岡山県は神社巡りとしては初めて訪れる場所だ。今回はツアーでの訪問だったので二社だけ。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
01 | 吉備津神社 | 岡山市北区吉備津931 | 2019/06/18 | |
02 | 阿智神社 | 倉敷市本町12-1 | 2019/06/18 |
【履歴】
・2019/06/23(日): 新規作成。
吉備津神社は山陽道屈指の大社である。
創建に関しては「仁徳天皇がこの地に行幸した際に、大吉備津彦命の功績を称えて創建された」とする説、「御祭神・大吉備津彦命の5代目の孫にあたる加夜臣奈留美(かやおみなるみ)命が祖神として祀ったことが起源」とする説などがあるが、詳しいことはわかっていない。
祭神は大吉備津彦大神。大吉備津彦大神は、記紀によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られたとされている。
古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られている。
北随神門【重文】 |
北随神門は北の参道に位置し、室町中期に再建された。
現在修復工事中。
本殿・拝殿【国宝】 |
拝殿 |
神額「平賊安民」 |
本殿・拝殿(国宝)は室町時代・応永三十二年(1425)に25年の歳月をかけて再建された。 建築様式は入母屋の千鳥破風が前後に二つ並んだ大きな屋根が夫婦が仲良く寄り添っているようにも見える「比翼入母屋造」で全国唯一の様式から「吉備津造り」とも称される。
回廊 |
回廊 |
本殿から南の本宮社をつなぐ回廊は400m近くあり、神社の風情を一層引き立てている。
天正七年(1579)再建、全長360mにもおよび、自然の地形そのままに一直線に建てられている。(県指定重要文化財)
一童社−全景 |
一童社−社殿 |
一童社は、学問・芸能の神様を祭り、江戸時代の国学者も厚く信仰したと伝えられている。 近年では進学を目指す人のお参りが絶えない。
えびす宮 |
祖霊社 |
えびす宮は商売繁盛・家業?栄の神様、特に1月9・10・11日のえびす祭りでは縁起物を求めるたくさんの人で賑わう。
祖霊社は祖先神を祭りしている。
JR「倉敷」駅から徒歩15分
南参道鳥居 |
随神門 |
倉敷の古名は「阿知」であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。
これは、日本書紀応神記(4世紀)に「阿知使主(あちのおみ)が韓国より17県の人達を率いて帰化してきた」とあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している。
また、社記には神功皇后三韓征伐の途中、暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降ったため、応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。
古来この一帯は吉備の穴海と称され、内海深く湾入し社地は内亀島という小島であったため、海の交通交易の守護神である宗像三女神を奉斎したとも伝えられている。
室町末期、慶長、元和の頃から祭祀は当地草分けの有力者の木綿襷組(ゆふだすきぐみ)が交代執行し、江戸中期に観竜寺の別当が管理し、神仏混淆して明治に至ったが、同2年神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号した。
拝殿 |
神額「阿智神社」 |
本殿 |
随神門をくぐると、目の前に現れるのが拝殿だ。
拝殿の後ろに本殿が置かれており、この中に宗像三女神が祭られている。
能舞台 |
絵馬殿 |
高灯籠(たかとうろう) |
能舞台は拝殿の向かい側、随神門と社務所の間にある。正面奥に松の絵が描かれている。
境内南側に建つ絵馬殿から倉敷の街が一望できるが、昔はここから見える景色がすべて海だった。
絵馬殿の横にある阿智神社の高灯籠(高さ約5m)は本来港に置かれるものと同じタイプで、港を出入りする船の目印となるものだった。
元々は美観地区内の倉敷川沿い、中橋のたもと(現在の「旅館くらしき」のあたり)にあったと云われている。
その後、阿智神社が海上交通の守護神であることにちなみ境内に移された。
荒神社 |
戎大黒火産霊社 |
戎大黒火産霊社 |
荒神社は素戔嗚尊の荒魂をお祀りし治水豊饒の神としてまた厄除や病気平癒のご神徳ある神として崇められている。
相殿の神は明治43年に近郷より合祀された穀物と水の御祭神。
戎大黒火産霊社は大国主命と事代主命、火産霊神を祀る。大国主命と事代主命は漁業や農業、商業といった産業の商売繁盛の神様である。火産霊神は火の神竃(台所)の御祭神だ。