東京都杉並区にある神社の参拝録。第一回(2017/11/15)はJR「荻窪」駅から「阿佐ヶ谷」駅までJR中央線の北側を探索した。
第二回(2017/12/15)はJR「荻窪」駅から「阿佐ヶ谷」駅までJR中央線の北側を探索した。
NO. | 神社 | 住所 | 参拝年月 | メモ |
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01 | 荻窪八幡神社 | 杉並区上荻4-19-2 | 2017/11/15 | JR「荻窪」駅 |
02 | 荻窪白山神社 | 杉並区上荻1-21-7 | 2017/11/15 | JR「荻窪」駅 |
03 | 天沼八幡神社 | 杉並区天沼2-18-5 | 2017/11/15 | JR「荻窪」駅 |
04 | 本天沼稲荷神社 | 杉並区本天沼2-14-10 | 2017/11/15 | JR「荻窪」駅 |
05 | 猿田彦神社 | 杉並区本天沼2-26 | 2017/11/15 | JR「荻窪」駅 |
06 | 天沼熊野神社 | 杉並区天沼2-40-2 | 2017/11/15 | JR「荻窪」駅 |
07 | 阿佐ヶ谷神明宮 | 杉並区阿佐谷北1-25-5 | 2017/11/15 | JR「阿佐ヶ谷」駅 |
08 | 杉並猿田彦神社 | 杉並区阿佐谷南1-1-38 | 2017/12/15 | 東京メトロ丸ノ内線「新高円寺」駅 |
09 | 馬橋稲荷神社 | 杉並区阿佐谷南2-4-4 | 2017/12/15 | JR「高円寺」駅 |
10 | 高円寺氷川神社 | 杉並区高円寺南4-44-19 | 2017/12/15 | JR「高円寺」駅 |
11 | 高円寺天祖神社 | 杉並区高円寺南1-16-19 | 2017/12/15 | 東京メトロ丸ノ内線「東高円寺」駅 |
【履歴】
・2017/11/18(土): 11/15(水)JR「荻窪」駅から「阿佐ヶ谷」駅までのJR中央線北側エリアを探索。
・2017/12/16(土): 12/15(金)JR「高円寺」駅南側周辺を探索。
JR中央線「荻窪」駅北口から青梅街道を西へ約600mほど、荻窪警察署の向かい側に鎮座している。
表参道口鳥居 |
二の鳥居 |
北参道口鳥居 |
第五十九代・宇多天皇の寛平年間(約1,100年前)に創祀されたものと伝えれている。
第七十代後冷泉天皇の永承六年に、鎮守府将軍・源頼義が奥州東征の途次此処に宿陣し、戦捷を祈願した。
後、康平五年凱旋するにあたって社を修め、盛大な祭を行い、武将を駐めて永く祀らせたという。
祭神は応神天皇。
神門 |
拝殿 |
神額「八幡神社」 |
JR中央線「荻窪」駅下車、西口から西友荻窪店の脇を通り、白山通り商店街に出て左手(環八方向)に進む。 さらに約160mほど先右手に鎮座している。
一の鳥居 |
拝殿 |
神額「白山神社」 |
文明年間(1469〜1487)関東管領であった上杉顕定の家臣・中田加賀守が、その屋敷内に五社権現(加賀白山神社)を勧請奉斎したことに始まる。
昭和四十二年(1967)、社地の西側を通る環状八号線の拡張に伴い、社殿・社務所・玉垣等境内各施設の増・改築など諸整備がなされ、今日に至る。
祭神は伊邪那美命。
摂社/三峰神社 |
JR中央線「荻窪」駅から徒歩約7分。 荻窪駅北口を出て青梅街道を東京方向に少し歩くと「天沼八幡通り」交差点に至るので、そこを左折する。 そのまま直進すると鳥居が見えてくる。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
天正年間(1573-1591)の創建とされている。
徳川家康が江戸に幕府を開く頃で、武勇の守護神としてこの天沼村に勧請されたとされる。
祭神は誉田別命、市杵島姫命。
社殿 |
扁額「八幡神社」 |
神楽殿 |
本殿の造営は昭和五十二年に鉄筋コンクリート造りとし、社務所は昭和五十四年、手水舎は平成十四年、神楽殿は平成十六年にそれぞれ改築された。
JR中央線「荻窪」駅北口から北へ約600mほど。
表参道鳥居 |
社殿 |
神額「稲荷神社」 |
創建年代は不詳だが、蓮華寺の過去帳に慶長十九年(1614)に境内が除地となった記載があり、また天沼八幡神社が旧天沼村字中谷戸の鎮守社として天正年間(1573-1591)に創建したと伝えられることから、天沼稲荷神社も1600年前後に創建されたものと推定される。
明治初年に山王社(現在の千代田区日枝神社)から、内殿を移築して本殿を建立したと記録されている。社殿は、平成十五年に新たに造営された。
祭神は保食神。
本天沼稲荷神社の北側、一辻離れたところに鎮座している。
本天沼稲荷神社の境外末社。
JR中央線「荻窪」駅北口から青梅街道を北東へ約600mほど。
鳥居 |
社殿 |
神額「熊野神社」 |
神護景雲二年(768)、東海道巡察使・紀朝臣廣名が武蔵国を訪れ、当地に乘潴驛(あまぬまえき)を置いた際、氏神を勧請したのが創建と伝えられる。
明治維新後に熊野神社と改称、明治七年(1874)村社に列せられた。
祭神は伊邪那美命。
JR中央線「阿佐ヶ谷」駅北口から中杉通りを北へ徒歩2分、道路の右手に鎮座している。
