東京都町田市は都の南西部で神奈川県との境にあり、横浜市から八王子市に接する非常に細長い行政区だ。 電車のみ利用して全域を巡るのも難しそうなので、気が向いたところだけでも探訪し神社を参拝しよう。
NO. | 神社 | 住所 | 参拝年月 | メモ |
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01 | 町田天満宮 | 町田市原町田1-21-5 | 2014/03/29 | JR横浜線「町田」駅。町田七福神[恵比寿神] |
02 | 金森杉山神社 | 町田市金森326 | 2014/03/29 | JR横浜線「町田」駅。 |
03 | 高ヶ坂熊野神社 | 町田市高ヶ坂1425 | 2014/03/29 | JR横浜線「町田」駅。 |
04 | 町谷八坂神社 | 町田市南町田3-10-35 | 2014/03/19 | 田園都市線「南町田」駅。住所変更 |
05 | 熊野神社 | 町田市南町田4-18-2 | 2014/03/19 | 田園都市線「南町田」駅。住所変更 |
06 | 御嶽神社 | 町田市鶴間 | 2014/03/19 | 田園都市線「南町田」駅 |
07 | 日枝神社 | 町田市鶴間1343 | 2014/03/19 | 田園都市線「南町田」駅 |
08 | 箭幹八幡宮 | 町田市矢部町2666 | 2015/10/28 | JR横浜線「淵野辺」駅 |
09 | 根岸淡島神社 | 町田市根岸2-7 | 2015/10/28 | JR横浜線「淵野辺」駅 |
10 | 木曽秋葉神社 | 町田市木曽西3-3 | 2015/10/28 | JR横浜線「古淵」駅 |
11 | 木曽八坂神社 | 町田市木曽東1-45-13 | 2015/10/28 | JR横浜線「古淵」駅 |
12 | 七面社 | 町田市金井町7-2 | 2019/03/28 | 小田急線「鶴川」駅 |
13 | 金井八幡神社 | 町田市金井町2686 | 2019/03/28 | 小田急線「鶴川」駅 |
14 | 南大谷天神社 | 町田市南大谷451 | 2019/03/28 | 小田急線「玉川学園前」駅 |
15 | 菅原神社 | 町田市本町田802 | 2019/03/28 | 小田急線「町田」駅 |
16 | 白山神社 | 町田市相原町770 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
17 | 諏訪神社 | 町田市相原町1743 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
18 | 神明神社 | 町田市相原町3198 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
19 | 御嶽神社 | 町田市相原町3836 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
20 | 正八幡宮 | 町田市相原町3716 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
21 | 大六天社 | 町田市相原町3647 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
22 | 八雲神社 | 町田市相原町4393 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
23 | 子の神社 | 町田市相原町4437 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
24 | 江柄八幡神社 | 町田市相原町4497-2 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
25 | 熊野神社 | 町田市相原4651 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
26 | 浅間神社 | 町田市相原町大戸4735-1 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
27 | 蔵王社 | 町田市相原町 | 2020/06/24 | JR横浜線「相原」駅 |
28 | 森野住吉神社 | 町田市森野5-10-2 | 2020/07/27 | 小田急線「町田」駅 |
