事事関心! 神社探訪:
[ 東京都渋谷区 ]
神社探訪: 東京都渋谷区           2021/01/13(水)更新
案内

 東京都渋谷区にある神社の参拝録。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 明治神宮 渋谷区代々木神園町1-1 2013/06/07代々木口から入り、原宿口へ抜けた。
 02 東郷神社 渋谷区神宮前1-5-3 2013/06/07
 03 青山熊野神社 渋谷区神宮前2-2-22 2015/11/11 
 04 隠田神社 渋谷区神宮前5-26-6 2015/11/11 
 05 鳩森八幡神社 渋谷区千駄ケ谷1-1-24 2015/11/11 
 06 金王八幡宮 渋谷区渋谷3-5-12 2014/06/20 
 07 豊栄稲荷神社 渋谷区渋谷3-4-7 2014/06/20 
 08 渋谷氷川神社 渋谷区東2-5-6 2014/06/20 
 09 代々木八幡宮 渋谷区代々木5-1-1 2019/01/16 小田急線「代々木八幡」駅すぐ
 10 恵比寿神社 渋谷区恵比寿西1-11 2021/01/13 JR恵比寿駅3分
 11 恵比寿神社 渋谷区恵比寿3-30-13 2021/01/13 JR恵比寿駅10分(恵比寿ガーデンプレイス)

【履歴】
・2013/06/07: 原宿周辺の神社に参拝。
・2014/06/22(日): 06/20渋谷駅から周辺を探索。
・2015/11/12(木): 表参道北側の神社を探訪。
・2019/01/16(水): 01/16(水)代々木八幡宮を探訪。
・2021/01/13(水): 01/13(水)恵比寿神社を探訪。

明治神宮 渋谷区代々木神園町1-1

 JR山手線「原宿」駅で下車すると右手跨線橋越しに神宮南口参道がある。


大鳥居

楼門(南神門)

外拝殿

 明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后をお祀りする神社で、森厳な内苑を中心に聖徳記念絵画館を始め数多くスポーツ施設を持つ外苑と、結婚式とセレモニー、パーティー会場の明治記念館とから成っている。
 外拝殿は昭和三十三年(1958)に再建された。

東郷神社 渋谷区神宮前1-5-3

 JR山手線「原宿」駅で下車。竹下口より竹下通りを経て徒歩3分。


鳥居

神門

 東郷神社は、日露戦争の日本海大海戦でロシアバルチック艦隊を殲滅した連合艦隊司令長官 東郷平八郎(1847-1934)を祀っている。 昭和九年に東郷提督が死去後、故人が神格されるのを固辞していたにもかかわらず世界的英雄を顕彰する要望が全国から相次ぎ、「財団法人東郷元帥記念会」が設立され、神社の創建が計画された。 昭和十二年九月に地鎮祭、昭和十五年五月二十七日(海軍記念日)に御鎮座祭がおこなわれた。神社は、戦災にて焼失したが昭和三十九年復興され、今日に至っている。


社殿(神明造り)

境内霊社「海の宮」

手水舎

 東郷元帥が「東洋のネルソン」と称された世界に冠たる海軍提督であった事から、海にまつわる神殿「海の宮」がおかれている。

青山熊野神社 渋谷区神宮前2-2-22

 東京メトロ銀座線「外苑前」駅下車、3番出口より出て正面の横断歩道を渡り、右手へ進む。50mほど先にある最初の左手脇道に入り、真っ直ぐ300mほど先右手に鎮座している。(徒歩5分)




 青山熊野神社は、御府内寺社備考によると”原宿村又北原宿町 熊野三社権現社、社地古跡除地五百七十五坪余、正保年中勧請之由申傳候、社地之紀伊殿門邸内”とあり、徳川頼宣卿邸内(現在の赤坂御所)に奉斎されていた。 正保元年(1645)当地へ遷座して創建、青山の鎮守とした。
 祭神は五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命、伊弉冊命。





隠田神社 渋谷区神宮前5-26-6

 JR山手線「渋谷」駅、「原宿駅」より、いずれも徒歩10分の距離。旧渋谷川歩道中程にある。




 創建年代は不詳。江戸時代には「第六天社」と称して隠田村の鎮守社であったといい、明治維新の後「隠田神社」に社号を改めたと云う。
 祭神は淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神、櫛御食野神。






