事事関心!
[ 神社探訪: 東京都台東区 ]
神社探訪: 東京都台東区 2016/01/15(金) 更新
案内

 東京都台東区にある神社の参拝録です。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 下谷神社 台東区東上野3-29-8 2013/04/19 JR「上野」駅
 02 五條天神社 台東区上野公園4-17 2013/04/19 JR「上野」駅
 03 上野東照宮 台東区上野公園9-88 2013/04/19 JR「上野」駅
 04 浅草神社 台東区浅草2-3-1 2013/07/10 銀座線「浅草」駅
 05 寿三島神社 台東区寿4-9-1 2015/05/13 銀座線「田原町」駅
 06 黒船稲荷神社 台東区寿4-3-1 2015/05/13 銀座線「田原町」駅
 07 孫三稲荷神社 台東区元浅草3-19-7 2015/05/13 銀座線「田原町」駅
 08 蔵前神社 台東区蔵前3-14-11 2015/05/13 浅草線「蔵前」駅
 09 鳥越神社 台東区鳥越2-4-1 2015/05/13 浅草線「蔵前」駅
 10 第六天榊神社 台東区蔵前1-4-3 2015/05/13 浅草線「浅草橋」駅
 11 須賀神社 台東区浅草橋2-29-16 2015/05/13 浅草線「浅草橋」駅
 12 銀杏岡八幡神社 台東区浅草橋1-29-11 2015/05/13 浅草線「浅草橋」駅
 13 矢先稲荷神社 台東区松が谷2-14-1 2016/01/04 銀座線「田原町」駅
 14 秋葉神社 台東区松が谷3-10-7 2016/01/04 日比谷線「入谷」駅
 15 富士浅間神社 台東区浅草5-3-2 2016/01/04 銀座線「浅草」駅
 16 今戸神社 台東区今戸1-5-22 2016/01/04 銀座線「浅草」駅
 17 玉姫稲荷神社 台東区清川2-13-20 2016/01/04 日比谷線「三ノ輪」駅
 18 宝珠稲荷神社 台東区清川2-15-1 2016/01/04 日比谷線「三ノ輪」駅
 19 吉原神社 台東区千束3-20-2 2016/01/04 日比谷線「三ノ輪」駅
 20 鷲神社 台東区千束3-18-7 2016/01/04 日比谷線「三ノ輪」駅
 21 千束稲荷神社 台東区竜泉2-19-3 2016/01/04 日比谷線「三ノ輪」駅
 22 元三島神社 台東区根岸1-7-11 2016/01/13 JR山手線「鶯谷」駅
 23 八二神社 台東区根岸2-13 2016/01/13 JR山手線「鶯谷」駅
 24 小野照ア神社 台東区下谷2-13-14 2016/01/13 日比谷線「入谷」駅
 25 三島神社 台東区下谷3-7-5 2016/01/13 日比谷線「入谷」駅
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【履歴】
・2016/01/15(金): 01/13(水)下谷七福神巡りで探訪。   ・2015/05/13(金): 05/13(金)浅草から浅草橋を探訪。
・2016/01/08(金): 01/04(月)浅草名所七福神巡りで探訪。 ・2013/07/10(水): 07/10(水)浅草神社参拝。
                             ・2013/04/19(金): 04/19(金)上野公園の神社参拝。

下谷神社 台東区東上野3-29-8

 JR山手線「上野」駅で下車、浅草通りを東へ徒歩6分。


二の鳥居(明神鳥居型)

拝殿

神額「下谷神社」

 下谷神社は、人皇第45代聖武天皇の御代天平二年(730)に峡田の稲置らが、大年神・日本武尊の御神徳を崇め奉わり上野忍ヶ岡の地にこの二神をお祀したのが創めだと伝えられている。 第61代朱雀天皇の天慶三年田原藤太秀郷が相馬に向うとき当神社に参籠して朝敵平将門追討を祈願し、その平定の後報恩のため社殿を新に造営した。 その後寛永四年には寛永寺を建立するに当り、社地を上野山下に移したが、狭いので延宝八年更に広徳寺門前町に替地して社殿を造営した。 当神社は昔から「正一位下谷稲荷社」と称していたので、この時からこの街を稲荷町というようになった。 明治五年に神社名を「下谷神社」と改め、翌六年郷社に昇格した。
 大正十二年の大震災にて社殿を悉く焼失した。とりあえず仮社殿に遷座したが昭和三年改めて社地を現在の所に定め、同六年社殿造営の工事を起し同九年完成、本遷座した。 平成五年には社殿屋根を修復し、現在に至っている。
 祭神は大年神(おおとしのかみ)である。


