東京都文京区にある神社の参拝歴をまとめた。 第一回(2013/03/13)は湯島天神参拝のついでに足を延ばした妻恋神社、第二回目(2014/11/12)はJR山手線「駒込」駅から本郷通沿いに東京メトロ「白山」駅までを探索した。 そして、久々の探訪(2019/03/13)は関口と小日向界隈だ。2021/03/10護国寺を観に出かけた際、傍にある吹上稲荷神社へ参拝した。
NO. | 神社 | 住所 | 参拝年月 | メモ |
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01 | 妻恋神社 | 文京区湯島3-2-6 | 2013/03/13 | 神田明神参拝から足を延ばす |
02 | 駒込富士神社 | 文京区本駒込5-7-20 | 2014/11/12 | JR山手線「駒込」駅 |
03 | 天祖神社 | 文京区本駒込3-40 | 2014/11/12 | JR山手線「駒込」駅 |
04 | 白山神社 | 文京区白山5-31-26 | 2014/11/12 | 都営三田線「白山」駅 |
05 | 金刀比羅宮 東京分社 | 文京区本郷1-5-11 | 2014/11/12 | 都営三田線「水道橋」駅 |
06 | 根津神社 | 文京区根津1-28-9 | 2015/03/11 | 東京メトロ南北線「東大前」駅 |
07 | 櫻木神社 | 文京区本郷4-3-1 | 2015/03/11 | 都営大江戸線「本郷三丁目」駅 |
08 | 湯島天満宮 | 文京区湯島3-30-1 | 2015/03/11 | 都営大江戸線「上野広小路」駅 |
09 | 関口水神社 | 文京区目白台1-1-9 | 2019/03/13 | 東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅 |
10 | 正八幡神社 | 文京区関口2-3-21 | 2019/03/13 | 東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅 |
11 | 音羽今宮神社 | 文京区音羽1-4-4 | 2019/03/13 | 東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅 |
12 | 小日向神社 | 文京区小日向2-16-6 | 2019/03/13 | 東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅 |
13 | 小石川大神宮 | 文京区小石川2-5-7 | 2020/06/06 | 都営大江戸線「春日」駅 |
14 | 牛天神北野神社 | 文京区春日1-5-2 | 2020/06/06 | 都営大江戸線「春日」駅 |
15 | 太田神社 | 文京区春日1-5-2 | 2020/06/06 | (北野神社境内) |
16 | 小石川諏訪神社 | 文京区後楽2-18-18 | 2020/06/06 | 都営大江戸線「春日」駅 |
17 | 吹上稲荷神社 | 文京区大塚5-21-11 | 2021/03/10 | 東京メトロ有楽町線「護国寺」駅 |
【履歴】
・2021/03/10(水): 更新(03/10吹上稲荷神社を探訪)。 ・2015/03/13(金): 更新(本郷界隈を探訪)。
・2020/06/07(日): 更新(06/06小石川界隈を探訪)。 ・2014/11/13(木): 更新。
・2019/03/13(水): 更新(関口・小日向界隈を探訪)。 ・2013/03/15(金): 3/13妻恋神社参拝。
JR中央本線「御茶ノ水」駅で下車、聖口出口より聖橋を渡り本郷通りを北上する。 「湯島聖堂前」交差点、「清水坂下」交差点を過ぎ清水坂を上り最初の右路地(妻恋坂)に折れるとすぐ左手に鳥居が建っている。(徒歩8分)
鳥居(八幡鳥居型) |
社殿 |
神額「妻恋神社」 |
創建年代は不詳。日本武尊の東征のおり、三浦半島から房総へ渡るとき、大暴風雨に会い、妃の弟橘姫が身を海に投げて海神を鎮め、尊の一行を救ったことを慕い、妻恋神社として創建したと云う。
その後、旧湯島天神町から現在地に遷移した。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)。