29 | 西田金山神社 | 町田市金森6-34 | 2020/07/27 | 小田急線「町田」駅 |
30 | 西田杉山神社 | 町田市金森6-46-12 | 2020/07/27 | 小田急線「町田」駅 |
31 | つくし野杉山神社 | 町田市つくし野2-8-3 | 2020/08/26 | 東急田園都市線「つくし野」駅 |
32 | 成瀬杉山神社 | 町田市成瀬4-13-16 | 2020/08/26 | JR横浜線「成瀬」駅 |
33 | 柊稲荷神社 | 町田市成瀬4-11-63 | 2020/08/26 | JR横浜線「成瀬」駅 |
34 | 諏訪神社 | 町田市成瀬6-1-12 | 2020/08/26 | JR横浜線「成瀬」駅 |
35 | 第六天社 | 町田市成瀬6-2-8 | 2020/08/26 | JR横浜線「成瀬」駅 |
36 | 三輪椙山神社 | 町田市三輪町1618 | 2020/08/26 | 小田急線「鶴川」駅 |
37 | 三輪熊野神社 | 町田市三輪町1925 | 2020/08/26 | 小田急線「鶴川」駅 |
【履歴】
・2020/08/27(木): 08/26(水)三輪町を探訪。 ・2015/10/29(木): 10/28(水)矢部〜古淵駅を探訪。
・2020/06/25(木): 06/24(水)相原町を探訪。 ・2014/03/30(日): 03/29(土)町田駅を探訪。
・2019/03/28(木): 03/28(木)鶴川駅〜町田駅を探訪。・2014/03/21(金): 南町田周辺の神社を探訪。
JR横浜線「町田」駅で下車。北口に出て駅前の道を横浜方向へ向かう。 「市立中央図書館前」交差点を過ぎ、更に100mほど進むと横浜線を越える跨線橋(町田参宮橋)がある。 天満宮へはこの跨線橋を渡る。(駅より徒歩4分)
創建の年代は不明であるが、町田村分村により原町田が誕生した天正十年(1582)頃の創始と伝えられている。
明治五年(1872)に原町田村の大火の際に類焼し、二十七年四月に再建された。
なお、現在の社殿は昭和四十三年(1968)の新造のものである。
昭和三十九年、菅原大神に日枝・大綱の二社を合祀し、社名を「町田天満宮」に改名した。
菅原道真を祭神とする。
本町田の菅原神社、南大谷の天神社とともに「町田三天神」の一社である。
金森杉山神社は天満宮のもう少し先にある。天満宮の鳥居を出たら前の道を左へと天満宮沿いに進む。 500mほど道なりに進むと丁字路にぶつかるのでここを左折するとすぐ右手に神社がある。
鳥居(明神鳥居) |
拝殿 |
神額「杉山神社」 |
手水舎 |
境内社: 八坂神社 |
創建の年代は明らかでないが、天和三年(1683)高木伊勢守の館の鬼門の守護神として奉斎したとの伝承がある。 社殿、参道とも大和市の方向に向いていて、氏子は北側の裏に居住している。 末社に刀鍛冶の守護神である金山彦を祀る金山社がある。
JR横浜線「町田」駅で下車。北口に出て駅前の道を横浜方向へ向かい、「三塚」交差点まで道なりに進む。 この交差点は町田街道と交差しているが、直進して成瀬方向へ向かう。500mほど坂を下ると三叉路「熊野神社前」交差点だ。 神社は左手の脇道が参道になっているので、その脇道へ左折して入るとすぐだ。
鳥居(靖国鳥居) |
拝殿(権現造り) |
神額「熊野神社」 |
元慶元年(877) 大和の国城上郡三輪の里(現奈良県桜井市三輪)から勧請したとの伝承がある。
明和四年(1767)11月別当高蔵寺法印亮怡により社殿造営され、鎮守の神そして氏子の崇敬の的となり、嘉永七年八月(1845)石像の三尊仏を造立して再建を図ったと云う。
その後、大正十二年の関東大震災で社殿倒壊もあったが、昭和四年に大きく増改築して現在にいたっている。
手水舎 |
神楽殿 |
桜稲荷社 |
境内末社に桜稲荷社が奉斎されている。また、境外末社に日枝神社がある。
町田バスターミナルから「町89 南町田駅行」に乗車。 「熊野神社前」バス停(約15分)にて下車すると目の前にある。 八坂神社はバス停から町田の方へ約100mほど戻ったところにある右手脇道へ折れ、坂道を少し上った左手にある。
鳥居(靖国鳥居) |
社殿 |
手水舎 |
明治初年の地租改正により国有地となり、昭和二十三年熊野神社所有となる。
明治の土地台帳には「日枝神社」とあり、新編武蔵風土記稿にも「鶴間村」の項に「山王二社」とあり、明治三年の鶴間村明細帳にも「山王権現・町谷分持」とあって、八坂神社は町谷の山王社であったことが記されている。
八坂神社(天王様)と改称されたのが何時のことかは不明である。
祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)である。
町田バスターミナルから「町89 南町田駅行」バスに乗車、「熊野神社前」バス停(約15分)にて下車すると目の前にある。
鳥居(明神鳥居) |
社殿(権現造り) |
神額「熊野神社」 |
何時の創設かは不明。ただ、享保十一年四月(1736)に本殿を建立したことが本殿の左右の扉に墨がきで記してある。
延享三年三月(1746)の「村差出帳」に除地官免として畑1町帳5反とあり、また明治三年(1870)十一月には熊野権現除地の畑3町歩ほどとあったが、第二次大戦後の農地解放により今はない。
内宮の中に木彫りで座像のご神像を安置してる。
安永六年(1777)、安政五年(1858)、昭和十一年(1936)と再建しており、現在の社殿は昭和四十六年四月三日権現造りの鉄筋コンクリートである。
祭礼は七月十四日。境外末社は町谷に鎮座の八坂神社、悪病除の神と崇めている。大ヶ谷に鎮座の日枝神社、大六天社も同じ境外末社であり、四月二十日が祭礼日。本社の例祭日は毎年九月十九日。
祭神は、伊装諾命(いざなぎのみこと)、伊装册命(いざなぎのみこと)。
この神様は、出世、家門繁栄及び交通安全の守護神として平安時代以来、熊野詣での風習になり熊野三社(本宮、新宮、那智社)の講中が出来た。
手水舎 |
神楽殿 |
神楽殿は、平成四年十月に落成した。
東急田園都市線「南町田」駅で下車。南口からグランベリーモール手前の道に出て、左手へ向かう。 ニトリの手前の道を南へ進み四つ角で左折し、丁字路に突き当たったら右に折れると約50m先左手にある。
「鶴間一里塚」跡 |
御嶽神社 |
徳川幕府の時代に築かれた高さ約5mの「街道一里塚」の頂上に建っている。
このような塚は、町田市ではここ鶴間と長津田、木曽にあった。
御嶽神社は、明治の中頃、村人が一番恐れていた災厄である火難及び盗難除を祈るため、奥多摩の御嶽講を作り祀ったものとのこと。
町田バスターミナルから「町87 鶴間駅東口行」バスに乗車。「大ヶ谷戸」バス停(約22分)にて下車する。 バスの進行方向へ約120mほど先左手にある。(東急田園都市線「南町田」駅からだと南へ徒歩12分)
鳥居(明神鳥居) |
社殿 |
神額「山王山 日枝神社」 |
熊野神社の末社として江戸時代中期に創建されたようだ。
社殿内の本殿は、昭和四十六年、熊野神社より移設され、「板ぶき目板打」屋根の建築様式と彫刻等含め都の文化財級の貴重なものとのこと。
棟板には、享保十一年(1726)「大工、藤波七郎衛」等の墨書がある。
なお、棟の正面には、巴紋の左右に「笹に根竹(ねたけ)」の家紋がある。
祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)。
JR横浜線「淵野辺」駅下車、北口から駅前の道を直進し約1.5km先の「矢部町」交差点に着いたら左折。 道なりに100mほど行くと右手に神社の鳥居が建っている。(徒歩約20分)
一の鳥居 |
二の鳥居 |
往古の鎌倉道に沿って一の鳥居をおき、ここより参道を進めば二の鳥居を潜り右に鐘楼、左に神楽殿、中央石段上に随神門を設け、更に拝殿、本堂となっている。
随身門【町田市有形文化財】 |
守護神像(左) |
守護神像(右) |
本殿および随身門は享保五年(1720)の建造。
本殿 |
神額「箭幹八幡宮」 |
『八幡宮記』に推古二十四年(616)勅命により勧請されたとあり、推古天皇病気平癒のため社殿を修造されたとも書かれている。
また康平五年(1062)には源義家が戦勝祈願をされたとの伝承もある。
天明八年(1788)当時の代官梁田隠岐守により社殿が再建され、小山田庄の総鎮守となる。
祭神は応神天皇。
鐘楼 |
寛文五年銘で高木伊勢守献納の鐘があったというが、太平洋戦争時の献納で現存しない。
JR横浜線「淵野辺」駅下車、北口から駅前を直進、約1.6km先の「箭幹八幡」交差点に着いたら右折。 道なりに1kmほど進み信号機のある四つ角で左折すると100mほど先左手に鎮座している。(徒歩約30分)
鳥居 |
社殿 |
神額「淡島神社」 |
創建の時代は不明。もとは箭幹八幡宮の飛地にある境外の末社であったが、昭和四十二年(1967)に宗教法人として設立された。
和歌山市の加太町に鎮座している淡島明神を勧請したもので、婦人病に霊験のある神として信仰され、婦人の守り神である。
「淡島さま」と称する。
祭神は少彦名命、天照大神、菅原道真を奉斎した。