一の鳥居(明神鳥居型)

神門

手水舎

 拝殿の天井には横山大観の雲竜図(板絵着色雲竜図: 台東区有形文化財)が描かれているそうだが、参拝時は知らなかった事もあり拝観出来なかった。


舞殿

隆栄稲荷神社(末社)

「寄席発祥の地」碑

 隆栄稲荷神社は宇賀魂命(うがのみたまのみこと)を祀っている。家内安全・商売繁盛の守護神とのこと。
 寛政十年(1798)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の地とのことで、神門前境内右手に「寄席発祥の地」の石碑と正岡子規の句碑が建っている。


 「寄席はねて 上野の鐘の 夜長哉」(正岡子規)

五條天神社 台東区上野公園4-17

 JR「上野」駅で降り、公園口に出て上野公園へ。東京文化会館正面の方の道を通り公園中央へ行き東照宮より更に左手へくとある。


裏参道鳥居(靖国鳥居型)

拝殿

手水舎

 第十二代景行天皇の御代、日本武尊が東夷征伐の為、上野忍が岡を通った際、薬祖神(大己貴命、少彦名命の二柱)の大神に加護を受けた事を感謝し、この地に両神を祀った。
 相殿に祀る菅原道真公は、寛永十八年に合祀され、歌の道の祖神として俗称下谷天満宮とも云われた。 社地は御創祀以来、天神山(今の摺鉢山)、瀬川屋敷(アメヤ横丁入口)他、幾度か変遷を重ね、昭和三年九月に創祀の地に最も近い現地(花園稲荷神社隣り)に遷座した。


花園稲荷神社-社殿

花園稲荷神社-手水鉢

花園稲荷神社-お穴様

 花園稲荷神社は、創祀年月は不祥だが、古くからこの地に鎮座し、忍岡稲荷(しのぶがおかいなり)と呼ばれていた。 石窟の上にあった事から俗称、穴稲荷とも云われていた。
 承応三年、天海大僧正の弟子で本覺院の住僧晃海僧正が、霊夢(家光の命とも言われている)に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護神とした。 後、明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に遷座するに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新された。 旧社殿は"お穴様"の処である。

上野東照宮 台東区上野公園9-88

 JR「上野」駅で降り、公園口に出て上野公園へ。東京文化会館正面の方の道を通り公園中央へ行くと正面の動物園の左側に参道がある。


鳥居(明神鳥居型)

神門

内参道

 元和二年二月四日(1616)、見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ、三人一つ所に末永く魂鎮まるところを作ってほしいという遺言を受けた。 そこで寛永四年(1627)藤堂家の屋敷地であった上野に東照宮を造営した。


唐門と社殿【国指定重要文化財】


 慶安四年(1651)に造営された。社殿は金色殿とも呼ばれており、参道側から拝殿、幣殿(石の間)、本殿の三つの部屋から構成される権現造りである。


浅草神社 台東区浅草2-3-1

 銀座線「浅草」駅にて下車、1番口より出て少し雷門通りを西へ進み雷門を潜り仲見世通りを進み浅草寺へ。 浅草神社は浅草寺本堂右手にある。


鳥居(靖国鳥居型)

