事事関心! 神社探訪:
[ 神奈川県中郡二宮町 ]
神奈川県中郡二宮町            2013/09/21(土)更新
コース案内

 二宮は大磯と小田原に挟まれた町だ。大磯と小田原はそれぞれ湘南の別荘地や小田原城など思いつくが、二宮についてはこれと云って有名処が思いつかない。 でも相模国府祭の一社「川勾神社」があるので参拝がてらに駅の近場を探訪した。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 川勾神社 中郡二宮町山西2122 2013/09/21 相模国府祭の一社(二之宮)
 02 吾妻神社 中郡二宮町山西1117 2013/09/21
 03 浅間神社 中郡二宮町二宮981 2013/09/21
 04 妙見神社 中郡二宮町二宮1303番地先 2013/09/21
 05 八幡神社 中郡二宮町二宮1138-3 2013/09/21
 

【履歴】
・2013/09/21(土): 探索。

川勾神社 中郡二宮町山西2122

 JR東海道本線「二宮」駅から「国府津方面行」のバスに乗り、「押切坂上」バス停で下車。北方向に東海道本線を跨線橋で渡り徒歩で10分ほど。


鳥居(明神鳥居)

 川勾神社は、磯長国と称していた垂仁天皇の御世、国造阿屋葉造が勅命を奉じて創祀したと伝えられ、相模国二之宮となり「二之宮明神社」とも称されていた。 日本武尊、源義家、源頼朝など武家の尊崇を集め、徳川家康からは天正十九年社領50石の御朱印状を拝領している。
 明治六年郷社に列格、昭和七年県社昇格の内示を得たと云う。


随神門

拝殿

神輿

 建久年間に源頼朝が社領若干を寄附し社殿を造営したとの記録が残っている。 その後、応永年間には兵火に罹り社殿宝物等悉く焼失し、随神の木像のみが残ったと云う。
 応永三十年頃に再建され、後に北条氏が更に修覆を加えた。 永禄四年には、上杉輝虎が小田原を攻めた際、兵火により社殿が焼損した。そのため元亀年間に北条氏が改築を行った。 さらに、安永九年大風雨により社殿は著しく破損。三十二代神主二見左門忠良が天明七年に現在の南向きに変えて再建した。 現在の社殿は昭和七年、県社昇格の内示を受け新築造営工事に着手したが、大東亜戦争等幾多の困難変遷を経て、昭和二十六年にやっと完成した。

吾妻神社 中郡二宮町山西1117

 JR東海道本線「二宮」駅で降り、町役場そばの登山道を吾妻山公園を目指して上ると、吾妻山展望台の下にある。


一の鳥居(明神鳥居)

二の鳥居(明神鳥居)

拝殿

 日本武尊が三浦半島の走水から海路で上総へ渡る東征の際、突如として暴風が起こり、船もろとも海中に沈むかと思われた。 その時妻の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)は海の神の怒りを鎮め、夫の武運を祈るため海に身を投じた。するとたちまち海は静まったと云う。 その後、海辺に流れ着いた櫛を吾妻山山頂に埋め、ありし日の命を偲んだそうだ。その場所が吾妻神社だと伝えられている。


神明社/鳥居

神明社/祠

 吾妻神社境内口の鳥居を潜り、参道の登山道を下る。丁度登山道が終わる処の右手に神明社が鎮座している。
 なお、さらに下り東海道線を横断歩道で越えて真っ直ぐ行くと、東海道(国道一号線)とぶつかる処に吾妻神社の一の鳥居が建っている。


浅間神社 中郡二宮町二宮981

 JR東海道本線「二宮」駅で降り、町役場そばの登山道を吾妻山公園を目指して上ると、吾妻山公園の手前に鎮座している。


鳥居(明神鳥居)

社殿

 祭神は木花咲耶媛。二宮町上町地区の祭神で、土地の人には浅間さんとして親しまれており、本社は富士浅間神社である。 木花咲耶媛はその名のとおり、咲く花の匂うような美女で、良縁を得られたので縁結びの神様として信仰されている。 今からおよそ八百年の昔、源頼朝が富士の巻狩りを催した時、曾我兄弟は父の仇、工藤祐経を討取った。 この時姉の二宮の花月尼はその成功を富士浅間神社に祈った。 後、花月尼は大願成就に感謝の意をこめて、自分の住まいの前のこの山上に浅間神社を祀ったと云われている。
 社殿は老朽にともない新築、内宮は大修理を施したそうだ。 尚、修復した内宮(一部の彫り物も含む)は千七百年後期寛政の頃の作と云われている。

妙見神社 中郡二宮町二宮1303番地先

 JR東海道本線「二宮」駅で下車。北口から線路沿いに東へ向かうと県道71号「秦野二宮線」に出る。秦野二宮線「二宮駅北口」交差点を渡り左折して北へ向かう。 約600m先にある「元町駐在所前」交差点にて右手の道に入り、60mほど先にある右側脇道に折れる。20mほど先左手が妙見神社だ。


鳥居(鹿島鳥居)

社殿

社標

 長い階段参道を登りきると鳥居の先に境内が広がっている。社殿は一般的な納屋のように見える建物が社殿のようだ。 そして境内には「神明社」の標石があった。
 正月、五月、九月の十日に近所の信者が集まって題目を唱え、当日は大応寺の住職がお経をあげるそうだ。

八幡神社 中郡二宮町二宮1138-3

 JR東海道本線「二宮」駅で下車。北口から線路沿いに東へ向かうと県道71号「秦野二宮線」に出る。 秦野二宮線「二宮駅北口」交差点を渡り左折して北へ向かう。 約300m先にある「元町老人憩の家」先の左手脇道に入るとすぐ右手にある。 八幡神社、八坂神社、二宮天満宮の三つの社殿が並んで鎮座している。


鳥居(明神鳥居)

八幡神社

八坂神社

二宮天満宮

 八幡神社は、誉田別尊(ほむたわけのみこと)を祀る。
 八坂神社は、明治三年当時庶民の最大の楽しみであった祭りの円滑な運営のため当地に新たに奉祀鎮座したのが始まり。
 天満宮は、文政年間に天神社を建立し田代岩で造った祠を御神体として安置し天満宮の縁社としたのが始まりと云われている。 昭和八年に参拝に不便な谷戸奥地から手前の峰岸山に移したが、老朽化のため平成十九年に現在の社殿に建替えた。

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