妻恋稲荷神社 |
境内社の妻恋稲荷神社は、関東総司・妻恋稲荷として有名で、江戸時代には王子稲荷と並んで多くの参詣者を集めたと云う。
特に正月2日に枕の下に敷いて寝るとよい初夢(一富士二鷹三茄子のいずれか)が見られるという縁起物の「夢枕」はよく知られている。
「福寿鶴亀」と「七福神の乗合宝船」の版画で、万治年間(1658〜61)の創案という。
祭神は稲荷明神の倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。
JR山手線「駒込」駅より本郷通りを南下(約500m)、「富士神社入口」交差点で左折すると30mほど先左手に鎮座している。(徒歩8分)
鳥居(明神鳥居型) |
仰拝所と二の鳥居 |
社殿 |
神額「富士神社」 |
天正元年(1573)本郷村の名主が現在の東京大学の地に駿河の富士浅間社を勧請したことに始まる。
寛永五年(1628)加賀前田家が上屋敷をその地に賜るにあたり、浅間社を現在地に移した。
拝殿は富士山に見立てた山の上にあり、江戸期の富士信仰の拠点の一つとなった。
「一富士、二鷹、三なすび」という古川柳があるが、これは、一富士は富士神社、二鷹は付近の鷹匠屋敷、三なすびは良質のなすびが駒込で採れたことから詠まれたと云われている。
JR山手線「駒込」駅より本郷通りを南下(約500m)、「富士神社入口」交差点で左折。富士神社の前の道を東へ向かうが五番目の右手脇道に折れるとある。(徒歩12分)。
表参道鳥居(靖国鳥居型) |
社号標 |
拝殿 |
創建は、伝承によると文治五年(1189)。源頼朝が、奥州・藤原泰衡追討の際、この地に立ち寄り、夢のお告げで松の枝に伊勢神宮のお札(大麻)が掛かっているのを見つけた。頼朝はこれを吉兆と喜び、この地に神明を祀ったという。
お札が掛かっていた木は、神木として崇められた。この木は記録によると幹回りが4尺もある大木であったという。
その後、いつしか神社を守る人もなく、神木の根元に小さな祠が残るのみとなったが、1650年頃、堀丹後守利直によって再興された。
神木は享保年間(1716-36)に枯れたという。
再興以後は、明治に入るまで"駒込神明宮"として地域の信仰を集め、明治に入ってから"天祖神社"と改称し、現在に至っている。
太平洋戦争時の空襲により残らず消失したが、昭和29年新築した。
天照大御神を祀る。
舞殿 |
神輿庫 |
御神木 |
三社合祭社 |
都営地下鉄三田線「白山」駅より徒歩3分。
鳥居(明神鳥居型) |
拝殿 |
神額「白山神社」 |
創開は古く、天暦年間(947〜957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したと伝えられる。
後に元和年間(1615〜1624)に2代将軍秀忠の命で、巣鴨原(現在の小石川植物園内)に移ったが、その後五代将軍職につく前の館林候綱吉の屋敷造営のため、明暦元年(1655)現在地に再度移った。
この縁で綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けたと云う。
菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冊命を祀る。
都営地下鉄三田線「水道橋」駅A1出口から徒歩1分。
鳥居(春日鳥居型) |
拝殿 |
神額「讃岐 金刀比羅宮 東京分社」 |
下板橋宿の板橋市左衛門が所有地内に金毘羅大権現を観請した。
明治十三年(1880)無格社「金刀比羅神社」として公認された。
昭和三十年代になり、現社地に金比羅宮直轄境外末社・東京分社として再興することになった。
ここは、高松藩松平家上屋敷の邸内社として寛政五年(1973)に歓請された金刀比羅宮が祀られていた場所である。
祭神は大物主命、倉稲魂命。
東京メトロ千代田線「根津」駅にて下車。不忍池通りを北へ向かい、「根津神社入口」交差点で左折する。(徒歩5分)
表参道鳥居() |
楼門【重文】 |
今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座した。
祭神は須佐之男命・大山咋命・誉田別命の三神。
楼門も重要文化財だ。楼門には2体の随身像がある。正面左側の随身は、第5代将軍・徳川家綱公、右側は水戸光圀公がモデルと伝えられている。
