事事関心!
[ 神社探訪: 横須賀市 ]
神社探訪: 横須賀市 2016/10/28(金) 更新
コース案内

 横須賀市にある神社を参拝した足跡。
 二回目になる今回(2014/10/29)は京急の「三浦半島1DAY切符」を使って三崎港と城ケ島を探訪しに行く途中で、「京急長沢」駅と「津久井浜」駅に下車し、駅近傍にある神社を訪ねた。 三回目となる今回(08/27日(木))は久里浜を探索。第四回目(2016/10/26)は、本当は前回の久里浜探索時に回ろうとしていた浦賀だ。カメラ紛失のアクシデントで中止となっていたので、今回は気を付けて巡った。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 鹿島神社 横須賀市西逸見町2-70 2013/06/01 例大祭前日に参拝
 02 子之神社 横須賀市汐入町4ー55 2013/06/01 
 03 神明社 横須賀市深田台 2013/06/01 
 04 神明社 横須賀市米が浜通1 2013/06/01
 05 中里神社 横須賀市上町1 2013/06/01 
 06 諏訪神社 横須賀市若松町3-17 2013/06/01 
 07 熊野神社 横須賀市長沢1-16 2014/10/29 京急「長沢」駅
 08 浅間神社 横須賀市津久井4-18-1 2014/10/29 京急「津久井浜」駅
 09 八幡神社 横須賀市久里浜2-17-8 2015/08/27 京急「京急久里浜」駅
 10 御瀧神社 横須賀市久村535 2015/08/27 京急「京急久里浜」駅
 11 久里浜天神社 横須賀市久里浜5ー19ー3 2015/08/27 京急「京急久里浜」駅
 12 若宮神社 横須賀市久比里1ー4ー11 2015/08/27 京急「京急久里浜」駅
 13 住吉神社 横須賀市久里浜8-29-1 2015/08/27 京急「京急久里浜」駅
 14 芝守稲荷神社 横須賀市浦賀3-10 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 15 荒巻稲荷神社 横須賀市浦賀6 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 16 西叶神社 横須賀市西浦賀1-1-13 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 17 為朝神社 横須賀市西浦賀4-12 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 18 大六天榊神社 横須賀市西浦賀5-14 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 19 花稲荷神社 横須賀市西浦賀4-5 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 20 東叶神社 横須賀市東浦賀2-21-2 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 21 三浦稲荷社 横須賀市東浦賀2-10 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 22 東耀稲荷大明神 横須賀市東浦賀2-6 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 23 津守稲荷神社 横須賀市東浦賀1-14 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 24 八雲神社 横須賀市東浦賀1-17 2016/10/26 京急「浦賀」駅
 25 船守稲荷神社 横須賀市東浦賀1-11 2016/10/26 京急「浦賀」駅

【履歴】
・2013/06/01(土): 横須賀市市街地を探訪
・2014/11/02(日): 京急「長沢」駅、「津久井浜」駅周辺を探訪
・2015/08/28(金): 27日(木)京急「京急久里浜」駅周辺を探訪
・2016/10/28(金): 26日(水)浦賀を探訪

鹿島神社 横須賀市西逸見町2-70

 JR横須賀線「横須賀」駅で下車、右手に進み線路を渡ると国道16号線「横須賀街道」に突き当たる。この横須賀街道をトンネルと反対方向になる右手横浜方向へ向かい、「汀橋」交差点まで進む。 この交差点で左手の道へ折れ進むと、約200mほど先右手にある。


鳥居

社殿

神額

 応永十七年四月三浦遠江守が勧請したと伝えられる。 現逸見(へみ)町海上自衛隊総監部のある海岸に寛永十三年八月二十四日三浦按針の子二代目按針が社殿を造営した。明治二十四年の失火にて全焼し、二十九年に現在地に遷移し新築された。明治四十一年には町内の六社を合併し今日に至る。
 明日(6/2)は例大祭とのことで、山車も久しぶりに町内の山車庫から引き出され神社へと向かっていた。


子之神社 横須賀市汐入町4ー55

 京急本線「汐入」駅下車、駅前の道を左手へ向かう。約300m程先右手にある。


鳥居

社殿

神額

 承久二年(1220)の勧請と云われている。神社の造営は元和元年(1681)、現在は米軍基地になっている楠ヶ浦の沖の波島に長源寺とともにあった。 天正年間に長源寺が汐入3丁目の現在地に移転し、子之神社も現在の汐入町2丁目の汐入港町変電所に移転した。このあたりは、現在でも子之神山と呼ばれている。 さらに明治三十一年、海軍施設拡張のため現在地へ移された。
 現在の本殿は明治十七年に子之神山に造営されたものだ。昭和六年には奥殿を造営し現在に至っている。
 祭神は、大国主命(大己貴命とも、大黒様とも云われる)であり、大地を司る神様だ。 商工業、産業、家運繁栄、縁結び、子孫繁栄などの神徳がある。

