境川沿いに横浜市瀬谷区から藤沢市にかけて"サバ神社"が12社点在している。
漢字では、鯖、佐波、左馬、左婆、などと書かれるが、いずれも「サバ」と発音する。
源義朝(左馬頭=さまのかみ)を祀るのが九社、源満仲を祀っているのが三社ある。
この三社はいずれも横浜市泉区和泉町にあり、佐婆神社・中之宮左馬神社・鯖神社である。
和泉町には泉小次郎親衛や巴御前にまつわる伝承が多く、信濃源氏への思い入れから同じ源氏でも信濃源氏に近い源満仲を祭神としたのだろうとの説もある。
梅雨に入ってからどういうわけか暑いのと、体力に自信がないので一日で巡るのは諦め、数回に分けて参拝した。
【履歴】
・2011/05/20(水): 探索開始(和泉鯖神社)
・2011/06/15(水): 探索(中之宮左馬神社,七ツ木神社,今田鯖神社)
・2011/06/21(火): 探索(左馬神社)
・2011/06/25(日): 探索(佐婆神社)
・2011/06/29(水): 探索(左馬社,上和田左馬神社,飯田神社)
・2011/07/03(日): 探索(佐波神社)
・2011/07/15(金): 探索(下和田左馬神社)
・2011/08/13(土): 見直し(七サバ参りの記述を更新)
・2011/08/24(木): 探索(西俣野左馬明神社)
はやり病除けの信仰で「七サバまいり」というのがある。疱瘡や疫病が流行すると、厄除けのため"相模七左馬"として知られる七つのサバ神社を巡拝する「七サバ参り」が行われていた。
ただ、この七鯖参りの対象神社には以下諸説がある。
◆左馬社案内
左馬社(瀬谷)、左馬神社(上和田)、飯田神社(上飯田)、左婆神社(神田)、
左馬神社(中之宮)、鯖社(下飯田)、鯖神社(鍋谷)
◆藤沢市史、大和市史
左馬社(瀬谷)、左馬神社(上和田)、左馬神社(下和田)、飯田神社(上飯田)、
七ツ木神社(高倉)、鯖神社(下飯田)、鯖神社(今田)
◆大和市資料業書
左馬社(瀬谷)、左馬神社(上和田)、左馬神社(下和田)、左馬神社(中之宮)、
七ツ木神社(高倉)、鯖神社(下飯田)、鯖神社(今田)
◆その他(神奈川県神社誌、中和田郷土誌)
全部の神社名の記載なし
神奈中「橋戸2丁目」バス停から約5分のところにある。まだ8時前なのに少し歩いただけで汗が...暑い!
鳥居 |
社殿 |
神額 |
祭神は左馬頭源義朝である。
隣接の真言宗西福寺が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が今日に残る。神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのこと。
梵鐘は江戸時代の文久元年(1861)に鋳造されたが太平洋戦争の際供出されたため昭和三十二年(1957)に現在の鐘が作られた。
(境内の区役所の説明版から)
左馬社を出て直ぐのところに庚申塔が集められていた。次は上和田左馬神社である。
神奈中バスの「上飯田団地」バス停から約5分のところにある。
鳥居 |
社殿 |
勧請年代は不詳だが、社伝に「延応元年(1239)に飯田三郎能信、当時の地頭に復するや篤き奉幣の儀あり猶知行平山源太郎の崇敬特に深かりし社なり」と伝えられている。
寛政十二年二月(1800)式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」と刻まれた銅製の神号額を奉納、また文化十三年二月(1816)に神祇管領占部朝臣良長が当社に幣帛を献上して祝詞を奏上している。
境の神としての幾多の伝承も残されている。
明治六年(1873)に村社に列された。現在の社殿は昭和三十年(1955)に新築されたものだ。
式外村社々地東西十三間南北二十間面積二百六十坪本村西南の方に有り、
祭神左馬頭源義朝、勧請年月詳らかならず。
(神奈川県皇国地誌、相摸國鎌倉郡村誌 45頁)
相鉄「いずみ中央」駅から和泉川沿いに上流に向かい約500mのところにある。通称「へっついさま」と言われている。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