表参道鳥居 |
裏参道鳥居 |
寛政十二年(1800)に著された『江戸名所図絵』によると、日本武尊が東征の帰途阿佐谷の地で休息し、後に尊の武功を慕った村人が旧社地(お伊勢の森と称される現在の阿佐谷北5丁目一帯)に一社を設けたのが当宮の始まりと云われている。
明治五年(1872)に村社に列し、明治以降は社号を「天祖神社」と変更されていたが、平成二年(1990)に江戸時代からの呼称である「神明宮」に再度改称した。
祭神は天照大御神。
瑞祥門(神門) |
拝殿 |
御正宮 |
平成二十一年(2009)秋に「平成の大改修」が竣工し、神明造りの御殿・神門が改築され、祈祷殿・能楽殿などが新設された。
東京メトロ丸ノ内線「新高円寺」駅から荻窪方向へ300mほど先で右折し北上すると100mほど先左手に鎮座している。
椿大神社より猿田彦大神の御霊を勧請して創建された。 大神は古来物事のはじめに災害を祓い、万事最も善い方へ導き給うとされている。
JR中央本線「高円寺」駅南口から南へ2つ目の信号「高円寺南4丁目」交差点を通り越し、次の信号で右折し道なりに500mほど先右手に鎮座している。
一の鳥居 |
二の鳥居[東京三鳥居] |
三の鳥居 |
立派な朱色の一の鳥居は平成八年(1996)に建立された。鳥居右手の立派な社号碑は昭和四十年(1965)に改称した際に建てられたもの。
その先にある二之鳥居が昭和七年(1932)に建立された見事な双龍鳥居となっている。
高さ8mで昇龍・降龍が刻されており、"東京三鳥居"の一つといわれている。
朱塗りの随神門は、昭和五十年鎮座七百年記念事業の建立で、左右に随神像を祀り、中央天井に都内最大といわれる開運の大鈴(直径75p)が吊るされている。
神社の由緒書によると、鎌倉末期の創立と云われている。
天保二年(1831)、拝殿改築に際して氏子五十三人が拠金し、京都白川神祇伯家御役所(神社を司どる役所)に上申し、翌年「正一位足穂稲荷大明神」の御神号を拝受した。
明治四十年、本殿改築後、村内の御嶽神社・白山神社・天神社・水神社を相殿として合祀した。
昭和四十年十月住居標示の改正に伴ない、馬橋の地名を保つため神社名を「馬橋稲荷神社」と改めた。
旧馬橋村の鎮守で、祭神は宇迦之御魂神と大麻等能豆神の二柱である。
斎霊殿 |
厳島神社 |
社殿の左手には昭和二十五年(1950)の建立の斎霊殿があり、氏子中の戦没者の御魂などを祀っている。
その奥には厳島神社と水神社の合祀殿がある。
かつての馬橋村には弁天池と呼ばれた小さな池があり、日照りがいくら続いても水は枯れなかったため、雨乞いに使われていたという。
そうした弁財天が水神社に合祀されたものとなっている。
JR中央本線「高円寺」駅南口から通りを東へ徒歩3分、道路の左手に鎮座している。
参道口鳥居 |
社殿 |
江戸名所図会によれば、その昔源頼朝奥州征伐のとき武蔵国杉並の地に至り給う際、随兵の中に当高円寺村にとどまり終に農民となる者あり……と記されている。
一説によれば村田兵部某云々ともいわれ(因みに村田姓は高円寺の旧家)その時武蔵国大宮高鼻の本社よりの御神意の使者が同氏に伝え、この高円寺村の位置高く燥松杉桐茂し遠く水田を望みて風致絶佳とされる当地に社殿を建立したのが起源といわれている。御祭神は素盞嗚尊で国土開発、災難除けの信仰がある。
昭和二十年(1945)、東京大空襲によって社殿などが焼失。
高円寺駅も駅舎が焼失していたりと、当社周辺はかなり焼け野原となったようだ。
戦後の昭和二十二年(1947)、仮殿で復興。
昭和四十六年(1971)、現在の社殿が造営され再建に至った。
気象神社 |
稲荷神社 |
稲荷神社 |
稲荷神社 |
気象神社は、旧陸軍気象部の構内(旧馬橋4丁目、現在高円寺北4丁目)に昭和十九年四月十日造営、奉祀された。
途中空襲による焼失、再建されたが太平洋戦争の終結に依り気象部隊解散に伴い旧気象部隊関係者によって払い下げを受け昭和二十三年九月十八日遷宮祭を執行し、移設された。
平成十五年六月一日の気象記念日に新しい社殿の竣工式を挙行した。
気象神社には御嶽神社・日枝神社が合祀されている。
東京メトロ丸ノ内線「東高円寺」駅から北へ200mほど。 「東高円寺」駅3番出口を左に出てすぐの二叉路を左に入る。 しばらく進むと杉並第三小の裏門に突き当たるので、そこを右に曲がると、その先60m弱のところに鎮座している。
創建は平安時代中期の寛治元年(1087)と伝えられる。
高円寺村の草分けの家柄に生まれた山下久七という人物がいた。
久七は毎年伊勢に参宮するほど敬神の念が篤く、ある夜「汝等吾れを敬する事甚だ深し、汝吾れを近く斎らば家運繁栄を守るべし」との神託を受けた。
久七は直ちに伊勢神宮に参拝し御分霊を賜わり、当地に仮の社殿を造営して奉斎したとされる。
その後、永長元年(1096)に村人が協議し、産土神として尊崇されることとなった。
拝殿は、江戸時代後期の天保二年九月(1831)に、幣殿および本殿は明治二十一年二月(1888)に造営されたもの。
三峯神社と清姫稲荷神社。 清姫稲荷神社は、秩父宮邸に奉斎されていたが、昭和11年(1936)に当社へ遷座された。