JR京都駅からJR奈良線に乗り、三つ目の「稲荷」駅で下車すると目の前に稲荷大社の大きな一の鳥居が建っている。
稲荷大社の鎮座は和銅四年(711)とされ、全国各地に祀られている稲荷神社の総本宮である。
古くは食物・蚕桑あるいは諸願成就の神とされたが、中世から近世にかけて商業神・屋敷神へとご神徳も拡大している。
本殿(重文)は明応八年(1499)の再興で、権殿のほか摂末社も多い。
稲荷山の神蹟を巡拝する"お山巡り"は約4キロ、参道にある数千本の鳥居は偉観で、最近は外國人にも人気がある。
施設: 伏見稲荷大社
住所: 京都市伏見区深草藪之内町68
アクセス: JR奈良線「稲荷」駅下車、すぐ。
京阪電鉄「伏見稲荷」駅下車、徒歩約5分(此方の方が電車の本数が多く便利)
備考:
【履歴】
・2014/10/26(日): 09/30(火)探訪
一の鳥居(台輪鳥居) |
二の鳥居(台輪鳥居) |
JR奈良線「稲荷」駅で下車すると道路を隔てて伏見稲荷大社の赤い一の鳥居が聳え建っている。
一の鳥居を潜ると真っ直ぐに参道が続いており、150mほど先に二の鳥居、更にその先には楼門がある。
電車の便数から言うと京阪電鉄を利用し「伏見稲荷」駅からアクセスした方が便利だ。
この場合、裏参道を通り二の鳥居と楼門の中程に至る。
以前の楼門は応仁の乱により焼失し、現存のものは再建に尽力した秀吉の寄進によるものらしい。
舞殿 |
楼門を潜ると真正面に外拝殿が建っている。楼門と同時期に造営され、天保十一年(1840)に改築された。 外拝殿の軒先には鉄製の12基の釣り灯籠が下がり、黄道十二宮の星座を表した意匠が施されている。
内拝殿(神饌所) |
外拝殿の奥に内拝殿(神饌所)が建っており、更に拝殿の奥に本殿が建てられている。
本殿は、応仁の乱で消失した後、明応八年(1499)に再建されている。
明治十五年(1882)に能楽殿として建造された。神楽殿では、祈祷に訪れた人々のために毎日のように神楽が奉納されている。
奥宮 |
稲荷山御神蹟参拝入口 |
奥宮の祭神は、稲荷大神。明応期の造営にかかり「上御殿」、または扉が三戸前のところから「三社殿」ともいわれている。下社・中社・上社の三社別殿の制当時の、上社または上社に深い由緒を持つ社だと考えられているそうだ。
「本殿」の左手奥側に本殿造営の時に祭神を一時移し祀る「権殿(かりどの)」が建っており、権殿の横から稲荷山の方へ登る石段がある。
この石段を上ると「稲荷山御神蹟参拝」(一般には「お山めぐり」とも呼ばれている)の始まりになる。
大社後方の稲荷山は伏見稲荷大社創始の霊地として今も崇敬をあつめており、稲荷山中に祀られている数多くの社、神蹟を巡り、お詣りする御神蹟参拝者は多い。
奥社奉拝所(奥の院) |
千本鳥居 |
参拝入口から続く大きな鳥居の列を潜りながら登ると奥社奉拝所(奥の院)がある。
ここには、灯籠の前で願い事を念じて、頭の上の丸い石を持ち上げ、予想より軽かれば願いが叶い、重ければ叶わないと言われている不思議な「おもかる石」がある。
奥の院から先の参道が、いよいよ有名な千本鳥居である。願い事が「通る」または「通った」お礼の意味から、鳥居を奉納する習慣が江戸時代以降に広がり、その結果「千本鳥居」が生まれたそうだ。
参道は右と左に別れ道になっているが、どちらも同じ奥社奉拝所に行き着く。奉納されている赤い鳥居は安いものでも17万円以上する。これが数千本余もあるのだから圧倒される。
霊魂社 |
藤尾社 |
熊野社 |
伏見稲荷大社の末社/霊魂社・藤尾社・熊野社が参道途中左手にある。
霊魂社は物故した当大社職員ならびに特別崇敬者の霊を合祀する。藤尾社は舎人(トネリ)親王を祀る。熊野社は伊邪那美(イザナミ)大神を祀る。
今回の訪問では三ツ辻の手前の分かれ道ところで登るのを止め、裏参道を経て下った。半日ほど時間を取って再訪したい。