第一回(2013/05/14(火))はJR横須賀線「鎌倉」駅からバスで小坪まで行き、小坪地区にある神社を巡った。
第二回(2014/09/15(月))は逗子市の中心部の探索だ。JR横須賀線「東逗子」駅からスタートし、JR横須賀線の南側を県道24号線沿いに探索した。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 亀岡八幡宮 | 逗子市逗子5-2-13 | 2014/09/15 | 逗子の鎮守 |
02 | 新宿稲荷神社 | 逗子市新宿5-1900 | 2014/09/15 | |
03 | 田越神明社 | 逗子市桜山8-17 | 2014/09/15 | |
04 | 山之神社 | 逗子市桜山7-7 | 2014/09/15 | |
05 | 子之神社 | 逗子市桜山7-8-27 | 2014/09/15 | |
06 | 桜山神明社 | 逗子市桜山6ー1185 | 2014/09/15 | |
07 | 桜山熊野神社 | 逗子市桜山5-5-1 | 2014/09/15 | |
08 | 五霊神社 | 逗子市沼間3-10-34 | 2014/09/15 | 沼間の鎮守 |
09 | 池子神明社 | 逗子市池子2-10-11 | 2014/09/15 | |
10 | 山の根熊野神社 | 逗子市山の根2-4-1 | 2014/09/15 | |
11 | 小坪天王社 | 逗子市小坪6-6-7 | 2013/05/14 | |
12 | 子之神社 | 逗子市桜山7-8-27 | 2013/05/14 | |
13 | 神明神社 | 逗子市池子2-10-11 | 2013/05/14 | |
14 | 一之宮神社 | 逗子市小坪4-3-9 | 2013/05/14 | |
15 | 八幡宮 | 逗子市小坪4-9-14 | 2013/05/14 | |
16 | 天照大神社 | 逗子市小坪4-20-1 | 2013/05/14 | |
17 | 諏訪神社 | 逗子市小坪4-19 | 2013/05/14 | |
18 | 八大龍王神社 | 逗子市小坪5-20 | 2013/05/14 | |
19 | 白鬚神社 | 逗子市小坪5 | 2013/05/14 | |
20 |
・2013/06/01(土): 05/14(火)探訪。
・2014/09/24(水): 09/15(月)探訪
JR横須賀線「逗子」駅で下車。海側の東口より京急「新逗子」駅の方へ向かうと市役所の手前にある。
表参道の鳥居(明神鳥居) |
拝殿 |
神額「八幡宮」(東郷平八郎書) |
「亀岡八幡宮」の額のかかる大きな鳥居から直線状に社殿が建つ。 鳥居のわきや本殿の左右に幹の太い銀杏の木があり、特に社殿に向って右の銀杏がもっとも大きな木だ。 社殿を囲む石造りの垣根の手前に一対の狛犬が、そして一段高く垣根の内側に石灯籠、亀の置物が各々一対そして社殿がある。 太く金文字で「八幡宮」と刻まれた扁額には「正二位伯爵東郷平八郎謹書」と横に刻まれている。 現在の八幡宮は大正十二年に改築され、関東大震災を受けたが倒壊しないで今に至っている。
手水舎 |
神輿庫 |
末社:萬栄稲荷 - 鳥居 |
末社:萬栄稲荷 - 社祠 |
社殿の左手に「萬栄稲荷大明神」の額が掛かる赤い鳥居と真っ赤な地に白で萬栄稲荷大明神と書いた旗が参道に隙間なく並んでいる。 萬栄稲荷社は逗子町誌改訂版注記によると、「稲荷社 万栄稲荷と称す。縁起書によれば、大正十二年二月十五日に今の市役所の南側にあったものを、新築して境内に移し、更に警察署の建設にあたり現在地に鎮座」と記されている。
JR横須賀線「逗子」駅にて下車。東口より南へ向かい市役所先で右折し真っ直ぐ海側へ進む。 海岸縁を奔る国道134号線に出たら右手鎌倉方向へ折れ、逗子海岸が終わる手前のマリンボックス100の処で山側へ向かう脇道に入る。 すると50mほど先左手にある。
鳥居(明神鳥居) |
社殿 |
神額「正一位新宿稲荷大明神」 |
