事事関心! 神社探訪:
[ 東京都豊島区 ]
神社探訪: 東京都豊島区            2021/03/10(水)更新
案内

 東京都豊島区にあり参拝した神社を集めている。最初は駒込駅の近くにある日枝神社を訪ね、だいぶ間が空いたが第二回目は西武池袋線「椎名町」駅から探索を開始し、千川、高松を経てJR「池袋」駅までを巡った。
 第三回目は「お婆さんの聖地」としてTVでもよく取り上げられる巣鴨の「とげぬき地蔵」を参拝しに出かけた。
 今回(2021/03/10)はJR「大塚」駅周辺を巡った。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 天祖神社 目白5-7-14 2017/03/08 
 02 長崎神社 長崎1-9-4 2017/03/08 
 03 長崎御嶽神社 千早1-5-1 2017/03/08 
 04 長崎八幡神社 長崎1-25-9 2017/03/08 
 05 羽黒神社 西池袋4-23-3 2017/03/08 
 06 粟島神社 要町2-14-4 2017/03/08 
 07 富士浅間神社 高松2-9-3 2017/03/08 
 08 高松柳稲荷神社 高松2-30-1 2017/03/08 
 09 池袋御嶽神社 池袋3-51-2 2017/03/08 
 10 三社神社 池袋3-52-16 2017/03/08 
 11 日枝神社 駒込1-30-12 2014/11/12 
 12 高田氷川神社 高田2-2-8 2017/04/07 
 13 大鳥神社 雑司が谷3-20-14 2017/04/07 
 14 猿田彦大神庚申堂 巣鴨4-35-1 2019/07/31 
 15 大塚天祖神社 南大塚3-49-1 2021/03/10 
 16 子安天満宮 北大塚1-7-3 2021/03/10 
 17 出世稲荷神社 北大塚3-5 2021/03/10 

【履歴】
・2021/03/10(水): JR山手線「大塚」駅周辺を探訪。
・2019/07/31(水): JR山手線「巣鴨」駅から探訪。
・2017/04/07(金): メトロ東西線「早稲田」駅から探訪。
・2017/03/10(金): 新規作成。

天祖神社 豊島区目白5-7-14

 西武池袋線「椎名町」駅下車、南口より山手通りを南下200mほど左手道路脇に鎮座している。


表口鳥居(神明鳥居)

裏口鳥居

 天祖神社の創建は約二百年前、文政十一年(1810)頃とされている。 江戸時代から大荒椎(オオアラシ)と呼ばれた大和田、新井、椎名町の地域の鎮守だった。



社殿

境内社−社祠

 昭和二十年の戰災により全燒し廃虚となる。その後、長らく復興できなかったが、昭和四十二年に明治百年を記念して社殿境内の復興ができた。 そして平成八年の山手通り拡幅による社殿撤去、境内削減の状態から二年後の平成十年十一月に新しい天祖神社が再建された。
 祭神は天照皇大神。


長崎神社 豊島区長崎1-9-4

 西武池袋線「椎名町」駅下車、北口を出ると正面にある金剛院の左隣に鎮座している。


一の鳥居

獅山と二の鳥居

 長崎神社の創建年代は不詳。長崎村の鎮守として信仰を集め、江戸時代の中期には十羅刹女社と称せられていた。 明治の神仏分離令により十羅刹女神に代わり須佐之男命を祭祀し、氷川神社、そして長崎神社と改称し、現在に至る。
 祭神は須佐之男命、櫛名田比売命。


拝殿

長崎招魂社

稲荷社

 精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永二年(1849)に、拝殿は明治三十二年に建立されたもの。 旧社殿は絵馬を納める額堂として使われている。


長崎御嶽神社 豊島区千早1-5-1

 西武池袋線「椎名町」駅下車、北口を出て駅前の道を左に進み、長崎神社先の右手の道に折れる。 まっすぐ進むと右手に鎮座している。




 長崎御嶽神社の由緒は不詳。長崎八幡神社記念碑にある「江戸時代前期延宝年間(1678)長崎八幡神社・御嶽神社・羽黒神社のお社を当時の村の有志の方々のお力で建立された」と記載のある御嶽神社のようだ。
 祭神は櫛真智命、大己貴命、少彦名命。


長崎八幡神社 豊島区長崎1-25-9

 西武池袋線「椎名町」駅下車、北口を出て駅前の道を左に進み、二つ目の右手の道に折れる。 まっすぐ進むと右手に鎮座している。




 長崎八幡神社の創建年代は不詳。鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して江戸時代に創建された。現在長崎神社の境外末社となっている。
 祭神は応神天皇・少名彦名神。


