事事関心!
[ 神社探訪: 下足利郡箱根町 ]
神社探訪: 下足利郡箱根町  2016/07/18(月) 更新
コース案内

 下足利郡箱根町にある神社を参拝した。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 白山神社 足柄下郡箱根町湯本431 2015/07/29 
 02 石垣神社 足柄下郡箱根町湯本 2015/07/29 
 03 牛頭天王神社 足柄下郡箱根町湯本 2015/07/29 
 04 湯本熊野神社 足柄下郡箱根町湯本614 2016/04/06 
 05 玉簾神社 足柄下郡箱根町湯本682 2016/04/06 
 06 須雲川駒形神社 足柄下郡箱根町須雲川105 2016/04/06 
 07 畑宿駒形神社 足柄下郡箱根町畑宿上野山102 2016/04/06 
 08 箱根神社 足柄下郡箱根町元箱根80-1 2016/07/16 

【履歴】
・2015/08/01(土): 07/29-旧東海道(小田原-箱根湯本)を探訪
・2016/04/18(月): 04/06-旧東海道(箱根湯本−元箱根)を探訪
・2016/07/18(月): 07/16 箱根神社参拝。

白山神社 足柄下郡箱根町湯本431

 箱根登山鉄道「箱根湯本」駅下車、駅前から4番乗場「箱根旧街道線」のバスにて「早雲公園前」バス停へ。神社は目の前にある。


参道石段と鳥居(明神鳥居)

拝殿

神額「白山神社」

 天平十年(738)、加賀白山の開祖泰澄の弟子浄定が白山比盗_社(しらやまひめ)の祭神を勧請し、十一面観音を刻んで修法を行うと、温泉が湧き出し、その湯が当時蔓延していた疱瘡を治したという伝承が残された神社。 江戸時代までは白山権現と呼ばれ、温泉の守護神として崇められてきた。 『新編相模国風土記稿』には「白山社箱根湯本村及箱根茶屋村の鎮守なり。例祭は一月十九日、村持」とある。 嘉永年間(1848-1854)に、小田原北条氏の菩提所早雲寺の境内から現在地に移されたという。
 祭神は白山比淘蜷_=菊理媛命(くくりひめのみこと)、伊奘諾命(いざなぎのみこと)、伊奘冉命(いざなみのみこと)と云う。

石垣神社 足柄下郡箱根町湯本

 箱根登山鉄道「箱根湯本」駅下車、駅前から4番乗場「箱根旧街道線」のバスにて「湯本中宿」バス停へ。 バスの進行方向へ約70mほど進むと左側の山裾に鳥居があり、箱根新道の先にある神社へ階段道が続いている。


一の鳥居

二の鳥居

社殿

 古来、仲宿住民が講中の部落の安全を祈願する新宮と称する郷社があったが、天正十八年豊臣秀吉が小田原北條氏討伐のため石垣山に一夜城を築き本陣を早雲寺に置いた際、その鬼門となった為この社を新設、太郎坊次郎坊とし石垣神社として建立したという。 作者不明ながら当時の名工の作と伝えられている木製の天狗の面一対が現在社宝として相伝されている。

牛頭天王神社 足柄下郡箱根町湯本

参道石段と鳥居

石祠

 箱根登山鉄道「入生田」駅下車、駅前から山側にある旧東海道に出て、箱根湯本方向へ進む。 国道1号線に合流したら階段を登り線路際の歩道を進み、100mほど先で再び旧東海道が分かれているので、旧街道側へ進む。 街道を進むと40mほど先右手に神社への入口がある


湯本熊野神社 足柄下郡箱根町湯本614

 箱根湯本駅からは、歩いて5分前後。国道一号線を少し登り、滝通り温泉郷入口で左手へ折れ、旭橋を渡った先突き当りを右路地に入った突き当りに鎮座している。





 湯本熊野神社の創建年代等は不詳。奈良時代にこのあたりで温泉が発見され、湯場として栄えるようになったことで、紀伊の熊野権現から分霊され、湯本の鎮守として祀られるようになったと云う。
 昭和五年の逗相大地震にて神社後方の山腹が崩壊し、社殿その他一切の造営物を埋没した。現在の社殿はその後再建されたもの。
 祭神は、熊野速玉神、大己貴神である。

玉簾神社 足柄下郡箱根町湯本682

 箱根湯本駅からは、歩いて12分前後。駅前の通り(国道一号線)の緩やかな坂を箱根方向へ向かう。 滝通り温泉郷入口で左手へ折れ、須雲川沿いの滝通りの坂道を登っていくと須雲川に架かる最初の橋の向こうに箱根湯本温泉ホテル「天成園」があり、玉簾神社はホテルの建物の裏手にある。