鳩森八幡神社 渋谷区千駄ケ谷1-1-24

 JR中央線「千駄ヶ谷」駅下車、駅前の東京体育館脇沿いの道を300mほどまっすぐ進むとある。


表参道鳥居(神明鳥居型)

拝殿

神額「鳩森八幡神社」

 鳩森八幡神社は、慈覚大師が貞観二年(860)関東巡錫の途次に正八幡を勧請、久寿年間(1154-1156)渋谷金玉丸が社を造営したと伝えられるといいます。
 祭神は応神天皇、神功皇后。
 弘化二年(1845)に上棟した欅造りの荘厳な社殿は、昭和二十年に戦災により消失。 戦後昭和二十三年より数度の復興事業を重ね、昭和五十六年末に完成したが、平成二年の御大典を記念して、昔日の姿に復元すべく建設工事を行い、平成五年六月竣工した。


神明社

甲賀稲荷社

 神明社は、太神宮として権田原にあったが、明治四十一年十一月八幡神社の末社になり境内に遷座された。
 甲賀稲荷社は、昔は青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座し、甲賀組組屋敷の武士等が崇敬していた。 明治十八年に、青山練兵場設置のため、当社境内に遷座、合祀された。 昭和二十年五月の戦災で社殿を焼失し、本殿の中に八幡神宮、諏訪大神とともに祀られていたが、復興を望む声が高まり、昭和四十五年欅造りの社殿が完成し、遷座された。


富士塚

神楽殿

将棋堂

 富士塚は寛政元年(1789)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒石卜(富士山の熔岩)は頂上近くのみ配されている。 山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。 頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に木造の里宮の建物がある。
 頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、その中には身禄像が安置されている。 塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。

金王八幡宮 渋谷区渋谷3-5-12

 JR山手線「渋谷」駅下車、東口より六本木通り(都道412号線)を六本木方向へ向かい渋谷二丁目交差点で右に折れたところにある。(徒歩5分)


大鳥居

二の鳥居

神門【渋谷区有形文化財】

 神門は、慶長十七年(1612)の建立である。 徳川家光の乳母・福(春日局)が、家光が将軍継嗣と定まったことを喜び、神門と社殿を寄進した。


茅の輪

拝殿【渋谷区有形文化財】

神額「金王八幡宮」

 金王八幡宮は、江戸八所八幡の一つで、下渋谷村・下豊沢村の総鎮守(神社の御由緒では「八幡通り(旧鎌倉街道)、青山通り、宮益坂、道玄坂(旧大山街道)を中心とする渋谷、青山の總鎮守」とある)。


金王丸御影堂

御嶽社

玉造稲荷社

 金王丸御影堂には、保元の乱出陣の折、自分の姿を彫刻し母に残した木像が納められ、更に金王丸が所持した「毒蛇長太刀」も保存されている。
 御嶽神社は、「開運・商売繁昌」の神として、特に客商売を営む人々の信仰を広く集めており、本社は「武州御嶽神社」である。


手水舎

神楽殿(面白殿)

神輿

神輿

 神輿の由来として面白い話が残っている。 「当社の氏子区域である青山に組屋敷を持った公儀の鉄砲足軽の「青山百人組」が鎌倉・鶴岡八幡宮の祭礼に参詣した折りに、当地の神輿を担ぎ出し、そのまま持ってきてしまった。」そうだ。
 この神輿は、都内で現存する最古のもので(製作は鎌倉時代と伝わり、鎌倉七神輿の一つといわれる)、重さは百貫と云う。

豊栄稲荷神社 渋谷区渋谷3-4-7

 金王八幡宮の南側に道を隔ててある。




 鎌倉時代、渋谷高重によって渋谷駅に祀られた田中稲荷神社と、道玄坂に祀られていた豊澤稲荷神社が合祀され、昭和三十六年当地に祀られた。 家内安全、商売繁盛、開運厄除、子授安産など日々の生活の守り神として崇敬されている。

