東京都世田谷区にある神社を探索。今回(11/04)は二子玉川からスタートし、用賀、桜新町を経て世田谷から三軒茶屋までを巡った。
第二回目は小田急線「世田谷代田」駅からスタートし、北沢川緑道沿いに三宿まで行き、東急世田谷線沿いに再び小田急線「豪徳寺」駅までを探索した。
第四回目(2016/11/16)は自由が丘探索のついでに奥澤神社に寄り道。第五回目(2021/04/16)は東急田園都市線「池尻大橋」駅から「三軒茶屋」駅を探索した。
NO. | 神社 | 住所 | 参拝年月 | メモ |
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01 | 玉川諏訪神社 | 世田谷区玉川3-26-5 | 2015/11/04 | 東急田園都市線「二子玉川」駅 |
02 | 瀬田玉川神社 | 世田谷区瀬田4-11-31 | 2015/11/04 | 東急田園都市線「二子玉川」駅 |
03 | 瘡守稲荷神社 | 世田谷区瀬田4-32-19 | 2015/11/04 | 東急田園都市線「二子玉川」駅 |
04 | 用賀神社 | 世田谷区用賀2-16-26 | 2015/11/04 | 東急田園都市線「用賀」駅 |
05 | 桜神宮 | 世田谷区新町3-21-3 | 2015/11/04 | 東急田園都市線「桜新町」駅 |
06 | 弦巻神社 | 世田谷区弦巻3-18-22 | 2015/11/04 | 東急田園都市線「桜新町」駅 |
07 | 上町天祖神社 | 世田谷区世田谷1-23-5 | 2015/11/04 | 東急世田谷線「上町」駅 |
08 | 駒留八幡神社 | 世田谷区上馬5-35-3 | 2015/11/04 | 東急世田谷線「若林」駅 |
09 | 世田谷八幡宮 | 世田谷区代沢3-25-3 | 2015/12/02 | 東急世田谷線「宮坂」駅 |
10 | 松陰神社 | 世田谷区若林4-35-1 | 2015/12/02 | 東急世田谷線「松陰神社前」駅 |
11 | 太子堂八幡神社 | 世田谷区太子堂5-23-5 | 2015/12/02 | 東急世田谷線「西太子堂」駅 |
12 | 三宿神社 | 世田谷区三宿2-27-6 | 2015/12/02 | 東急田園都市線「三軒茶屋」駅 |
13 | 北澤八幡神社 | 世田谷区代沢3-25-3 | 2015/12/02 | 小田急線「下北沢」駅 |
14 | 三峯神社 | 世田谷区代田2-17 | 2015/12/02 | 小田急線「世田谷代田」駅 |
15 | 代田八幡神社 | 世田谷区代田3-57-1 | 2015/12/02 | 小田急線「世田谷代田」駅 |
16 | 喜多見氷川神社 | 世田谷区喜多見4-26-1 | 2015/12/16 | 小田急線「喜多見」駅 |
17 | 須賀神社 | 世田谷区喜多見4-3-23 | 2015/12/16 | 小田急線「喜多見」駅 |
18 | 奥沢神社 | 世田谷区奥澤5-22 | 2016/11/16 | 東急目黒線「奥澤」駅 |
19 | 駒繋神社 | 世田谷区下馬4-27-26 | 2019/11/01 | 東急東横線「祐天寺」駅 |
20 | 池尻稲荷神社 | 世田谷区池尻2-34-15 | 2021/04/16 | 東急田園都市線「池尻大橋」駅 |
【履歴】 | |
・2015/11/05(木): 11/04探訪。 | ・2016/11/20(日): 11/16探訪。 |
・2015/12/05(土): 12/02探訪。 | ・2019/11/03(日): 11/01探訪。 |
・2015/12/18(金): 12/16探訪。 | ・2021/04/16(金): 04/16探訪。 |
東急田園都市線「二子玉川」駅下車、多摩堤通りを西へ向かい200mほど先で国道246号の高架下を潜るとすぐ右手に鎮座している。
一の鳥居(靖国鳥居型) |
社殿 |
神額「諏訪大明神」 |
創建年代は不詳。世田谷吉良家旧臣で当地の開拓者川辺氏先祖が、多摩川大洪水の際に当地に流れ着いた像を神体として勧請したと云う。
祭神は建御名方神。