町田バスセンターから「町78 野津田車庫行」に乗り、「町田総合高校前」バス停で降りる。(約15分) バス進行方向先の交叉点で道路を渡り、脇道に入り道なりに行くと丁字路に出るので右折するとすぐ右手にある。(徒歩200m)
鳥居 |
社殿 |
稲荷社 |
貞享二年(1685)に遠江国秋葉山三尺坊(秋葉神社)を火伏の神として勧請したのである。
寛政四年八月(1792)に社殿を再建する。大祭には湯花の神事が催されている。
祭神は火結神。
JR横浜線「古淵」駅下車、駅を出たら左手へ向かい最初の交叉点で右折し、続いて丁字路で左折する。 真っ直ぐ行くと境川を渡り町田市に入る。更に行くと町田駅前通りにぶつかるが横断し100mほど先右手にある。
鳥居 |
社殿 |
稲荷社、御嶽神社 |
寛政元年(1789)に大谷家の守護神として境川に奉斎したのであり、滝ノ沢、中原、境川の産土神社である。
境内社に御嶽神社、稲荷社がある。
祭神は素戔嗚尊。
小田急線「鶴川」駅下車、駅前バスターミナル0番乗場より「町田駅行」に乗り、「八幡神社前」バス停で降り横断歩道を渡り少し町田寄りに進むと右手に100段超の石段参道がある。
金井七面社の創建年代等は不詳。普通の社殿が建てられていたが大正十五年火災にあって焼失。昭和三十二、三年ごろ現在の一面二間ずつの鉄筋コンクリート造り六角堂が建てられた。
祭神は七面大明神(吉祥天女)。
七面大明神は、その昔は七面天女と呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神である。
七面天女は、当初日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰されやがては日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。
その本地は山梨県南巨摩郡早川町にある山で標高は1982mの七面山の山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神。
伝説によると日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して永仁五年九月十九日朝に七面大明神を勧請したといわれている。
古来より修験道にて有名な山であり、山頂に大きな池がありそのほとりには池大神が祀られてあるがその姿は役行者の姿である。
身延山に隠棲していて現在の妙石坊の高座石で日蓮の読経と法話を拝聴するために度々現れた若い娘が、実は七面山に棲む竜の変化した姿であり、日蓮の教化により久遠寺の守護神として祀られるようになったという。
七面天女の本体は、竜女とも吉祥天とも弁才天とも言われている。
他には安芸の宮島の厳島弁財天ともいわれている。
小田急線「鶴川」駅下車、駅前バスターミナル0番乗場より「町田駅行」に乗り、「八幡神社前」バス停で降り少し戻り右手脇道に折れ進むと右手に鎮座している。
鳥居 |
拝殿 |
社殿側面 |
創建年代等は不詳だが、江戸期には金井村の鎮守社だった。享保十一年(1726)仏師佐野木丞が御神像を造り奉納遷座した。
現在の社殿は昭和十六年四月十五日再建のもの。祭神は応神天皇を奉斎してある。
古祠 |
舞台 |
願い叶う石 |
『願い叶う石』は本殿裏にお祀りしてあり、縁結びや安産育児守護、諸願成就などが叶うと言われ、人気がある。 参拝方法は、『願い叶う石』の前で祈願した後、供えられている白い石を持ち帰り、その石に願を書いて身近に携え、願いが叶ったら、その石を持ってお礼参りに再訪する」というものとのこと。
小田急線「玉川学園前」駅下車、北口より町田方向に線路に並行する道を行くと10分ほどのところに鎮座している。
正保二年(1645)大谷村村長五十嵐次郎左衛門が御神像を島山屋法春に造らせ、天満宮を鎮守として奉安した事が始まりとされている。
本殿は本格的な一間社流造で、細部に至るまで地方的な作風でなく、中央の系統につながるもの。
現社殿は昭和三十九年(1964)の建立。町田三天神(本町田菅原神社、町田天満宮、南大谷天神社)の一社で京都北野天満宮を本社とする。
神楽殿 |
稲荷社 |
観音堂 |
境内には、別当寺であった南松寺の遺構の一つである観音堂が残されている。
小田急線「町田」駅下車、バスターミナルより「鶴川駅行」/「藤の台団地行」/「本町田団地行」バスに乗り、「菅原神社前」バス停で降りるとすぐ。
表参道の鳥居 |
社殿 |
神額「菅原神社」 |
