事事関心! 神社探訪:
[ 神奈川県平塚市 ]
神社探訪: 神奈川県平塚市          2013/11/29(金)更新
コース案内

 平塚市にある神社に参拝した記録。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 平塚八幡宮 平塚市浅間町1-6 2013/01/21 相模国府祭六社:八幡宮
 02 八王子神社 平塚市見付町40ー5 2013/01/21 
 03 三島神社 平塚市夕陽ケ丘60ー27 2013/01/21 
 04 港稲荷神社 平塚市千石河岸64 2013/01/21 
 05 春日神社 平塚市平塚4ー18ー1 2013/01/21 
 06 前鳥神社 平塚市四之宮4-14-26 2013/11/27 相模国府祭六社:四之宮
 07 真土神社 平塚市東真土3-5-8 2013/11/27 
 08 真土神明神社 平塚市西真土3-13-44 2013/11/27 狭社地
 09 諏訪神社 平塚市東真土4-1 2013/11/27 
 10 八坂神社 平塚市豊田打間木 2013/11/27 極狭社地
 11 八幡神社 平塚市下島625 2013/11/27 
 12 北野天神社 平塚市平塚3ー6ー20 2013/11/27 
 13 道祖神社 平塚市見附町40-5 2013/11/27 
 14 王子稲荷社 平塚市平塚4ー33ー21 2013/11/27 
 15 五霊社 平塚市平塚5-16-1 2013/11/27 

【履歴】
・2013/03/22(金): 作成
・2013/11/29(金): 更新(11/27真土と近辺を探索)
・2014/11/21(金): 更新(小さい神社を追加)

平塚八幡宮 平塚市浅間町1-6

 JR東海道本線「平塚」駅下車、北口から真っ直ぐ北(市役所方面)へ徒歩8分、「宮の前」交差点そばに国道一号線に面して鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居(明神鳥居)

拝殿

 平塚八幡宮は古くは鶴峯山八幡宮と称えられ、仁徳天皇の六十八年、この地方を襲った大地震に苦しむ人々の様を見かねた天皇が国土安穏を祈り、應神天皇の御神霊を祀ったのが創祀と云う。 その後、推古天皇の御代にも大地震があり、人々を案じられた天皇は「鎮地大神」の御宸筆を捧げて国家安泰を祈願し社殿を造営。さらに天武天皇はこの地の税を寄進、文武天皇は宝剣「天晴彦(あめのはるひこ)」を奉納、そして聖武天皇は相州一国一社の八幡宮(霊場)として法華経を奉納された。 鎌倉時代以降も源頼朝公が夫人政子の安産を祈願して神馬(白馬)を献上した等、武人の信仰も篤く、特に徳川家康公は社領を寄進し、慶長年間には自ら参拝し、伊奈備前守忠次へ命じて社殿を再建した。
 江戸期になると、平塚は日本橋から数えて8番目の宿場として賑わい、特に門前の大門通りは東海道、須賀港、厚木往還、大山道の重なる交通の要衝として発展し、旅人は道中の安全を祈り社頭は大いに栄えた。
 大政奉還の後、官の達示により社名を「八幡神社」と改称した。 大正十二年には関東大震災に見舞われ、甚大な被害を受け社殿も崩壊したが、昭和三年に再建された。 昭和五十三年八月には現在の社名である「平塚八幡宮」へ改称した。




二の鳥居(明神鳥居)

 この二の鳥居は明和二年平塚宿の僧本誉還真が18年間集めた浄財で青銅鳥居を東海道ぎわに奉建した。 安政三年(1854)大風で倒壊、万延元年(1860)同所に再興、大正十二年(1923)関東大震災に再び倒壊、昭和七年(1932)現在地に移転再興されたもの。


手水舎

神明社、若宮社、諏訪社

神輿庫

 中央に「子育・子供の守り神 若宮社」、向かって右手に「海運・降雨通安全の神 諏訪社」、向かって左手に「出世・商売繁盛の神 神明社」が祀られている。

八王子神社 平塚市見付町40ー5

 JR東海道本線「平塚」駅下車、北口から旧東海道に出て左折(小田原方向へ)、平塚伊勢原線(県道61号線)にぶつかったら右折し北上。(徒歩10分)


鳥居

社殿

神額「八王子神社」

 徳川家康が鷹狩の折この地で休息した由縁をもって、鷹匠の子孫が報恩のために「東照宮(東照大権現)」をまつったのが始まりと云われる。なお、天保初年に何故か「八王子権現」と改められたと云う。
 昔から通称「ごんげんさん」と呼ばれている。平塚宿から八王子宿に向かう大道を「八王寺(子)道」と呼ぶが、その道の起点がこの神社近くにあったことから「八王子神社」というようになったとも云われている。