神明社 横須賀市深田台

 京急「横須賀中央」駅で下車、徒歩15分。県道25号線「文化会館入口」交差点で会館方向に入りすぐ左折し、上町商店街のに並行して奔る裏側の通りにある。


参道

社殿

神額

 元々は「米が浜通」にあったが、明治十六年(1883)に現在は中央公園となっている山が陸軍の砲台になるため、深田台に移設された。
 祭神は大日霊貴神(おおひるめのむちのかみ)で、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名といわれている。

神明社 横須賀市米が浜通1

 京急「横須賀中央」駅で下車、県道26号線を横切り直進する。「米が浜通り入口」交差点で右折し、170mほど先の四つ角で右手に折れる。横須賀共済病院の建物の間を抜ける道を進むとすぐにある坂道を登り始めたところにある。


鳥居

社殿

 市内深田台にある神明社建て替えの段取りの際、壊した社殿の中から出てきた棟札(最古は元禄四年のもの)やその他の文献調査により、かの神明社は元は「米が浜」のこの地にあったもので、明治十六年に背後の山(現在の中央公園)が陸軍の砲台になるために、深田台へ移設されたものと判明した。 昭和五十四年、元の鎮座地である現在の場所に「米が浜神明社」として再建された。
 祭神は大日雲貴尊(天照大神の別名)とのこと。

中里神社 横須賀市上町1

 京急本線「横須賀中央」駅下車し、県道26号線を右手へ向かい坂を上る。約200mほど登ると右手に路地があり、道路の先に神社が見える。


鳥居

社殿

神額

 古来、現在地を稲荷ヶ谷と云いそこに鎮座していた稲荷神社がもとで、文化十四年の建立と云われている。現在の社殿は明治四十一年に神明社と合併し改築され、翌年二月に「中里神社」に改称された。
 祭神は倉稲魂命、伊勢大御神と云う。

諏訪神社 横須賀市若松町3-17

 京急本線「横須賀中央」駅下車、すぐ。


鳥居

拝殿

神額

 草創については社記に「正親町天皇の御宇天正元年3月12日(1573)信濃國諏訪明神の御分霊を勧請す」とある。 記録では享和元年8月(1801)本殿・拝殿の造替があり、現在の社殿は大正十二年に造営されたものである。
 明治に入り横須賀軍港の設置に伴い人口が逐年増加する趨勢となったため付近の山崖を切崩し埋立てることになり、社殿を現在地へ遷した。 大正十一年5月村社に列格、更に同年9月神饌幣帛料を供進すべき神社に指定された。
 建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る。


水天宮

大鷲神社

稲荷神社

神輿庫

 水天宮は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)/安徳天皇/建礼門院平中宮/二位尼平時子(にいのあまたいらのときこ)を祀っている。 嘉永元年(1848)福岡県久留米市の水天宮を勧請鎮祭した。安産、子育て、水難除の神として霊験あらたかである。
 大鷲神社は、天日鷲命(あめのひわしのみこと)/日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀る。 古くから境内に鎮座している。
 稲荷神社は、宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)/大市姫神(おおいちひめのかみ)を祀る。 三富稲荷と称し、京都伏見稲荷大社を本宗としている。衣食住を主宰し給う神で、殊に殖産興業神、商業神として信仰篤い。

熊野神社 横須賀市長沢1-16

 京浜急行線「京急長沢」駅下車。南方に進み突き当りで右折、北下浦小学校の校庭を回り込んだところに鎮座。(徒歩15分ほど)


鳥居

社殿

神額「熊野神社」

 元禄7年(1694)紀州から移住してきた漁師が熊野三社権現を勧請して建立したと伝えられている。
 社殿は明治二十六年に改築されたが、関東大震災(大正12年9月1日)によって崩壊。 昭和五十五年に修築され、現在に至っている。
 祭神は、大日売貴命(おおひるめむちのみこと)である。

浅間神社 横須賀市津久井4-18-1

 京急「長沢」駅で下車。改札を出て目の前の道を左へ向かうとすぐに神社の鳥居が目に飛び込んでくる。(徒歩30秒)


