事事関心! 神社探訪:
[ 京都市北区 ]
京都市北区                 2020/10/31(土)更新
探訪神社一覧

 JR「京都」駅から地下鉄烏丸線で「今出川」駅まで行き、そこから市営バス59系統にて「金閣寺前」バス停へ。 バスを降りると金閣寺のすぐ前だ。流石に有名処は修学旅行のグループと外国人の観光客が多い。 今回は、金閣寺と西大路通沿いにある神社を巡った。
 北区第二回目(2017/09/25)は大徳寺周辺の神社を探訪した。
 第三回目(2020/10/25)は地下鉄「北山」駅から深泥池〜上賀茂神社〜石井神社を経て「北大路」駅までを探訪した。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 わら天神宮 北区衣笠天神森町10 2013/09/29 
 02 金攫八幡宮 北区平野桜木町2-1 2013/09/29 
 03 平野神社 北区平野宮本町1 2013/09/29 
 04 玄武神社 北区紫野雲林院町88 2017/09/25 
 05 建勲神社 北区紫野北船岡町49 2017/09/25 
 06 今宮神社 北区紫野今宮町21 2017/09/25 
 07 上賀茂神社 北区上賀茂本山339 2020/10/25 【世界文化遺産】
 08 藤木社 北区上賀茂藤ノ木町 2020/10/25 
 09 太田神社 北区上賀茂本山340 2020/10/25 
 10 福徳神社 北区上賀茂北大路町31 2020/10/25 
 11 幸神社 北区上賀茂岡本町 2020/10/25 
 12 勇信八幡宮 北区上賀茂深泥池町35 2020/10/25 
 13 深泥池貴舩神社 北区上賀茂深泥池町 2020/10/25 
 14 石井神社 北区小山元町25 2020/10/25 

【履歴】
・2020/10/31(土): 10/25(日)探訪。          ・2013/10/06(日): 09/29(日)探訪。
・2017/10/01(日): 09/25(月)探訪。

わら天神宮 京都市北区衣笠天神森町10

 金閣寺の参観を終え、西大路通へ出た。この道を南へ下ると「わら天神前」交差点の手前右手に「わら天神」がある。




 古くは北山の神として、大古山背国葛野郡衣笠村に降臨された天神地祇で、古くより土地の人々の信仰を集めていた。 天長八年(831)この地に氷室が設けられ、その夫役が加賀の国より移住し、故郷の地で崇敬していた菅生石部神の分霊を勧請して、子々孫々の氏神とすべく北山の神の西隣に祀り、祭神を菅生石部神の御母木花開耶姫命と定めた。 応永四年(1397)足利三代将軍義満が西園寺北山殿を山荘として造営するに方り、参拝に不便になり両者を合祀し現在地に移転した。




金攫八幡宮(八幡神社) 京都市北区平野桜木町2-1

 「わら天神前」交差点を過ぎるとすぐ右手に金攫八幡宮がある。




 かつて小北山(おぎたやま)八幡宮と呼ばれた。八幡神社、八幡宮とも呼ばれている。 祭神は応神天皇を祀る。延寿大神として信仰されている。
 江戸時代、1685年、山城国石清水八幡宮より分霊される。以後、山城国葛野(かどの)郡衣笠村字小北山の産土神(うぶすながみ)として崇敬されてきた。 1967年には本殿が改修され、檜皮葺から銅葺に替えた。

平野神社 京都市北区平野宮本町1

 西大路通の道路の向かい側先に塀で囲まれた大きな木々が茂る処が見えるが、そこが平野神社だ。入口は南側の塀が切れる辺りなのでそこまで南下。そうすると裏参道の鳥居に到着する。




 奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本紀』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城京の宮中に祀られていた。 桓武天皇の父光仁天皇の御所だったこの地には延暦十三年(794)平安遷都と同時に御遷座された。 当初境内地は方八町余(平安尺で1.5km四方)で、現在の京都御所とほぼ同じ広さだったが、時の変遷と共に縮小され、現在の200m弱四方となった。