唐門【重文】 |
西門と透塀【重文】 |
神楽殿 |
唐門は、江戸中期の宝永三年(1706)社殿、唐門、透塀・楼門等一体で建造され、一間一戸の銅瓦葺平唐門である。
透塀は、重文指定では唐門と楼門のところで分離されているとして3棟の指定となっている。
神楽殿は明治時代の建造物のようだ。
乙女稲荷神社 |
青銅灯篭【重文】 |
乙女稲荷は根津神社が当地に遷座した宝永三年(1706)以降に創建され、現在の社殿は昭和三十一年築である。
乙女稲荷の名は女人の厄年(19歳)に参拝するとよいとのことから近代以降に定着した名前で、江戸時代までは「穴稲荷」と呼ばれていた。
「青銅灯篭」:社殿前に一対【重文】、藤堂和泉守高敏の奉納だ。藤堂高敏は伊勢国津藩第五代藩主で、築城の名手・藤堂高虎の子孫である。
都営地下鉄大江戸線「本郷三丁目」駅下車、徒歩2分。春日通り沿いにある。
鳥居(型) |
拝殿 |
文明年間(1469‐1487) 太田道灌が江戸城を築城の際、城内に北野天神を勧請、創建したと云われている。 二代将軍徳川秀忠の代に旧櫻の馬場の地へ遷座、元禄三年(1690)その地に昌平坂学問所が設立されることになったため当地へ遷座した。
JR山手線「御徒町」駅で下車し、北口から春日通りを本郷方向に徒歩8分ほど。
表鳥居(明神鳥居型) |
男坂鳥居(靖国鳥居型) |
夫婦坂参道 |
表鳥居は銅製で、寛文七年(1667),同八年の刻銘があり、この時期に寄進された物だ。 数度の修理を重ねて維持されてきたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なもので、昭和四十五年八月に東京都指定有形文化財に指定された。
社殿(拝殿) |
社殿(本殿) |
湯島天神は五世紀中頃、元々この地の神だった天之手力雄命(たじからおのみこと)を祀ったのが始まりとされている。 天之手力雄命は神話の中で天照大神(あまてらすおおみかみ)が隠れてしまった天岩戸を開いて天照大神の手を取り引き出した神だ。 これらの神々は天上にいるので「天神(てんじん)」と呼ばれていた。 後に土地の人々が、同じく「天神さま」と呼ばれた菅原道真公を祀りはじめ、江戸時代に入り益々信仰を集めるようになり、湯島天神は「湯島天満宮」と呼ばれるようになった。
表鳥居の細工 |
奇縁氷人石 |
筆塚 |
奇縁氷人石(きえんひょうじんせき): この石柱の右側には「たつぬるかた」、左側には「をしふるかた」と記されている。
これは迷子が出た時、子の名を書いた紙を右側に貼って探し、迷子がいた時、その子の特徴を書いた紙を左側に貼って知らせた「迷子しらせ石標」の名残りである。
筆 塚 : 「婦系図」の作者である泉 鏡花の「筆塚」は、昭和十七年、里見 惇、久保田万太郎、岩田藤七らによって建てられた。
東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅にて下車、1a出入口より目白通りの江戸川橋を渡り直ぐの「江戸川公園前」交差点で左手「江戸川公園」に入り神田川沿いの道を進み、公園を抜け更に進むと駒塚橋右手に鎮座している。
関口という地名は、神田上水の堰を設けたので、その名が起こったと言われている。
関口水神は、創建の年代は不詳であるが、「江戸妙子」には「上水明けてより関口水門の守護神なり。」とある。
伝えによれば、水神様が八幡宮社司の夢枕に立ち、「我水伯(水神)なり、我をこの池に祀らば堰の守護神となり、村民を始め、江戸町ことごとく安泰なり。」と告げたので、ここに水神様を祭ったと云われている。
速秋津比古命、速秋津比賣命を祀る。
東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅にて下車、1a出入口より目白通りの江戸川橋を渡り直ぐの「江戸川公園前」交差点で左手側道に折れ、道なりに坂道を上ると200mほど先右手に鎮座している。
關口町の目白坂中腹にあり、祭神は譽田別尊である。その由緒は不明であるが、江戸時代には洞雲寺の所管で、水神社相殿の八幡社の下の宮に對して、上の宮と呼ばれて居た。明治五年村社に列せられた。
現在の社殿並に石玉垣は、昭和12年5月に新築したものである。