拝殿【国重要文化財】

 創建時代は不明であるが、鎌倉初期というのが通説となっている。明治元年(1866)に"三社明神"と改称されたが、明治六年(1872)に現在の"浅草神社(あさくさじんじゃ)"に改称された。
 祭神は、浅草寺創建の起源となった檜前浜成、竹成の兄弟と、土師真中知で、三社様と呼ばれ、江戸時代には徳川家康も合祀されたことから、三社大権現と呼ばれていた。
 浅草七福神の恵比寿神を祀っている。
 現在の社殿は慶安二年十二月、徳川家光により再建されたものである。 建築様式は、本殿と拝殿との間に「石の間」(弊殿・相の間ともいう)を設け、屋根の棟数の多いことを特徴とする権現造である。この社殿は江戸時代初期の代表的権現造として評価が高く、国の重要文化財に指定されている。

寿三島神社 台東区寿4-9-1

東京メトロ銀座線「田原町」駅下車、2番出口から出て国際通りを渡り、南へ向かい、2つ目の脇道に入る。 2つ目のブロック左手にある。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

神額「三島神社」

 弘安四年(1281)の元寇に際し、河野通有は氏神である大山祇神社(三島大明神)の加護のもと大いに戦功を上げることが出来た。 そして、伊予に帰国した後、夢に大山祇神が現れ、「武蔵国に我を祀れ」というお告げを受けた。 そこで、武蔵国豊島郡の上野山内にある河野氏の館に奉斎したことに始まるという。
 宝永二年(1705)河野権九郎越智通護が社殿を再興したが、同六年(1709)社地が寛永寺の用地になり、代地となった浅草元小揚町の現社地に遷座した。 ところが、金杉・根岸の氏子から氏神様が遠いのは不都合だという声が上がり、御分霊を根岸の熊野神社に合祀、元三島神社と称するようになった。 また、金杉町にも御分霊が勧請され、金杉(現・下谷)の三島神社となった。 寿三島神社が「本社 三島神社」と称するのは、根岸・金杉の分社に対する本社の意味だと思われる。
 明治五年(1972)村社に列格。大正十二年(1923)関東大震災で社殿等焼失し、その後再建されたが、昭和二十年(1945)戦災のため再び焼失した。 現在の社殿は昭和四十七年(1972)に造営されたものである。
 祭神は、大山祇命、身島姫命、和足彦命、上津姫命、下津姫命である。

黒船稲荷神社 台東区寿4-3-1

 東京メトロ銀座線「田原町」駅下車、2番出口から国際通りを南へ向かい、最初の信号交差点で反対側に渡り脇道に入る。 3ブロックほど直進すると左手にある。


鳥居

社殿

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 御由緒によれば、平将門の乱を平定した平貞盛・藤原秀郷が、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見たため墨田川の浜の石上に当社を勧請し、"黒船稲荷大明神"と号して天慶三年(940)に創建したと伝えられている。
 江戸時代に散穂稲荷大明神、紅葉山稲荷大明神を合祀し、「黒船三社稲荷大明神」と称されていた。

孫三稲荷神社 台東区元浅草3-19-7

 東京メトロ銀座線「田原町」駅下車、ヌ番出口から浅草通りを西へ向かい、「元浅草四丁目」交差点(約250m先)まで進む。 ここで左折して孫三通りを南へ向かうと、信号のある二つ目の四つ角の20m先右手の処にある。


社殿

神額「孫三稲荷神社」

 孫三稲荷は、伝承によると、天正年間(1573-92)、徳川家康が「孫三(まごぞう)」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡った。 後にその孫三を探したが該当者はなく、ただ安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があり、実はこの稲荷の化身であったという霊験から、天正十八年(1590)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸にもたらされ、慶安年中に当地へ移したという。


蔵前神社 台東区蔵前3-14-11

 東京メトロ浅草線「蔵前」駅下車、A4出口から江戸通りを2ブロック北へ向かい蔵前神社通りに入ると直ぐ先のブロックに鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

