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[ 神社探訪: 鶴岡八幡宮 ]
神社探訪: 鶴岡八幡宮 2012/10/18(木) 更新
あらまし

 鶴岡八幡宮は鎌倉を代表する見処として外せない場所だ。源頼朝が造営し鎌倉幕府繁栄の基盤となった古社で、今も残る様々な歴史の一端に触れてみたいなーとブラブラ散歩した。
 行楽に適した季節でもあり、小町通りも真直ぐには歩けないほど人出は多く、修学旅行なのだろうか?、五、六人のグループで行動する小・中学校生たちが多く見られた。
 鶴岡八幡宮は、京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前九年の役で奥州の安部氏を平定した後、康平六年八月(1063)京の石清水八幡宮を鎌倉由比ガ浜郷に勧請し社殿を創建した。 その後、治承四年(1180)源頼朝は鎌倉入りするや由比ガ浜にあった八幡宮(元八幡)を小林郷(現在地)に移した。 建久二年(1191)には武士の守護神の宗社に相応しく上下両宮の現在の姿に整えられた。

【履歴】
・2012/05/24(木) 散策。
・2012/10/15(月) 追加散策(二の鳥居、政子石)。

段葛から表参道へ 

一ノ鳥居


 鎌倉駅東口から東へ抜ける道を進み鎌倉の街を南北に奔る若宮大路に出る。若宮大路で左折して山側の北方へ進む。 途中、すぐに二の鳥居と大きな狛犬が守る道路中央の一段高い直線参道の"段葛"に至る。鶴岡八幡宮はこの約500m続く段葛の終点に建つ三の鳥居の先に鎮座している。
 一方、一の鳥居は若宮大路に出たら右折して海側へ15分ほどひたすら歩いてやっとたどり着くほど離れている。


二ノ鳥居

段葛

三ノ鳥居

 段葛は頼朝の夫人・北条政子が、二代将軍・源頼家を懐妊した時、安産を祈り養和二年三月(1182)に築いた。 段葛は"道の中央に段2檀を築き緑石を兼ねる葛石を並べた一段高い道"と云うもので,段葛の名はこの"段の葛石"にちなんでいる。 造られた当時は由比ガ浜近くの一ノ鳥居まで有ったが,現在は鎌倉駅近くの二ノ鳥居から鶴岡八幡宮近くの三ノ鳥居までの約500mしか残っていない。

源平池と太鼓橋 

 三ノ鳥居を潜ると正面に太鼓橋(赤橋)がある。残念ながらこの橋は現在通行禁止となっているので迂回して進む。 この橋は参道の両側に配置された池"源平池"を繋ぐ水路に架かっており、右手が旗上弁財天社のある源氏池、左手が平家池だ。 昔、源氏池には源氏の旗印の色の白い花のハス、平家池には平家の旗印の赤い花のハスが植えられていたが、現在は混じり合ってしまっている。


太鼓橋

源氏池

八幡宮境内 

 さらに参道を進むと、社務所が右手にあるが、その手前を東西に横切って流鏑馬馬場が奔っている。 流鏑馬馬場は両端を東鳥居、西鳥居で挟まれた約250mの直線参道だ。四月と九月の例大祭には流鏑馬神事の舞台となり、鎌倉時代の狩り装束の射手が疾走する馬上から次々と的を射ぬく様が楽しめる。 流鏑馬馬場を越えたら、まず左手にある手水舎で手を洗い口を滌ぎ身を清めよう。

【手水舎】
 手を洗い口を滌ぎ身を清める施設。
 水盤は寛文七年十二月(1667)に当時の八幡宮修造奉行だった玉縄藩主松平隆綱が奉納したものである。
【舞殿(下拝殿)】

 流鏑馬馬場を過ぎると参道正面に舞殿がある。
 舞殿は、本宮下の石段前に建つ建久四年二月(1193)建造の入母屋造りの建物だ。江戸時代には神楽所と云われていた。かって舞いの名手で、源義経の愛人だった静御前の悲しい逸話が残っている。
 吉野山で捕らえられた静御前は、源頼朝に舞を命ぜられ、
「吉野山みねのしら雪踏み分けていりにし人の跡ぞ悲しき」
と義経を慕う歌を詠み舞った。これが頼朝の怒りをかい、義経の子と自らの命を失ったと云う。
【本宮】