この神社は約400余年前徳川初期に鎮座されたと伝う。
正一位新宿稲荷大明神と尊称され新宿の鎮守として産業振興・商売繁盛・安産育児の守護・庶民の財産生命生活安定の神と崇められている。
御社は三間程の岩窟の中に奉安されていたが昭和32年現在の社殿が建立された。殿内は岩窟の中に造られている。
ここも市有地無償提供の「違憲神社」だったそうだけど、どのように決着したのだろう...?。個人的には文化財に任ずでいいと思うがなー。
JR横須賀線「逗子」駅にて下車。東口より南へ向かい市役所先で右折し真っ直ぐ海側へ進む。 海岸縁を奔る国道134号線に出たら左手葉山方向へ折れ、逗子海岸が終わる処で田越川に架かる渚橋を渡る。 さらに真っ直ぐ行くと100mほど先に長柄隧道のトンネルが大きく見えてくる。 田越神明社はこの長柄隧道の手前、国道沿い左手にある。
祭神は天照大神である。伊勢神宮の内宮、天照皇大神宮よりの勧請状況は記録がなく不明。 鳥居の柱には『元禄十六年六月廿二日』(西暦1703 年)と刻まれている。
JR横須賀線「逗子」駅にて下車。南口正面向かいの県道24号線を東へ進む。田越川に架かる逗子橋を渡ったら、川沿いに奔る道に折れ、下流方向へ向かう。
そのまま進むと、250mほど先で川縁を外れ、約50mほど先で丁字路にぶつかる。右折し進むと、30mほど先に宗泰寺がある。
参道を進み、宗泰寺境内に入ると正面は墓地、左手には本堂が、そして右手に山腹に向って鳥居があり10mほどの高さにある境内まで参道の石段が続いている。
鳥居(靖国鳥居) |
社殿 |
山の神は山を司る神だ。また、山の精とも云う。民間信仰では、秋の収穫後は近くの山に居り、春になると下って田の神になると云う。 ここの山の神は地域神ではなく、逗子石渡家の神であるとされている。
JR横須賀線「逗子」駅にて下車。東口正面向かいの県道24号線を東へ進む。250mほど先の逗子小学校の処の五差路で右手の路地に折れる。 学校沿いの路を進み、「根本歯科クリニック」の処で正面の脇道に折れる。 道なりに進むと200mほど先で丁字路にぶつかるので、ここで右手に折れる。約100m先の十字路で左折し山側へ向かうと、山裾にぶつかる。 山裾に沿って人家に触れるような狭い道を行くと鳥居と石段が見えてくる。
鳥居(靖国鳥居) |
社殿 |
風土記稿には一言、「子の神社 金剛寺持」とだけ記されている。
この神社は、明治初年まで延命寺の末寺金剛寺が管理していたが、神仏分離令で柳作村の非公認神社となった。
その後、昭和三十年宗教法人「子の神社」が創立された。
子は十二支の一つで第1番目に位し、方角では北、子の神は北方を司る神で古来農業神である。
子はネズミで、「子の日」という言葉があり、「子の日の遊び」の略で、中世貴族の祝い事だったようだ。
JR横須賀線「逗子」駅にて下車。東口より県道24号線を東へ進む。600mほど先に逗子消防本部があるのでその向かい側にある路地に入り突き当りまで進むと山側に鳥居が建っている。
舗装された立派な参道が、丘陵に向って勾配のゆるやかな石段となって続いている。鳥居の右側は一段低くなった駐車場だ。
鳥居をくぐると木立に囲まれた山道となるが、コンクリート製の参道が200段超続いている。
鳥居(伊勢鳥居) |
社殿 |
神額「神明社」 |
逗子町誌には、「神明社 桜山の総鎮守なり、字才戸山中の中腹にあり、大正十一年九月十七日社殿改築せられて森厳なる二段の境内に相俟っていと神々し、されど松杉の密林中にあるを以って遠方よりは其の甍をさえ認むるに苦しむ。 東郷吉太郎中将の書になる「~明社」の額を掲ぐ、例年七月十六日。」とある。
第六天社 |
神明社の参道階段を登り出し2つ目の折り返しを過ぎると、右手の林の中に見えてくる。
逗子町誌には「第六天社 大神宮宮下の杉林中に小祠あり、中に石の宮を存す。」と紹介されている。