三島神社 平塚市夕陽ケ丘60ー27

 JR東海道本線「平塚」駅下車、南口から須賀港方面へ徒歩10分のところにある。


一の鳥居

二の鳥居

拝殿

 創建時期は不明。 平安時代(794〜)の初め、当地は「須賀のから浜」と呼ばれ、文献に「薬師・三島明神の本地仏なり長一尺五寸、弘法の作と伝」と記されていることから、すでにその時代には多くの方々から信仰を集めていたと思われる。 戦国時代の永禄九年(1566〜)には小田原北条氏手厚い保護のもと、魚類・船運業の集散地として栄え、江戸時代には海運業商業の要としてこの地は急速に発展した。 そして、江戸時代半ば(1670〜)には須賀千軒といわれるほど人家が増え、相模国の海運・海路の玄関口として栄えてきた。 また、時代と共に各地で「山岳信仰」が盛んになるにつれ、伊豆・房総半島から船旅の方々も増え、須賀港に着くと当神社に参詣し、道中の守護を祈願する慣わしがあった。


神額「三嶋神社」

厄神社

伊弉諾尊社

弁天社
港稲荷神社 平塚市千石河岸64

 JR東海道本線「平塚」駅下車、南口から「須賀港行き」に乗り、終点の「須賀港」バス停で下車するとすぐの平塚港際に鎮座している。


鳥居

仲町稲荷社

出笹稲荷社

 仲町の稲荷講は昭和二十七年の港完成以前は仲町稲荷と出笹稲荷の講中に二分されていたが、現在は港稲荷に合祀されている。

春日神社 平塚市平塚4ー18ー1

 JR東海道本線「平塚」駅下車、北口から神奈中バス「国府津駅行」他に乗り、「柳町」バス停で下車、徒歩3分。


一の鳥居(神明鳥居)

二の鳥居(神明鳥居)

拝殿(権現造り)

 承応三年(1654)六月記の春日神社縁起一巻によれば、「春日神社はもと平塚山黒部宮と称し、建久二年 (1191)右大将頼朝が、相模川橋供養の御祈願所とした云々」とある。 また、建久三年 (一一九二) 八月九日、将軍家御台所御産気のため神馬を奉り、安産を祈祷したとある。 故に安産の御神徳とともに、昔から旅立つことを鹿島立ちといわれているが、これは春日の神が鹿島を立たれて無事春日大社にお鎮まりになった故事によるもので、旅行・交通安全の守護神としての信仰も根ざしている。 源頼朝より御朱印の御寄附があったが、元和年中(1615〜1616)に焼失し、その後江戸時代には、慶安二年(1649)に徳川家光より社領六石の御朱印を賜った。 明治六年七月三十日、村社に列せられ、明治四十一年四月三十日、神饌幣帛料供進の神社に指定された。
 祭神は、天児屋根命・武甕槌命・経津主命・比売神。


鐘楼

末社: 春日稲荷神社

末社: 春日龍宮社

末社: 春日龍神社

末社: 春日天満宮

毘沙門堂

前鳥神社 平塚市四之宮4-14-26

 JR東海道本線「平塚」駅下車。駅北口6番バス乗場より、「平53 本厚木駅南口行」に乗り「前鳥神社前」バス停で下車、少し戻ると四つ角に「前鳥神社参道」の案内板があるので、左折して直進すると突き当りに赤鳥居が建っている(徒歩3分)。


鳥居

拝殿

神額「左喜登利神社」

 奈良時代以前、畿内から祭神「菟道稚郎子命」を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地に祀ったのが「さきとり」神社と考えられている。 『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社を収録した神名帳に相模国の十三座のひとつとして「前鳥神社」の記載がある。 また、所在地の「四之宮」の称は、養老年間(717〜724)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになった。

 前鳥大神(菟道稚郎子命)は、第十五代応神天皇の皇太子である。 当時、百済から来朝していた阿直岐(あちき)から帝王への道を学ばれた後、博士王仁を師として学問の道を開いた。



奨学神社

赤鳥居

 奨学神社は百済の王子阿直岐と博士王仁、そして菅原道真公を祭神とする奨学の神社である。


真土神社 平塚市東真土3-5-8

 JR東海道本線「平塚」駅で下車。北口より平塚駅前交差点先の「四ツ角」バス停まで歩く(徒歩3分)。「田村車庫行」に乗車し、「東真土」バス停で下車(バス約10分)、国道129号線を東真土交差点まで北上、交差点で左折し直進する。 約500mほど先で右折し北へ進むと、2つ目の四つ角の先50m右手に鳥居が建っている(徒歩約7分)。


鳥居(参道口)

拝殿

神額「真土神社」

 祭神は建御名方命・天之御中命・伊邪那美命・天児屋根命・天照皇大神・宇迦御魂命・須佐之男命・日本武命と多数だ。 御祭神の数が多いのは、真土地域内の各地に御鎮座する諏訪神社・白山神社・本宮神社・神明神社・八坂神社・稲荷神社・御嶽神社の各祭神を明治の年間に一社に合祀し真土の総鎮守としたため。