嘉永七年(1630)、神奈川県青木山西向寺の開山である寒江和尚作の渡唐天神像とともに大沢玄蕃が境内地を寄進して建立したもの。
その天神像は、先祖の大沢七郎正純の守り本尊である。
寛文五年(1665)には「天神宮寺」とあり、享保八年(1723)と天明五年(1785)に社殿の再建をしたことが社宝の棟札にある。
社宝に作者不明の右大臣・左大臣の座像があり本殿の左右に置かれている。町田の三天神の一社である。
現拝殿は、天明五年(1785)築造の拝殿が老朽化したので、平成二十四年に造営された。
神楽殿 |
愛宕社 |
大絵馬[猪] |
境内左手の境内末社「愛宕社」は迦具土神(かぐつちのかみ)を祀り、防火の守り神である。
JR横浜線「相原」駅で下車し、東口に出て駅前広場の右奥から線路と並行する道を進むと町田街道に出る。 ここを右折して暫く行くと川を渡るのですぐ先の右手路地に入り50mほど先の分岐路で左へ折れ進むと川の手前に鎮座している。
白山の神を祀る神社で、石川県白山市の白山比盗_社を総本社とする。
祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊の三柱である。
JR横浜線「相原」駅で下車し、西口に出て駅前広場の左奥から線路に直行する道を真っ直ぐ進み、左に折れる広い道ではなく真っ直ぐな道に入り進むと丁字路にぶつかる。 ここを右折すると100mほど先正面に鎮座している。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
神額「諏訪宮」 |
養和元年(1181)に別当高岳坊長温が、信州下諏訪大明社を丸山の現在地に氏子と共に、相原山大明神として勧請した。
明治四十四年七国の神明社、大谷神明社、橋本御嶽社、根岸日枝神社を合祀し、大正二年境山王社、橋本稲荷社、陽田疱瘡社を合祀している。
祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと) 、天之御中主命、宇迦之御魂命、大巳貴命、少彦名命、安閑天皇。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより町田街道を奔る「法政大学行」の神奈中バスに乗り「境橋」バス停で降りる。 120mほど戻り「東京家政学院入口」交差点で道路を横断し左へ進む。 70mほど先の右手脇道に入りすぐ先の左手路地に折れ、少し行くと右手山裾に参道石段がありその上に鎮座している。
正保四年(1647)の創建と伝わっている。
祭神:天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)
現存の社は平成十八年改築のもの。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより町田街道を奔る「法政大学行」の神奈中バスに乗り「円林寺前」バス停で降りる。 少し先にある横断歩道橋を渡り、そのまま山側へ奔る道を50m先まで進み丁字路で右折し行くと右手にカーブする所の山側の奥に鎮座している。
神額「」 |
正保四年(1647)の創立で、滝の谷に松本一家の守護神として奉斎したもの。
祭神は日本武尊。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより町田街道を奔る「法政大学行」の神奈中バスに乗り「水の口」バス停で降りる。 少し先の横断歩道を渡りローソン脇の路地に入り山側へ進むと石段上にある山裾中腹に鎮座している。
貞治6年(1367)7月15日の創立にして、小泉作左衛門が滝の谷に勧請した社である。
祭神は応神天皇。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより町田街道を奔る「法政大学行」の神奈中バスに乗り「水の口」バス停で降りる。 少し先の横断歩道を渡りローソン脇の路地に入り山側へ進むと石段上にある山裾中腹に鎮座している。
神額「大六天社」 |
創立は明らかでないが、延享二年(1657)の棟札がある。
第12代景行天皇(大足彦尊)を奉斎している。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより「法政大学行」に乗り「法政大学入口」バス停で降りる。 町田街道まで戻り右手の高尾駅方向へ100mほど進むと右手に大戸公会堂がありその広場の奥の長い急な石段上に鎮座している。
神額「八雲神社」 |
