事事関心!
[ 神社探訪: 東京都品川区 ]
東京都品川区          2016/11/18(金) 更新
案内

 東京都品川区にある神社を訪ね平穏を願い参拝した。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 品川神社 品川区北品川3-7-15 2012/08/17 
 02 荏原神社 品川区北品川2-30-28 2014/02/21 
 03 利田神社 品川区東品川1-7-17 2012/08/17 
 04 寄木神社 品川区東品川1-35-8 2012/08/17 
 05 南品川諏訪神社 品川区南品川2-7-7 2014/02/21 
 06 鮫洲八幡神社 品川区東大井1-20-10 2014/02/21 
 07 天祖諏訪神社 品川区南大井1-4-1 2014/02/21 
 08 品川氷川神社 品川区五反田5-6-3 2012/11/21 
 09 雉子神社 品川区東五反田1-2-33 2014/07/09 
 10 袖ヶ崎神社 品川区東五反田3-6-20 2014/07/09 
 11 戸越八幡神社 品川区戸越2-6-23 2014/08/15 
 12 下神明天祖神社 品川区二葉1-3-24 2014/08/15 
 13 三谷八幡神社 品川区小山5-8-7 2016/11/16 
 14 葛原神社 品川区荏原6-2-13 2016/11/16 
 15 小山八幡神社 品川区荏原7-5-14 2016/11/16 
 16 旗岡八幡神社 品川区旗の台3-6-12 2016/11/16 
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【履歴】
・2012/08/17(日): 作成。
・2012/11/21(金): 目黒不動尊から探索。
・2014/02/23(日): 02/21(金)旧東海道沿いを探索。
・2014/07/09(水): 07/09(水)五反田駅東側1号線沿いを探索。
・2014/08/16(土): 08/15(金)戸越を探索。
・2016/11/18(金): 11/16(水)武蔵小山駅周辺、荏原町駅近を探索

品川神社 品川区北品川3-7-15

 京浜急行「新馬場」駅で下車、第一京浜を品川方向へ徒歩3分の左手に鎮座している。



一の鳥居(明神鳥居)

本殿

神楽殿

 後鳥羽天皇の御世、文治三年(1187)に、源頼朝が海上交通安全と祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である、天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を勧請して、「品川大明神」と称し、今は社名を「品川神社」と改めた。
 徳川家康が関ヶ原への出陣に際し、戦勝を祈願して神前で太々神楽(だいだいかぐら)を奏で、その甲斐あって、天下分け目の戦いに勝利したと云われ、家康公は御輿と仮面を奉納したとの言い伝えがある。


末社-富士浅間神社

末社-御嶽神社

末社-阿那稲荷神社

 阿那稲荷神社は上社・下社の二社制をとり、上社は「天の恵みの霊」が、下社には「地の恵みの霊」・「霊泉」が祀られている。 その下社は、一粒の種から万倍の稲穂になる天の恵みを称えた社で、社にある「一粒萬倍の泉」でお金や印鑑を洗ったり、この水を持ち帰り店や家の入口、四隅に注いだりすると商売繁盛するといわれている。

荏原神社 品川区北品川2-30-28

 京浜急行本線「新馬場」駅で下車。駅を出て目黒川沿いの道を川下へ進むと二つ目の橋(鎮守橋)の手前左手にある。


鳥居(明神鳥居)

拝殿

神額「荏原神社」

 社伝によると、元明天皇の世、和銅二年(709)九月九日藤原伊勢人により勧請され、「貴布禰大明神」と号し、品川総鎮守だったという古社である。
 元は三ッ木に鎮座していたが、後に現在地に遷座した。 『明治神社志料』には、この旧蹟を品川神社とする説が載っているが、旧地の三ッ木(大崎の近く)には今も貴船神社が祀られている。


神楽殿

恵比須像

 境内の恵比須像の後ろに控える寒緋桜がほぼ1か月遅れと云うが丁度満開だった。恵比須像は"東海七福神巡り"の一つだ。


利田神社 品川区東品川1-7-17

 京急「北品川」駅下車徒歩6分、八ツ山橋を渡り八ツ山通りを少し行ったところ品川浦船溜り近くに鎮座。


鳥居(明神鳥居)

社殿

神額

 寛永三年(1626)の当時、この辺りは、旧目黒川河口の大きな洲だった。 そして沢庵和尚が、この地に弁天堂を祀ったことに始まる。
 明治維新の神仏離反に伴い、祭神も弁天様から市杆島姫命に代わっている。


手水舎

水盤[右巴紋]

先代の眷属(狐?)