 徳川第五代将軍綱吉公が元禄六年八月五日(1693)、山城国(京都)男山の岩清水八幡宮を当地に勧請したのが始まりとされている。 以来、江戸城鬼門除の守護神ならびに徳川将軍家祈願所の一社として篤く尊崇されている。
 正式な社号は「岩清水八幡宮」といったが、一般には「蔵前八幡」または「東岩清水宮」と唱えられ、庶民の崇敬者がはなはだ多く関東地方における名社の一つに数えられた。 また、天保十二年十二月(1841)には、日本橋の「成田不動」(成田山御旅宿)が、幕府の方針に基づく寺社御奉行松平伊賀守忠優の達を受けて、当社境内に遷された。
 明治二年、成田不動は深川に遷された。 明治六年八月、郷社に列格し、同十一年十一月、社号をそれまでの「岩清水八幡宮」から「岩清水神社」と改称。 さらに同十九年四月、再び「岩清水八幡宮」と改称した。
 其の後、大正十二年九月の関東大震災および昭和二十年三月の戦災により社殿を焼失、昭和二十二年九月、隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮と合併合祀し、同二十六年三月、社号を「蔵前神社」と改称、平成七年十月、創建当初から境内神社として鎮座の「鹽竈神社」(陸前国宮城郡鎮座鹽竈神社遥拝殿)を合祀して現在に至っている。
 祭神は、誉田別天皇(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)、姫大神、倉稲魂命、菅原道真公、塩土翁命。


「奉納力持」碑


 蔵前神社は相撲との深い関係がある。江戸時代に境内で勧進大相撲が開催された。 宝暦七年十月(1757)に始まり、約七十年の間に二十三回にも及び、ここは三大拠点の一つだった。 とくに、天明年間には大関谷風や関脇小野川が、寛政年間には大関雷電などの名力士も当社境内を舞台に活躍していた。 本場所では幾多の名勝負が見られたが、なかでも、天明二年(1782)二月場所七日目、安永七年(1778)以来、実に六十三連勝の谷風が新進小野川に「渡し込み」で破れた一番は江戸中大騒ぎとなった。 現在の「縦番付」は宝暦七年十月、此処で開催された本場所から始められたものだ。 そして、宝暦十一年(1761)十月場所より従来の勧進相撲が「勧進大相撲」となり、当場所以来の「全勝負付け」も現存している。 このように境内は相撲熱で大いに賑わった。明治時代には花相撲が行われたりもしていた。

鳥越神社 台東区鳥越2-4-1

 東京メトロ浅草線「蔵前」駅下車、A3出口から江戸通りを南へ向かい「蔵前1丁目」交差点で蔵前橋通りへ右折、直進して「浅草橋三丁目」交差点手前に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

神額「鳥越神社」

 白雉二年(651)の創建。日本武尊、天児屋根命、徳川家康を合祀している。
 社伝によると、日本武尊が、東国平定の道すがら、当時白鳥村といったこの地に滞在したが、その威徳を偲び、村民が白鳥明神として奉祀したことを起源とする。 後、永承年間(1046-1052)奥州の安倍貞任らの乱(前九年の役)鎮定のため、この地を通った源頼義、義家父子は、名も知らぬ鳥が越えるのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ったということから鳥越大明神と名づけた。 以後、神社名には鳥越の名を用いるようになり、この辺りは鳥越の里と呼ばれるようになった。 天児屋根命は、武蔵の国司になった藤原氏がその祖神として祀ったものとされる。 また、徳川家康を祀っていた松平神社(現、蔵前四丁目十六番付近)は、関東大震災で焼失したため大正十四年に当社に合祀された。

第六天榊神社 台東区蔵前1-4-3

 東京メトロ浅草線「浅草橋」駅下車、A6出口から江戸通りを北へ向かい「須賀橋交番前」交差点で右折すると2ブロック目に鎮座している。


鳥居

拝殿

 正式名称は榊神社なのだが、古くは"第六天神社"と称していたことから"第六天榊神社"と通称されている。 鎮座は景行天皇四十年(110)と謂われ、日本武尊が皇祖二柱の神を祀ったことに始まり、もとは浅草鳥越の岡にあったが正保二年(1645)に移転を命じられて蔵前三丁目に遷座した。 その後、享保四年(1719)に柳橋一丁目に遷座。明治六年(1873)に社号を"榊神社"と改め、更に昭和三年(1928)に現在地に遷座したとのこと。
 祭神は、面足尊と惶根尊の二柱を合せた榊皇大神である。

