事事関心! 神社探訪:
[ 神奈川県海老名市 ]
神奈川県海老名市             2014/03/15(土)新規
コース案内

 海老名市にある神社を探訪した。
 二回目の今回(2018/03/26)はJR相模線「海老名」駅から西へ向かい相模川沿いを小田急線「厚木」駅の先まで南下、さらに方向を東に変え再び小田急線「海老名」駅に戻る駅西側周回コースだ。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 伊勢山大神宮 海老名市国分南2 2014/03/12 
 02 八坂神社 海老名市勝瀬9-1 2014/03/12 
 03 神明社 海老名市大谷北2-13-22 2014/03/12 
 04 大谷天神社 海老名市北大谷3-13 2014/03/12 
 05 大谷八幡宮 海老名市大谷南2-5-15 2014/03/12 
 06 三王三柱神社 海老名市上郷1-3 2018/03/26 
 07 有鹿神社 海老名市上郷1-4-41 2018/03/26 
 08 神武社 海老名市河原口127 2018/03/26 
 09 伊勢宮大神宮 海老名市中新田3-8-20 2018/03/26 
 10 諏訪神社 海老名市中新田1549 2018/03/26 

【履歴】
・2014/03/15(土): 掲載。

伊勢山大神宮 海老名市国分南2

 小田急小田原線「海老名」駅で下車。 東口に出て、プロムナードをまっすぐ進み南から駅前につながる道を進み「海老名駅入口」交叉点で左折し、横浜厚木線を東へ向かう。 五差路交叉点で戻り気味の左手の道に入り最初の右手脇道に折れる。少し先右手の脇道の先の伊勢山自然公園の丘の縁にある。




 国分は相模国分寺の所在により天平文化の華が開いた処だったので何時の頃からかこの地一帯を伊勢山と称するようになっていた。 このこともあり守護神として伊勢神宮を勧請したもののようだ。


勝瀬八坂神社 海老名市勝瀬9-1

 小田急小田原線「海老名」駅で下車。東口に出て、プロムナードをまっすぐ進み南から駅前につながる道を進み「海老名駅入口」交叉点で左折し、横浜厚木線を東へ向かう。 海老名小学校手前の交差点で右折し杉久保座間線に折れる。南へ下る。市立勝瀬文化センター角先の四つ角で左折する。真っ直ぐ進むと、突き当りにある。




 勝瀬地区は、相模川上流域のダム建設(現在の相模湖)により移転を余儀なくされた旧津久井郡日連(ひづれ)村勝瀬(現在の藤野町)の住民二十余戸が昭和十七年から十九年にかけて当地に移住して村落を存続させた場所だ。村社だった八坂神社本殿も、昭和二十年に旧地より移転された。
 本殿は、一間社流造り柿葺き、総檜・木地仕上げの建物で、屋根の工面に千鳥破風と軒唐破風をつけ、壁面と小壁を 日本神話や物語、龍や松に鷹といった動植物の彫刻で飾っている。 このような細部意匠などから、江戸時代末期、十九世紀中頃の建築と推定される良質の建物である。

神明社 海老名市大谷北2-13-22

 市立勝瀬文化センターを通り過ぎ、右手に厚木ナイロン本社が見えたら次の左手脇道に折れ、まっすぐ行くと突き当りにある。




 このお宮は大永八年(1528)本願勧進井田入道浄源、大檀那地頭代、須田與三左門吉平等の創立によるものである。 昔は、渋谷荘大谷郷総社だった。慶安二年(1649)社領八石の御朱印を附せられ明治六年(1873)村社に列せられた。
 創立以来社殿は六回建て替えられており、現在の本殿は昭和四年再建されたものである。

浜天坂
 神明社には三筋の参道があるが、「大谷の鎮守様神明社南参道」とある参道から約60m入った突き当りが「浜天坂」である。 坂といっても全長2.3m、道幅1.6mの五段ばかりの石段である。
 石段上の右手の境内に、約80cm高・45cm幅ほどの「浜天坂」と刻まれた碑が建っている。 裏面に、「昭和四十三年四月吉日此処に階段を寄贈し 浜天坂と名づける 寄贈者 大谷浜田出身 藤沢市用田海老名屋呉服店 井出 了」とあるこの坂が個人の寄付によって整備された際、初めて浜天坂と命名したというのである。 市内で最も新しい坂地名のようだが、石段を指して「坂」と呼ぶこと自体珍しいのでは。
 「浜天」の名は神明社の氏子の集落である「天神」と「浜田」の頭文字を組み合わせて命名したものと思われる。 天神という小字名は、浜天坂の南方100m余の所に、学問の神様である菅原道真公を祭った天満宮があるのに由来している。

