事事関心!
[ 銀座八丁神社巡り ]
銀座八丁神社巡り 2012/03/16(金) 更新

 福運を招くと言い伝えられている銀座八丁神社を巡った。 非公開により参拝できなかった神社があったが、とりあえず参拝できた処を纏めた。

【履歴】
・2012/01/13(金) 銀座探訪
・2012/02/17(金) 再訪(幸稲荷神社を参拝。)
・2012/03/16(金) 再訪(宝童稲荷神社,八官神社を参拝。)

探訪ルート

@幸稲荷神社 → B朝日稲荷神社 → C龍光不動尊 → D銀座出世地蔵尊 → E宝童稲荷神社 →
F東稲荷神社 → G護稲荷神社 → H豊岩稲荷神社 → J八官神社
以下の神社は今回参拝していない。
A銀座稲荷神社、I成功稲荷神社は[通常非公開]

幸稲荷神社(弁財天) 銀座1-5(並木通り銀一ビル斜め前)

 東京メトロ・JR山手線「有楽町」駅から京橋方向へ歩いて5分程の距離にある。


全景

神額

手水鉢

 創建時期は不詳だが江戸時代から存在していた。古くは目抜き通りに鎮座し、そこに太刀の市が立てられたことから太刀売稲荷と呼ばれていた。 銀座の再開発に伴い目抜き通りから立ち退き、並木通り沿いに移転されたとのこと。 商売繁盛・家内安全・厄切りになどにご利益があると言われている。
 祭神は宇迦之御魂神である。

朝日稲荷神社(布袋尊) 銀座3-8-10

 松屋の裏手にあたる銀座通り(中央通り)より100m程進んだ所にある角の末広朝日ビルにある。




 古来より当地に鎮座し守護神として厚く奉斎され、遠近の崇敬を集めていた。 しかしながら、安政の大地震で社殿が倒壊し、三十間堀に幽没してしまっていた。 大正六年(1917)銀座を襲った大海嘯によって、三十間堀より霊体が顕れ、建築業館岡其が当地に奉安したが、関東大震災で転地し神社は銀座三丁目町会の奉斎するところとなった。 戦災により消失した社殿は戦後再建され、昭和二十七年(1952)宗教法人朝日稲荷神社となった。 昭和五十八年(1983)、隣地の大広ビル改築にともない、共同ビルを建築する際にビル一部の1・2階を吹抜け拝殿とし、本殿は屋上に安置し、パイプで地上と繋ぎ、拝殿での参拝が本殿に届く工夫がされている。

龍光不動尊 銀座3-6(松屋銀座屋上)

 京橋から銀座通りを歩き、3ブロック目左手にある松屋の屋上に鎮座している。 賽銭用の小銭が切れていたので、両替を兼ねてアイスクリームを買い、丸いテーブル席に座りアイスを食べ以降の行動経路を確認しながら休憩を取り、その後参拝した。丁度この時刻は好天で日差しは十分にあり、風もなかったので心地好い休憩ができた。


龍光不動尊

手水鉢

 松屋の銀座出店は大正十四年(1925)で、高野山龍光院に700年前の鎌倉時代からあったとされる不動明王像を昭和四年五月に念持仏として迎え、屋上に安置して「龍光不動尊」と称した。 龍光が流行に通じるとしてファッションにご利益があるといわれている。


銀座出世地蔵尊 銀座4-6-16(銀座三越屋上)

 四丁目交差点角の銀座三越屋上に鎮座している。8F,R直通エレベータが便利だ。


出世地蔵尊

お地蔵さん

三囲神社

 明治のはじめ三十間堀より出世した当時の地元鳶職が銀座の空き地に安置した。 銀座三越が新築をした際に屋上に遷座した。
【三囲神社】
 宇迦之御魂命を祀っている。三越前身の三井家守護神として三越本支店の屋上に祀られている。 本社は向島言問橋近くに鎮座している。

宝童稲荷 銀座4-3

 わかり易い路地は晴海通りを数奇屋橋方面に向かってキューピット人形が立つ天賞堂のビルの手前を右に曲がる。 そして天賞堂ビルに纏わるように角の鰻屋を左に曲がると路地がある。 この路地を突き当たりまで進み、右に曲がった所を少し歩くと宝童稲荷がある。


 江戸中期、城内に仕えた弥左衛門という侍が功なり年老いて屋敷を賜り、草分けの名主となり、この辺りを弥左衛門町と呼んでいた。 歴代の子が夭折するので城内紅葉山に子育てを祈願する宝童稲荷神社があった。 弥左衛門はこの神霊の分祀を願い出て許され、これを町内の氏神とした。 健やかな子供の成長と御利益があると伝えられている。


あづま稲荷神社(大黒天) 銀座5-9

 次はあづま稲荷神社だ。あづま通り三原小路に入った処にある。




 戦後メインストリートして発展してきたあづま通り付近で火災が相次ぎ、かつて稲荷が祀られていたことが判明した。 そこで町内で伏見稲荷講中をつくり「あづま稲荷」と命名し、伏見稲荷大社より分霊、氏神山王日枝神社に神職により現在地に鎮座した。火伏せ・盗難の神として信仰されている。


護稲荷神社(寿老人)  銀座6-10-1(銀座松坂屋屋上)

 松坂屋本館の屋上に鎮座している。




 文化12年、伏見稲荷大社より勧請、根岸に奉安されたと言い伝えられている。 豊川稲荷大明神神像を奉じ祀っている。 火伏せの神として大正十二年の関東大震災、大正十五年三月の日暮里の大火から町内を護った。 昭和四年、日枝神社宮司の手により松屋銀座屋上に分霊奉安、今日に至っている。(上野松坂屋と同じ)

豊岩稲荷神社 銀座7-8-14(銀座すずらん通り路地)

 中央通りの7丁目交差点から裏手になる"すずらん通り"に入る。 第二新橋会館先の露地の入口に「豊岩稲荷神社」の石碑が立っている。この露地の中ほど左手に鎮座している。




 明智光秀の家臣の子が主家の再建を願って祭ったという伝説がある。 創立年は不詳。元禄初年(元年=1688)に再建、明治四年(1871)に改築、大正三年(1914)には本殿を改築、震災では炎上し、同十三年(1928)5丁目に仮殿を再築、昭和八年(1933)に再建した。 昭和初期から市村羽左衛門ほか芸能関係者の崇敬が厚く、昭和三年(1928)から日枝神社の神職により祭祀が執行された。 平成五年(1993)に社殿を造営、境内の保全を行っている。

八官神社 中央区銀座8-4-5/銀座八官3110ビル(ソニー通側)

 ソニー通りに面した銀座八官3110ビル1Fにある。


 旧八官町の氏神で穀豊稲荷と称していたが、震災後の区画整理で町名がなくなることを嫌った町民が八官神社と改称して町名を残した。 八官は元和のころ(1615-23)オランダ人ヤヨウス・ハチクワンに下賜された屋敷地に由来している。
 祭神は倉稲魂命である。

あしあと

inserted by FC2 system