東急田園都市線「二子玉川」駅下車、多摩堤通りを西へ向かい200mほど先で国道246号の高架下を潜り、すぐ右手にある高架沿いの道を北上する。 道なりに700mほど行くと左手に鎮座している。
表参道口 |
拝殿 |
神額「瀬田玉川神社」 |
創立は永禄二年十月(1559)と云われている。
神社の由緒書によれば「永禄年中(1558〜70)該村字下屋敷へ勧請した。
その後、寛永三寅年(1626)字滝ケ谷辺の現在位置へ長崎四郎左衛門嘉国之を遷座した。
口伝、同村真言宗慈眼寺権大僧都源長を始めて別当となし、明治七年四月二日村社に定められ、明治四十年五月四日神饌幣帛料供進指定社に列す。明治四十一年四月一日前称御嶽神社を地名により玉川神社と改称し、現在に至る」とある。
祭神は大己貴命・日本式尊・少彦名命。
境内には末社として、祓戸神社、三峯神社を祭り、その祭神は祓戸4柱神・大己貴命である。
東急田園都市線「二子玉川」駅下車、多摩堤通りを西へ向かい200mほど先で国道246号の高架下を潜り、すぐ右手にある高架沿いの道を北上する。 道なりに700mほど進み瀬田玉川神社を通り過ぎ、更に200mほど行くと左手に鎮座している。
参道口 |
社殿 |
神額「瘡守稲荷神社」 |
創建年代は不詳。江戸時代には病平癒の社として多くの参詣者があり、「多摩川のきれいな石を持ちかえり、病気が全快すると多摩川から石を拾い、倍にしてかえす習慣があった」と云われている。
祭神は倉稲魂命。
東急田園都市線「用賀」駅下車、東口より都道427号線を渋谷方向へ250mほど進むと右手に鎮座している。
表参道口 |
社殿 |
神額「用賀神社」 |
この神社はもと「天組神社」といわれ、その創立・由緒などは不詳である。
合祀社である宇佐神社は天正年間(1573-1591)鶴岡八幡宮よりその御分霊を勧請奉斎したといい伝えられている。
宇佐神社は明治5年11月27日村社に指定、明治41年8月11日現在の地にあった天祖神社と宇佐神社・北野神社・巌島神社・稲荷神社・山際神社(何れも無格社)を合祀し、明治四十一年十一月地名をとり「用賀神社」と改めた。
祭神は天照大御神で、誉田別命・足仲彦命・息長足姫命・市杵島命・菅原道真・倉稲魂命・大山祇命を合祀してる。
東急田園都市線「桜新町」駅下車、北口より都道427号線を渋谷方向へ150mほど進むと左手に鎮座している。
大鳥居(靖国鳥居型) |
拝殿 |
神額「本祇大神」 |
明治十五年五月十五日に大中臣家の六十五代の後裔で伊勢神宮の(筆頭)祢宜であった芳村正秉が、「神社の神官は人を教え導いてはならない」という方向に政府方針を変更したことに危機感を抱き、神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるためお祭りだけを行う神社でなく、お祭りもしながら人々に対する布教をもしっかりとできるように勅許を得て、教派神道十三派の一派「神習いの教」を立てた。
社殿は明治十六年東京市神田に創建されたが、大正八年に「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により現在地である世田谷に移転した。このことで関東大震災、第二次大戦の戦災を免れたことより、災難よけ」でも崇敬を受けている。
古式神道の神社のため、参拝作法は二拝、四拍手、一拝である。
東急田園都市線「桜新町」駅下車、北へ徒歩7分。
参道口 |
社殿 |
神額「弦巻神社」 |
明治四十一年の小社合祀の法により現在地に祀られていた稲荷社に向天神社(弦巻1-1)と八幡社(弦巻4-33)を併せ、弦巻神社として大正五年十一月十五日遷座祭を営修し、弦巻の地を鎮め守る氏神として崇敬されている。
祭神は宇迦之御魂神、応神天皇、菅原道真公。
東急世田谷線「上町」駅下車、1番出入口より出て、「世田谷3丁目」交差点にて横断歩道橋で世田谷通りを渡る。 神社は一辻裏にある。
創建年代は不詳。もと横根の地(伊勢森)にあった稲荷社の祠を、嘉永己酉(1849)当地へ移して新たに祠を作ったと伝えられている。
明治42年世田谷八幡宮に合祀されたが、昭和六年に本殿を建築、昭和29年宗教法人として登記された。
祭神は天照大御神。
東急世田谷線「若林」駅下車、環七通りを南へ600m(徒歩7分)。
