東京都中野区にある神社の参拝録。第一回(2017/07/12)は地下鉄「中野新橋」駅から「中野坂上」駅周辺を探索した。
NO. | 神社 | 住所 | 参拝年月 | メモ |
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01 | 中野氷川神社 | 中野区東中野1-11-1 | 2017/07/12 | JR「東中野」駅 |
02 | 第六天神社 | 中野区東中野1-15-9 | 2017/07/12 | JR「東中野」駅 |
03 | 中本一稲荷神社 | 中野区中央1-35 | 2017/07/12 | 都営地下鉄「中野坂上」駅 |
04 | 天神社 | 中野区中央2-39 | 2017/07/12 | 都営地下鉄「中野坂上」駅 |
05 | 明徳稲荷神社 | 中野区中央2-52-1 | 2017/07/12 | 都営地下鉄「中野坂上」駅 |
06 | 白玉稲荷神社 | 中野区中央3-23-15 | 2017/07/12 | 都営地下鉄「中野坂上」駅 |
07 | 本郷氷川神社 | 中野区本町4-10-3 | 2017/07/12 | 東京メトロ「中野新橋」駅 |
08 | 江古田氷川神社 | 中野区江古田3-13-6 | 2018/02/16 | 都営大江戸線「新江古田」駅 |
09 |
【履歴】
・2017/07/12(水): 07/12(水)地下鉄「中野新橋」駅から「中野坂上」駅までを探索。
JR中央線「東中野」駅西口から山手通りを新宿方向(南)へ約600mほど。 途中、山手通り沿いに裏参道入口があるが、表参道はこれを過ぎて大久保通りとの交点に差しかかる手前の脇道に左折すると、すぐ先左手に入口がある。
表参道口 |
拝殿 |
神額「氷川神社」 |
中野氷川神社は、旧中野村の鎮守社で、このあたり一帯は、その鎮座にちなみ、昭和四十一年頃まで氷川町と言われていた。
また、中野氷川神社は、現在も区内の総鎮守とも言える地位にあると云う。
「新編武蔵風土紀稿」には「鎮座ノ年代詳ナラズ」と記されているが、社伝によると長元三年(1030)に源頼信が平忠常を征討の際、武蔵国一の宮である氷川神社の神霊を勧請したのが起原と云う。
室町時代、応永年間(1394〜1428)に、別当寺であった宝仙寺の聖永(しょうえい)が社殿を改築、文明九年四月(1477)、太田道灌が豊島兄弟を攻略する際、戦勝祈願が叶い、社殿を造営したとのこと。
明治十年(1877)に拝殿、明治十五年(1882)に本殿がそれぞれ改築され、明治四十四年(1911)には村内の三柱神社と荒澤神社が合祀された。
神楽殿 |
塩竃神社、稲荷社 |
神楽殿: 江戸時代の祭礼では、常任の神職がおらず、江戸時代の文政元年(1818)の書付を残す名門の神楽師石山家の神楽を奉納していたとのこと。
現在の祭礼時も、石山社中による神楽が奉納されている。
境内神社の塩釜神社の祭神は塩椎老翁大神(しおつちのおじのおおかみ)で、安産のご利益がある。
稲荷神社の祭神は宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)で、商売のご利益がある。
JR中央線「東中野」駅西口から山手通りを新宿方向(南)へ約600mほど。 途中、山手通り沿いの大久保通りとの交点に差しかかる一辻手前の脇道に左折し、すぐ先左手にある中野氷川神社表参道を眺めながらさらに先へ進む。 丁字路に出たら、左へ折れ200mほど北上し右手わき道に入るとある。
境内入口 |
社祠 |
道標 |
創建年代等は不詳。里人が浅草の第六天神宮(榊神社)より大神の御分霊を迎え、創建したと云う。
祭神は面足尊、惶根尊。
境内入口に「右 ぞうしがや道、左 堀之内」と彫られた道標が建っていた。
地下鉄丸ノ内線「中野坂上」駅より青梅街道を新宿方向へ徒歩約3分。
通称「高稲荷」、300年の歴史があるという。また、現在地が、中野本町通り一丁目から、「中本一」と呼ばれている。
現在は正一位伏見稲荷、豊受大神宮(五穀豊穣)、 大山阿夫利神社(盗難除け)が祀られている。
中本一稲荷神社(高稲荷)は昭和三十一年に町会の氏子により再建された。
祭神は倉稲魂命。
社務所の看板に「第六天」と書かれていることから、「菅原道真」ではなく「東中野にある第六天神社」と同じ祭神のようだ。
残念ながら詳細は不明。
祭神は天面足尊。
明徳稲荷神社は、江戸時代に中野村の名主を務めた堀江家の鬼門除けだったが、大正時代に地元の人たちが譲り受け、現在の場所に移された。
大正時代に地元の人達が堀江家から稲荷神社を譲り受け、現在にいたっている。
関東大震災と第二次世界大戦の際に罹災しているため、江戸時代の社殿や、古記録は残っていないが、狐の彫り物のある慶応三年(1867)の手水鉢にわずかに往時を偲べる。
この稲荷神社には、明徳稲荷のほか、火伏せの秋葉神社と雨乞いの榛名神社とが祀られている。
祭神は宇迦之御魂神。
東京メトロ丸ノ内線・都営大江戸線「中野坂上」駅から山手通りを東中野方向へ徒歩1分、道路脇左手にある。
白玉稲荷神社は、もとは宝仙寺境内にあったが、明治維新後に分社されて以後、この地で崇められてきた。 白玉稲荷神社の裏に残されている石の鳥居には、「奉納 歳豊饒 小下中/明治十四年 巳十月」、そして願主として浅田甚右エ門以下50人の氏名が刻まれている。 青梅街道に面した家々は江戸時代末期、半商半農の生活を営んでおり、村内は上・中・下の3宿にわけられていた。 「小下中」とは、下とされた家をさらに大・小にわけた小下組中という意味。 この文は明治の初め頃の漢学者・南摩綱紀の依頼によって成瀬大域が書いたもので、区内の金石文の中でも風格のある名筆といわれている。
東京メトロ丸ノ内線「中野新橋」駅から北方向へ川を渡り延びる道を約200m、左手わき道に折れるとある。
本郷氷川神社は、文明元年(1469)太田道潅が江戸城築城の際に鎮護のため大宮氷川神社より勸請し創建したと伝えられている。
江戸期には当地旧本郷村の鎮守だった。
祭神は須佐之男命。
決して広くない境内に社殿、神楽殿、社務所、境内社が建ち並び、更に木々が生い茂っている。 これだったら隣の駐車場がもったいないなー。
都営大江戸線「新江古田」駅から南方向へ約700m、中野区江古田の森公園の南200mほどの処にある。
江古田地区の鎮守で、室町時代の寛正元年(1460)に創建された素戔嗚尊を祀る神社である。 当初"牛頭天王社"と称していたが、元禄9年(1696)"氷川神社"に改称した。
手水舎 |
神楽殿 |
霊神社 |
神楽殿は、弘化四年(1847)に建立され、昭和七年(1932)まで本殿として使われていた。
屋根は寄棟造りで、正面は四枚立ての引違戸が入っている。
内部は床面が板張りで、天井は色彩豊かな花鳥画が描かれた格天井になっている。
境内社に稲荷神社、熊野八幡神社、北野天満社、霊神社がある。