事事関心! 神社探訪
[ 愛知県名古屋市/熱田神宮 ]
神社探訪: 愛知県名古屋市/熱田神宮      2018/06/01(金)新規
はじめに

 熱田神宮は「熱田さん」の名で古くから崇敬を集める名社である。
 第十二代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手元へ留め置いた。 日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。
 約6万坪(約19万平方メートル)の境内。本宮を始めとして28の社(やしろ)がある。

主祭神: 熱田大神
御神体: 草薙神剣(草薙剣)
創 建: (伝)景行天皇四十三年
住 所: 名古屋市熱田区神宮1丁目1番1号
アクセス : 名鉄「名古屋」駅から、三駅目の「神宮前」駅にて下車、西口より徒歩3分

【履歴】
・2018/06/01(金)

参道 


正門鳥居(伊勢鳥居型)

東門鳥居(伊勢鳥居型)

 熱田神宮の参道門は、南に向いた表参道の正門、東参道の東門、西参道の西門がある。
 


本宮 

 正門を潜り、表参道を真っ直ぐ北へ進むと二の鳥居、三の鳥居を経て本宮に至る。


拝殿


 拝殿の奥に見える社殿が本殿で、ここにご祭神である熱田大神が鎮まっている。 熱田大神は、三種の神器の1つ・草薙神剣を神体とする天照大神とされている。
 建物は伊勢神宮と同じ"神明造"であるが、明治二十六年(1893)までは"尾張造"と呼ばれる独特の建築様式だった。


一之御前神社(いちのみさきじんじゃ) 

 拝殿に正対すると本宮左手に塀に沿った小道が続いている。ここが"一之御前神社へと続く"こころの小径"という参道だ。




 一之御前神社は熱田神宮の最奥部、神聖な場所として最近まで一般の立ち入りが禁止されていた。現在も入口に守衛が常駐していた。
 一之御前神社には熱田大神の「荒魂」が祀られている。荒魂とは、神様の穏やかな姿を和魂と呼ぶのとは対極のもので、勇壮な神威を表される働きを讃える言葉である。


別宮八剣宮 

 南口の正門に正対すると左手前に少し小ぶりの鳥居のある参道がある。こちらの奥に別宮八剣宮がある。




 祀られている祭神は本宮と同じ熱田大神である。 武士たちからの信仰が厚かったこともあり、勝負強さや仕事運のご利益があるそうだ。
 別宮八剣宮は建物のサイズは本宮に比べると一回り以上小さいが、見た目はほぼ同じ。 建築様式も、年間の神事も、拝殿や本殿などの配置も本宮とほとんど同じだそうだ。
 なぜ同じようなお社が作られたのか?「ご神体の草薙御剣は一度盗まれたという伝承がある。剣は無事戻ってきたが、盗難防止として後に本宮のカモフラージュとして同じ社を作った。」との話だってさ。

上知我麻神社 

 南口の正門に正対すると左手前に少し小ぶりの鳥居のある参道がある。こちらの参道の先正面に上知我麻神社がある。




 上知我麻神社は、宮簀媛命の父君である尾張国造「乎止與命(おとよのみこと)」を祀り、「源大夫社(げんだゆうしゃ)」とも呼ばれた。 延喜式神名帳に記載された古社である。元々「ほうろく地蔵」附近にあって、その脇は高札場になっていた。 東海道・佐屋路・美濃路を旅する者はいずれも必ず源太夫社の前を通ったため、皆ここで旅の安全を祈願してから、各々の道へ進んだといわれている。


南新宮社 

南新宮社


 南新宮社は熱田神宮の正門(南門)を入った所から右手に曲がり、表参道の一本右側を通る旧表参道沿いに鎮座している。
 祭神は素戔嗚尊。


二十五丁橋 

 南口の正門を潜り真っ直ぐ続く参道を進むと平橋がある。その手前左手の小路に折れると、直ぐ右手に立ち入り禁止とされた石橋"二十五丁橋"が架かっている。




 尾張名所図会や名古屋甚句で名高く、板石が25枚並んでいるところからこの名がついた。 名古屋では最古の石橋と云われている。
 名古屋甚句の中には、西行法師がこれほど涼しい宮を誰が"熱田"と名をつけた、という下記のようなユーモラスな唄がある。

名古屋甚句
 ア〜♪
 宮の熱田の二十五丁橋で♪
 エ〜♪  ア〜♪
 西行法師が腰をかけ♪ 東西南北見渡してこれほど涼しいこの宮を たれが熱田と♪
 ヨ〜♪ ホ ホ ア〜アア♪
 名をつけた♪
 エ〜トコドッコイ♪ ドッコイショ♪
大楠 

 二十五丁橋を過ぎ、東、西からの参道と合流した参道には二の鳥居が建っている。この鳥居を過ぎると参道左手に大楠が聳えている。




 この楠の樹齢は千年以上と言われ、内部が空洞になっていて蛇が住んでいると云う。 木の根元には毎日卵が供えられ、卵を食べに出てきた蛇を見ることが出来たら金運がアップすると云われている。


信長塀 

 大楠の先には参道を挟むように信長塀が建ち、その先に三の鳥居がある。




 織田信長が桶狭間の戦いで勝利した後に奉納したと云われている。 この信長塀、一見地味に見えるが、土と石灰を油で練り固め瓦を積み重ねたもので「日本三大土塀」のひとつに列されている。 永禄三年(1560)に造られてから一度も崩れていないこともあり、"建築の無事"や"出世運"などのご利益を期待する人もいるそうだ。


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