観藏院から再び県道に出て逗葉高校入口の信号機のある三叉路の手前、「池子警察署」バス停のところから路地に入る。 すぐに家がなくなり観藏院の建つ丘陵から続く山裾に突き当たる。 雑草の茂る斜面の、そこだけが刈り取られ、きれいになった参道の数段の石段の上にコンクリート製の鳥居が立っている。
鳥居(素木鳥居) |
社殿 |
石祠 |
逗子町誌には、「熊野神社 桜山最も上の鎮守なり、数基の石灯籠及び金の鳥居を越えて上ること一町山の中腹に社殿あり、眺望可也、例祭一月十五日」と記され、改訂版には注記として「現社殿は二間・一間半の木造で、境内は宅造の影響を受け荒廃している」とある。
JR横須賀線「東逗子」駅にて下車。駅前から南へ向かうと県道24号線に出る。 左折して東へ500mほど進むと道路右手にある。
鳥居(明神鳥居) |
拝殿 |
祭神は天手力男命。
五霊神社創建の年代は不明。源義朝公が沼間の第宅の鎮守として勧請したと伝えられている。
新編相模風土記(天保十二年編)には、「御霊社、牛頭天王を合祀す」と記され、「天保七丙申年十一月書上絵図面、松平大和守領分相州三浦郡沼間村」の条に「御霊社」と見え「明治八年田畑其外反別取調野帳、第十五大区七小区相模国三浦郡沼間村」の条に「五霊社又は御霊社」。更にその頃書上の「村明細帳沼間村」の条に「神社四ヶ所、熊野大神御霊神社、太神宮、諏訪明神」とある。
熊野、太神宮、諏訪の三社は、後に五霊神社に合併した。
明治六年十二月、村社に列せられ、大正十年七月、神饌幣帛料供進指定神社に昇格した。
手水舎 |
銀杏【神奈川県天然記念物】 |
境内の銀杏の老樹は、当神社勧請の折植えられたものであると伝えられ、鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏に劣らぬ樹令を保っている。
昭和四十一年七月、「神奈川県天然記念物」に指定された。
京急「神武寺」駅にて下車。駅前の道を進むと県道205号線に出る。道のすぐ右前方にある。
一の鳥居(靖国鳥居) |
二の鳥居(靖国鳥居) |
社殿 |
この神明社は、建久3年(1192)に源頼朝によって勧請されたと伝えられている。
文政3年(1820)には、徳川家斉によって社殿が再興されたという徳川家の信仰も厚かった神社。
江戸時代、池子は英勝寺の寺領となり、特に水戸徳川家との関係は深く、神輿が英勝寺から贈られるなどしている。
JR横須賀線「逗子」駅にて下車。西口に出て線路沿いの道(県道205号線)を右手横須賀方向へ進む。
150mほど先にある跨線橋を過ぎ、50m先の左手脇道に入ると正面に熊野神社の鳥居が見える。
一の鳥居(靖国鳥居) |
二の鳥居(靖国鳥居) |
拝殿 |
この熊野神社は、明治二年(1869)社殿炎上のため古記録は無いが、源頼朝の勧請と伝えられている。
当時、荘厳な社殿と松並木が続く参道があったとされる。
明治二年廃仏稀釈で廃寺となった松本寺(しょうほんじ)の本堂を石段下から移築して神社の社殿とした。
境内の手水鉢は天保四年(1833)の銘があり、旧松本寺の遺物である。
明治十年(1877)に山の根の鎮守である白山社、稲荷社、十二天社、神明社、吾妻社、諏訪社、第六天社を合祀している。
「小坪」バス停でバスを降りると、国道134号線の向こうの山縁にある。
牛頭天王(もともとインドの祇園精舎の守護神とも、薬師如来の垂迹とも云われる。除疫神として祀る。頭上に牛の頭を持つ憤怒相に表される)を祀っている。
地元では「鷺浦社」または「須賀社」と呼ばれている。
小坪天王社(須賀神社)の特殊神事として三十三年目毎に葉山一色の森山神社へ神輿渡御(神幸)する行事がある。
これは当社祭神の須佐之男命に対し森山神社が稲田姫命であり、女夫神としての行合祭であると伝える。
近くは平成八年に斎行された。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下り、「小坪港前」交叉点に至ると道向いの角に鎮座している。
全景 |
手水舎 |
南北朝時代の康安年間(1361年〜1362年)には存在していた古社である。