鳥居

社殿

神額「浅間神社」

 天平年中(729〜748)に僧行基が当郷に来た際、駿河国の浅間神社を勧請し祀ったと伝わっている。 場所は津久井浜と長沢の奥の高く聳える浅間山の山頂である。 この山は後に「富士山」と呼ばれ人々から崇められるようになった。 当社の奥宮は今も「富士山」の山頂に鎮座している。
 社殿の向かって右手には境内社として金毘羅神社と稲荷神社が祀られている。 明治41年12月神奈川県令で神社が合祀され、祭神は相殿に祀られた。

八幡神社 横須賀市久里浜2-17-8

 京急「京急久里浜」駅下車。改札を出て、左手に進み、突き当りで右折し、200mほど進むと道路の左手ある。


鳥居(台輪鳥居)

社殿

 日本書紀が書かれた養老四年(720)当時の武人達によって創建されたと伝えられている。 天正十八年豊臣秀吉は天下統一の最後の小田原攻めにより三浦の北条氏を滅ぼし鶴岡八幡宮に祈願し、栗浜(現久里浜)八幡神社には米三石を寄進され、徳川歴代将軍もこれにならい継承し武運長久祈願に武具などを奉納し幕府の直轄地(天領)と定め米三石、社領千余坪の御朱印を賜った。 その後明治三十一年黒田内閣により「八幡宮」の御名を賜り大正年間神饌幣帛供進神社に指定、第二次世界大戦後、日本国憲法の制定により戦前の神道が廃止され、御社名がもとの八幡神社と称して今日に至っている。
 祭神として、応神天皇、配祀として天照大御神、大物主大神、菅原道真公、素盞嗚尊、大山祇大神を祀る。


海軍工作神社

伏見稲荷

豊川稲荷社

 豊川稲荷社と伏見稲荷社という日本を代表するお稲荷さんが境内社として祀られている。 又、日本でここ一社と思われる「海軍工作神社」という珍しい境内社も祀られている。

御瀧神社 横須賀市久村535

 京急「京急久里浜」駅下車。改札を出て、西口に出て左手に進み、突き当りで右折、八幡神社先にあるドラッグストア「ハック」の先で左手脇道に入り、しばらく道なりに500mほど進むとある。


鳥居

社殿

神額「御瀧神社」

 久村に豊作をもたらした湧水「御滝の名水」感謝し、一社を建て御滝権現として祀ったといわれる。 文治年間(1185-1189)に建立されたとの伝えがある。
 祭神は、水速男命、滝口五郎盛定(藤原盛重の子で、白河天皇に仕えた)である。

久里浜天神社 横須賀市久里浜5ー19ー3

 京急「京急久里浜」駅下車。改札を出て、東口に出て右手へ進み、「東京湾カーフェリー乗場」の方向へ向かうとイオンの正面向かい側にある。


鳥居

社殿

神額「天満宮」

 社伝によれば大阪の義人/砂村新左衛門が官許を得て内川入江一帯の広漠たる芦原を開墾し、「内川新田」開発の志を立てたが工事は難航し、万治三年(1660)六月郷里なる摂州西成郡上福島村の天満宮を勧請し、内川新田鎮護の神として此の地に奉斎したのが創祀である。 現在、社は広く三浦半島全域に鎮座する八十余の神社の内、菅原道眞公を主祭神として祀る唯一の神社であり、「久里浜の天神さま」と親しまれ、近郷各地よりの参詣も多い。
 祭神は、菅原道真、素盞嗚命、天照皇大神である。

若宮神社 横須賀市久比里1ー4ー11

 京急「京急久里浜」駅下車。改札を出て東口より左手へ進む。突き当りから右折し、その先にある「夫婦橋」を渡り、最初の左手横道に入り込んだ先にある。


鳥居

社殿

神額「若宮神社」

 享録四年(1531)、臼井惣左衛門が鎌倉の鶴岡若宮明神を奉戴して建立した。
 昭和五十八年(1983)年社殿は焼失し、昭和60年(1985)新築されている。 社殿の左側に、古い鳥居の一部や額が保存されている。 境内にある石碑には神社の縁起について書かれており、その台座は日露戦争の際、旅順口閉塞船の弥彦丸に使用されたとされる。
 祭神は仁徳天皇、天照大神、大物主命である。

