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[ 神社探訪: 埼玉県川越市 ]
神社探訪: 埼玉県川越市  2014/06/07(土) 新規
コース案内

 小江戸として売り出している埼玉県川越市にある神社を探訪した。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 川越氷川神社 川越市宮下町2-11-3 2014/06/04 別表神社。旧県社。川越総鎮守
 02 三芳野神社 川越市郭町2-25-11 2014/06/04 旧県社
 03 日枝神社 川越市小仙波町1-4-1 2014/06/04 旧県社
 04 仙波東照宮 川越市小仙波町1-21 2014/06/04 日本三大東照宮
 05 仙波氷川神社 川越市仙波町4-19-1 2014/06/04 
 06 仙波愛宕神社 川越市富士見町31-47付近 2014/06/04 
 07 菅原神社 川越市菅原町9 2014/06/04 
 08 富士浅間神社 川越市富士見町21-1 2014/06/04 
 09 広済寺/金毘羅堂 川越市喜多町5-1 2014/06/04 
 10 熊野神社 川越市連雀町17-1 2014/06/04 旧村社
 11 川越八幡宮 川越市南通町19-3 2014/06/04 

・2014/06/07(土): 6/4に探訪。

川越氷川神社 川越市宮下町2-11-3

 川越駅で下車。東口7番バス乗場から東武バス「川越06系統/埼玉医大行・川越運動公園方面行」に乗り、「宮下町」バス停で降りると目の前が氷川神社だ。(バス10分)


一の鳥居

拝殿

舞殿

 川越氷川神社の歴史は大変古く、古墳文化が伝えられた六世紀、 欽明天皇の御代に武蔵一宮である大宮氷川神社を分祠したことに始まったと云われている。
 素盞嗚尊(すさのおのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)の夫婦神とその6代孫の大己貴命(おおなむちのみこと)、奇稲田姫命の両親である手摩乳命(てなづちのみこと)・脚摩乳命(あしなづちのみこと)の5柱が祭神。


摂社−護国神社

大鳥居

大鳥居扁額「氷川神社」
(勝海舟謹書)

 大鳥居は高さ20m、笠木の幅20m、柱周6mと木製のものとしては国内随一の大きさ。 中央扁額の社号文字は幕末の幕臣、勝海舟の直筆のものとのこと。


三芳野神社 川越市郭町2-25-11

 川越駅で下車。東口3番バス乗り場から小江戸巡回バスを利用し、「本丸御殿」バス停で降りる。目の前の駐車場の奥にある。


参道鳥居

社殿

 三芳野神社は、童謡「とおりゃんせ」発祥の地。昔、誰もが口ずさんだあの唄は、ここ三芳野神社で生まれた。 川越城内にあったため、一般の人の参詣が難しくその様子が唄われたもの言われている。
 三芳野神社は、川越城の鎮守として、寛永元年(1624)時の城主酒井忠勝によって再建されたといわれている。 優美な権現造りの社殿は、名前の由来となった「三芳野天神縁起絵巻」とともに市の指定文化財になっている。


日枝神社 川越市小仙波町1-4-1

 JR川越線・東武東上線「川越」駅下車。東口3番乗場から「名所めぐりバス(東武バス)」に載り、「喜多院」バス停で下車するとすぐ。
 徒歩では、駅北側「三番町通り」を東へ向かい、四つ目の信号「喜多院入口」交差点まで進む(約1km)。この交差点で左折し、約800m北上すると左手にある。(約20分)




 喜多院の草創時に比叡山坂本の日枝山王社を勧請したものであると云われている。東京赤坂の日枝神社(旧官幣大社)はここ川越日枝神社から分祠されている。
 日枝神社境内は川越市指定史跡となっている。


仙波東照宮 川越市小仙波町1-21

 JR川越線・東武東上線「川越」駅下車。東口3番乗場から「名所めぐりバス(東武バス)」に載り、「喜多院」バス停で下車するとすぐ。
 徒歩では、駅北側「三番町通り」を東へ向かい、四つ目の信号「喜多院入口」交差点まで進む(約1km)。この交差点で左折し、約800m北上すると左手にある。(約20分)


隋身門

参道

拝殿

 江戸時代に仙波御宮と称された。仙波東照宮は元和三年、天海によって喜多院(川越市小仙波町)の境内に勧請された。 石鳥居は寛永十五年(1638)9月に造営奉行の堀田正盛が奉納したもので、柱に「東照大権現御宝前、 寛永15年9月17日堀田加賀守従四位下藤森正盛」の銘文が刻まれており、様式は明神鳥居である。
 仙波東照宮は、喜多院第二十七世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったものである。 家康公は、 元和二年四月十七日七十五才で薨去されると、一旦、静岡県の久能山に葬られたが、公の遺言に従って、二代将軍秀忠は、 元和三年亡父家康公の遺骸を更めて日光に移葬した。 現在の社殿は寛永十七年(1640)の建立。随身門・石鳥居・拝殿・幣殿・唐門・瑞垣・本殿は全て国の重要文化財に指定されている。


仙波氷川神社 川越市仙波町4-19-1

 東武東上線・JR川越線の「川越」駅で下車。 東口より右手の道路を真っ直ぐ行き県道川越・城戸・毛呂山線の「川越駅入口」交差点に出る。 交差点を右折し、南へ向かう。 約300mほど進むと左手に仙波小学校があるので、学校手前の脇道に折れ、そのまま500mほど行くと国道16号線の下を潜る手前左手に鎮座している。(徒歩15分)