玄武神社 北区紫野雲林院町88

 北大路バスターミナルから「市営1 西賀茂車庫前行」に乗り「大徳寺前」バス停で下車、東へ二辻戻り右折して南へ150mほど進むと左手に鎮座している。




 玄武神社(げんぶ じんじゃ)は、京都の北方に位置し、王城の鎮護神として祀られている。 玄武とは、四神相応の守護神(青龍、朱雀、白虎、玄武)の、北・冬を司る"玄武"に由来している。
 祭神は、文徳天皇第一皇子・惟喬親王。

建勲神社 北区紫野北船岡町49

 北大路バスターミナルから「市営1 西賀茂車庫前行」に乗り「建勲神社前」バス停で下車、すぐ先の脇道に入り南へ向かう。丁字路にぶつかったら右折し船岡東通りに出て、左折。 100mほど進むと右手に鎮座している。


大鳥居(明神鳥居)【国の登録有形文化財】

拝殿【国の登録有形文化財】

神門(本殿)【国の登録有形文化財】

 建勲神社は、明治二年(1869)、明治天皇の御下命により創建された織田信長公を祀る神社である。
 明治八年(1875)に別格官幣社に列せられ、京都の船岡山に社地を賜った。 明治十三年(1880)、新たに社殿を造営し、御嫡子織田信忠卿を配祀し、明治四十三年(1910)に山麓から山頂へ社殿を移建し現在に至っている。

今宮神社 北区紫野今宮町21

 北大路バスターミナルから「市営1 西賀茂車庫前行」に乗り「船岡山」バス停で下車、信号のある「今宮門前」十字路交差点まで戻り、交差点で道路を渡る。 今宮神社の大鳥居を潜り、北へ進むと350mほど先正面に鎮座している。


大鳥居

楼門

 この地には平安建都以前より疫神を祀る社があったといわれる。 建都ののち平安京が都市として栄える一方で、人々はうち続く疫病や災厄に悩まされ、これを鎮めるため神泉苑、御霊社、祗園社など各地で盛んに御霊会が営まれた。 今宮社の紫野御霊会もその一つである。
 すなわち、一条天皇の御代正暦五年(994)六月、当社地の疫神を二基の神輿に齋いこめて船岡山に安置し、神慮を慰め奉って悪疫退散を祈った。 これが紫野御霊会であり今宮祭の起源である。
 長保三年(1001)ご霊夢によって疫神は船岡山から再び現在の当社地に奉遷され、新たに設けられた神殿三宇ともども今宮社と名づけられた。 これが今宮神社の起源である。


拝殿

本殿

 創祀以来朝野の崇敬を集め、とりわけ徳川綱吉公生母桂昌院の崇敬は西陣への愛郷の念とともに厚く、元禄七年(1694)には荒廃していた社殿の造営など大いに務められ、祭礼も往時のような盛況を取り戻したと伝えられる。 明治二十九年本社殿を焼失したが、同三十五年に再建し、その後も西陣をはじめ多くの人々の崇敬を集めている。
 大己貴命(おおなむちのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)を祀る。


織姫社

阿呆賢さん/神占石

 織姫社−祭神の栲幡千千姫命は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子で皇祖天忍穂耳尊(あめのおしほみのみこと)の妃。別に天栲幡千幡姫命、萬幡豊秋津師比賣命とも言う。 命は織物の巧みさ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、七夕伝説の織女に機織をお教えになられたとも言われ、織物の祖神とされている。
 阿呆賢さん/神占石−願をかけてこの石を撫で、その手で体の悪いところを擦ると病気が平癒するとの言い伝えがある。

上賀茂神社 北区上賀茂本山339

一の鳥居

二の鳥居

 鴨川にかかる御薗橋(みそのばし)を渡るとすぐに上賀茂神社の一の鳥居が建っている。 鳥居をくぐると馬場となっている芝生の広い境内地の中程を真っ直ぐな参詣道が二の鳥居まで150mほど続いている。
 二の鳥居の手前左手には神馬舎が建ち、中で白馬が飼われている。また、馬場にはしだれ桜の木が植えられていて、春には見事な花 が咲き、多くの花見客で賑わうそうだ。


細殿【重文】

 上賀茂神社は下鴨神社と共に賀茂氏の氏神を祀る神社。神武天皇の御代に賀茂山の麓に賀茂別雷大神が降臨したことが始まりと言われ、白鳳六年(678)に社殿が造営されたと伝えられる。
 厄除や開運、必勝、電気産業の守り神として信仰を集める。
 二の鳥居をくぐると、広い砂場の先に細殿が建ち、その前に二つの砂山が盛られている。 この砂山は「立砂(たてずな)」と呼ばれ、賀茂別雷大神が降臨したと伝えられる本殿の背後に位置する神山(こうやま)」を模したものと云う。 頂上部分には2本(向かって右)と3本の松葉(向かって左)が立てられている。