須賀神社 台東区浅草橋2-29-16

 東京メトロ浅草線「浅草橋」駅下車、A4出口から江戸通りを北へ向かうと、ホテル「マーキュリー」の先のブロックに鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

 推古天皇九年(601)に疫病が流行したが、近くの森にあった牛頭天王を祀った祠に病気平癒を祈願すると悉く快癒したと伝えられているそうだ。
 また「天王塚碑文」、「求涼雑記」、「江戸名所図会」、「新板御祭礼双六」などにも登場し、江戸時代には祇園社、蔵前牛頭天王、団子天王、笹団子天王、などと呼ばれ、おおいに崇められていたと云う。 そして明治時代の神仏分離令により、天台宗東叡山寛永寺真鏡山宝現院大円寺より分離され、"須賀神社"と改名された。 社殿は、関東大震災の災失、第二次世界大戦の焼失のため、 昭和三十六年鉄筋コンクリート製として造営されたもの。
 祭神は素戔嗚尊。

銀杏岡八幡神社 台東区浅草橋1-29-11

 東京メトロ浅草線「浅草橋」駅下車、A3出口から江戸通りを北へ向かい最初の左手路地に入ると正面に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)
(撮り忘れ!!!)
拝殿

神額「銀杏岡八幡神社」

 康平五年(1062)源頼義公が戦勝を祈願し植えた銀杏が奥州の安部貞任、宗任平定の帰りの際には立派に根付き若葉を茂らせていた。 源頼義公はこの木の御神恩に感謝し、大刀一振を捧げ八幡宮を勧請したのが始りとされている。
 時は流れ、源頼義公が戦勝を祈願し植えた銀杏の木は大樹となり、隅田川を上り下りする舟や街道を行き交う人々のよい目印となった。 その後、延享二年九月十四日(1745)台風のため中程より折れてしまった。 しかし、残った高さ6m位の大樹として繁茂していたが、文化三年(1806)江戸大火の折焼失してしまったと云う。
 祭神は、誉田別命(応神天皇)、武内宿祢命。

矢先稲荷神社 台東区松が谷2-14-1

 東京メトロ銀座線「田原町」駅にて下車、浅草通りを上野方向へ向かう。 「菊屋橋」交差点先の右手脇道に折れ、北へ300mほど行くと左手に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

扁額「矢先稲荷神社」

 矢先稲荷神社は、徳川家光が寛永十九年(1642)に創建した三十三間堂の守護神として祀られた稲荷大明神を起源とする。 三十三間堂は、元禄十一年(1698)の大火後に深川へ移転したが、稲荷大明神は当地に残り、三十三間堂(弓矢の練成道場)の由来から、「矢先稲荷神社」と称した。浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られている。
 祭神は応神天皇、伊佐那岐命、伊佐那美命、福禄寿。

秋葉神社 台東区松が谷3-10-7

 地下鉄日比谷線「入谷」駅から言問通りを東へ100mほど進み、「仲入谷」交差点から200mほど南下すると、入谷南公園の南にある。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

扁額「秋葉神社」

 もとは江戸城内紅葉山に祀られていた鎮火の神。 明治初年に東京府内に火災が頻発、市民の難渋を憂えた英照皇太后(明治天皇御母)の思召を以て、明治天皇の御下命により東京府一円の火災鎮護の神として、明治二年十二月の東京大火災の後、神田相生町など十七カ町の火除地としてその地の中央、今の秋葉原に奉遷された。
 明治二十一年、鉄道駅(秋葉原駅)設置のため、境内地は大日本鉄道(現JR)に払い下げられ、現在地に遷座となった。

富士浅間神社 台東区浅草5-3-2

 東京メトロ浅草線「浅草」駅にて下車。1番出口より馬場通りを北上、徒歩10分。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