創立の年代は明らかでない。土ヶ谷の天王社と五反田の天王社を合わせ祀って社名を八雲神社としたもの。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより「法政大学行」に乗り「法政大学入口」バス停で降りる。 町田街道まで戻り右手の高尾駅方向へ250mほど進むと右手にあいはら幼稚園がある。 幼稚園入口のほうに入りその先の駐車場に進むと、奥に石段があり上に鳥居が建っている。 神社はさらに山奥へ100m以上先にある。
天文五年(1536)泰良谷に奉斎した高野行人が当地にて不慮の死をとげたので、その霊をまつったとの伝承がある。 聖尊者の神像は天明三年(1783)常州(茨城県)の仏師により造立し内陣に安置してあったが、平成十年放火により拝殿ともに焼失した。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより「法政大学行」に乗り「法政大学入口」バス停で降りる。 町田街道まで戻り右手の高尾駅方向へ400mほど進むと右手に「八木重吉記念館」がある。 江柄八幡神社への参道は「八木重吉記念館」の敷地手前に沿った右手の草ぼうぼうの道を進むとある。 神社はさらに山奥へ100m以上上った先にある。
創立は元禄十四年(1701)。八木一族の守護神として春日谷に勧請したもの。
ご神体は木彫りの座像で八幡大神の神像であり内殿に安置してある。
祭神は応神天皇を奉斎している。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより「法政大学行」に乗り「法政大学入口」バス停で降りる。 町田街道まで戻り右手の高尾駅方向へ500mほど進むと大戸交差点がある。 ここで左折し更に150mほど進むと横断歩道の右先に袋小路の路地がある。熊野神社はこの路地の突き当りにある。
元禄元年(1688)7月19日に大戸の所に奉斎したとあり寛文七年(1667)3月検地の際には熊野権現、畑九畝一五歩の除地があった。
ご神像は、木彫りの八幡大菩薩の座像で、内殿に安置してある。
祭神は伊弉那岐命、伊弉那美命の2柱である。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより「法政大学行」に乗り「法政大学入口」バス停で降りる。 町田街道まで戻り右手の高尾駅方向へ500mほど進むと大戸交差点がある。 ここで左折し更に200mほど進むと丁字分岐があるのでここで右折し150mほど進むと左手崖の上に鎮座している。
神額「浅間神社」 |
町田街道大戸交差点から遠望できる孤高の大一本桜で樹齢200年以上のソメイヨシノが自然のまま育っている。 小さな祠の浅間神社は在郷5軒で維持されている。
JR横浜線「相原」駅にて下車し、西口バスターミナルより「法政大学行」に乗り「法政大学入口」バス停で降りる。 町田街道まで戻り高尾駅方向へ1.5kmほど進むと左手に上相原病院への脇道があり、その分岐口に更に右手に下る細い道がある。 この細い道を200mほど行くと右手に急な石段があり、その上に鎮座している。
昔は蔵王権現といい今も「権現様」との俗称がある。延享二年(1745)11月1日吉沢小兵衛により恋地に奉斎した。
「恋路の坂」の伝承で、二人の首を打った刀を納めたという。
大戸から高尾に続く町田街道は大戸から坂を上ることになる。この坂を「恋路の坂」という。
横山道の恋地の坂は別に「恋路の坂」ともいうが、鎌倉時代は山ノ手の鎌倉街道といって、往古は大木戸街道とも呼ばれたという。さらに古くは、都(飛鳥時代)への街道、防人街道の異名もあったという。
その昔川中島の戦いで、謙信が馬をとばして信玄に斬りつけようとしたとき、槍の柄で謙信の乗馬の尻を猛打して信玄を救ったといわれる原大隅守胤歳を先祖に持つ八王子千人頭原半左衛門の娘が、禁断の掟を破って奉公人の下男と不義の恋仲になった。
一徹な原氏は二人をこの地まで連れ出して哀れにも首をはねさせたという。
その刀を不浄の刀であるとして蔵王権現社に納めたといわれるが、いつの間にか消えてその行方も分からないという。
小田急線「町田」駅西口より北西へ市役所方向に進み「森野南」十字路交差点を渡り、左手にある路地に入り道なりに進むと境川沿いに鎮座している。
寛永十七年(1640)当時の領主で三代目の須藤太郎左衛門盛忠公が願主となり武州多摩郡本森村鎮守として勧請創建された。
明治四年妙延寺境内から現在地に遷座した。
祭神は住吉大神である上筒男命、中筒男命、底筒男命、そして神功皇后を祀る。
町田バスセンターから神奈中「町89 南町田グランベリーパーク駅行」に乗り、約11分の「西田」バス停で下車する。 信号機の処で西方向へ奔る路地に入り300mほど先の丁字路で左折し進むと150mほど先左手に鎮座している。
