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[ 神戸探訪: 三宮 ]
神戸探訪: 三宮 2012/10/11(木) 作成
探訪案内

 京都に出掛けたついでに神戸/三宮まで足を延ばし、従妹に案内を頼み駅近傍の神社を巡った。
 JR三宮駅で待ち合わせ、北野から元町を通り再び三宮駅に戻るほぼ半日の散策になった。
■JR三宮駅 → 生田神社一宮神社北野町広場風見鶏の館北野天満神社異人館
 → 諏訪神社四宮神社元町界隈にて三宮神社 → JR三宮駅

・履歴: 2012/09/28探訪。


生田神社 神戸市中央区下山手通1丁目2−1

 三宮は京都からだと新快速で約50分と意外と近い。JR三宮駅で下車し、北西へ徒歩5分で生田神社に到着。


鳥居

楼門

拝殿

 摂政元年(201)に創建されたと伝えられる。
 祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)で、稚く瑞々しい日の女神様であり、伊勢神宮に祀られる天照皇大神の御幼名とも伝えられている。
 神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港にて船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現われ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ」と日本書紀に記載がある。 さらに日本書紀には同じ年、天照大神の荒魂を広田神社(西宮市)、事代主神を長田神社(神戸市長田区)に祀ったと書かれている。
 創建当初は布引山(砂山・いさごやま)に祀られていたが、延暦十八年4月9日(799)の大洪水により布引山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、現在の生田の森に移転したと伝えられている。


標柱: 歌碑

道標:「右 兵庫播磨道」

歌碑:

歌碑:「復興を 称へて長き 御慶かな」

 生田神社拝殿の背後には楠で覆われた生田の森が広がり、昔は生田川まで広がる大きな森であったと云われ、枕草子、平家物語、源平の合戦など歴史の舞台となった。
 源平一ノ谷合戦の際には、平家軍がこの生田の森を東の城戸として、生田川に逆茂木(さかもぎ)を並べて陣を張り、平(たいらの)知盛(とももり)を大将として源氏の範頼(のりより)軍を迎え撃ったと云われている。


一宮神社 神戸市中央区山本通1丁目3-5

 まずは北野坂へ向かう。北野坂に出ると修学旅行中と思われる女学生のグループがいた。北野の異人館見学の帰りのようだ。途中、一路右手の路に進路を変え山側へ向かうと一宮神社の鳥居が建っている。




 神功皇后が三韓からの帰途巡拝された一社で、創建年代は不詳だが、一説には推定四世紀初頭とも言われており、生田神社の裔神八社(えいしんはちしゃ)の一社である。 祭神は田心姫命。
 往時は元の生田川の西の丘、現在の地に今の境内より広い神域に、鬱蒼と茂る松の大木に囲まれ鎮座していたと云う。


北野町広場 




 再び北野坂に戻り、坂を上りつめ北野通りに突き当たると少し細くなった道をさらに上る。 路の両側にはみやげ店が軒を並べていて、あちこちと観光客がたむろしている。 急な階段を上がると異人館街のシンボル「風見鶏の館」が隣接する北野町広場に到着する。
 西には「萌黄の館」が建ち、北には「北野天満神社」がある。 また、広場にはブロンズのオブジェが配せられ若い連れが写真を撮っている。東側には観光案内所や市民トイレ、食事処が入る北野コアハウスがある。 広場からは神戸市街地が望める。

 丁度昼時になったので、北野コアハウスにあるスペイン風オムレツのお店「風見鶏のタマゴ」で昼食を摂ることにした。 「カレーにしようかな?」と呟くとウェートレスさんが「辛口ですよ!」と言うので、諦めてシーフードのオムレツにした。 小鉢のサラダが付き、飲み物が選べるのでアイスコーヒーを頼んだ。頃合いの味付けで美味しかった。暫く駄弁った後散策を再開した。


風見鶏の館 神戸市中央区北野町3-13-3

 今回の旅は神社巡りなので館の中には入らず、外から眺めるだけだ。




 明治四十二年(1909)ドイツ人建築家デ・ラマンデ氏の設計によりドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマスの自邸として建築された。北野・山本地区では唯一の煉瓦外壁の建物で、昭和五十三年に国の重要文化財に指定されている。 1977年NHKの朝ドラ「風見鶏」の舞台として取り上げられ一躍全国に知れわたった処だ。