扁額「浅間神社」

 富士山遙拝所として創建された。 当初は、現蔵前の三好町に勧請・分祀(御神霊を頂くこと)され、その後幕府の命により昔は富士に似た森厳なる小丘であった現在地(浅草五丁目)に移されたとされている。 詳しい創建日は不明だが、当社本殿より発見された棟札によると元禄年間(1688〜1703)の創建と推察される。 現在の社殿は平成10年に神社奉賛会その他篤信の方々の努力により再建されたもの。
 祭神は木造木花咲耶姫命。

今戸神社 台東区今戸1-5-22

 東京メトロ浅草線「浅草」駅にて下車。 江戸通りを北へ、言問橋西交差点に至ったら真っ直ぐ都道314号線へ進み、台東区リバーサイドスポーツセンタの処で左手斜め方向へ折れると100mほど先左手に鎮座している(徒歩15分ほど)。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

 今戸神社は、康平六年(1063)源頼義、義家父子が奥州征伐の折、京都の岩清水八幡宮を鎌倉鶴ヶ岡八幡宮と共に当地に八幡宮を勧請し創建、後三年の役の後祈願成就を感謝して再建、江戸時代に至っても今戸八幡宮と称して武家の尊崇が篤かったと云う。 浅草七福神のひとつ福禄寿が祀られている他、下町八社巡りの一社である。
 祭神は応神天皇、伊佐那岐命、伊佐那美命、福禄寿。

玉姫稲荷神社 台東区清川2-13-20

 東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅より明治通りを東へ向かう。 明治通りと玉姫稲荷神社通りとの交差点で右折し南下すると200mほど先右手に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

拝殿

扁額「玉姫稲荷神社」

 社伝に天平宝宇四庚(760)の創建とあり、江戸時代に至り江戸庶民の信仰を得るが、享保年間(1716〜1736)に出版された『江戸砂子』に「標茅原玉姫稲荷のあたり、此社は山城国稲荷山のいなり移せしなり。王子村岸稲荷と神縁ありと云ひつたふ。」と記され、また新田義貞公と社号に纏わる故実も併せて述べている。 昭和二十年三月十日の大空襲により全て焼失、その後再建された。
 祭神は宇迦之御魂大神。

宝珠稲荷神社 台東区清川2-15-1

 東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅より明治通りを東へ向かう。 「泪橋」交差点の一つ先(30mほど)の右手脇道に右折し南下すると200mほど先右手に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

 宝珠稲荷神社の創建年代は不詳だが、天正十七年(1598)には浅草町の鎮守として祀られていた。 万治元年(1658)浅草町が御用地となり、町と共に亀戸に移転、天和二年(1682)に当地へ再度移転した。
 祭神は倉魂稲命。


吉原神社 台東区千束3-20-2

 東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅より国際通りを南へ向かう。 鷲神社先の左手脇道に折れ道なりに進み丁字路に出たら左折、150mほど先左手に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

扁額「吉原神社」

 吉原神社は、新吉原遊郭の四隅に祀られていた四稲荷社と、地主神である玄徳稲荷社を合祀して明治五年に創建、昭和十年吉原弁財天を合祀したといい、浅草七福神の弁財天となっている。
 祭神は玄徳稲荷大神、開運稲荷大神、九郎助稲荷大神、榎本稲荷大神、明石稲荷大神、吉原弁財天。


手水舎

邪鬼像


鷲神社 台東区千束3-18-7

 東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅にて下車。国際通りを南下すると約450mほど先右手道路際にある。




 鷲神社は江戸時代には「鷲大明神社」と称されていたが、明治時代に「鷲神社」と改称した。酉の市で有名。 また、浅草七福神のひとつ寿老神が祀られている他、下町八社巡りの一社である。
 祭神は天日鷲命、日本武尊、寿老神。