社標柱「真土神社」

鐘楼

祖霊社
真土神明神社 平塚市西真土3-13-44

 JR東海道本線「平塚」駅下車。北口駅前4番乗場より「平63 田村車庫行」に乗り「市場前」バス停で下車、20m先で左折し60mほど進むと右手に分岐路があるので右折する。さらに40mほど先左手に鎮座している(徒歩3分)。


社殿


 真土大塚山古墳が崩されるまでは古墳の後方部中央に東を向いて社殿があった。この北は畑があり、今の公園の南の道辺りが用水でその北は水田だった。神明社西に古くからの共同墓地がある、墓石の紋は三つ柏と飾三柏が多く幾つか木瓜が見える。
 祭神は天照大御神である。


諏訪神社 平塚市東真土4-1

 JR東海道本線「平塚」駅下車。北口バス6番乗場から「平53 本厚木駅南口行」に乗り、「四ノ宮」バス停で降りる。50m先で真土・金目線に左折し国道129号線の「四之宮林町」交差点を越え、更に約300m進むと、道路の右(北)に接して鎮座している。


諏訪神社

神額「諏訪神社」

 昭和初期には小高い砂地の山の頂上にある小さな祠だった。戦後になり近辺の整地の際に平らに均してしまったのだそうだ。
 明治に入り行われた真土神社への合祀は分祀であって移転ではないとのこと。現在でもこの社では例祭を7月27日に行っている。 なお一時期「本宮神社」と呼ばれていた事がある。

八坂神社 平塚市豊田打間木

 JR東海道本線「平塚」駅下車。北口バス4番乗場から「平65 田村車庫行」に乗り、「打間木上」バス停で降りる。少し先の交差点で左折し100mほど進むと右手田んぼ越しに見える。


社殿

神額「八坂神社」

 明治三十一年8月15日に設立され、地域の人々を疫病、災厄から守るために毎年8月1日に祭典が行われてきた。


八幡神社 平塚市下島625

 JR東海道本線「平塚」駅下車。北口バス4番乗場から「平65 田村車庫行」に乗り、「下島」バス停で降りる。少し先の交差点で右折し100mほど進むと左手にある。


鳥居

社殿

 八幡神社は、下島の鎮守として祀られている。この神社は、天正十九年(1591)に徳川家康より、武運長久を願って一石五斗を寄進された由緒を持っている。


北野天神社 平塚市平塚3ー6ー20

 平塚三丁目の東海道本通りから南に入った路地に北野天神社がまつられている。




 菅原道真を祭神とする京都北野天満宮を総本社とし、受験・学問成就祈願の神社として崇められている。


道祖神社 平塚市見附町40-5

 八王子神社の境内の裏手片隅にひっそりと佇んでいる。中には、石祠が祀られている。




 大国主之神の国譲りも無事終わり、天照大御神は孫の日子穂の瓊瓊芸之命に「豊葦原の水穂の国はそなたが天下り治める国である」と宣い賜うた。  瓊瓊芸之命らが神勅により天下りされた際、道が八方に分かれ、上は高天ヶ原を、下は葦原の中つ国を光らす神が居た。 問えば、「私は中つ国の土着の神で猿田彦と申します。日継の御子が天下りすると聞き、先導申し上げようと待機しておりました。」と答える。 このように天孫瓊瓊芸之命が日向の高天ヶ原に降臨した。かくして猿田彦は道案内として辻々に祭られ、また疫病が村々に侵入するのを防ぐ神となった。
 現在の石祠「道祖神」は明治三十二年一月十四日造の唐破風石祀で疫愴の神として崇められた。終戦後現在地に移り鞘堂が建てられ、右に五輪塔、左に天保銘のある馬頭観音像を配して祀られている。

王子稲荷社 平塚市平塚4ー33ー21

 旧東海道が国道一号線に突き当たる一つ手前の左手路地にある。




 古花水(平塚市平塚4)に鎮座する王子稲荷神社は創建や縁起は不詳である。東海道から1つ北にある小路に面し、石垣が積まれた境内に建っている。覆殿の中には、入口の朱塗りの鳥居の大きさとは不釣合いな小さな社殿が安置されている。
 祭神は宇迦之御魂命。


五霊社 平塚市平塚5-16-1



 国道1号の春日神社北側の交差点を西に入る。次の信号を直進、ローソンの信号の次の十字路を左折すると、すぐ路の左に大きなタブノキの樹冠が見える。五霊社はこのタブノキの傍らにある。
 タブノキは樹齢360歳で平塚市の名木・古木に指定されている(指定11号)。


あとがき

【資料】
(観光協会).....駅観光案内所で無料配布

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