大和市の神社に参拝。久しぶりの第6回目は田園都市線「南町田」駅から小田急江ノ島線「中央林間」駅までを散策し下鶴間の神社を巡った。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 浅間神社 | 大和市下鶴間391 | 2014/03/19 | |
02 | 第六天神社 | 大和市下鶴間2170-15 | 2014/03/19 | |
03 | 大黒天開運神社 | 大和市下鶴間2233 | 2014/03/19 | |
04 | 諏訪神社 | 大和市下鶴間2540 | 2012/03/03 | 下鶴間の鎮守 |
05 | 日枝神社 | 大和市下鶴間2966 | 2014/03/19 | |
06 | 深見神社 | 大和市深見3367 | 2011/09/23 | 延喜式内社 |
07 | 八坂神社 | 大和市深見3015 | 2011/09/23 | 深見神社の末社 |
08 | 八雲神社 | 大和市深見481 | 2012/02/15 | 深見神社の末社 |
09 | 熊野神社 | 大和市上草柳905 | 2012/03/03 | 上草柳の鎮守 |
10 | 山神社 | 大和市中央5-6-3 | 2012/03/03 | 下草柳の鎮守 |
11 | 大和天満宮 | 大和市大和南1-19-10 | 2012/02/15 | |
12 | 福田神社 | 大和市福田8-8-6 | 2012/01/15 | 境橋・山下の鎮守 |
13 | 御嶽山神社 | 大和市福田7-38 | 2012/01/15 | |
14 | 若宮八幡宮 | 大和市福田509 | 2012/01/15 | 根下、三軒庭、蓮慶寺下、八軒町、坂下、江久保の鎮守 |
15 | 田中八幡宮 | 大和市代官1-20-20 | 2012/01/15 | 新道下、善光明、札の辻、代官庭の鎮守 |
16 | 金比羅神社 | 大和市上和田959 | 2012/01/15 | |
17 | 左馬神社 | 大和市上和田1168 | 2011/06/29 | 上和田の鎮守 |
18 | 左馬神社 | 大和市下和田1110 | 2011/07/15 | 下和田の鎮守 |
【履歴】 | |
・2014/03/21(金): 下鶴間の神社に参拝 ・2012/03/03(土): 諏訪神社、熊野神社、山神社を参拝 ・2012/02/15(水): 深見の八雲神社、八幡宮を参拝 |
・2012/01/15(日): 福田、代官を散策 ・2011/09/23(金): 新規作成 |
東急田園都市線「つきみ野」駅下車。北口より北東へ徒歩12分。
創立年代は不明、昭和50年(1975)国道16号線バイパス新設のため下鶴間1437から現在地に移転した。
公所(ぐぞ)の鎮守で、主祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)、併祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)である。
東急田園都市線「つきみ野」駅下車。南口より東側に奔る県道56号線を南へ向かい焼肉「安楽亭」先の四つ角交叉点で左折する。 そのまま東へ進むと約100mほど先右手にある。
東急田園都市線「つきみ野」駅下車。南口より東側に奔る県道56号線を南へ向かい「観音寺前」交叉点で大山道に右折する。 大黒天開運神社は約50m先右手にある。
大山街道(青山〜足柄)の中間点付近に建てられたのがこのがこの大山阿夫利神社大和分社/大黒天開運神社だ。 きっと、足柄まで行くのは大変なので、同じ功徳が得られるお参りがここで出来ることは大事なことだったのだろう。 また、大山参拝者はここで財布を清め、金運にあやかるように祈願したそうだ。
小田急江ノ島線「鶴間」駅下車、厚木街道を東京方向に進み、山王原交叉点で左側道に入り、道なりに500m程の右手にある。
鳥居(両部鳥居形) |
拝殿 |
神額 |
『新編相模国風土記稿』には「村の鎮守ナリ 例祭七月廿日 延寶八年寶永八年再建ノ棟札アリ 式内石楯尾神社ナリト傳フ」とある。
創立年代は不明で、建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神としている。
現在の社殿は明治五年(1872)に建てられたもので、境内には八坂社、古峯社、秋葉社などが祀られている。
御神像、北辰一刀流奉納額は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されている。
元宮 |
古峯神社・秋葉神社 |
八坂神社 |
稲荷社 |
手水舎 |
御神木 |
神名塔 |
創建年代は不詳。新編相模国風土記稿に記載されている下鶴間村の山王社が、当社に比定されている。