勧請年代は不詳。伝承では、寛文年間(1661-1672)に地元の石川治右衛門が勧請したといわれている。
また一方、明治十一年(1878)に当地に伝わる伝承類を纏めた「和泉往来」の文書には「慶長年間(1596-1614)の勧請という」と記されている。
恐らくこの神社も境川の両岸に祀られている境の神としての性格を持つ古い社と思われる。
地字名の「神田(かみだ)」は「神饌田」があったからといわれている。
天保六年(1835)に社殿修復をした時の棟札が残されている。
境内の「たぶのき」は推定樹齢380年で、横浜市の名木古木に指定されている。
祭神は源満仲(みなもとのみつなか)と木花咲耶姫(富士山の祭神)である。
員外社本村西の方に有り。
(神奈川県皇国地誌、相摸國鎌倉郡村誌 32頁)
相鉄「いずみ中央」駅から約500mのところにある。和泉川下流方向に3つ目の橋のところの公園の手前の脇道に右折して道なりに行くとある。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
慶長年間(1596-1615)に郷士清水・鈴木両家が氏神として勧請したと云われている。
昔から「相模七左馬(鯖)の一社」と崇められた一社で、新編相模風土記稿にも「鯖明神社」と記されている。
明治六年十二月(1873)に和泉村の「村社」に列せられた。
寛永ニ年十二月(1625)に能見松平の勝左衛門昌吉が和泉村の領主になった時に村の鎮守として再興、また能見松平家累代の祈願所とした。
また代々の領主は氏子と共に社の護持や社殿の修復に尽力し、文化十三年(1816)、天保六年(1835)の棟札が残されている。
平成十六年(2004)に本殿を保護する社殿が新築された。
祭神は左馬頭源ノ満仲(さばのかみみなもとのみつなか)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)である。
外村社々地東西九間三尺南北二十四間三尺面積二百三十三坪本村中央に有り、祭神左馬頭源義朝を勧請する、年月詳らかならず。
(神奈川県皇国地誌、相摸國鎌倉郡村誌 32頁)
相鉄「ゆめが丘」駅出入口1を出て湘南台方向に歩き、丁字路を右折、少し広い道の手前の路地を左折約100mにある。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
式外村社々地東西九間三尺南北十七間面積百六十二坪本村西北の方に有り、
祭神左馬頭源義朝、勧請年月詳らかならず。
(神奈川県皇国地誌、相摸國鎌倉郡村誌 50頁)
慶長年代に当地の郷士、清水、鈴木の両氏が勧請したと伝承されている。
元禄二年(1689)に社殿の修復が行われたと記された棟札が保存されている。天保七年五月(1836)に神祇管領占部朝臣良長が京都から参向奉弊し「鯖大明神」の額を奉納した旨を記した棟札も保存されている。
戦後、住宅開発に伴い新旧氏子融和のため、神輿、囃子屋台を新調、例祭時に盛大な神輿渡御が行われている。
祭神は左馬頭源ノ満仲(さばのかみみなもとのみつなか)である。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
境川西側
橋戸の左馬社から歩いて20分弱で境川に架かる中原街道(県道45号線)の新道大橋に至る。
上和田左馬神社は橋を渡りあと350mほどだ。
坂道を上り最初の左折露地に入りT字路にぶつかるところの左手に神社がある。
この丁字路の角には「巡礼街道」案内石柱が建っている。
弘明寺(坂東三十三箇所観音霊場の十四番札所)から星の谷観音(坂東三十三箇所第八番札所)へ至る街道。
鳥居 |
社殿 |
上和田の鎮守で「七サバ参り」の一社、祭神は左馬頭義朝(さまのかみよしとも)だ。
当初は鯖明神社だったが、その後「左馬大明神」、「和田左馬大明神」となり、明治四十二年(1909)に現在の「左馬神社」になったと伝えられている。
境内には三社殿とよばれる社殿があり、天照大神(あまてらすおおみかみ)、神武天皇、須佐之男命(すさのおのみこと)が祭られている。現在の社殿は昭和七年(1932)に再建されたものである。