渋谷氷川神社 渋谷区東2-5-6

 JR山手線「渋谷」駅で下車。東口より明治通りを恵比寿方向へ向かい、「東交番前」交差点先の左手脇道に入ると、突き当りに氷川神社の長い参道がある。


一の鳥居

二の鳥居

 創始は非常に古く、慶長十年に記された「氷川大明神豊泉寺縁起」によると景行天皇の御代の皇子日本武尊東征の時、当地に素盞鳴尊を勧請したとある。



拝殿

神額「氷川神社」

手水舎

 古くは氷川大明神といい、旧渋谷村、下豊沢村の総鎮守だった。現在の社殿は昭和13年に氏子町内の寄付により総桧造で造営されたもの。
 御祭神:素盞鳴尊、稲田姫命、大己貴尊、天照皇大神。


境内社: 厳島神社(左手)と稲荷社

境内社: 八幡神社

境内社: 秋葉神社

金王相撲場の跡

 境内には江戸郊外三大相撲の一つ金王相撲の相撲場の跡がある。

代々木八幡宮 渋谷区代々木5-1-1

 小田急線「代々木八幡」駅で下車。北口より山手通りを新宿方向へ200mほど行くと、右手に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

 「代々木八幡」駅から山手通りを新宿方向に歩くこと3分ほど、右手に代々木八幡宮の参道石段と鳥居が姿を現わす。 石段を上り、右手へと参道を進むと途中で左へ折れ、その先に二の鳥居が建ち、ずっと奥に拝殿が見える。



拝殿

扁額「八幡宮」

手水舎

 鎌倉二代将軍・源頼家の側近であった近藤三郎是茂の家来で荒井外記智明が、頼家公暗殺の後、名も宗祐と改めてこの代々木野に隠遁し、主君の菩提を弔って暮らしていたが、時に建暦二年(1212)八月十五日夜、霊夢の中で八幡大神の託宣と宝珠の鏡を感得した。 そこで同年9月23日、元八幡の地に小さな祠を建て、鶴岡八幡宮を勧請したのが創始とされている。
 八幡神として応神天皇を主座に祀り、天祖社・天照大神、白山社・白山大神を配祀する。
 拝殿は明治五年に造営された建物で、関東大震災も東京大空襲も切り抜けたものだ。


出世稲荷社

出世稲荷社/祠

天神社・榛名社・稲荷社

 第二次世界大戦にて代々木八幡が戦火を逃れる一方で、近隣エリアに点在していた稲荷社の多くが空襲によって焼失してしまった。 そして戦後、焼け残ったかっての稲荷社に祭られていた白狐像が集められ、それぞれ稲荷社の神様を合祀してできたのが「代々木出世稲荷」である。
 末社の稲荷神社には五穀豊穣の神様である宇迦之御魂神、天神社には学問の神様の菅原道真公、榛名社には大和武尊が祀られている。


縄文時代の竪穴式住居

御神木

 昭和二十五年、境内の発掘調査が行われ、縄文時代の住居跡などが発見され、「代々木八幡遺跡」として渋谷区の史跡に指定された。 当時の竪穴式住居を復元したものが展示されている。


恵比寿神社 渋谷区恵比寿西1-11

 JR恵比寿駅西口より都道416号線を西へ「恵比寿南」交差点の手前右手の脇道に入ると正面奥に鎮座している(徒歩約5分)。




 恵比寿神社は文献によると大昔の頃より天津神社と称して家内安全・無病息災・五穀豊穣の神々として広く住民に崇め祭られてきた。 戦後区画整理により記念事業として現在地に社殿を新築し、これをけいきに商売繁昌縁結びの神、事代主神(エビス様)を合祀し社名を恵比寿神社と改めた。
 祭神は国常立命、豊雲野神、角材神、意富斗能地神、伊耶那岐命、伊耶那美命、事代主命。

恵比寿神社 渋谷区恵比寿3-30-13

 恵比寿ガーデンプレイスにある札幌ビール本社敷地内にあり、ハチ公バスの加計塚小学校バス停が目の前にある。




 明治二十七年、日本麦酒醸造株式会社(サッポロビール株式会社)が本社移転した際に西宮神社(兵庫県)から勧請し商売繁盛の神「恵比寿大神」を工場の敷地内にお祀りしたことに始まる。 渋谷区恵比寿西の恵比寿神社と直接的な関係はない。


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