事事関心! 神社探訪:
[ 東京都千代田区 ]
東京都千代田区               2020/06/07(日)更新
参拝神社一覧

 東京都千代田区にある神社を巡った。

NO.神社住所参拝年月メモ
1山王日枝神社千代田区永田町2-10-52011/10/14
2靖国神社千代田区九段北3-1-12013/01/09新年最初の上京なので初詣
3筑土神社千代田区九段北1-14-212013/01/09新年最初の上京なので初詣
4東京大神宮千代田区富士見2-4-12013/01/09新年最初の上京なので初詣
5神田明神千代田区外神田2-16-22013/03/13寒冷前線への南風が強風(20m/s超)
6太田姫神社千代田区神田駿河台1-2-32013/03/13寒冷前線への南風が強風(20m/s超)
7幸徳稲荷神社千代田区神田小川町22013/03/13寒冷前線への南風が強風(20m/s超)
8開徳稲荷神社千代田区神田神保町2-142018/04/13「神保町」駅から白山通りを水道橋方向へすぐ
9平河天満宮千代田区平河町1-7-52018/05/16「半蔵門」駅から徒歩3分
10三崎稲荷神社千代田区三崎町2-9-122019/10/18JR「水道橋」駅から徒歩1分
11柳森神社千代田区神田須田町2-25-12020/06/06JR「秋葉原」駅から徒歩5分
12繁栄お玉稲荷神社千代田区岩本町2-5-152020/06/06JR「秋葉原」駅から徒歩7分
13金山神社千代田区岩本町2-1-52020/06/06JR「秋葉原」駅から徒歩7分

【履歴】
・2020/06/07(日): 06/06JR「秋葉原」駅近くを探訪
・2019/10/20(日): JR「水道橋」駅近くの三崎稲荷神社を参拝
・2018/05/16(水): 地下鉄「半蔵門」駅近くの平河天満宮を参拝
・2018/04/14(土): 地下鉄「神保町」駅近くの開徳稲荷神社を参拝
・2013/03/15(金): JR「御茶ノ水」駅周辺の神社を巡り参拝
・2013/01/09(水): JR「飯田橋」駅周辺の神社を巡り参拝

山王日枝神社 千代田区永田町2-10-5

 東京メトロ丸の内線「赤坂見附」駅すぐのところに鎮座。参道の階段の横にエスカレータがついているのには思わず「さすが都会の神社!」と少し感動。


鳥居(山王鳥居形)

拝殿(権現造)

神額

 山王日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀り、さらに文明十年(1478)太田道灌が江戸の地に築城するにあたり川越山王社を鎮護の神として勧請した。 やがて天正十八年(1590)徳川家康が江戸城を居城とするに際し「城内鎮守の社」、「徳川歴朝の産神」として崇敬を受け、二代秀忠の時の江戸城大改造にあたり城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め社殿を新築して遷祀した。
 その後、明暦三年(1657)の大火に社殿が消失し時の将軍家綱により赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、権現造の社殿を造営・遷祀して、天下奉平、万民和楽の都を守護する祈願所とした。
 昭和二十年五月の空襲により末社山王稲荷神社を残し悉く焼失したが、昭和三十三年現在の姿に復興された。


さざれ石

神門の随神像-左大臣

神猿像(左)

神猿像(右)
【さざれ石】(石灰質角礫岩)
 国歌に歌われている"さざれ石"の見本。国歌では、小石が巌(いわお)となるまでに非常に長い年月がかかる比喩として用いられている。この石は国歌発祥の地と言われる岐阜県揖斐川町春日村の山中で発掘されたもの。 石灰岩が雨水に熔解し、その石灰分を含む水が時には粘着力の強い乳状態となり、地下で小石を終結して大きくなる。

【備考】(要拝観物)
山王祭:  六月六日〜六月十七日。日本三大祭りの一つ(山王祭、京都の祇園、大阪の天満祭)。
宝物殿:  国宝・重要文化財を含む刀剣31口の他、徳川将軍家ゆかりの宝物を多数所蔵。

靖国神社 千代田区九段北3-1-1

 東京メトロ東西線/半蔵門線、都営新宿線「九段下駅」下車、出口1より靖国通りを左手に内堀を見ながら徒歩5分弱のところにある。


第一鳥居

第二鳥居

神門

中門鳥居

拝殿

石鳥居

 靖国神社は、明治二年6月29日(1869) 明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まり。明治十二年(1879)に「靖国神社」と改称され今日に至る。 靖国神社は、明治七年1月27日(1874) 明治天皇が初めて招魂社に参拝された折に詠まれた
我國の 為をつくせる 人々の 名もむさし野に とむる玉かき
御製注釈1からも知ることができるように、国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社である。 「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもの。 靖国神社には現在、幕末の嘉永六年(1853)以降、明治維新、戊辰の役、西南の役、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しく祀られている。