大谷天神社 海老名市北大谷3-13

 神明社の南参道に出て、丁字路に出たら右折する。二つ目の左手路地に「大谷天神社⇒」の案内板があるので、この道に入ると100mほど先左手にある。




 不明。菅原道真公を祭る。


大谷八幡宮 海老名市大谷南2-5-15

 大谷天神社前の道を先へ向かう。丁字路にぶつかったら右折し進むと杉久保座間線の丁字路だ。左折して南下する。 杉久保座間線に合流したら次の左手脇道に入る。約100mほど先左手にある。




 本殿は宝暦七年(1757)七月の建立だが、創立は元禄年間のようだ。 明治の初め、京都男山八幡宮(石清水八幡宮)を勧進し、下大谷の鎮守として再建された。 明治六年(1874)十二月村社に列せられた。大正四年(1915)には村社八幡社となり、昭和六十一年に大谷八幡宮に改称された。

三王三柱神社 海老名市上郷1-3

 小田急線「海老名駅」で下車し、橋上通路を通りJR相模線「海老名」駅西口に出る。左手西側の道をまっすぐ500mほど進み突き当たる「上郷南」交差点を渡り少し左手の脇道に入る。 真っ直ぐ100mほど先で丁字路に突き当たるので左折すると70mほど先左手に鎮座している。




 三王三柱神社は山王明神社を基に三峯神社及び皇大神宮の三社からなる。総鎮守有鹿神社の下上郷の鎮守である。
 明治末年、此地に鎮座する三社を合祀し、三王三柱神社と社名を改めた。 平成三年、社殿の建替え、並びに鳥居、玉垣、神社碑、敷石等、境内の整備が行われた。

有鹿神社 海老名市上郷1-4-41

 小田急線「厚木駅」で下車し、駅前の県道43号線を北上する。150mほど先で県道40号線に合流するがそのまままっすぐ行くと500m先で丁字路となり、県道40号線は右手(東)へと折れる。 ここで左に折れ、すぐ先の十字路ですぐに右手へ折れ、北へ進むと200mほど先正面に鎮座している。


表参道鳥居

相模十三座碑

 表参道の鳥居は明治三十二年十月建立、石造り、神明鳥居だ。



拝殿

扁額

参心殿

 向拝殿の扁額は寛保四年(1744)江戸の書家、関思恭が書いたものとされる。
 神楽殿、神輿殿、例祭時頒布所を兼ねた参心殿は平成二十六年に再建された。


有鹿天神社

三社様

相模十三座石碑・石舎

 有鹿天神社は海老名氏屋敷に祀られていた天神社を遷座。三社様は、かつて海老名氏屋敷に祀られていたという日枝社、稲荷社、諏訪社を遷座し祀っている。



御神木

欅根花壇

 御神木の鹿子の木の樹齢は不明。
 平成二十三年九月の大風の影響で枝折れ、伐木された大欅の根を活かした花壇が作られている。


神武社 海老名市河原口127

 小田急線「厚木駅」で下車し、駅前の県道43号線を北上する。150mほど先で県道40号線に合流するがそのまままっすぐ行くと500m先で丁字路となり、県道40号線は右手(東)へと折れる。 ここで左に折れ、すぐ先の十字路をまっすぐ進み、次の六差路で右手二番目の道に折れる。まっすぐ行くと丁字路に突き当たるので右折すると50mほど先右手に鎮座している。




 有鹿神社略記によると同社の摂社で「河原口の坊中には、河原口鎮守の「神武社」が鎮守する。」とある。


伊勢宮大神宮 海老名市中新田3-8-20

 小田急線「厚木駅」で下車し、駅前の県道43号線を左手南側へ進む。 「中新田市街道」交差点で県道43号線に別れ、左手の道に進む。すぐにJR相模線の線路を横断し、更に150mほど進むと左手に鎮座している。




諏訪神社の摂末社。祭神は天照大神。


諏訪神社 海老名市中新田1549

 小田急線「厚木駅」で下車し、駅前の県道43号線を左手南側へ進む。すぐ先の三差路で左折し、進むと400mほど先で県道46号線の「海源寺」交差点に出る。 此処で右折すると150mほど先右手に鎮座している。




 室町の頃、諏訪明神を勧請して以来、中新田の地域及び住民を守護する産土神社として、「お諏訪様」と尊称されている。 この神社は、風の神・水の神という農業神であり、例大祭のみならず、雹祭・虫除祭・風祭という農事祭が執り行われている。
 祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)である。


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