駒留八幡神社は、当地の領主北条左近太郎入道成願が徳治三年(1308)社殿を造営し「駒留八幡」と称した。
その後、世田谷城主吉良頼康が、その子の追福のため、八幡宮に一社相殿として祀り若宮八幡と称し、また母常盤を辨財天として祀った。
祭神は天照大神、応神天皇。
東急世田谷線「宮坂」駅にて下車。 出入口2より出て駅前の線路を横断する道路を左手へ進むと直ぐ右手向かいに鎮座している。
一の鳥居(明神鳥居型) |
二の鳥居(明神鳥居型) |
寛治五年(1091)後三年の役の帰途、源義家公がこの宮の坂の地で豪雨に会い天気回復を待つため、滞在することとなり今度の戦勝は日頃氏神としている八幡大神の御加護に依るものと思い、豊前国の宇佐八幡宮の御分霊をこの地に勧請しお祭りした。
祭神は應神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)。
社殿 |
神額「世田谷八幡宮」 |
現在の社殿は昭和三十九年(1964)に建てられたもので、文化十年(1813)年建立の旧本殿が内に納められている。
高良神社 |
東急世田谷線「松陰神社前」駅で下車。商店街を北方向へ進むと、200mほど先に鎮座している。
明治15年に長州藩士吉田松陰の旧藩士門弟らが中心となって、吉田松陰の墓のあった当地(旧毛利藩主毛利大膳大夫の抱屋敷)に堂を建てて創建された。社殿は昭和の初めに大修理され、府社に昇格している。
祭神は吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)。
社殿 |
神額「松陰神社」 |
現在の社殿は昭和三年に造営され、創建時に伊藤博文・山縣有朋・井上馨・乃木希典らにより造営された社殿が本殿の内陣となっている。
東急世田谷線「西太子堂」駅にて下車。 出入口1より駅前の線路を横断する道路を右手へ向かい、道なりに進むと250mほど先正面に鎮座している。
鳥居(明神鳥居型) |
社殿 |
神額「八幡宮」 |
太子堂が草庵として創建された頃(年代不詳)、或いは太子堂村が興左衛門により新田開墾された天正年間(1573-1591)頃の創建と推定されている。
祭神は誉田別命。
現在の社殿は昭和十二年(1937)の造営。
神楽殿 |
稲荷神社 |
社殿右手にある稲荷神社は伊勢の下宮のように八幡神の食事を司る御食神として祀られている。
「三軒茶屋」駅にて下車、北口より北方向へ、途中右手にある烏山川緑道に折れ進むと緑道に面して三宿神社の入り口がある。(約1.0km 所要時間: 約14分)
一の鳥居(靖国鳥居型) |
二の鳥居(靖国鳥居型) |
三宿神社は、明治維新後の一村一社制度により、廃寺となった多聞寺の寺地に、創建したと伝えられている。
多聞寺の毘沙門堂を本殿に転用し、祭神を毘沙門天(後に大物主神へ訂正)としていたが、後に倉稲魂命を祭神とした。
祭神は倉稲魂命。
社殿 |
稲荷社 |
小田急線「下北沢」駅にて下車、南口よりマクドナルドを左手に見て緩い坂道を100mほど下る。 右手に見える王将をそのまま通り過ぎ、目の前に見える花屋を右手に50mほど進むと代沢三叉路交差点と言う2車線の大きな道路に出て、そのまま真っすぐ進む。 200mほど先左手にローソンがあるので、その角を左に100mほど進むと北澤八幡神社がある。
鳥居 |
拝殿 |
神額「七澤八社随一正八幡宮」 |
北澤八幡神社は、文明年間(1496-1487)に世田谷城主により勧請されたといい、近隣の七沢で随一と称されていた。
現在の社殿は昭和五十九年に造営された。
祭神は応神天皇。
神輿庫 |
神輿 |
小田急線「世田谷代田」駅にて下車、出入口を出て駅前の道を左手に進み三差路を左手に折れ、道なりに進むと圓乗院の隣にある。
小田急線「世田谷代田」駅にて下車、出入口を出て駅前の道を左手に進み三差路右手にある環七通りに架かる代田八幡歩道橋を渡ると神社の境内だ。
天正十九年(1591)代田地区の鎮守の神様として宇佐八幡宮より分霊勧請し祀った。
以来、代田の発展に伴い、幾多の変遷を経ながらも自然崇拝、祖先崇拝を基調に、氏子中より氏神(産土神)として篤く信仰されている。
祭神は応神天皇。
拝殿 |
本殿 |
昭和二十年の大空襲にて社殿等すべて焼失したが、社殿は昭和二十四年に再建され、昭和五十三年に改築された。