神楽殿

大村益次郎像
明治二十六年(1893)

白鳩

 大鳥居をくぐると参道の真ん中に高さ12mもある日本の近代的軍隊の基礎を作った長州出身の大村益次郎の銅像が立っている。 日本最初の西洋式銅像として明治二十六年(1893)に建てられた。楠木正成像、西郷隆盛像と共に、いわゆる東京3銅像の一つに数えられ、大熊氏弘による鋳造だ。

注釈1: 御製(ぎょせい)
 天皇や皇族が書いたり作ったりした文章・詩歌・絵画などをいう。
 現在は特に天皇のものに限って用いられる。

【備考】(要拝観物)
相撲場:  春の例大祭には横綱をはじめ全力士による奉納相撲が催される。
遊就館:  遺品などを収蔵、展示。(艦上爆撃機「彗星」、ロケット推進機「桜花」など)
神池庭園: 明治初期に作られた名園

筑土神社 千代田区九段北1-14-21

 東京メトロ東西線/半蔵門線、都営新宿線「九段下駅」下車、出口7より目白通り「九段下一丁目」交差点(10m先)で左折し約100m坂を上ると左手にある。 坂の上り口に「飯田橋散歩道 筑土神社」の標柱が立っている。


社殿

 築土神社は天慶三年6月(940)、関東平定後、藤原秀郷らの手で討たれた平将門公の首を密かに持ち去り、これを武蔵国豊島郡上平河村津久戸(現・千代田区大手町周辺)の観音堂に祀って津久戸明神と称したのが始まり。 江戸城築城後の文明十年6月(1478)には、太田道灌が江戸城の乾(北西)に社殿を造営。太田家の守護神、そして江戸城の鎮守神として厚く崇敬された。
 祭神は天津彦火邇々杵尊。


【備考】(要拝観物)
力石:  「五十三メ目(約198kg)」、「三拾貫余(約112kg)」(平成元年に千代田区有形文化財に指定)
天水桶: 「文政元年戊寅十一月吉日 奉納元飯田町」
     文政元年(1818)元飯田町(現・九段北一丁目及び富士見一丁目周辺)の氏子により奉納。
狛犬: 「安永九庚子十一月元飯田町総氏子中奉納善龍山成就院性真代」
     「安永九庚子冬十有一月勝敏徳書市谷田町三丁目石工平十郎」
     (平成八年に千代田区有形文化財に指定)

東京大神宮 千代田区富士見2-4-1

 東京メトロ東西線「飯田橋駅」下車、出口A4より出て目白通りを東へ向い、最初の脇道に右折し、二つ目の十字路で左折し約60mのところに鎮座。
 神前結婚式の元祖と知られる神社でもある。また、"ムスビの働きを司る"という神様を祀っていて、"幸せをもたらす可愛い和紙人形"が付いた「恋みくじ」や、縁結びのお守りは若い女性に人気だ。




 江戸時代、伊勢神宮への参拝は人々の生涯かけての願いだった。明治に入り明治天皇のご裁断を仰ぎ、東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治十三年に創建された。最初日比谷の地に鎮座していたことから、世に「日比谷大神宮」と称されていた。 関東大震災後の昭和三年に現在地に遷り「飯田橋大神宮」と呼ばれたが、戦後は社名を「東京大神宮」と改め今日に至っている。
 天照皇大神、豊受大神、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、倭比賣命を祀る。

神田神社(神田明神) 千代田区外神田2-16-2

 JR御茶ノ水駅で下車し聖橋口出口から聖橋を渡り本郷通りを北上すると徒歩5分。


鳥居

随神門

神額

 神田神社は、天平二年(730) 武蔵国豊島郡芝崎村(現千代田区大手町、将門塚の地)に創建された。 延慶二年(1309)には平将門公が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬された。 元和二年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として歴代の将軍はもとより江戸の庶民たちにも崇敬された。 明治時代には東京・皇城の守護神として准勅祭社・東京府社に定められ、現在では東京十社の一つに定められている。