由緒:
宝暦十四年三月桃園天皇徳川九代将軍家重の代、名主渡辺兵左衛門、小川清右衛門この地に宮を建立、
左馬頭源義朝の霊を勧請し村民の精神道場となるや暫時庶民崇敬の的となり、
文化三年四月三日上和田信法寺14世住職憧与上人、氏子の賛同を得て五穀豊穣の祈願をなしたるや、
其の御神徳の偉大さに武家、一般庶民に深き感銘を与う。
以来五穀豊穣はもとより家内安全の守護神として広く世に伝わり崇敬者多し
新幹線の線路が藤沢街道の下をくぐる露地を道なりに下って”いちょう団地”傍のOKストアにつながる道路の途中にある。
参道の石段の先には石仏(石柱と地蔵尊)、さらに少し先右手には”下和田のケヤキ”として知られている古木がある。
鳥居 |
拝殿 |
本殿 |
下和田の鎮守で「七サバ参り」の一社、祭神は左馬頭義朝(さまのかみよしとも)だ。 左馬神社と表記されるようになったのは近年のことで、それまでは鯖神社と称されていた。 境内にある寛政元年(1789)銘の常夜灯には「鯖大明神」と刻まれている。 梵鐘は第二次世界大戦の折り砲弾の資材として供出させられたが、昭和五十五年(1980)、郷土の平和と住民の繁栄を祈願して再生されたものである。
相鉄「湘南台」駅出入口Gを出て真っ直ぐ進み「湘南台駅入口」交差点で県道467号線を渡り左折、藤沢北警察署入口交差点を右折し真っ直ぐに道がなくなるまで下る。 突き当りを左折して川上方向へ約1kmの高倉中学校の手前のところに七ツ木神社がある。途中には東勝寺もある。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
源義朝を祭る鯖神社の一つで、昔は鯖明神社と呼ばれていたが、明治初年(1868)に地名をとった名前に変更された。 七ツ木神社の境内には、かつて御嶽山、三笠山、八海山の講中が盛んだった頃に造られたと思われる小山がある。
相鉄湘南台駅出入口Gを出て真っ直ぐ進み湘南台駅入口交差点で県道467号線を渡り左折、藤沢北警察署入口交差点を右折し真っ直ぐに道がなくなるまで下る。 突き当りを右折して高架下をくぐり約150mのところに鯖神社がある。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
元禄十五年(1702)当地井上瀬兵衛発起により造立された。 文政九年(1826)改築、昭和八年十月(1933)本殿と拝殿を改築した。明治六年(1873)に村社に列格された。 平成八年(1996)には不審火により社殿焼失し平成九年十月(1997)に再建したが平成十三年三月(2001)に再度不審火により社殿焼失した。 現在の社殿は平成十四年六月(2002)に再建された。
祭神は源義朝、創立は元禄十五年(1702)当地住人井上瀬兵衛により造立される。
祭神源義朝が左馬頭であったことから鯖神社と称する。
文政九年(1826)に再建し、昭和八年氏子中により本殿・拝殿が改築される。
(昭和六十年四月二十五日発刊藤沢史跡めぐり・藤沢文庫刊行会192頁)
ドリームランド方向から県道403号線を辿り俣野観音前交差点の次の交差点で左折、直ぐの脇道に逸れ約50mの左手にある。
鳥居 |
社殿 |
個人所有のもので庭の片隅に佇んでおり、稲荷神社と呼ばれている。
江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」に”左馬明神社 左馬頭義朝の祠なり、神豊社寺”とある。
県道43号線の南鍛冶山交差点から東へ約100m(引地川へ下る道の途中)のところにある。
鳥居 |
社殿 |
神額 |
祭神は源義朝、創立は慶長十六年(1611)頃で、一説に戦国時代に当地で勢力を持っていた石川六人衆、入内嶋・西山・田代・伊沢・佐川・市川によって勧請されたと伝えられている。
始めは左馬頭神社、次に鯖神社と称したが、水害にあった際に佐波神社と再度改められた。(鳥居脇の由来案内による)
・「源義朝を祀る サバ神社 その謎に迫る」(江本好一著 平成12年11月3日発行 星雲社)