千束稲荷神社 台東区竜泉2-19-3

 東京メトロ日比谷線「三ノ輪」駅にて下車。1b出入口より出て歩道橋で国際通りの反対側に渡り南下すると約150mほど先脇道に入ると右手道路際にある。




 創立は寛文年間(1661〜1672)と伝えられている。 鎌倉時代中期に相模国伊勢原の北条氏の家臣が、神社とともに移り住み、当地を開墾したとの説があるが、室町・戦国時代には武士同士の内紛が激しくこの説の実証は困難である。 江戸時代になって徳川家康の命によって開発され、新吉原遊廓開設とともに人口も急増しており、神社としての形態は江戸初期に整えられたと考えられる。 江戸前期には北千束郷の氏神様であり、江戸中期に竜泉寺村が起立して以来、竜泉寺村(現竜泉)の氏神様として崇敬されている。
 祭神は倉稲魂命。

元三島神社 

 JR山手線「鶯谷」駅にて下車。正面左手の道に入り直ぐ右手の路地に折れ、少し行くと左手にある。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

扁額「元三島神社」

 元三島神社の縁起は、寿三島神社の縁起と同じである。 旧三島社は慶安三年(1650)徳川幕府から受けた社領が御用地となったために浅草小揚町(現、蔵前4)に移転する。 更に浅草小揚町から当地に再び移転したのは金杉村(現在の根岸〜下谷)から遠くに社が離れてしまったため氏子の要望によるもので、当地にあった熊野権現社と合祀して現在の元三島神社となった。
 祭神は大山祇命で、上津姫命 下津姫命 和足彦命 身嶋姫命を配祠する。また、伊佐那岐命を合祀している。

八二神社 

 JR山手線「鶯谷」駅にて下車。駅前左手の道を進み言問い通り「鶯谷駅前」交差点に出て、左手横断歩道を渡り左側50mほど先の路地へ入る。 路地を進むと60mほど先に左手に分かれる道がある。その道に折れるとすぐ右手にある。




 八二神社は、加賀藩主前田公が明治五年にこの場所(根岸82番地)に五千坪の土地を貰い本郷から引っ越した際に屋敷内に社殿を構築し三神(下記)を祭り三神社としたもの。 大正十三年、前田公が屋敷を開放、土地を分譲し三神社を八二神社と改称し住民に神社の守護を任せ、現在に至る。
 八坂大神、稲荷大神、菅原大神を祭る。


小野照ア神社 

 東京メトロ日比谷線「入谷」駅にて下車。4番口より西へ100mほど行くと右手に鎮座している。


裏参道鳥居

拝殿

扁額「小野照ア神社」

創祀の年代は不明。 平安初期の漢学者・歌人の小野篁が上野国司の任期を終え、帰洛の途についた際、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。 仁寿二年(852)篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀したのがはじまり。 その後、江戸時代に入り寛永二年(1625)忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することとなり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷した。 現在の社殿は慶応二年(1866)の建築で、関東大震災や東京大空襲などを免れた。


冨士浅間神社と富士塚

稲荷神社・織姫神社

庚申塚

 境内には、冨士浅間神社・御嶽神社・三峰神社・琴平神社・稲荷神社・織姫神社、さらには庚申塔が現存する。

三島神社 

 東京メトロ日比谷線「入谷」駅にて下車。。4番口より西へ進み「根岸三丁目」交差点で右折し、350mほど行くと右手に鎮座している。


鳥居(靖国鳥居型)

拝殿

扁額「三島神社」

 弘安四年(1281)元寇の役の際、河野通有は氏神である大山祇神社/三島大明神に戦勝祈願して出陣、大山祇神社の神使、白鷺の導きによって勝利を得た。 その帰陣にあたり、夢の中で神のお告げ受け、武蔵国豊島郡に三島大明神の分霊を迎え、上野山内の河野氏の館に遷座鎮祭したことが始まりという。
 慶安三年(1650)、徳川三代将軍家光公より社地移転を命ぜられ、金杉村(現在の台東区根岸)に遷座。 さらに宝永七年(1710)、浅草小揚町(現在の台東区寿)に遷座した。 しかし、氏神様を近くにと言う氏子一同の念願から、分霊を金杉村字金杉町(現在の台東区下谷)に勧請。 これが現在の三島神社である。
 祭神は大山積命、配祀されているのは身島姫命、和足彦命、上津姫命(雷神)、下津姫命(竜神)の諸神。


火除稲荷社

雷井戸

三島様の石橋跡


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