小田急線長後駅西口で降り、北西方向に延びる道を350m程進む。三叉路を右折し、田んぼを左手に見ながら700mほど道なりに進んだところにある。
一の鳥居(明神鳥居型) |
拝殿 |
神額「天満宮」 |
文治五年(1189)、源頼朝が大庭のあたりで鷹狩りを行った夜、渋谷重国の屋敷に泊まり酒宴が催された。
この酒宴が繰り広げられたのが、引地川の流れに沿って田が開かれ、台地の上に自然の地形を利用して造られた城(館)のあったこの辺りといわれている。
明治末期の調査で東西180m、南北225m、堀跡も残されていることが確認されている。長後天満宮の起源はこの地を支配していた渋谷氏が居城の中に作った社だったと云われている。
祭神は菅原道真公。
二の鳥居(明神鳥居型) |
手水舎(水盤[弘化三丙午歳(1846)]) |
鐘楼 |
燈籠(寛永19年(1642)) 市指定重要文化財 |
狛犬 奉納年貞享3年3月25日(1686) |
県下名勝史跡四十五選当選記念碑 |
市指定重要文化財の貞享三年の小型狛犬は、社殿内に保管されているのか見当たらなかった。
(参道に置かれた二対の狛犬は狛犬探訪(藤沢市)に掲載)
小田急江の島線「長後」駅で下車、長後駅西口から神奈中バス長41系統を利用し"渋谷ノ里"バス停で降りるとすぐ。
鳥居(神明鳥居型) |
社殿 |
神額「白山神社」 |
摂社-稲荷社 |
御神木-公孫樹 (樹齢300年超) |
創立年月は分かっていない。当村の広田主水及び氏子中にて寛文四年(1664)に再建し、享保年中(1716-1735)には大久保山城安の崇敬する所となり、安永四年(1775)に造営された。
昭和六年(1931)には本殿・拝殿の改築がされている。明治六年(1873)村社に列格された。
昔から当村字西光山に在った八坂大神を寛文年間(1661-1672)に当社へ遷座した。
祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と須佐之男命(すさのおのみこと)。
「下土棚祭ばやし」は江戸時代より伝わる祭ばやしで2000年に藤沢市無形民俗文化財に指定されている。
小田急江の島線「長後」駅東口で降り、長後駅東口交差点で右折し、最初の左折T字路で左折し、道なりに進む(400mほど)。藤沢街道(467号線)にぶつかったら交差点を横断し、道なりに進む(100m程)。さらに22号線も横断し進み、坂道を降り切ったT字路(300m先)の左手にある。
鳥居(両部鳥居型) |
社殿 |
神額「七ツ木神社」 |
文禄年中(1592-1596)に渋谷義重の崇敬厚つかったと言い伝えられている。文政九年(1826)に再建され、大正十三年(1924)に拝殿を改築した。
相模風土記に七ツ木郷鯖神社と記述されている。明治初年(1868)、地名をとった”七ツ木神社”に改称された。
明治六年(1873)には村社に列格されている。
源義朝を祀っている。
七ツ木神社の境内には、かつて御嶽山、三笠山、八海山の講中が盛んだった頃に造られたと思われる小山がある。
小田急江の島線「湘南台」駅東口より、駅前道路を藤沢街道(467号線)まで直進する。 左折し、藤沢北警察署入口交差点で右折し、道をT字路にぶつかるまで下る。ここで右折し、道なりに進むと右手にある。
鳥居(明神鳥居型) |
社殿 |
扁額「鯖神社」 |
元禄十五年(1702)この地に居住していた井上瀬兵衛の発起で造立された。
文政九年(1826)に改築、昭和八年10月(1933)本殿と拝殿を改築した。明治六年(1873)には村社に列格された。
平成八年(1996)に不審火により社殿焼失し平成九年(1997)に再建されたが、平成十三年(2001)再度不審火により社殿焼失してしまい、平成十四年6月(2002)に再建され現在に至っている。
祭神は源義朝である。
小田急江の島線「湘南台」駅で下車。西口より真っ直ぐ延びる道を進むと引地川の手前左手に円行公園がある。神社はこの公園南手に直行する道を約100mほど先にある。
鳥居(明神鳥居型) |
社殿 |
扁額「八幡宮」 |
慶弔十九年(1614)に、桐ヶ谷大膳および全村が一致して円行南東の地「字芳荒」に建てたが、その後天明年間の水害に遭い、現在の地に造営したと云われている。
現在の社殿は平成九年(1997)に再建された。
祭神は、誉田別尊と素戔嗚尊。
手水舎 |
社務所兼神楽殿 |
豊川陀枳尼真天神社 |
豊川陀枳尼真天神社(とよかわだきにしんてんじんじゃ)は埼玉県飯能市の神社で豊川稲荷の分社だ。
鳥居(明神鳥居形) |
社殿 |
神額「亀井神社」 |
創立年月は不詳で、古くから源義経の四天王の一人亀井六郎崇敬の社と云われている。
天正十八年(1590)に再建され、寛永年中(1624-1644)には岡部和泉守の崇敬厚く社殿を改築したと伝えられている。
大正十二年(1923)には関東大震災により社殿が倒潰し、大正十五年9月28日(1926)に再建された。
明治六年(1873)に村社に列格されました。平成四年に社殿を改築、境内整備され、現在に至っている。
祭神は天軻句突知命(あめのかくつちのみこと)。
小田急江の島線「六会日大前」駅下車。西口より、日大縁の道路を登りきり、更に先へ少し下るとある。
鳥居(靖国鳥居型) |
社殿 |
神額 |
その昔からこの地に"天神社"と"神明社"の二社が祀られていたが、地域の区画整理に際し両者を合祀し"天神社"として現在地に造営された。
昭和五十二年(1977)拝殿、鐘楼等を建立、社務所等設備を昭和六十一年(1986)に整備し現在に至る。
祭神は神皇産霊神(かんみむすびのかみ)、菅原道真(すがわらみちざね)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)。
大庭公園の南側にある船地蔵公園の先の丘陵にある。
鳥居(明神鳥居型) |
社殿 |
社名塔 |
この神社は御霊社又は権現社とも呼ばれている。ここが式内社の大庭社旧跡とされたのは江戸時代(文化・文政)のこと。
式内社は平安時代(醍醐天皇の時)につくられた延喜式(法律の一種)の神名帳に載せられている神社。
石造の鳥居は天保四年(1833)山崎六兵衛雅彦が寄進した。
祭神は熊野久須比命。
長後街道が境川を跨ぐ所から川上に約200m上ったところにある。
鳥居(明神鳥居型) |
社殿 |
神額 |
寛永二年(1625)に千束村であった此の地に創建された。
祭神は建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)。配神として天神様、八幡、稲荷を各祠に祀っている。