羽黒神社 豊島区西池袋4-23-3

 西武池袋線「椎名町」駅下車、北口を出て山手通りを北上し、最初の交差点「長崎一丁目」で都道441号線に折れると最初の信号のある交差点の先に鎮座している。




 羽黒神社の創建年代は不詳。延宝年間(1676)に長崎村と呼ばれていた当地周辺に八幡神社(長崎八幡神社)・御嶽神社(長崎御嶽神社)と共に村民により創建されたと伝えられる。
祭神は倉稲魂命。


粟島神社 豊島区要町2-14-4

 東京メトロ有楽町線・副都心線「千川」駅で降り、3番口に出てみずほATMコーナー横の道に入り進むと200mほど先左手に鎮座している。




 粟島神社の創建年代は不詳。新田義貞の祈願所として知られており、江戸時代は弁天社と称し村民持の神社だった。現在長崎神社の境外末社となっている。
 祭神は少彦名命。

富士浅間神社 豊島区高松2-9-3

 池袋から地下鉄有楽町線で2駅、「千川」駅で降り、4番口より池袋方面へ50mほど先の左手にある道に入り、道なりに300mほどいったところの丁字路を右折すると10mほど先左手に公園につながる路地がある。 この路地を抜け公園に入ると左手奥に鎮座している。




 富士浅間神社の創建年代は不詳。富士塚が文久二年(1862)に築造されたことから江戸末期には創建されていた。 現在長崎神社の境外末社となっている。
 祭神は木花咲耶姫命。



富士塚【国指定重要有形民俗文化財】

富士塚−大天狗像

 文久二年(1862)長崎村月三講の椎名町元講の人々により築造された。 表面は富士山のボク石(溶岩)で覆われ、約8mの高さがある。 江戸時代築造の富士塚の中で原形をとどめているとして昭和五十四年(1979)国の重要有形民俗文化財に指定された。 その美観と偉容を後世に伝えるため昭和六十二年(1987)に昭和の大改修が行われた。
 フェンスに囲まれ、その上施錠されているので通常は登れない。登りたければ「山開き(7/1)」の時に来訪するとよい。

高松柳稲荷神社 豊島区高松2-30-1

 池袋から地下鉄有楽町線で1駅、「要町」駅で降り、4番口より50mほど先の北側へ向かう道に入り、道なりに500mほどいったところに鎮座している。




 高松稲荷神社は、もと地元農家の屋敷稲荷だったものを当地に移し、高松の鎮守社として大正九年に建造された。
 祭神は倉稲魂命。


池袋御嶽神社 豊島区池袋3-51-2

 JR「池袋」駅で降り、西口より劇場通りへ出る。劇場通りを北上し、「池袋二丁目」交差点で左折する。 道なりに300mほど進むと右手に鎮座している。




 池袋御嶽神社の創建年代は不詳。天正年間(1573-1592)の創建と伝えられており、池袋村の鎮守社であった。 昭和13年に村社に列格、社号を三嶽神社から御嶽神社へ改称した。
 池袋西口一帯の氏神様。ご祭神、倭建命の草薙の剣の話により、古くから災難除・防火・厄除けの神徳があるとのこと。また池袋の袋と梟にちなみ、苦労を除き(不苦労)福を呼ぶ神、知恵の神様ともいわれている。
 祭神は倭建命、神武天皇、武甕槌命。




三社神社 豊島区池袋3-52-16

 JR「池袋」駅で降り、西口より劇場通りへ出る。劇場通りを北上し、「池袋二丁目」交差点で左折する。 道なりに200mほど進み、右手の細い道に入り、更に40mほど先左手の路地に折れると路地の突き当りに鎮座している。




日枝神社 豊島区駒込1-30-12

 JR山手線「駒込」駅で下車。駒込駅東口出口から徒歩約4分。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

境内社: 日吉稲荷神社

 慶長年間(11596-1615)以前の勧請の旧社で、古く朝日山王宮とも称された。 大山咋命外四柱を奉斎し、代々大江氏が社司として奉祀し、延享元年(1744)に、本殿・拝殿が造営されている。 次いで天保十五年(1884)には社殿の規模を改め神社の体裁が整えられた。
 昭和に入り、九年に付近からの出火により、社務所を焼失し、翌十年復興に際し、従前からの本殿・拝殿も改築された。 昭和二十年四月十三日戦災により、本殿・幣殿・拝殿・神楽殿・社務所は烏有に帰した。
 祭神は大山咋神を主神とし、素戔鳴尊・大巳貴尊・少彦尊を合祀している。

高田氷川神社 豊島区高田2-2-8

 都電荒川線「面影橋」駅で降り、面影橋を渡り北方向に向かうと150mほど先左手に鎮座している。





道祖神社

高田姫稲荷神社

 高田總鎭守氷川神社の創建は、今から約1130年以上の昔、第56代清和天皇の御代である貞観年間(859〜877)に、 旧官幣大社・氷川神社の御分霊を現在の地に奉斎したと伝えられている。
 祭神は素戔嗚尊・奇稲田姫命・大巳貴命。
 昭和二十年(1945)に第二次世界大戦の空襲により、社殿など境内の多くが焼失した。 戦後の昭和二十九年(1954)に、社殿が再建されている。