現在下鶴間諏訪神社の境外末社となっている。当地は、矢倉沢往還(大山道)と滝山街道が交差する交通の要衝だった。
祭神は建御名方神。
小田急江の島線大和駅出入口1から出て、右手前方の道を藤沢街道へと進む。 藤沢街道に出たらそのまま横断し、さらに進むと左手に深見小学校があり、その先の脇道に折れると150m程だ。
鳥居(鹿島鳥居形) |
社殿 |
神額 |
深見神社社号標 (市指定重要有形文化財) |
なんじゃもんじゃの木 |
創立年代は不明で、武甕槌命、健御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神としている。
大和市内では唯一の延喜式内社です。かつては鹿島社と呼ばれていた。
この社号は、常陸国の鹿島神宮の武甕槌命(たけみかずちのみこと)を勧請したためとも云われているが、風土記稿には「鹿島ト号スルハ 常州鹿島神社ト祭神同シキノミニアラズ 彼社世ニ著名ナレバカク呼習セリ」とある。
明治八年(1875)社殿を焼失、昭和十六年(1941)に再建された。摂社として靖國社と厚木空神社が祀られてる。
深見神社からは線路方向(北方向)に進み、踏切を渡りそのまま道なりに約300m程だ。
昔は「テンノウサマ」と呼ばれ、字坊之窪の神社だった。
古文書によると、江戸時代後期ごろに八坂神社(牛頭天王之御宮)がつくられたと記されている。
祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)である。
八坂神社には1848年頃の作とされる方形づくりの御輿がある。
神社は以前は別の場所にあったが、土地を寄進され現在の位置に遍座した。
小田急江ノ島線鶴間駅下車、厚木街道を東京方向に進み、山王原交叉点で467号線(大和方向)へ右折、大和市深見交叉点で左脇道に入り200m程入ったところにある。
鳥居 |
拝殿 |
八雲神社は京都祇園を基とする厄除開運の神様で、素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭ることが一般的だが、ここの神社の由緒は不明。
深見地区一ノ関の村社で、テンノウサマと呼ばれている。深見城の裏鬼門(南西)に位置し、山田伊賀守が守り神としていたとの言伝えがある。
手水舎(水盤[昭和廿九年四月八日]) |
石祠(明和三歳七月吉日(1766)) (大和市最古の石祠) |
小田急江の島線大和駅出入口2から出て、大和駅北交差点を左折、草柳小学校先のふれあいの森へ続く側道へ下る。ふれあいの森の中の道を北側に約200mほど進んだところにある。
鳥居 |
拝殿 |
神額 |
手水舎 |
上草柳の鎮守で、祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)、早魂之男命(はやたまのおのみこと)、伊邪那妓命(いざなぎのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)である。 創立年代は不詳、現在の社殿は昭和53年(1978)に再建されたもの。
小田急江の島線大和駅出入口1から出て、江の島方向の線路沿いに信号のある交叉点まで進む。 ここで右折し、40号線を西に進むと、中央4丁目交叉点手前100mの左脇道口に"山神社入口"の案内板が立っている。
鳥居 |
拝殿 |
神額 |
下草柳の鎮守で、祭神は大山祗命(おおやまづみのみこ)である。 かつては下草柳の六軒、大下(おおしも)、中村の三集落がそれぞれに山王社を祀っていたが、明治初年にこれら三つの山王社が六軒集落の山王社に合祀、山神社(さんじんじゃ)となった。 昭和42年(1967)区画整理により現在地へ移転した。
二の鳥居 |
手水舎 |
稲荷社 |
小田急江ノ島線大和駅/相鉄線大和駅で下車、徒歩5分のところにある。
鳥居 |
拝殿 |
神額 |
手水舎 |
厚木海軍航空隊に奉斎していた厚木空神社の天照大神をまつる社殿を現在地に移し、戦後まもなく大宰府から天満宮を勧請したのが「南大和天満宮」の由来である。
その後「大和天満宮」と改名されました。社屋は、昭和27年5月に新築造営され、その後、昭和38年に現在の社屋に改築された。
現在の社殿は昭和38年(1963)に造営されたものである。
祭神は菅原道真(すがわらのみちざね)である。
小田急電鉄江ノ島線"桜ヶ丘駅"下車。西口左手の道を真っ直ぐに進み、二つ目の信号の前の右手の脇道に入ります。20m先の桜丘学習センターの角で左折し、70mほど進み右折し120m程進むと左手の丘に鎮座している。
鳥居(両部鳥居形) |
社殿 |
神額 |
境橋と山下の鎮守で、境橋は日枝(ひえ)社、山下は子之(ねの)社を祀っていたが、区画整理により昭和41年(1966)に合祀し福田神社となった。
福田神社に伝わる囃子獅子舞(はやしししまい)は、弘化年間(1844〜1848)から行われているとされ、大和市の重要文化財(無形民族文化財)に指定されている。
祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、素戔鳴命(すさのおのみこと)である。
稲荷社 |
水盤 |
■神塔 |
小田急電鉄江ノ島線"桜ヶ丘駅"下車。西口左手の道を真っ直ぐに進み、山王橋まで行き、この橋を渡り下流方向へ進むと二つ目の橋が御嶽橋だ。 この橋の先右手の階段の道を上ると御嶽山公園の隅に御嶽山神社がある。
祠「木曽御嶽山神社」 |
「田辺姓 訓導 嶽心寛明霊神」碑 昭和四十六年 |
御嶽山(おんたけさん)神社は石祠の神社で、もともとは山岳信仰の対象であった長野県木曾の御嶽山に参拝する人によって明治11年(1878)に塚山が築かれ、毎年4月8日に盛大な祭りが行われていた。 東京大空襲で石碑やお地蔵さんが壊された。現在は渋谷村の有志で神社を守っている。
小田急電鉄江ノ島線高座渋谷駅下車。線路を渡り、道なりに高座渋谷西口商店街を歩き広い道を直進する。丁字路に出たら左折し、道なりに歩いて引地川の「若宮橋」を渡り真ん中の道を少し行くと右側にある(約15分)。
鳥居(明神鳥居形) |
社殿 |
神額 |
『新編相模国風土記稿』には「村ノ鎮守ナリ 元禄十一年再建ノ棟札アリ 神体木像 年々八月十六日祭 蓮慶寺持 鐘楼 鐘ハ 寛保二年作」とある。 根下、三軒庭、蓮慶寺下、八軒町、坂下、江久保の6集落の鎮守で、仁徳天皇を祭神としている。 寛政3年(1791)銘の常夜燈、文化6年(1809)銘の水盤などがある。風土記稿にあるように寛保2年(1742)作と伝えられる梵鐘は、大東亜戦争の際に供出させられたが、昭和61年(1986)に「平和祈願」と記し再興された。
神楽殿 |
水盤(文化6年) |
鐘楼 |
梵鐘(昭和61年再興) |
小田急電鉄江ノ島線"高座渋谷"駅西口下車。駅前の道に出て右折、道なりに歩いて左折、信号を右折、「札の辻」信号を左折、引地川の手前で右折し、2本目の橋を左折すると右側にある(約30分)。
鳥居(両部鳥居形) |
社殿 |
神額 |
新道下、善光明、札の辻、代官庭の鎮守で、祭神は応神天皇である。 代官庭集落の田地の中に鎮座していたことから田中神社と称されている。 御神像と天然理心流奉納額は大和市の重要文化財(有形文化財)に指定されている。 境内にある梵鐘は、大東亜戦争のため供出させられたため、昭和28年(1953)に再建されたものだ。
鐘楼 |
神楽殿 |
水盤 |
八幡大菩薩(坊主八幡) |
小田急電鉄江ノ島線"桜ヶ丘駅"下車、東口から商店街を線路と直角方向に歩き十字路を横断すると左側にある(約1分)。
鳥居(靖国鳥居形) |
社殿 |
神額 |
桜株に最初に移り住んだ「宮久保三人衆」と呼ばれた人々が明治20年(1887)に勧請したと伝えられている神社。 現在の社殿は昭和16年(1941)に建てられたものである(屋根は当初は茅葺だったが、その後、銅板に葺き替えられた)。 祭神は金山彦命(かなやまびこのみこと)、須左之命(すさのおのみこと)である。
手水舎 |
燈籠 |
小田急電鉄江ノ島線"桜ヶ丘駅"下車、東口から藤沢街道(国道467号線)に出る。 右手(藤沢方向)に行くと中原街道と藤沢街道の交差点に出るので中原街道に沿って横浜方面に約600m進み、下り坂になる手前の信号で右折し約100mのところ左手に鎮座している。(神社の脇を通るこの道は昔、観音霊場をめぐる坂東三十三札所めぐりの第一番札所・杉本寺(鎌倉市)あるいは第一四番札所・弘明寺(横浜市)と、第八番札所・星谷寺(座間市)との往復に使われた道(巡礼街道)だった)
鳥居(靖国鳥居形) |
社殿 |
上和田の鎮守で「七サバ参り」の一社、祭神は左馬頭義朝(さまのかみよしとも)である。
当初は鯖明神社だったが、その後「左馬大明神」、「和田左馬大明神」となり、明治42年(1909)に現在の「左馬神社」になったと伝えられている。
境内には三社殿とよばれる社殿があり、天照大神、神武天皇、須佐之男命が祭られている。現在の社殿は昭和7年(1932)に再建されたものだ。
小田急電鉄江ノ島線"高座渋谷駅"下車、東口から藤沢街道(国道467号線)に出ます。藤沢方向に少し歩き藤沢街道が東海道新幹線を跨ぐ所で左手脇道に入り南大和病院段を左手に見ながら進むと道が下りになる丘の境目左手にあります。
近くには、大和市の市指定天然記念物に指定された欅の大木がある。
鳥居(明神鳥居形) |
社殿 |
鐘楼 |
下和田の鎮守で「七サバ参り」の一社、祭神は左馬頭義朝(さまのかみよしとも)である。 左馬神社と表記されるようになったのは近年のことで、それまでは鯖神社とされていた。 境内にある寛政元年(1789)銘の常夜灯には「鯖大明神」と刻まれている。 梵鐘は第二次世界大戦の折り砲弾の資材として供出させられましたが、昭和55年(1980)再生されたものである。