事事関心! 神社探訪:
[ 藤沢市街地 ]
神奈川県藤沢市/市街地          2012/09/08(土)更新
羽鳥御霊神社 藤沢市羽鳥3-15-28

 JR東海道本線「辻堂」駅北口より徒歩約16分、羽鳥小学校の北側に鎮座している。


鳥居(靖国鳥居型)

本殿

神額

 旧羽鳥村の鎮守社で、関東大震災により半壊した本殿は昭和38年に新築された。


鐘楼

梵鐘

 銅で造られた鐘で、高さ101.5cm、竜頭高さ24cm 、鐘身の高さ77.5cm、口径66.5cmで、冶工は秦景重と銘がある。南北朝時代の形式を具備する良作だ。梵鐘には、以下の至徳三年(1386)の銘がある。
奉懸 下総州香取太神宮寺大鐘一口 大旦那周防守宗廣
 大工 秦景重 干時至徳三年 丙寅十月日 敬白
 現在は廃寺となっている千葉県の香取神宮にあった寺の旧鐘で、明治五年正月に東京神田の古物商の店頭にあったものを購入したものとのこと。


鵠沼皇大神宮 藤沢市鵠沼神明2-11

 JR東海道線「藤沢」駅北口から線路沿いを、辻堂方面に向かって15分ほど歩くと、右手に「日本精工藤沢工場」がある。 線路沿いに工場の先まで歩き、西側沿いの道を北上すると工場の先右手に鎮座している。


三の鳥居(伊勢鳥居形)

社殿

神額

 勧請の時期は不詳だが第五十三代淳和天皇の御代 天長九年(832)に社殿造立の記録がある。 天喜三年(1055)、元亨二年(1322)、天正十三年(1585)、昭和六十年(1985)と造営を重ねている。
 第六十代醍醐天皇の御代、延喜式が選進されたころに、奈良時代以来現在の藤沢市の内、藤沢・西富・大鋸・鵠沼・辻堂などの各地を合わせた相模國土甘郷(とかみごう)の総社に列せられ、この時以来、相模國土甘郷総社神明宮と称した。 又、長治元年(1104)に到って鎌倉権五郎景政が所領の大庭荘を伊勢神宮に御厨(みくりや)として寄進したので 大庭荘が大庭御厨と呼ばれるようになってからは、その領内、即ち東は俣野河(現在の境川)から、西は寒川郷に到る区域、また北は大牧崎(現在の藤沢市最北端)から、南は海(現在の片瀬の一部・鵠沼・辻堂・茅ケ崎の海辺の諸村)に到る区域、いわゆる境川と小出川とに挟まれた広大な伊勢神領大庭御厨総鎮守と定められ、更に篤く崇敬されることとなった。
 主祭神は天照皇大神。


手水舎

公孫樹の古木

末社: 石楯尾神社


白旗神社 藤沢市藤沢2-4-7

 JR東海道本線「藤沢」駅北口下車、県道306号線を北上し、国道467号線に出たらさらに北上し、白旗交差点を右折し真っ直ぐ行くと白旗川を渡ったところにある。 小田急江ノ島線「藤沢本町」駅からは約5分と近い。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 一ノ宮の寒川神社を勧請したのが始まりとされている。 文治5年(1189)に奥州にて敗死した源義経の首を美酒に浸し持って来て腰越にて首実検の後,この地に埋められたと云う。 後,このことから宝治三年九月(1249)義経公を合せ祀るようになった。社前の領家町に首塚、首洗井が残っている。
 享保三年(1718)紀州公姫君参勤交代の際、此の陣屋に於て急に腹痛を起し大神に祈願したところ忽ち全癒し、木杯一個紋章幕、高張を奉納し例祭には十万石の格式有と伝えられ、享保4年12月21日(1719)神祀官領従三位吉田兼敬公より正一位階を授いた。宝暦2年(1752)社殿を再建し旧坂戸町総鎮守”白旗神社”と称された。 文政三年2月8日(1820)火災に罹り社殿及古書類等を焼失、文政十一年六月(1828)より天保六年(1835)冬に亙りて社殿を再建し現在に至っています。
 祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)、源義経、配神は天照皇大神、大山祇命(おおやまつみのみこと)、国狭槌尊(くにのさずちのみこと)である。


弁慶の力石

源義経公鎮霊碑

 本殿登り石段の右脇には”弁慶の力石”、左には”源義経公鎮霊碑”がある。”弁慶の力石”は元(霊)玉、神石とも呼ばれ、この石に触れると健康になり病気をしないという言い伝えがある。昔、茶店で一服した若者たちがこの石を持ち上げて力比べをしたといわれている。
 兜の形を模した義経公鎮霊碑の右脇には「義経松」と記された石碑があり、その石碑の後ろには松らしき切り株がある。  

石上神社 藤沢市鵠沼石上2-3-1

 JR東海道本線「藤沢」駅南口下車、ファミリー通りを南下、藤沢合同庁舎裏に鎮座している。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

社号塔

 江戸時代には江の島詣、大山詣の道筋で石上舟渡船場があり賑わっていた現在の砥上公園辺りにあったが、度々水害に遭うので明治二十九年に石上駅南東方に移転、さらに昭和九年に現在の石上会館の脇に移った。

鵠沼伏見稲荷神社 藤沢市鵠沼海岸5-11-17

 小田急線「鵠沼海岸」駅にて下車、西方向へ約10分の処に鎮座している。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額「鵠沼伏見稲荷神社」

 昭和四年(1929)、小田急江ノ島線が開通し、「鵠沼海岸」駅前を中心に開発が進む中、近隣住人の要望もあって、昭和十八年(1943)、京都市伏見区の旧官幣大社伏見稲荷の御分霊を勧請して創建された。
 宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神、の五柱を祀る、この五柱の神は御名を「稲荷大神」と称す。


奥宮

鵠沼和貴水

 奥宮へと続く20本程の朱の鳥居群はなぜか神聖さを感じる。奥に鎮座する稲荷社(奥宮)は「五穀豊穣」の御利益があるとされ、狐は作物=稲を守る象徴として崇められている。
 平成六年(1994)、鵠沼の地に御祭神である「宇迦之御魂大神」をはじめとする神々が勧請されたことを記念する「鎮座50年記念事業」が行われ、その一環として境内の井戸を掘削したところ豊かな水脈にあたった。 この水は御神水として飲用に適している事が分かり、湧出したばかりの純粋な自然水を汲み取れることから「鵠沼和貴水」の名で親しまれている。

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