一の鳥居

二の鳥居と拝殿

 当社は後三條天皇延久元年(1069)この地の豪族仙波氏の創祀と伝えられている。 境内には仙波古墳群の1つである直径15m程の小円墳「氷川神社古墳」がある。
 祭神は素戔嗚尊(すさのうのみこと)で倉稲魂命(うがのみたまのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を合祀している。


仙波愛宕神社 川越市富士見町31-47付近

 仙波氷川神社の右手の道を国道16号線の下を潜り進むと仙波河岸史跡公園に突き当たる。 公園を横切り進むと、右手の丘の上に鎮座している。


鳥居

拝殿

神額「愛宕神社」

 仙波愛宕神社は、防火の神「火産霊神」を祀る神社である。 拝殿・本殿は、小高い丘の上にあるが、この丘は古墳で、川越市指定の史跡「愛宕神社古墳」である。
 また境内には松尾芭蕉の句碑があり、こう刻まれている。
「名月に 麓(ふもと)の霧や 田の曇(くもり)」
 ここ一帯は仙波台地と呼ばれ、芭蕉がこの句を読んだ伊賀国上野赤坂(三重県)と同じく、台地の先っぼで眺望がよく月見がしやすいことからこの句碑が置かれている。
 創建は文禄二年(1593年/安土桃山時代) 、祭神は火産霊神(ほむすびのかみ)である。


菅原神社 川越市菅原町9

 東武東上線・JR川越線の「川越」駅で下車。 東口より右手の道路を真っ直ぐ行き県道川越・城戸・毛呂山線の「川越駅入口」交差点に出る。 交差点を右折し、南へ向かう。 約250mほど進むと右手に鎮座している。(徒歩8分)


鳥居

拝殿

六塚稲荷神社

 寛永元年妙善寺開山尊能法印により勧請され天神社と称した。大正二年に稲荷社が合祀され菅原神社に改称した。
 祭神は菅原道真公である。


富士浅間神社 川越市富士見町21-1

 東武東上線・JR川越線の「川越」駅で下車。 東口より右手の道路を真っ直ぐ行き県道川越・城戸・毛呂山線の「川越駅入口」交差点に出る。 交差点を右折し、南へ向かう。 約300mほど進むと左手に仙波小学校がある。 学校の先の「富士見町」交差点の先2つ目の左手脇道に折れると、道路の突当りに鳥居が見える。 (徒歩12分)




 平安時代の武将・源頼義がこの地に分霊をしたことに始まる。 長禄元年(1457/室町時代)太田道灌が再営。永禄九年(1566/戦国時代)北条氏の臣 中山角四良左衛門が再興した。 文政十一年(1828/江戸時代)川越南町の山田家久兵衛ら有志が、拝殿1棟再建、岩室を新築した。 天保年間(1830〜1843/江戸時代)に現在の神社の形が整えられた(岩室前の石猿に天保4年の銘がある)。





 富士浅間神社の社殿が建つ小山は、「浅間神社古墳」という古墳である。 全部で六基ある小仙波古墳群の1つ。別名「母塚」と呼ばれ、ここより約300m程歩いた場所には父塚(愛宕神社古墳)がある。 高さ5.8m、径が4.2mの大型円墳で、墳頂は神社社殿建造に伴いかなり削られてしまっているようだ。 また、古墳の周囲には低い部分があることから周溝(古墳のまわりをめぐらされた溝)があったと考えれれている。


広済寺/金毘羅堂 (市指定有形文化財) 川越市喜多町5-1

 川越駅で下車。東口1番バス乗場から東武バス「神明町車庫(札の辻経由)」に乗り、「喜多町」バス停で降りる。 少し北へ向かうと左手に広済寺がある。(バス8分)


鳥居

社殿

 本社は香川県にある金刀比羅宮。川越市指定の文化財に指定されている。 拝殿の向拝の天井には、天保十年(1839)に谷文晁(たにぶんちょう)が描いた龍の墨絵がある。


熊野神社 川越市連雀町17-1

 JR川越線「川越」駅下車。東口から北側にある商店街「クレアモール」へ。約1kmのクレアモールを通り過ぎ県道川越・日高線を越えるとすぐ左手に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

拝殿

 熊野神社は、『明細帳』によると天正18年(1590年)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、以後、 松郷の人々が氏神として崇敬した。 正徳3年(1713年)同寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築し鳥居を石造りとした。現在ある二の鳥居がそれである。


手水舎




川越八幡宮 川越市南通町19-3

 JR川越線「川越」駅下車。東口から北側にある商店街「クレアモール」へ。 クレアモールを北上しクレアパーク広場の手前で右折すると次の十字路の左手50m先に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

裏参道鳥居

 川越八幡宮は人皇第68代、後一条天皇(1016−1036)長元3年(1030)甲斐守源頼信の創祀と伝えられています。  長元元年(1028)下総国千葉の城主前上総介平忠常謀反を企て、安房、上総、 下総の3ヶ国を切従へ破竹の如き勢いにて威を八州に震い大軍を起こして武蔵国に押出せし時、冷泉院判官代甲斐守源頼信 (多田満仲の御子源光朝臣の御令弟)長元3年平忠常追討の倫旨を賜り、当地に於いて必勝祈願をし敵陣に斬り込めば、 忠常の陣中麻の如く乱れて3日3夜追討して遺滅せり頼信御神威を感得喜悦して直ちに八幡神社を創祀した。 尚、東松山市の箭弓稲荷神社も頼信が当社と同じ祈願主旨で同時期に御社殿を建立した。


拝殿

相撲稲荷神社

夫婦公孫樹

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