寄木神社 品川区東品川1-35-8

 京浜急行本線「新馬場」駅下車。駅を出て川沿いの道を川下へ下る。五つ目の橋(洲崎橋)に至ったら左折し50mほど入ると左手にある。


鳥居(明神鳥居)

神額「寄木大神」

 社伝によれば、日本武尊が御東征の折、走水の海を渡る際に海が大荒れのため舟が進まなかった。その時、弟橘姫が渡に入り海神を宥めなんとか無事に対岸の木更津に着くことが出来た。 其の際、砕けた船の一部が当地に流れ着いた。その木片を納めて祀ったのが当社だと云う。
 其後社地(南品川三丁目辺り)が町屋となった為現在地に遷移し、現在に至っている。


南品川諏訪神社 品川区南品川2-7-7

 京浜急行本線「青物横丁」駅下車。駅を出て海側の旧東海道に出る。「南品川」交叉点を更に品川方向に少し進むと約50mほど先にある。


鳥居(明神鳥居)


妙国寺を開山した天日上人は信州の生まれで、郷里の大社諏訪明神を勧請したものとのこと。 当初は海岸の洲崎に建っていたので洲の宮と云われていた。
 永享の頃(1429-1441)社を現境内に引いて再建した。同八年(1436)七月、郡司二階沙瀰正三は神田二段を寄進し祭事を勤行させた。


鮫洲八幡神社 品川区東大井1-20-10

 京浜急行本線「鮫洲」駅下車。駅を出て海側すぐ。


鳥居(明神鳥居)

拝殿

神額「八幡神社」

 鮫洲八幡神社は古くは「御林八幡宮」と称せられていた。 主神として誉田別尊(ホンダワケノミコト)を奉斎し、気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)を配祀、伊弉諾尊(イザナギノミコト)、伊弉丹尊(イザナミノミコト)を合祀している。
 創祀の年暦は定かではないが、新篇武蔵風土記稿、府内場末沿革図書等に記載がある。 寛文八年3月7日書上帳にも記載があることから、寛文年間(1661〜1672)以前の御林町草創より建立され、同村総鎮守であったようだ。
 明治五年の神仏分離の制定前は、常林寺(来迎院)、来福寺が隔年持にて奉仕致していた。元文三年修復遷宮し、文化十年(1813)再建された。 現在の社殿は昭和四十七年(1972)に遷宮された。

天祖諏訪神社 品川区南大井1-4-1

 京浜急行本線「立会川」駅下車。駅を出て横浜方向へ弁天橋を渡るとすぐ。


鳥居(靖国鳥居)

拝殿

 浜川町と元芝の鎮守の氏神様として仰ぎ親しまれる天祖諏訪神社は、古くは神明宮、諏訪社と称し、かつては両社とも東京湾に面し、立会川を挟んで並び祀られていた。
 天祖神社の創建は、建久年間の大井郷之図や来福寺の記録から西暦1100年から1190年頃に遡るとも思われ、諏訪神社は松平土佐守の下屋敷の海岸寄りにあり、江戸時代初期の寛永八年(1631)以前の創建と思われる。 両社は昭和四十年に合祀され天祖諏訪神社と称されるようになった。





品川氷川神社 品川区五反田5-6-3

 東急目蒲線「目黒不動前」駅から南方へ徒歩3分ほどのところに鎮座。


鳥居(明神鳥居)

拝殿

 旧・桐ヶ谷村(現在の西五反田)の鎮守である。 創建は不詳だが、『新編武蔵風土記』に「元禄年中より社地免除あり」という記述があるところから、それ以前に、大宮の氷川神社の御分霊を迎えたようだ。明治四十一年(1908)村内の諏訪神社・八幡神社・廣智神社を合祀している。

雉子神社 品川区東五反田1-2-33

 JR山手線「五反田」駅から国道1号線を日比谷方向へ300mほどのところに鎮座している。


鳥居(明神鳥居)

拝殿

拝殿屋根上の雉

 古くは荏原宮と云い、文明年中には大鳥明神、山神の社とも称していた。 慶長年間に徳川三代将軍家光公がこの地に鷹狩りに来られた時、一羽の白雉がこの社地に飛び入ったのを追って社前に詣でられ、まことに奇瑞であるとして、「以後、"雉子宮"と称すべし」とのことから改称した。
 日本武、天手力雄命(あめのたちからおのみこと)、大山祗命(おおやまつみのみこと)を祀る。


境内末社: 三柱神社


 大国主命、倉稲魂命、埴山姫命を祀る。


袖ヶ崎神社 品川区東五反田3-6-20

 JR山手線「五反田」駅から国道1号線を日比谷方向へ500mほどのところに鎮座している。


鳥居(明神鳥居)