神殿

手水舎

神楽殿


小舟町八雲神社

水神社(魚河岸水神社)

大伝馬町八雲神社


江戸神社

浦安稲荷神社

三宿・金刀比羅神社


末廣稲荷神社

祖霊社


えびす様尊像

だいこく様尊像

銭形平次の碑

がらっ八の碑

 鳳凰殿の隣りに二の宮の祭神『えびす様』像が建っている。えびす様は正式の名前を少彦名命(すくなひこなのみこと)と云い、神話に木の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられている。 また『だいこく様』と力を合わせ日本の国作りを行い、病人に医薬の道を教え、酒造りなど豊かな知恵を人々に授けられた福の神でもある。
 だいこく像は昭和51年建立で、高さ6,6メートル重さ約30トン。石造りとしては日本一のだいこく像と云う。
 野村胡堂(1882〜1963)の名作『銭形平次捕物控』の主人公、平次親分が神田明神下台所町の長屋に恋女房お静と二人で住み明神界隈を舞台に活躍していたことから、昭和四十五年に日本作家クラブが発起人となり碑を建立した。 胡堂の『捕物控』は昭和六年『文藝春秋オール読物』に第1作「金色の処女」が発表されて以来、二十七年間で383編にもおよんだ。 神田明神から明神下を見守る場所に建てられ、隣には子分「がらっ八」の小さな碑もある。

太田姫神社 千代田区神田駿河台1-2-3

 JR中央本線「御茶ノ水」駅で下車し聖橋口出口から本郷通りを南下し「駿河台」交差点で右折し約100m先の四つ角にある(徒歩5分)。2013年3月現在、境内は幌に包まれ改修工事中!



 太田道灌の娘が重い疱瘡に罹った際、小野篁が創建した京都一口(いもあらい)稲荷神社を勧請して、江戸城本丸内に長禄元年(1457)創建したと伝えられ、一口稲荷神社とも呼ばれていた。 太田道灌は後、当社を江戸城鬼門へ移したが、徳川家康入府後、神田駿河台裏側の大坂へ遷座、坂は一口坂と呼ばれ、神田駿河台の鎮守となったと云う。昭和六年総武線延伸工事の際に当地へ遷座した。


一口(いもあらい)稲荷の故事

 平安貴族の鬼才小野篁にまつわる話で、ある事件で隠岐に配流されることになった篁は航海中大嵐にあって難破しそうになる。 その時波頭に現れた白髪の翁が「配流はほんの一時だが、帰った後都に流行する疱瘡で一命を危うくするかもしれない。わが像を祀ればすべて無事である。」と告げた。
 像を彫り崇めたところ老翁の託宣の通り小野篁は本位に復して参議から従三位へと昇任する。そして篁は洛南の一口の村に一社を建立した。

幸徳稲荷神社 千代田区神田小川町2

 JR御茶ノ水駅で下車し聖橋口出口から本郷通りを南下し「駿河台」交差点で右折し最初の路地を左折し四つ角の先左手二軒目のビルの二階にある(徒歩5分)。



 元は江戸時代山城の国淀の城主稲葉丹後之守の江戸小川丁中屋敷内に祀られ鍛冶屋稲荷と称され、五穀豊穣武運長久を祈願した神社だった。 明治維新後は、此の地に商家町民が移り住み、街の名前も小川町一番地となったことから、町内の守護神として伏見稲荷大社より霊を勧進し社を覆う社殿を建立した。 太平洋戦争敗戦により荒廃したが、昭和四十三年「幸徳会館」の建設に合わせ二階に社を移し現在に至っている。


開徳稲荷神社 千代田区神田神保町2-14

 都営三田線「神保町」駅下車、A4出口より白山通を水道橋駅方向へ向かい、二本目の左手脇道(40mほど先)に折れると10mほど先右手路地先に鎮座している。


社祠

扁額「開徳稲荷」

観世音菩薩像

 千代田区教育委員会発行の「千代田の稲荷」によれば、関東大震災で焼失するも家主によって再興された。 しかし戦災によって再び焼失し、家主も居なくなり途絶えていたが近隣住民によって町の守護神として再建された。
 祠には、祭神以外に左に庚申神と右に馬頭観音菩薩の木札が祭られている。 更に、左に神宮大麻、右に三崎稲荷神社の神札も配されている。