楼門【重文】、玉橋も【重文】

中門【重文】

 境内には御物忌川(おものいがわ)、御手洗川(みたらいがわ)という2つの川と、それらが合流した「ならの小川」が流れている。 手水舎から玉橋を渡って進むと楼門(ろうもん)がある。この楼門と東西に伸びる回廊は寛永五年(1628)に建て替えられたもので、国の重要文化財に指定されている。
 楼門の奥には、国宝である本殿や式年遷宮の際に仮の本殿となる権殿(ごんでん)があるが、通常は非公開なので見ることができない。 本殿の手前にある中門の前で、二礼二拍一礼のお参りを行う。
 国宝の本殿と権殿は文久三年(1863)、重要文化財の34棟は寛永五年(1628)に造り替えられたものが多数である。

藤木社(ふじのきのやしろ) 北区上賀茂藤ノ木町

 上賀茂神社から東へ400mほど進むと社家町の明神川畔に小祠の藤木社が祀られている。




 上賀茂神社(賀茂別来雷神社)の末社になる。
 祭神は、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)であり、家運隆昌の神の信仰がある。


太田神社 京都市北区上賀茂本山340

 藤木社から更に東へ150mほどの処にある四つ角で左(北方向)に折れ、100mほど歩くと正面に鎮座している。




 天鈿女命を祀る、上賀茂神社の摂社である。




 境内には国の天然記念物に指定されたカキツバタの群落があり、初夏を紫に彩る。 歌人・藤原俊成の歌にも詠まれるなど、平安の時代から愛され続けている景色である。


福徳神社 北区上賀茂北大路町31

 太田神社の門前に鎮座している。



 福徳神社は,賀茂別雷神社(上賀茂神社)の境外末社である。 大田神社(賀茂別雷神社の境外摂社)の参道の入り口近くに鎮座する。
 祭神は福徳神である。


幸神社 北区上賀茂岡本町

 大田神社の東100mほどの道の側に南面に鎮座している。 「愛染倉」というレストランの敷地に入り込む形で石垣の上に小さな祠がひとつ建っている。




 祭神、由緒などは不明。通称、「オサイサン」と呼ばれ、道祖神の一種。


勇信八幡宮 北区上賀茂深泥池町35

 地下鉄烏丸線「北山」駅にて下車、鞍馬街道を北上し深泥池の処まで進む。 此処で西方向へ折れ100mほど進み右手の路地に入るとすぐ先に鎮座している。




 創祀・由緒等不明。『坂上田村麻呂伝記』に田村麻呂を評して「武芸称代 勇身踰人 辺塞閃武。 武芸はあたいにかない 勇ましい身は人をこえる 辺塞にあって武を閃く」とある。 鎮守には同町に貴舩神社があり、個人的な祀りの跡であろう。 八幡宮の山側が切り崩されて開発されており、元はそこに祀られていたと考えられる。


深泥池貴舩神社 北区上賀茂深泥池町

 地下鉄烏丸線「北山」駅にて下車、鞍馬街道を北上し深泥池よりさらに200mほど先左手に鎮座している。





 当時山奥にある貴船神社への参拝が大変困難だったため、江戸時代に分霊し鞍馬街道の深泥池(みぞろがいけ)そばに建立された。


秋葉社

 京都名物「すぐき漬け」はこの付近で起こった火事がきっかけとされている。 また、ここは江戸時代の画壇、池大雅生地でもある。


石井神社 北区小山元町25

 地下鉄烏丸線「北大路」駅より室町通りを北へ約400m、北山大西西詰交差点を左折、一筋目を右折し北へ直ぐの住宅街の中に鎮座している。




 大正年間、伏見稲荷一の峯に石井稲荷大神の塚が創建される。昭和二年、伏見稲荷一の峯より八木トメ女により遷座した。 現在元町学区の鎮守守護神として崇敬参拝されている。
 本殿は昭和二年造営、流造り神殿。


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