住吉神社 横須賀市久里浜8-29-1

 京急「京急久里浜」駅下車。改札を出て東口よりバスにて「東京湾カーフェリー乗場」へ。 カーフェリー乗場への入口右手にある。


鳥居

社殿

神額「住吉大明神」

 江戸時代の火災により焼失し、由緒は不明となっている。
治承四年(1180)衣笠合戦の際、三浦一族が戦勝を祈願。その他に、寿永元年(1182)には源頼家誕生を祝い神馬を奉納したこと、元歴二年(1185)には源頼朝が北条政子と参拝したことなどが吾妻鏡に書かれている。
 住吉大明神はイザナギが黄泉の穢れを祓おうと川で禊ぎをした際に産まれた底筒之男神、中筒之男神、表筒之男神の三神の事で住吉三神とも言う。
 祭神は中筒男命で、栗浜大明神といわれ三浦一族の水軍の船霊として信仰されていた。配祀神として金山毘古神、天照大神、表筒之男命、素戔男尊が祀られている。

芝守稲荷神社 横須賀市浦賀3-10

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道の右手にある歩道橋を渡り横須賀方向へ進み、学校に沿って奔る脇道に入り学校の裏手へ回ると山裾に鎮座している。




 由緒等、詳細は不明。


荒巻稲荷神社 横須賀市浦賀6

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道を渡り久里浜方面へ延びる道に進む。 浦賀警察署の二つ先の右手脇道に入ると左手駐車場の奥右手に鎮座している。




 由緒等、詳細は不明。


西叶神社 横須賀市西浦賀1-1-13

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道を渡り久里浜方面へ延びる道に進むと、約1.2kmほど先右手に鎮座している。




 西浦賀の鎮守。正式には「叶神社」と云うが、東浦賀にも叶神社があるので区別のため、西叶神社と呼んでいる。
 縁起によれば、「平家物語」に登場する文覚上人が、源氏の再興を願って房総半島の鹿野山に修行し、もし自分の大きな願いが叶えられるなら、よい土地を選んで神社を建てることを誓った。 養和元年(1181)この願いが叶えられそうになり、神社を建てる場所を探した結果、 頼朝ゆかりの千葉・鹿野山の対岸である西浦賀の地が選ばれ、ここに石清水八幡宮を勧請した。 この場所は現在の浦賀丘3丁目にあり、文覚畑と呼ばれている。 文治二年(1186)壇の浦の戦いで平家が破れ、源氏の世になると、大きな願いが叶ったことにより「叶明神」の称号が与えられた、とある。 文覚上人(1139〜1203)は、もと鳥羽天皇の皇女に仕える北面の武士だったが出家。諸国の霊山で修行し、その効験をもって知られていた。 後白河法王に対する荘園寄進の強要により伊豆に流され、平氏嫌いでもあった上人は其処で頼朝と出会い、源氏の挙兵を勧めたと云う。




 現在の社殿は天保十三年(1842)に再建されたもの。 社殿を飾る沢山の彫刻は、安房国(千葉県)の彫刻師・後藤利兵衛の若い頃の作品。後藤はこれらの仕事が認められ、その後幕府の彫刻師として雇われた。 拝殿の格天井の彫刻は花鳥であるが、この中には当時の日本にはまだ渡来していないとされる花や鳥も彫られており、後藤はどこでこれらの知識を得たのか不明とのこと。 また、神殿の棟柱を担ぐ力士像なども他には類を見ない優れた作品であり、これらの彫刻は横須賀市の市民文化資産に指定されている。

為朝神社 横須賀市西浦賀4-12

 京急「浦賀」駅からバス「千代ヶ崎経由京急久里浜駅行」に乗り(約8分)、「西浦賀四丁目」バス停にて下車、徒歩2分。




 浜町(西浦賀4丁目)の鎮守で、その名のとおり源為朝を祀っている。 寛政十二年(1800)浜町の漁民が、海に漂流していた木像を引き上げ、地蔵堂に安置し祈願をすると、その功が多かったそうで、鎮西八郎為朝の像であったと云う。 創建は文政期(1820年代)であり、航海及び疱瘡除の神様として信仰を集めていた。 源為朝は源頼朝の父の弟にあたるが、強弓で知られ、後世に疱瘡除の神となった。
 この浜町に伝承されている「虎踊り」は、浦賀奉行所の開設にあたって、伊豆下田から伝えられたもので、県の民俗文化財に指定されている。

大六天榊神社 横須賀市西浦賀5-14

 為朝神社前の道を山側へ進み突き当りを右へ折れ、20mほど行くと左手に鎮座している。




 川間(西浦賀町5丁目)の鎮守で、主祭神は面足彦命(猿田彦神)。 この神社の正式名称は「榊神社大禄天神」といい、当初は川間奥にある通称・お伊勢山(伊勢参りの講があったのでそう呼ばれた)の中腹にあったが、 明治の頃にお伊勢山の入口に移され、昭和の初めに現在地に移された。
 大禄天は、語呂が第六天(多化自在天)に通じ、あまり良い神ではないと云われるが、 それをわざわざ社名とし、ちまた(道股)を守って邪霊の侵入を阻止する神とされる猿田彦神を祀ることにより、悪を追放する意識を強く持とうとしたようだ。