平河天満宮 千代田区平河町1-7-5

 東京メトロ半蔵門線「半蔵門」駅下車、1番出口より大通りを南へ進み、国立劇場への分かれ道で反対方向に右折するとすぐ先の処に鎮座している。


銅鳥居【区指定有形文化財


 文明十年(1478)に大田道灌が江戸城本丸内の梅林坂上に勧請したのが始まりと言われ、徳川家康入城後、本丸修築のためこれを平川門外に移り、慶長十一年(1606)現在の地に遷座した。菅原道真を主神に八幡宮と東照宮(徳川家康)を相殿の神として祭っている。
 銅鳥居は江戸時代後期の天保十五年(1844)の建立で千代田区最古の鳥居とのこと。平河天満宮は"東都七福神"の一つ。


三殿宮(大鷲神社、塩神社、浅間神社)

平河稲荷神社

撫牛

 梅が天神様のシンボルであるのと同様に、牛(神牛)も天神様のトレードマーク。平河天満宮にも"撫牛"が1体、"石牛"が4体鎮座している。 "撫牛"と呼ばれる石牛は嘉永五年(1852)に寄進されたもの。元々は一対で奉納されたが、現存するのは1基のみとなっている。

三崎稲荷神社 千代田区三崎町2-9-12

 JR中央線「水道橋」駅下車、すぐの処に鎮座している。


鳥居

社殿

 寿永元年(1182)に武蔵国豊島郡三崎村の鎮守の社として創建されたと伝わる。 現在地への移転は明治三十八年(1905)のことで、それまでは慶長八年(1603)、万治二年(1659)、万延元年(1860)と何度か移転を繰り返している。
 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)、須佐之男神(すさのおのかみ)、大市姫神(おおいちひめのかみ)、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀る。


現在の水盤

先代の水盤[区有形民俗文化財]

 境内に入ると右手に手水舎がある。水口を覆う火山岩をよく見ると、小さな狛犬と狛狐がいる!、遊び心がありほっこり!!。
 「旅行安全」、「合格祈願」、「商売繁盛」のご利益があると云われている。

柳森神社 千代田区神田須田町2-25-1

 JR「秋葉原」駅下車、南方向へ徒歩5分の処に鎮座している。




 長禄二年(1457)、太田道灌によって江戸城の鬼門除けとして創建され、烏森・椙森とともに江戸三森の一つとして崇敬された。
 祭神は、倉稲魂大神・保倉命。
 大正十二年(1923)九月の関東大震災において社殿等を焼失、昭和五年(1930)に復興した。 大東亜戦争末期の空襲で小破しながらも残存、昭和二十九年(1594)修理が完了、神楽殿も造営される。 更に昭和五十九年(1984)、二度の放火により神楽殿が全焼、社殿半焼の被害を被り、昭和61年(1986)春に修復が完了した。


富士講関係石碑群

福寿神祠

金比羅宮

 入り口階段脇にある富士講関係石碑群は千代田区指定有形民俗文化財。 浅間神社(木之花咲耶姫命)が祀られている。
 福寿神祠(徳川桂昌院殿)は通称「おたぬきさま」と呼ばれ有名だ。 五代将軍綱吉の生母・桂昌院により、江戸城内に福寿稲荷と称して創建された。 庶民の出ながら、他を抜いて(たぬき)玉の輿に乗った桂昌院にあやかろうと、大奥の女中達はこの社を崇敬したという
 そのほかに明徳稲荷神社、秋葉大神、水神厳島大明神・江島大明神、金比羅宮(大物主命)が祀られている。

繁栄お玉稲荷神社 千代田区岩本町2-5-15

 都営新宿線「岩本町」駅A5出口より水天宮通りを南へ徒歩3分の路地にある。




 「桜ヶ池」と呼ばれた巨大な池に身投げしたお玉の霊を祀る社として、「江戸砂子」、「江戸惣鹿子名所大全」や「江戸名所図会」などに取り上げられている神社。隣接する小祠は弁天財を祀っている。


金山神社 千代田区岩本町2-1-5

 都営新宿線「岩本町」駅A5出口より昭和通りを東京方向へ進むと「紺屋町」交差点のやや北東に鎮座している。




 江戸時代、関八州鍛冶職総支配高井伊織の拝領屋敷があり、その周辺に金物職人らが集まり、この界隈は「本銀町」「鍋町」「鍛冶町」という金物や鋳造に関連した地名になっていった。 金山神社はその金属加工業、金属商の人々によって祀られた神社だが、当社は東京金物同業組合が昭和初期より奉齋してきている。
 祭神は金山彦命・金山姫命。



あしあと

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