事事関心! 神社探訪:
[ 東京都板橋区 ]
神社探訪: 東京都板橋区            2020/02/15(土)新規
案内

 東京都板橋区にある参拝した神社を纏めた。第1回(2020/02/14)は都営三田線の「板橋本町」駅から「板橋区役所前」駅の近傍を巡った。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 根村氷川神社 板橋区双葉町43-1 2020/02/14 「板橋本町」駅
 02 下板橋氷川神社 板橋区氷川町21-8 2020/02/14 「板橋本町」駅
 03 子易神社 板橋区板橋2-19-20 2020/02/14 「板橋区役所前」駅
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【履歴】
・2020/02/15(土): 2/14 「板橋区役所前」駅周辺を探訪。

根村氷川神社 板橋区双葉町43-1

 都営地下鉄三田線「板橋本町」駅下車、環状七号線を西へ「富士見街道入口」交差点まで進み左折する。 ここから南へ200mほど進むとある十字路で右折し150mほど先右手に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

神門

 一の鳥居を潜ると参道が100mほど真っ直ぐ奔っており、途中には二の鳥居、神輿庫が建ち、突き当りの神門を潜ると境内となる。 境内正面には拝殿と大きな本殿が建ち、境内右手には手水舎、立派な神楽殿が建っている。


拝殿

神額「氷川神社」

手水舎

 社伝に応永年間(室町時代)武蔵国一の宮氷川神社より勧請と伝えられる。 江戸期には江戸四宿の一つ板橋上宿と根村の産土神として崇敬篤く、「根村松山氷川大明神」の社名も伝えられている。
 祭神は素盞嗚尊を祀る。



神楽殿

稲荷社

 明治四十年(1907)には字稲荷台の新堀山に鎮座していた新堀稲荷社(日暮里稲荷)を合祀している。


下板橋氷川神社 板橋区氷川町21-8

 都営地下鉄三田線「板橋本町」駅下車、国道17号線「中山道」を南へ400mほどの処、道路西沿いに石神井川を背にして鎮座している。 石神井川にかかる旧中山道の板橋に近く、古くから板橋の中心であったことが伺われる。


一の鳥居

二の鳥居

拝殿

 社伝によれば、元久三年(1206)頃、領主の豊島左衛門尉経泰が大宮の氷川神社から御分霊を勧請したことに始まるという。 豊島氏の没落後は板橋宿の鎮守として土地の人々の崇敬を受けた。明治二十二年(1989)の火災で社殿が全焼、翌年再建された社殿も昭和20年(1945)の空襲で焼失。現在の社殿は昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート造の流造で再建されたものである。
 祭神は素盞嗚尊、稲田姫命。


神楽殿

天祖神社

厳島神社

稲荷神社

 境内の富士塚に鎮座する天祖神社は天祖・八幡・北野の三神を祀り、もともと加賀藩下屋敷の邸内社であったと伝えられる。 文化年間(1804〜18)下板橋村字平尾の鎮守となった。大正の御大典を記念して氷川神社境内に奉遷したという。

子易神社 板橋区板橋2-19-20

都営地下鉄三田線「板橋区役所前」駅下車、区役所東側の山手通りに並行して走る道を南へ300mほどいった処に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

拝殿

 子易神社は、豊島郡金井久保村の鎮守である。創建年代は不詳だが、延宝二年(1674)の水帳に境内地が記されていることから、それ以前の鎮座であろうという。富士浅間大社の御分霊を勧請したと伝えられる。 江戸時代は子安社・子安宮・子安明神社などと呼ばれ、安産・子育ての神として信仰を集めた。当時の別当は真言宗の来光山福生寺であった。 明治の神仏分離により子易神社と改称、福生寺は廃寺となった。
 祭神は木花咲耶姫乃命。


神楽殿

稲荷神社

 境内にある子安観音は福生寺に安置されていたものだが、廃寺となった際、当社に遷された。 厨子に明和二年(1765)開眼という銘がある。 また、鳥居の脇にある身替り地蔵は胸突き地蔵とも呼ばれ、元禄八年(1695)の造立。 元は神社の裏手にあったという。台座に「右上尾」/「左河越」と彫られており、道標にもなっていたという。


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