花稲荷神社 横須賀市西浦賀4-5

 為朝神社横の道を真っ直ぐ行くと、100mほど先に鎮座している。




 由緒等、詳細は不明。


東叶神社 横須賀市東浦賀2-21-2

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道(県道209号線)を観音崎方向へ進む。 約800mほど先の信号機のある三差路を過ぎ、次の右手脇道に入ると20mほど先左手に東耀稲荷大明神が鎮座している。 更に先へ進み、渡し舟の船着き場近くの四つ角に至ったら左折する。 更に道なりに250mほど進むと左手に鎮座している。


全景

拝殿

神額「叶神社」

 叶神社は西浦賀1に鎮座する叶神社を勧請して創建された。 元禄元年(1688)、浦賀が東西に分離したときとも、正保元年(1644)ともいわれている。 西浦賀が本宮、東浦賀が若宮とも呼ばれていた。 現在では西叶神社、東叶神社と呼ばれている。 祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)(応神天皇)である。いわゆる八幡宮である。


五社湊大明神

弁天社

弁天社


本殿

東照宮

神明社

 拝殿と本殿がある。本殿は拝殿の左側から山を登った山頂にある。この裏山は東叶神社が勧請されて以来、明神山と呼ばれている。また、叶神社の社叢林として神奈川県指定天然記念物に指定されている。この明神山にはかつては浦賀城があった。また、山頂は、勝海舟が咸臨丸で太平洋を渡る前に、東叶神社の井戸で水垢離をした後、断食をしたところと伝えられている。万延元年(1860年)のことである。

三浦稲荷社 横須賀市東浦賀2-10

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道(県道209号線)を観音崎方向へ進む。 約800mほど先の信号機のある三差路を過ぎ、次の右手脇道に入ると20mほど先左手に東耀稲荷大明神が鎮座している。 更に先へ進み、横須賀新町郵便局の50m先で左手の脇道に折れ、進み突き当りの丁字路左手奥に鎮座している。




 由緒等、詳細は不明。


東耀(とうよう)稲荷大明神 横須賀市東浦賀2-6

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道(県道209号線)を観音崎方向へ進む。 約800mほど先の信号機のある三差路を過ぎ、次の右手脇道に入ると20mほど先左手に鎮座している。




 東耀稲荷は須賀神社とも呼ばれ、創建は天明二年(1782)である。 名前の由来は、隣の東耀山顕正寺の山号によるもので、古くは顕正寺の境内にあった稲荷社と云われている。
 祭神は食保神(うけもちのかみ)である。
 コロリが大流行した際に素盞嗚尊を祭神とする須賀神社を勧請し、合祀されており、新町の鎮守にもなっている。 鳥居には「東耀稲荷大明神」の扁額が掛かり、本殿には「須賀神社」の扁額が掛かっている。

津守稲荷神社 横須賀市

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道(県道209号線)を観音崎方向へ進む。 約700mほど先左手の「八雲神社→」の案内板がある脇道に折れ、緩やかな坂道を進むと50mほど先左手に鎮座している。




 津守稲荷神社は文政九年(1826)に創建された。


八雲神社 横須賀市東浦賀1-17

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道(県道209号線)を観音崎方向へ進む。約700mほど先左手の「八雲神社→」の案内板がある脇道に折れ、緩やかな坂道を進むと突き当りに鎮座している。




 八雲神社は、明治維新の頃の廃仏毀釈で、大谷山満宝院八雲堂という真言宗修験の寺が神社に変わったものである。東浦賀一丁目の鎮守である。
 祭神は須佐男命である。
 現在の建物は江戸時代に建てられたもので、屋根に宝珠が乗ったお堂のままである。 お堂の中には護摩壇がそのまま残こる。


船守稲荷神社 横須賀市東浦賀1-11

 京急「浦賀」駅下車。改札を出て、駅前の道(県道209号線)を観音崎方向へ進む。約400mほど先左手山縁に鎮座している。




 船守稲荷神社の創建は不詳ながら、奉行所が下田から浦賀へ移された享保五年(1720)以降で、稲荷信仰が江戸で大流行する江戸時代後期と考えられている。



inserted by FC2 system