東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅にて下車、1a出入口より目白通りの江戸川橋を渡り直ぐの「江戸川公園前」交差点で右手へ折れ、すぐ先の左手側道に折れ、道なりに進むと200mほど先右手に鎮座している。
元禄十年(1697)十月徳川五代将軍綱吉、犬公方の御生母桂昌院殿の発願により、護国寺御建立の時、同所に京都柴野今宮神社より御分霊を迎えて鎮座した。明治元年の神仏分離により明治六年七月音羽九丁目の現在地に遷座した。
五社今宮とは、伊勢神宮・今宮神社・春日大社・岩清水八幡神社・熊野大社を示している。
大東亜戦争のさい帝都大空襲により手水舎を残して全建物を焼失、昭和二十五年社殿・社務所を新築し現在に至る。
天日鷲神社 |
扁額「天日鷲神社」 |
境内末社・天日鷲神社は、明治九年阿波国忌部神社より音羽の紙漉家一同によって建立された。十一月の酉の日には、商売繁盛の熊手を授与している。
東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅にて下車、1a出入口より目白通りの江戸川橋を渡り直ぐの「江戸川公園前」交差点で右手へ折れ、「小日向神社入口」交差点で左手側道に折れ、坂道を上ると100mほど先左手に鎮座している。
小日向水道町服部坂の中腹に鎮座している。
創建は明治二年で、水道町日輪寺境内の氷川社と音羽裏の田中八幡とを今の場所に移し、合祀して地名を取り社名としたものである。
素戔嗚尊、譽田別尊、櫛稲田姫命、大巳貴命を祀る。
社殿の右側に境内社・秋葉稲荷神社が鎮座している。
都営地下鉄大江戸線「春日」駅6番出口から春日通を西方向へ徒歩3分、新仮殿に移設中。令和二年九月には新社殿に遷移予定。
小石川大神宮は、天照皇大神を永久に奉斎するために、伊勢神宮より皇大御神の別大麻たる特別御神璽(おほみしるし)を奉戴している神社である。
天照皇大神を祀る。
都営地下鉄大江戸線「春日」駅6番出口から春日通を西方向へ進み「豊坂上」信号で南側の路地に折れ進むとある。
全国の天神さまで見かける撫で石(撫で牛)発祥の地で、源頼朝が腰掛けた撫で石がある神社である。
元暦元年(1184)源頼朝により創建された。
牛に乗った菅原道真公の御神託により牛を守護神として讃え牛天神社として八百三十二年の間、此の地を護っている。
都営地下鉄大江戸線「春日」駅6番出口から春日通を西方向へ進み「豊坂上」信号で南側の路地に折れ進むとある。(北野神社境内)
太田神社は北野神社の末社で今は社殿も小さいが関東大震災の頃までは祭りの日になると大勢の参拝者が未明から深夜まで賑わったという。
祭神は芸能の神「天鈿女命」と武の神「猿田彦命」を祀っている。元々は、貧乏神と言われた弁財天の姉、黒闇天女
を祀っていたが、江戸時代に、近くに住む貧乏旗本の窮地を救ってから、福の神として信仰される様になったのだとか。
しかしながら明治に入り、神仏分離令により祭神が天鈿女命と猿田彦命に代わった。
高木神社は元々は第六天町(現 小日向1丁目)にあった第六天社を道路拡張により、こちらに移した。
第六天も神仏融合した神様のため、現祭神は、宇迦御魂命となっている。
都営地下鉄大江戸線「春日」駅6番出口から春日通を西方向へ進み「豊坂上」信号で南側の路地に折れ進むとある。 更に路地を進み、「牛天神下」交差点を横断し進むと50mほど先右手に鎮座している。
春日牛天神北野神社の別当を勤めていた乗観法印が神託を民に語り、室町時代後期の明徳元年(1390)七月、信州諏訪大社の御分霊を勧請、創建した。
祭神は健御名方命、八坂刀売命。
昭和三十三年(1958)、本殿・幣殿を再建。
思の森稲荷神社 |
東京メトロ有楽町線「護国寺」駅下車、4番出口から不忍通りを東方向へ進み「坂下通入口」交差点で左折する。 坂下通を北方向へ100mほど進むと左手に一の鳥居が建っている。
一の鳥居 |
ニの鳥居 |
社殿 |
元和八年(1622)、二代将軍徳川秀忠が日光山から稲荷の神体を賜り、江戸城内吹上御殿内に「東稲荷宮」と称したのが始まり。 五代綱吉のころ、江戸城内から一ツ橋に移遷し、その後、水戸徳川家の分家松平大学頭が拝領し、邸内に移した。 宝暦元年(1751)に大塚の鎮守として松平家から拝受し善仁寺(小石川4丁目)に移して今日の社名「吹上稲荷神社」に改名した。 (小石川4丁目にある吹上坂の由来となる。) その後、護国寺、薬師寺等に移遷し、明治四十五年に現在地に移った。