奉斎の時期は不詳。
祭神は金山彦神、金山姫神。
町田バスセンターから神奈中「町89 南町田グランベリーパーク駅行」に乗り、約12分の「西田峯山公園前」バス停で下車する。 信号機の処で西方向へ奔る路地に入り150mほど先の十字路で左折し進むと100mほど先左手に鎮座している。
西田杉山神社は、天和三年(1683)に高木伊勢守(神奈川県大和市下鶴間・高木部落)の鬼門にあたる当地に守護神として創建した。
寛政五年十二月(1793)社殿再建、昭和十一年覆殿を新築した。祭神は日本武尊。
境内に一丈六尺(5mほど)の神木の大公孫樹がある。
東急田園都市線「つくし野」駅下車、西口駅前広場を横切り東急ストア横の道「パークロード」を真っ直ぐ400mほど進み、大きな道路にぶつかる一つ手前の道で左折すると100mほど先左手に鎮座している。
つくし野杉山神社の創建年代等は不詳ながら、当地小川村にあった三島社、杉山社、山王社の三社を文化4年(1807)当地に奉斎、明治38年杉山神社に三島社、山王社を合祀した。
祭神は日本武尊、事代主命、大山咋命。
JR横浜線「成瀬」駅で下車、北口から右手へ進み「成瀬駅ガード北」交差点で左折し大きな道路を1kmほど北上する。 成瀬高校の処まで来たら校舎の南側を通り東へ進むと県道140号「成瀬街道」の「東雲寺入口」交差点に至る。 この交差点を横断すると左手に鎮座している。(徒歩17分(1.3km))。
成瀬杉山神社は、代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉との寄進により寛文8年(1668)に創建した。
JR横浜線「成瀬」駅で下車、北口から右手へ進み「成瀬駅ガード北」交差点で左折し大きな道路を1kmほど北上する。 成瀬高校の処まで来たら校舎の南側を通り東へ進むと県道140号「成瀬街道」の「東雲寺入口」交差点に至る。 この交差点を横断し北方向に延びる道を進み250mほど先右手山裾に鎮座している。(徒歩20分(1.5km))。
JR横浜線「成瀬」駅で下車、北口から右手へ進み「成瀬駅ガード北」交差点で左折し大きな道路を1kmほど北上する。 成瀬高校の処まで来たら校舎の南側を通り東へ進むと県道140号「成瀬街道」の「東雲寺入口」交差点に至る。 この交差点の20mほど横浜よりにある脇道に折れ進むと丁字路の少し手前左手に鎮座している。(徒歩18分(1.3km))。
JR横浜線「成瀬」駅で下車、北口から右手へ進み「成瀬駅ガード北」交差点で左折し大きな道路を1kmほど北上する。 成瀬高校の処まで来たら校舎の南側を通り東へ進むと県道140号「成瀬街道」の「東雲寺入口」交差点に至る。 この交差点から横浜方向に300mほど進んだ右手に鎮座している。(徒歩18分(1.5km))。
小田急線鶴川駅下車徒歩30分、バス便も有るが一時間に2,3本程度と少ない。
鶴川駅北口のバスターミナルから神奈中[鶴01:フェリシアこども短期大学行]に乗り「妙福寺前」バス停で下車する。
50mほど進み右手脇道に折れ、更に50mほど先丁字路を右折する。少し進むと三叉路に鶴川地蔵尊があり、ここで左折すると少し先左手に鎮座している。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
社殿 |
元慶元年(八七七)大和国城上郡三輪の里の三輪神社によく似ている地に勧請した。
明治末年下三輪大戸にあった大戸明神社が合祀された。
祭神は日本武尊、大物主命、意富斗能地神。
現社殿は昭和四十七年十月二十八日の造営である。
石祠 |
西谷戸稲荷社 |
小田急線鶴川駅下車徒歩20分、バス便も有るが一時間に2,3本程度と少ない。
鶴川駅北口のバスターミナルから神奈中[鶴01:フェリシアこども短期大学行]に乗り「上三輪クラブ前」バス停で下車する。坂道を上ること2分(200m弱)右側に鎮座している。
一の鳥居 |
拝殿 |
三輪熊野神社は、椙山神社と同様に元慶元年大和国の城上郡三輪の里より勧請したとの伝承がある。明和四年(1767)熊野神社別当高蔵寺法印亮恰により社殿を造営、上三輪の鎮守だった。熊野神社本殿とアカガシ(樹齢三百年)は町田市文化財に指定されている。
現社殿は昭和四十八年十月二十一日の造営である。
祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命。
先代御神木 |
御神木/アカガシ |
手水舎 |