社殿

境内末社: 祖霊社・真正神社

 安時代の保延三年(1137)に、京都から稲荷大明神を勧請したと伝えられる。もとは忍田稲荷と称していた。
 江戸時代にはこの付近に大名家や旗本の下屋敷が多く、これらの人々の帰依を受けていた。 延享二年(1745)の火災の折りには、仙台藩伊達家が新社殿を寄進している。 また細川豊前守が、金箔塗りの神狐1対を奉納したとの記録もある。
 幕末の嘉永二年(1849)に建築された土蔵造りの社殿には、名工伊豆長八の描いた「八岐の大蛇」の鏝絵(こてえ)があったが、戦災で消失したと云う。

戸越八幡神社 品川区戸越2-6-23

 都営地下鉄浅草線「戸越」駅下車。A2出口に出て、第二京浜を馬込方向へ20mほど進み左折、200mほど先で丁字路にぶつかった右折し、60m程先十字路で左折する。60mほど先左手に鎮座している。(徒歩3分)


鳥居(明神鳥居)

拝殿

神額「八幡神社」

 大永六年(1526年)、村内籔清水水源地から御神体が出現し、行永法師が草庵に奉安して、石清水八幡宮の御分霊を勧請して俔に祀ったのが創立の起源であると伝える。現神殿は安政二年(1855)の建立で戦火にも免れ、都内でも最も古い神社建設を今に伝えている。
 祭神は誉田別命(ほんだわらのみこと・応神天皇)である。


手水舎

神輿倉

神楽殿(昭和四年再建)

下神明天祖神社 品川区二葉1-3-24

 東急大井町線「下神明」駅で下車。出入口3に出て右手へ線路を潜り、すぐ左折。丁字路で右折して南西方向へ進む。200m先で左折すると100mほど先左手に鎮座している。


鳥居(靖国鳥居)

社殿

神額「天祖神社」

 大荏原総乱に「その鎮座は不明なるも六代将軍家宣時代より社として崇拝されていたと伝えられている」とある。
 元々は神明宮と呼ばれていたが、村が立会川の上流域と下流域に分かれたのに伴い社も分立(1643)、天祖神社と社名が制定された。 神明造りの現社殿は昭和47年の建立である。 明治7年4月2日、無格社より村社に昇格された。


手水盤

稲荷社

稲荷社-神額

御神木

 明治42年12月12日、無格社稲荷社が境内に併合された。 御神木のカヤを始め21本の境内樹木が品川区保存樹に指定されている。


三谷八幡神社 品川区小山5-8-7

 東急目黒線「武蔵小山」駅より八幡通りに出て西小山方向へ200mほど(徒歩約6分)。




 長元三年(1030)源頼信公の奉斎を始めとし、大田道灌の尊崇あり。 江戸時代の始め宗教上の爭いから三谷の名主石井助太夫が八幡神像を三谷の出世稲荷社の宮地に遷座鎮祭し、三谷地区の氏神とされた。
 祭神は誉田別尊[応神天皇](ほんだわけのみこと)。





葛原神社 品川区荏原6-2-13

 東急目黒線「西小山」駅より南東へ徒歩約10分。


鳥居

社殿

菩提樹【区天然記念物】

 江戸時代は妙見社と呼ばれ、中延の鏑木家の鎮守として祀られていた。 鏑木家は千葉氏の末流で祖先が弘冶二年(1556)下総より中延に移住した時に妙見社を勧進したといわれている。
 祭神は、葛原親王(かずらわらしんのう)。
 此処の菩提樹(シナノキ科の常緑の高木)は4本の幹があり、樹高10m、樹齢は約150年。元は妙見社だったことから妙見菩薩を本尊としていたので仏教に関係のある本樹が植えられたようだ。

小山八幡神社 品川区荏原7-5-14

 東急目黒線「洗足」駅より東へ300mほど徒歩約8分。


鳥居

拝殿

神額「八幡宮」

 創建年代は不詳。鎌倉時代には祀られていたと伝えられている。 江戸期には、妙見神が合祀され妙見社と称していた。江戸時代の旧村名より「小山八幡神社」と称しているが、当地周辺を池ノ谷と呼んでいたことから、「池ノ谷八幡神社」とも呼ばれている。
 祭神は、誉田別命。


稲荷社

大黒天社

 大黒天社には荏原七福神の大国天が祀られている。


旗岡八幡神社 品川区旗の台3-6-12

 東急大井町線「荏原町」駅より北へ徒歩2分。


表参道鳥居

社殿

 長元三年(1030)平忠常の乱を平定すべく、朝命を奉した甲斐守源頼信公が下総へ赴く際、この地に宿営し、戦勝を祈願したのがその発祥と云われている。
 祭神は、誉田別命(ほんだわけのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)。
 現社殿は昭和三十九年に鉄筋コンクリート造りの八幡造りで造営された。


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