大鳥神社 豊島区雑司が谷3-20-14

 JR「池袋」駅東口より明治通りを南へ向かい、「大鳥神社参道」の通りが見えたらその脇道に折れる。 後は道なりに行くと都電荒川線にぶつかる手前右手に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

 都電荒川線の線路に面して東向きに鎮座し、一の鳥居からまっすぐ石畳の参道が二の鳥居、社殿へと続いている。





 大鳥神社は、元は「鷺明神」と称され、正徳二年(1712)鬼子母神境内に創祀された。 当時、千登世橋に近くにあり、出雲藩下屋敷で藩主松平公の嫡男が疱瘡にかかった時、鷺明神に祈り治ったので厄病除けの神として尊崇されていたが、明治維新神仏分離に当り現地に移された。


恵比須神祠

恵比須神石像(拡大)

稲荷社

猿田彦大神庚申堂 豊島区巣鴨4-35-1

 最寄り駅は都電荒川線「庚申塚停留所」になる。ここからだと南側になる地蔵通り商店街へ徒歩1〜2分と至近である。





 文亀二年(1502)、高さ八尺(約2.4m)の庚申塔を当地に造立したのが創祀とされる。
 明暦三年(1657)、"明暦の大火"(振り袖火事)が発生し、当地には上州・秩父・川越方面より復興に使用される木材が多く集積された。 ある時、庚申堂の碑に立て掛けられた竹木が重心を失って倒れ、庚申塔に当り、塔は五つに砕けてしまった。 村中で協議し、丈を縮めた塔を再建し、砕けた塔はその塚の土中に埋めた。
 当地は旧中山道(現・地蔵通り)と旧王子道(現・折戸通り)が交差しており、板橋宿に至る途中の立場(たてば・休憩所)として、賑わったという。 「江戸名所図会」には当時の様子が描かれており、庚申塔のそばに二軒の茶屋が立ち並び人々の行き交う様子が伺える。 この茶屋には小林一茶も訪れ、「ふじだなに 寝て見ても またお江戸かな」との句を詠んでいる。
 明治初期には、近辺の有志が千葉県銚子市の猿田神社の御分霊を勧請した。 昭和八年(1933)、御大典記念として大塚天祖神社の社殿が新築され、その余財の一部で町会事務所を併設した庚申堂本堂が改築されたが、昭和二十年(1945)に戦災で焼失する。 戦後の昭和二十四年(1949)、榎本留吉氏によって仮庚申堂本堂が再建された。
 昭和四十七年(1972)、前年に発足した庚申堂改築奉賛会により本堂が造営され、昭和五十年(1975)には御水屋も設置された。 昭和五十七(年1982)に庚申堂奉賛会が発足、平成三年(1991)に山門の改築に至っている。
 祭神は、天津祖庚申猿田彦大神・地津主甲子大己貴神・人津霊己巳小彦名神。

大塚天祖神社 豊島区南大塚3-49-1

 JR「大塚」駅下車、南口よりサンモール大塚商店街へ向かい、商店街を進むと右手に鎮座している。




 天祖神社は、昔の巣鴨村(今の巣鴨・西巣鴨・北大塚・南大塚・東池袋二〜5丁目・上池袋1丁目)の鎮守で、鎌倉時代末の元亨年間(1321〜4)に、領主の豊島氏が伊勢の皇大神宮の神さまを迎え祭ったのが最初と謂れている。 明治六年に「天祖神社」と名前が変わるまでは、神明社・神明宮と呼ばれていて、江戸時代には十羅刹女堂も境内に祀られていた。
 祭神は天照大御神である。





子安天満宮(菅原神社) 豊島区北大塚1-7-3

 JR「大塚」駅下車、北口より警察署の前の道を巣鴨方向に進むと、線路下を横切る手前左手の道に折れ、緩やかな坂を上ると左手にある。




 子安天満宮は、天文年間(1532-1555)に巣鴨の保坂徳右衛門が屋敷神として邸内東の台地に勧請した。
 祭神は菅原道真公、保食神。

出世稲荷神社 豊島区北大塚3-5

 JR「大塚」駅下車、北口より線路沿いの道を池袋方向へ進み、空蝉橋先の右手路地に折れ進むと100mほど先左手に鎮座している。




 創建年代は不詳。幕末の嘉永七年(1854)の地図には今の空蝉橋の袂あたりに記載されており、この頃には存在していたことがわかる。 明治三十六年(1903)、山手線大塚駅が完成し、その後に行われた貨物線の拡張工事に伴い、大正年間(1912-1926)初期に現在地に遷座した。
 祭神は宇迦之御魂命。


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