北野天満神社 神戸市中央区北野町3-12

 広場の山側にある北野天満神社を参拝する。





 北野天満神社は、霊顕あらたかな学問の神様である菅原道真公をお祀りする由緒ある神社だ。
 社伝によると、福原遷都に際して平清盛の命を受けた大納言五条邦綱が、新しい都の鬼門鎮護のために京都の北野天満宮を勧請して社殿を造営し、僧信海に管理させたのが当社のはじめと伝えられている。 治承四年(1180)のことだという。


階段途中左手の白い牛

手水舎の鯉「叶い鯉」

 手水舎の鯉「叶い鯉」は水をかけて祈願すると”恋”が叶うと云われ、恋愛成就のパワースポットとして人気を集めているそうだ。


異人館 神戸市中央区北野町

外国人倶楽部




 異人館を外から観て巡るが、長崎や横浜の異人館のほうが趣があり立派に感じた。


諏訪神社 神戸市中央区諏訪山町5-1

 北野町広場の山側の道を諏訪神社がある西の方へ向かう。手元の地図では浄福寺の先に「青龍神社」があるとあったが、探しても見当たらなかった。ウロウロしていると十五年この地に住むという外人さんに声を掛けられたので「青龍神社を探しています。この近くなのですがご存じないでしょうか?」と聞いたが「この辺りには無いよ」と言われた。 その後、少しだけ追加で探すが収穫なし。地図が古すぎたようだ。
 気を改め諏訪山公園にある諏訪神社へ足を進める。公園下から参道が続いているが長い登りの坂道だった。





 諏訪神社は仁徳天皇の皇后である八田皇后の離宮鎮護神として鎮斎されたとされている。 生田神社と長田神社の中間に位置することから、古くは中宮と称されていた。1182年頃の治承・寿永の乱(源平合戦)のおりに源義経が武運を祈ったという伝えが残っている。


 「ふぅふぅ」言いながら上り大汗をかいたので景観を楽しみながら暫く休憩...。木立の間に神戸の街並みと大阪湾が望める。


四宮神社 神戸市中央区中山手通5丁目2-13

 ここからは一路元町へ向かって下るのみだ。見回り中と思われるお巡りさんが横断歩道でない所で道を渡っていたので私たちも真似をする。途中にある四宮神社を参拝する。




 創建年月は不明。神功皇后が摂政元年二月の三韓征伐の帰途、神託を受け活田(いくた/生田)の神を長狭の国に祀った際に、同国ハヵ所に鎮座する神々を東から順に巡拝した一社として「四の御前の神」と名付けた。 祭神は天照皇大御神が素盞鳴尊と誓約(うけい)をされた際に産れた五男三女神の一柱市杵島姫命、七福神の一柱といわれている弁財天を祀っている。 広島県の安芸の宮島の厳島神社から勧請されたとあるが、宗像三神を祀る宗像神社とも関係があるようだ。 其の後、永禄年間、摂津の武将荒木村重が織田信長の命令で花熊(隈)城を築くや、その鬼門鎮護の神に定められ、城主より幣帛が捧げられた。 天正ハ年七月二日、花熊城の落城により戦火を受けたが、安政元年九月現在地に移転。再建され鬼門鎮護、福徳円満、文学芸能の唯一の神として、特に芸能人、文化人の崇敬が篤く、「花隈芸者の名付けの神」として知られている。


元町界隈にて 

県警本部脇
狛犬さん

神戸生田中学校塀の記念プレート

南京町にて
布袋像と長安門

 四宮神社参拝の後は県警本部の南側の一角に市街地整理の際に集められたと思われる石塔や石仏を訪ねる。ここにも狛犬の片割れ(写真)があった。
 さらに南下すると生田中学校があり、線路沿いの道に面した塀に二つの学校発祥の地の記念プレートが並んで掲げられていた。
 お巡りさんがあちこちに立っているのを不思議がりながらJRの線路下を潜り南京町の中華街へ向かった。


三宮神社 神戸市中央区三宮町2-4-4

 南京町の中華街をぶらついた後は今回の散策の最後に大丸神戸店のすぐ傍にある三宮神社を参拝する。 そしてJR三宮駅に戻り、お茶して散会...。


拝殿

手水舎


 社伝によると三韓征伐からの帰途に神功皇后が巡拝された神社だと云われ、旧八部郡神戸村の鎮守社である。
 三宮神社は明治元年(1868)の神戸事件の発生地としても知られている。 また、生田の森の戦で源氏の先陣を切って戦死した太郎・次郎兄弟を祀った河原霊社がある。


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