。
ところが、竹ヶ花で松の大木にぶつかり落下。黄門さまのお供のものにつかまってしまった。
怒った黄門さまは、雷を鉄のお堂に閉じ込めた。十年後、許されてお堂から出た雷は、嬉しさのあまり七日七夜雲の上で太鼓を叩いて踊り続けたという。
同社は雷よけの御利益があるとして、近隣や市外の農家が「下がりもの」と呼ばれるナシ、ナス、キュウリなどを持って訪れたり、東京電力松戸営業所も祈願を行ったことがあるという。
鳥居(靖国鳥居型) |
社殿 |
新京成線「上本郷」駅にて下車、出入口2より線路に並行する道を松戸方向に進み、2つ目の丁字路で右折する。
150mほど進むと右手に鎮座している(徒歩約4分)。
祭神は天兒屋根命。
新京成線「上本郷」駅にて下車、出入口2より線路に並行する道を松戸新田方向に進み、最初の丁字路で左折し進むと「風早神社前」交差点の先に鎮座している。
鳥居(明神鳥居型) |
上本郷の七不思議に風早神社の大杉の話がある。風早神社に周囲3メートルほどの大杉があり、その影が二ツ木村までのびていた。この大杉の陰になる田の実りが悪かったので、みこに伺いをたててもらうと、その田で穫れた米を神饌として風早神社に上げるように、とのことなので、お祭りの際に上げることにした。それからは作物がよく穫れるようになったが、ある年、神饌を怠ったら不作になったので、また毎年上げるようになった。
二ツ木側には少し違う話が伝わっており、二ツ木の田では大杉の陰になった田はよく穫れ、他はよく出来なかった。大杉のお陰ということで、その田で穫れた米を毎年風早神社に供えていた。ある年、お供えしなかったら風早神社が火事に遭ったので、また供えるようになったという。
大杉は幕末の慶応年間に枯れたが、明治30年頃までそのまま立っていたという。
鳥居 |
社祠 |
常磐線「北松戸」駅にて下車、東口よりロータリー先の正面の道路をまっすぐに約600m(約9分)進むと「明治神社前」交差点に至る。 更に直進し、次の信号機のある交差点で右折し、150mほど先の「上本郷一丁目」交差点の次の十字路で右折ししばらく行くと左手に鎮座している。
常磐線「北松戸」駅にて下車、東口よりロータリー先の正面の道路をまっすぐに約600m(約9分)進むと「明治神社前」交差点に至る。 神社交差点の右手手前に鎮座している。
鳥居(靖国鳥居型) |
社殿 |
神額「明治神社」 |
祭神は國常立神。
元禄十五年(1702)の創建ともいわれる。
現在は「国常立命」を祭神として奉斎するが、明治初頭の神仏分離令により社名を改める以前は"妙見社"と称した。
毎年10月の例祭日には、五穀豊穣・悪霊退散を祈願し、市無形文化財の「三匹獅子舞」が奉納される。
社殿は、昭和二十三年再建されたが平成十三年には再び放火により全焼。
平成十五年に再建されたもの。
JR常磐線「馬橋」駅にて下車、東口から駅舎正面の道を進み県道199号線に突き当たったら右折し進む。 「馬橋駅入口」交差点で国道6号線を横断し、直進。350mほど先信号のある十字路交差点で左折し突き当りまで進む(約250m)。 変則五差路で右折し、150m先の上り坂途中にある左手小路に入り進むと右手に鎮座している。(徒歩約20分)
鳥居(明神鳥居型) |
江戸時代初期の正保年代(1644 - )には中和倉村があった。
元禄十五年(1702)に、伊邪那岐命を熊野速玉大社(和歌山県新宮市)より勧請し、この地に熊野神社を創建した。
創建から300年、熊野神社は中和倉を見守って現在に至っている。
常磐線「北松戸」駅にて下車、東口から国道6号線に出て北方向に進み、約500mほど先「ピーシーデポスマートライフ 松戸店」前の交差点で国道を横断し、すぐ先にある新作郵便局のある坂道を登り詰めると前方にこんもりとした木立ちが見えてくる。 信号の処で右折し、すぐ先の左手路地に入ると参道の入口に大きい欅がありその奥に鳥居が見える。
鳥居(明神鳥居型) |
拝殿 |
庚申塔 |
豊臣秀吉の関東攻めで敗れた高城氏の中根城を守備していた武士が帰農し、安房須神社のある新作(しんざく)地域は農家集落となった。そのときに郷土の平安と繁栄を願って少彦名命(すくなひこなのみこと)を勧請し、慶長十一年(1606)に安房須神社を創建した。
拝殿は入母屋造り瓦葺き、明治時代の再建である。阿波では瓦葺き社殿はよく見かけるが下総では珍しい。
桧皮葺きまたはその上に銅板を被せた社殿が多い。
参道の脇に青面金剛像の庚申塔がたくさん並んでいる。明治になり猿田彦命が合祀されるとき一緒に移されてきたもの。江戸時代の後期、ここでも庚申講が盛んであったことが分る。
JR常磐線「馬橋」駅にて下車、東口から駅舎正面の道を進み県道199号線に突き当たったら右折する。 「馬橋駅入口」交差点で国道6号線を横断し、すぐ先の十字路で右折し、道なりに進むと約120mほど先左手に鎮座している。
鳥居(靖国鳥居型) |
社殿 |
慶長十一年(1606年)創建と伝えられる。
領主、千葉氏が守護神である妙見菩薩を祀っていたが、明治初頭の神仏分離令により、祭神を「国常立命」に改めた。
妙見神社の祭神は、国造り国土守護神の国常立命(くにのとこたちのみこと)だが、それ以前は、千葉氏の守護神である妙見菩薩だった。
九州千葉氏の祖であった胤貞(たねさだ)は、何回か肥前(ひぜん:現在の長崎県と佐賀県のあたり)と下総(しもうさ:現在の千葉県あたり)を往復するが、南北朝の混乱期で戦い疲れた胤貞が中根城(三ケ月台の小金城)へ戻ったところ、城が荒廃していたそうだ。この城主の痛ましい姿を見た農夫が傍らの松の枝を三本折り、憩いの場所を作ってあげ、妙見神社はその跡に建てられたと伝えられている。
農夫はそのとき「三枝松(みえまつ)」の姓をもらい、明治の初め頃までの千葉妙見社祭礼の際の開扉は、馬橋の三枝松氏が行うようになったと云う。
JR常磐線「馬橋」駅にて下車、東口から駅舎正面の道を進み県道199号線に突き当たったら左折し北上する。 70mほど行くと正面に萬満寺があるので、寺の左手の路地に入って行くと100mほど先左手に鎮座している。
鳥居(靖国鳥居型) |
社殿完成予想図 |
小道を挟みすぐ隣に位置する古刹「萬満寺」の守護神として創建された。当時地域一帯は水が乏しい砂丘だったため、諏訪明神を勧請(かんじょう)し寺領の鎮守とした。
文明年間(1469〜1487)に王子より王子権現を移し、天文六年(1537)に王子権現社となる。さらに、明治六年の太政官布告による神社分離の際に王子神社となった。
幸江序命(さちえわけのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀る。
平成二十七年十月十二日(2015)未明に不審火による火災が発生し、本殿・幣殿・拝殿が全焼した。
現在、新しい社殿が建築中で、平成三十年の今年落成予定である。
三峰神社 |
冨士嶽淺間大神碑 |
庚申塔 |