また、神楽殿は、昭和三十五年に再建され、平成十六年改築された。また拝殿は平成二十三年に造替えされている。
小田急線「喜多見」駅にて下車。南口より南東方向に徒歩1.3 km(約15分)。
一の鳥居(明神鳥居型) |
二の鳥居(明神鳥居型) |
明神鳥居型の"二の鳥居"は承応二年(1653)に建立されたもので、世田谷区最古の石鳥居。区の有形文化財に指定されている。 特徴は台石上部の根巻きが太く円柱の1/3まであることと、寄進年記等の刻印が鮮明、石質(安山岩)が特異でとても貴重だそうだ。
拝殿 |
神額「氷川神社」 |
天平十二年(740)の創建と伝えられているが、延文年間(1356-60)に宮殿大破し、ついで多摩川洪水のため古縁起・古文書など流失して詳細は明らかではない。古く多摩川岸に近いところにあったという。
永禄十三年(1570)この地の領主江戸刑部頼忠(東京の開祖江戸重長の末流で後に喜多見氏と改めた)は当社を修復し国家安泰・武運長久を祈願し、天和二年(1682)喜多見若狭守勝忠は篤く当社を敬い神領五石二斗を寄進し再興す、慶安二年(1687)喜多見若狭守により再建せられた。
平成二年に現社殿を再建。
祭神は素戔鳴尊(すさのおのみこと)。
立石大神 |
龍石 |
立石大神は境内から掘り出されたものだそうで、卵を供え安産を祈願するとのこと。
小田急線「喜多見」駅にて下車。南口より南東方向に徒歩1.5km(約18分)。
鳥居(明神鳥居型) |
社殿 |
神額「須賀神社」 |
かつては「天王様」と呼ばれていた。
承応年間(1652〜1654)喜多見久大夫重勝が喜多見館内の庭園に勧請したという。
重勝は歌枕天神を相殿に祀ったため、天神社も合祀されている。
祭神は素盞嗚尊。
東急電鉄目黒線「奥澤」駅下車、線路を跨いで奔る都道426号線を北へ150mほど歩いたところにある。
鳥居 |
本殿 |
創建年代は不詳。世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請したと伝えられる。
祭神は応神天皇、倉稲魂ノ命である。
神楽殿 |
弁才天社 |
藁製の大蛇 |
弁才天社: 弁才天社は「福寿弁天」と呼ばれていて、かつて奥沢駅の南方100mほどのところにあった湧水池に鎮座していたものを、昭和25年(1950)に移したもの。
大蛇お練り神事(東京都の無形民俗文化財): 江戸時代中期に疫病が流行、以後厄除として藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになり、現在も「奥沢神社の大蛇お練り行事」として続いている。
東急東横線「祐天寺」駅西口から徒歩15分。
平安時代後期、御冷泉天皇の天喜四年四月(1056)源義家公が父頼義公と共に朝廷の命をうけ奥州の安倍氏征伐(前九年の役)に向う途中、この地を通過する際に子の神(当社)に武運を祈ったと伝えられており、少なくともこれより以前に出雲大社の御分霊を勧請し守護神としてお祀りされたと考えられている。
社殿は、昭和三十八年に竣功した鉄筋コンクリートの流れ造り。明治三十一年に建てられた旧社殿は、本殿に納められている。
東急田園都市線「池尻大橋」駅南口より玉川通り(国道246号)を三軒茶屋方向に徒歩5分、「池尻」交差点の左手向側にある。
表参道一の鳥居 |
表参道二の鳥居 |
裏参道鳥居(大山道側) |
社殿 |
神額「稲荷神社」 |
神楽殿 |
池尻稲荷神社は、今から約360年前の明暦年間(江戸時代の初期)に旧池尻村・池沢村の両村の産土(うぶすな)神(かみ)として創建鎮座になった。
祭神は宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)。
水神社 |
清姫稲荷神社 |
手水舎の前に鎮座しているのが水神社だ。「水の神様=蛇」として祀られている。
当神社境内の井戸水が涸れることなく湧き出ているのも「蛇神様」のお陰であると言っても過言ではない。
本殿に向かって左側に鎮座されているのが、清姫稲荷神社である。御神体が白蛇ではないかと伝えられている。
「ヘビ」は智恵の象徴であるため、「芸事や学業成就の神」として祀られている。