事事関心! 神社探訪:
[ 東京都荒川区 ]
東京都荒川区                2016/01/06(水)更新
案内

 東京都荒川区にある神社の参拝録。第一回(2015/01/05)は谷中七福神巡りのついでに西日暮里駅傍の諏方神社に足を延ばした。
 第二回目(10/21)は南千住の日光街道沿いを歩いてみた。年が明け第3回目(2016/01/04)は浅草名所七福神巡りで石浜神社を訪れた。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 諏方神社 荒川区西日暮里3-4-8 2015/01/05 
 02 日枝神社 荒川区南千住7-23-18 2015/10/21 
 03 熊野神社 荒川区南千住6-70 2015/10/21 
 04 素戔雄神社 荒川区南千住6-60-1 2015/10/21 
 05 若宮八幡神社 荒川区南千住6-35 2015/10/21 
 06 石浜神社 荒川区南千住3-28-58 2016/01/04 

【履歴】
・2015/01/05(月): 01/05諏方神社参拝。
・2015/10/23(金): 10/21(水)南千住を探訪

諏方神社 荒川区西日暮里3-4-8

 JR山手線「西日暮里」駅で下車、隣接する諏訪台の丘に鎮座している。


表参道口鳥居(明神鳥居)

拝殿

神額「諏方神社」

 元久二年(1205)に豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社の建御名方命を奉還し、産土神としたのが始まりとされている。 文安年間(1444-1449)には、太田道灌が神領を寄進、徳川時代にも神領を賜わり、寛永十二年(1635)に社殿を現在の地に遷した。 日暮里・谷中の総鎮守の総鎮守として厚く崇敬を集めたという。
 祭神は建御名方命 。


境内社: 末廣稲荷神社・銭降稲荷神社

境内社: 三峰神社

境内社: 三宝荒神社


日枝神社 荒川区南千住7-23-18

 JR常磐線「南千住」駅で下車、西口より正面右手の道を北へ向かう。500m程先正面に鎮座している。(徒歩約8分)


鳥居

社号標

社殿

 日枝神社は、正和五年(1316)に創建されたと伝えられている。江戸時代には千住宿中村町の鎮守となっていた。 境内には歯神清兵衛を祀った山王清兵衛稲荷がある。
 祭神は大山咋神。


熊野神社 荒川区南千住6-70

 日枝神社の脇で西へ折れ、130mほど進むと日光街道にぶつかる。街道を横断歩道があるので横切ると、歩道先に脇道が伸びている。 この歩道先30mほどのところに鎮座している。(駅から徒歩約10分)




 創建は永承五年(1050)、八幡太郎源義家が千住に滞陣したときその後陣を隅田川南岸に残したといわれる位置に祭られた。
 大橋を荒川(現隅田川)にかける時、奉行伊奈備前守は当社に成就を祈願。 文禄三年(1594)橋の完成にあたり、その残材で社殿の修理を行った。 以後、大橋の架け替えごとの祈願と社殿修理が慣例となったと云う。
 なお、正門は常に施錠されているそうだ。


素戔雄神社 荒川区南千住6-60-1

 JR常磐線「南千住」駅で下車、西口より正面左手を奔る南千住駅前通り(都道464号線)を北へ向かう。 約500mほど先で日光街道(国道4号線)に当たるが、交差点の向かい側に鎮座している。




 この神社は南千住の大部分のみならず三ノ輪、三河島、町屋もその氏子にしている浅草以北では屈指の神社である。





 延暦十四年(795)素盞雄命と事代主命が顕れこれを祀ったのが始まりとされ実に1200年強の歴史を有する神社である。
 素盞雄命は仏教で言う牛頭天王に習合していたのでこのことから「天王さま」と呼ばれることになった。 一方孫の事代主命は飛鳥明神ともされ江戸時代には二つの社とされていた。




 境内中央にある瑞光石がこの神社の本来のご神体で、この石が光を放ち、そこに素盞雄命が翁の姿で降臨されたと言う。 そこでその光にちなんでこの名「瑞光石」がつけられた。
 中央の写真はその瑞光石が祭られている区画の入り口である。鳥居の両側に天王社と飛鳥社の提灯が掲げられている。
 この瑞光石のある場所は塚で、現在その周囲は築山になっている。 富士信仰の拠り所とされたため江戸末期にはその頂に浅間神社が祀られ合わせてその周りを玉垣で区切り現在境内の聖域となっている。





若宮八幡神社 荒川区南千住6-35

 JR常磐線「南千住」駅で下車、西口より正面左手を奔る南千住駅前通り(都道464号線)を北へ向かう。 約500mほど先で日光街道(国道4号線)に当たる。交差点を渡り素戔雄神社の左手にある脇道に折れ、200mほど先で右折する。 さらに100m先で左折し進むと150mほど先左手の公園に鎮座している。


鳥居(明神鳥居)

拝殿

 平安時代、奥州攻めに向かう八幡太郎義家(源義家)が、荒川の「渡裸川の渡し」を渡る際、目印に白幡を立てたとも伝える。 足立区千住仲町の八幡神社(白幡八幡)は、この白幡が納められた神社という言い伝えを持ち、この付近が古くから渡河地点であったことが推測される。
 婦人の病に効験があるとされ、祈願して治った時には二股大根を描いた絵馬を奉納するという。 近隣の崇敬を受け、平成十四年に社殿の新造営が行われた。なお、元和二年(1615)から明治四十一年(1908)までは千住仲町の氷川神社に合祀されていた。
 若宮八幡の名のとおり仁徳天皇を祭神とする。


拝殿向拝の彫物

拝殿向拝側面の彫物

拝殿向拝側面の彫物

 拝殿向拝彫物は、市川市香取に鎮座する香取(かんどり)神社のと同じだ。 「大蛇退治」、素戔鳴尊と後方で祈っているのは櫛名田比売。


石浜神社 荒川区南千住3-28-58

 東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅にて下車、明治通りを東へ向かい、隅田川手前の「白髭橋西詰」交差点で左折すると100mほど先左手に鎮座している。


鳥居(明神鳥居)

拝殿

神額「石濱神社」

 石浜神社は、神亀元年(724)聖武天皇の命により創建したと伝えられる古社。 源頼朝が藤原泰衡討伐の折に当社に祈願、大勝したことから社殿を造営されたと云う。
 祭神は天照大神、豊受姫神。
 浅草七福神の寿老神も祀っている。


招来稲荷社・白狐祠・富士仰拝所

 招来稲荷社−ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられた。
 白狐祠−江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむもの。
 富士仰拝所−宝暦八年(1758)の建立。当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つ。


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