明治二十年(1887)頃に遷座したが、明治三十九年(1906)火災にて焼失し材木座、乱橋の舊(ふるい)宮を貰い受けて建てたのが今の本殿である。
さらに昭和になって現在の小坪漁港脇の地に再遷座した。
祭神は大国主命である。
「小坪」バス停でバスを降り、港へ続く道を下り、「小坪港前」交叉点で右手に折れる。更に100mほど先へと進むと、右手に参道がある。
逗子町誌には、「神明宮 西町の鎮守なり、天照大神を祀る。 小高き處に境内あり、一の鳥居二の鳥居を通り、石段を上りつめたる處に茅葺の拝殿瓦葺の本殿あり、樹木茂りて眺望佳なり、境内に稲荷社外数社あり」と紹介されている。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下る。100mほど行くと左手に小坪郵便局があるが、その建物の裏手に神社がある。 神社へは郵便局の40m先にある脇道に入りこむと行ける。
風土記稿に「一ノ宮権現社 江戸浅草寺一之権現を勧請す」との記述が見られる。
大国主命を祀っている。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下り、「小坪港前」交叉点で左手に折れる。 更に100mほど先にある4つ目の路地へ入り、70mほど進むと、左手に鎮座している。
風土記稿に「八幡宮 本地佛阿弥陀を安ず、村民六十八名の産神(うぶすながみ 生まれた土地の守り神)なり」との記述あり。
現在は応神天皇を祀っており、本殿を納めた覆屋は大正十二年(1923)四月に造立されたものである。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下り、「小坪港前」交叉点で左手に折れる。 更に100mほど先にある4つ目の路地へ入り、80mほど先の階段道を上ると急な階段の参道の上に鎮座している。
相模風土記に「神明宮、村の鎮守なり…仏乗院持」とあり、鎌倉円覚寺塔塔の「黄梅院文書」(康安二年(1362))当院預小坪郷田畑割付書に「小坪神明神畑一枚」とあるので室町時代初期にはすでに存在していたようだ。 明治維新神仏分離により仏乗院の管理を離れ明治六年村社に列格された。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下り、「小坪港前」交叉点で左手に折れる。 更に100mほど先にある4つ目の路地へ入り、80mほど先の階段道を上り、天照大神社参道を左手に見ながら更に進む。 道なりに200mほど先に鎮座している。
南町の鎮守。創建年代や縁起は不明。ここは本殿で、逗子市小坪4の佛乗院裏山には諏訪神社(本宮)がある。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下り、「小坪港前」交叉点の先へまっすぐ進むと200m先左手の湾岸縁にある。
八大龍王神社 |
石碑「亀大神」 |
もとは西の磯の海中にあったが、明治三十年(1897)に大崎の先端に祠を作った。
大漁の時には尾振り(おぶり)といって、船から一番よい魚を海中の龍宮に投げ込み、八大龍王に感謝していたと云う。
その西の磯が埋め立てられ、昭和四十二年(1967)に新しい港が出来、現在の場所に新しい社を建てた。
また龍宮社の隣りには、龍宮の使いと言われる亀を「亀大神」として祀っている。
「小坪」バス停でバスを降り、港へと道を下り、「小坪港前」交叉点で右手の道へ折れる。 道は岬のトンネルを経て鎌倉材木座へと行けるが、その手前で海側の小路に折れ進むと飯島の先端で海に突き出した磯の上に石祠が鎮座している。
祭神として竹内宿禰、猿田彦大神を祀る。白鬚明神、猿田彦神といい、また新羅の神とも云われ、船の安全や長寿を祈る神。
逗子町誌(昭和二年(1927)発刊)には「白髭神社 祭神竹内宿禰、猿田彦大神。飯島の先端海中に突出せる磯の上にあり、十数年前迄は山をなし森林ありしも今は風波に洗われて一木もなし、只石の祠を残すのみ。」と記されている。