 もとはこの地にあった稲葉氏(小田原城主)の邸内社として江戸時代に創建されたと云われている。
 芦ノ湖の守り神「九頭龍明神」を祀る、箱根神社の唯一の分社であり、九頭龍神社と同じく、「水の守り神」、そして「縁結びの神様」として崇められている。

須雲川駒形神社 足柄下郡箱根町須雲川105

 須雲川集落の外れの左カーブの突端に鳥居が立つ。このカーブを曲がると鎖運寺がある。




 須雲川集落の鎮守社。
 天御中主大神、箱根山の地主神「駒形大神」を祀る。

畑宿駒形神社 足柄下郡箱根町畑宿上野山102




 その創建の年代は不明なるも、言伝えによると当村創立の頃、箱根泰禄山に奉斎する駒形大神を勧請し「駒形大権現」と崇めたと云う。
 境内には、木地師の信仰が厚い聖徳太子を祀った太子堂、学業成就の菅原神社、痘疹守護の照心神社がある。
 祭神は駒形大神。

箱根神社 足柄下郡箱根町元箱根80-1

 箱根登山鉄道「箱根湯本」駅下車、駅前から箱根登山バス「箱根・元箱根行」のバスに乗り「元箱根港」バス停で降車。 湖畔へ出て、右手に向かうと徒歩5分ほど。


三の鳥居

四の鳥居

五の鳥居

 二の鳥居を潜って暫く進むと境内に入、境内の入口には三の鳥居が建っている。鳥居の処で最初の石段を登ると後は平坦な参道が続いている。 暫く行くと右手に手水舎があり、その横に四の鳥居が建つ。鳥居の先は九十段の階段の正参道が続き、階段の最後の処に五の鳥居がある。


平和の鳥居

平和の鳥居(内側より)

 四鳥居の正面の階段を下ると湖上の鳥居が建っている。 この鳥居は、今上陛下の立太子礼と日本の独立(講和条約締結)を記念して昭和二十七年に建立された。
 その後、昭和三十九年に至り、鎮座1200年と東京オリンピック開催を奉祝記念し、「平和」の扁額が掲げられ、それ以来「平和の鳥居」として親しまれている。
 この日も、若いカップルや外人さんたちが鳥居の先に立ち写真を撮るために行列を作っていた。




 天平宝字元年(757)、万巻上人が現在地に里宮を創建し、僧・俗・女の三体の神を箱根三所権現として祀ったと伝える。 その後、伝承では、万巻が人々を苦しめていた芦ノ湖の九頭龍を調伏し、現在の九頭龍神社本宮を建立して、九頭龍を守護神として祀ったとされる。
 明治の神仏分離の際に「箱根神社」に改称し、昭和三年に国幣小社に昇格した。


九頭龍神社-手洗鉢

曽我神社

恵比寿神

 本殿に向かって右手に隣接する九頭龍神社(新宮)は工事中で参拝不可(2016/07)。なので手洗鉢の写真を掲載。 九頭龍神社の本宮は奥芦ノ湖の湖畔にあるため、参拝しやすいようにと2000年に九頭龍神社(新宮)が作られた。 新宮では箱根山が源の「龍神水」という霊水が湧き出ており、浄化作用や、ヒーリング効果があると言われ、口にすることで一切の不浄を洗い清めてくれるそうだ。
 曽我神社は、鎌倉時代、箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十朗祐成の霊を慰めるため「勝名荒神祠」として祀られたのが始まりである。
 恵比寿神は、商売繁昌、大漁満足(航海)の神、愛敬富財の福徳が授かる神で、弁財天や第六天社もまた福徳円満、商売繁昌の神と崇敬されている。 箱根七福神巡りの恵比寿神となっている。


安産杉

矢立の杉

 この大杉「安産杉」は、古代山岳信仰の名残りをとどめる幸運の栄木である。 遠い神代の高高天原から光臨された皇孫「瓊瓊杵尊」が、この地上で初めて出会った容色婉女な「木花咲耶姫命」(富士山の神様)と結婚し、日継の皇子「彦火火出見尊」が誕生されたという神話に由来している。 箱根神社はこの皇祖三神を祀っているが、この木は古代祭祀の象徴たる神籬(栄木)として崇めてきたもの。 これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するようになった。 かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬したが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生した。 爾来武家庶民の間にもこの風習が広く行われるようになったと云われている。
 矢立の杉は征夷大将軍に任命された坂上田村麻呂が東北制圧に向う途中箱根の山を越える際に、箱根神社に参詣し、「矢」を献上して武運を祈願した。 そのかいあってか、無事東北平定を成すことが出来た。 後世の武将もこの例にならい、神前に「矢」を献上し戦勝を祈願した。 その謂れにより「矢立ての杉」とよばれている。 樹齢1200年、周囲6.0m、樹高35mと非常に立派な杉である。


inserted by FC2 system