 舞殿の先にある六十一段の石段上に鎮座。
 建久二年(1191)に御社殿が焼失した際に上宮として本宮を、下宮として若宮の御社殿を建立する事となり、その際本宮には改めて石清水八幡宮より御神霊を迎えている。さらに、本宮は文政四年に焼失するが、文政十一年に徳川十一代将軍家斉により再建された。
 社殿背後の山は標高約50mの大臣山で立ち入り禁止となっている。
【若宮】

 舞殿の右横に鎮座。
 現在の下宮(若宮)は、寛永元年(1624)徳川二代将軍秀忠によって建て替えられたもの。
【大銀杏】

 大銀杏は平成二十二年三月十日の朝方春の嵐で倒壊してしまった。このため現在は、根っこのみ植え直しし、新芽が出て成長するのを見守っている段階だ。
【鎌倉(尋常小学読本唱歌)より】
 上るや石の きざはしの 左に高き 大銀杏(おおいちょう)
 問わばや遠き 世々の跡
  (作詞:芳賀矢一、作曲:不詳)
【鶴亀石】

 「相模国風土記稿に"水をもって石面を洗う時は鶴亀の紋様が輝き現れる"と記され、大変めでたい石である」
(立札より)
【由比若宮遥拝所】

 
 材木座にある八幡宮の元宮である由比若宮を鶴岡八幡宮境内より参拝する為の拝所として設置されているのが由比若宮遥拝所である。
 由比若宮は源頼朝により遷座される以前の八幡宮で、元八幡と呼ばれており、その境内には源義家の旗立の松が残されている。

旗上弁天社 

 源氏池に浮かぶ島に旗上弁天社がある。


参道橋

旗上辨天社

水盤

「奉納−参道敷石」碑
政子石
政子石

 源頼朝の旗挙げに家運長久の守護神として弁財天が現れ霊験があったと伝えられ、旗上弁財天社は、北条政子が建立したものとも伝わっている。
 弁財天は仏教の守護神であることから、明治の廃仏毀釈で破壊されたが、昭和31年に再興され、現在の社殿は、鶴岡八幡宮創建八百年にあたる昭和五十五年に、文政年間の古図をもとに復元された。
 参道や島には、奉納された源氏の二引の白旗が並べられ、鎌倉・江ノ島七福神の一つに数えられている。 また、社殿の裏には「政子石」とも「姫石」とも呼ばれる夫婦円満と子宝祈願の陰陽石が安置されている。

丸山稲荷社 



 本宮西側の小高い丘に鎮座する地主神で、建久二年(1191)に創建された。
 『新編鎌倉志』には、「本社の地に、初は稲荷の社ありしを、建久年中、頼朝卿稲荷の社を此山に移して今の本社を剏建せらる」とあり、御本宮御創建以前よりの鎮座の社といわれる。 現在の御社殿は室町中期の様式「一間社流見世棚造」で、鶴岡八幡宮では最古の建造物であると推定されている。


白旗神社 

 本宮の東側の木立の中にひっそりと佇む古社で、正治二年(1200)に二代将軍源頼家が父頼朝の霊を祀るため建立した。


鳥居

社殿

手水舎

 拝殿は車寄せ風の唐破風造りで、社殿は黒漆塗極彩色が施され「武衛殿」と呼ばれた。 手水舎の水盤には蓮華座のある基礎石が使われ、下部には蓮の彫刻が施されている。

祖霊社 



 神道により、氏子崇敬者の英霊をはじめ祖先の霊を祀っている。昭和24年に創建された。


参考文献

・「熟年 鎌倉ゆとりの旅」 ....ブルーガイド編集部 (実業之日本社)
・「鎌倉史跡散策(上,下)」....神谷道倫 (かまくら春秋社)

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