横浜市青葉区にある神社を探訪し参拝した足跡をまとめてみた。青葉区は初めてなので、まずは市営地下鉄「あざみ野」駅近傍を探索。
二回目は東急田園都市線「田奈」駅を訪れ周辺を巡った。少し間が空いた三回目(2019/04/29)は「市ヶ尾」駅周辺を巡った。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 驚神社 | 青葉区新石川町1ー24ー9 | 2014/02/11 | 市営地下鉄「あざみ野」駅 |
02 | 伊勢社 | 青葉区新石川町2ー11ー7 | 2014/02/11 | 市営地下鉄「あざみ野」駅 |
03 | 上恩田杉山神社 | 青葉区あかね台1-1-6 | 2017/10/26 | こどもの国線「恩田」駅 |
04 | 中恩田神明社 | 青葉区恩田町3321 | 2017/10/26 | こどもの国線「恩田」駅 |
05 | 八坂神社 | 青葉区田奈町37-5 | 2017/10/26 | 東急田園都市線「田奈」駅 |
06 | 神鳥前川神社 | 青葉区しらとり台61-12 | 2017/10/26 | 東急田園都市線「田奈」駅 |
07 | 市ケ尾杉山神社 | 青葉区市ヶ尾町641 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
08 | 市ケ尾八雲神社 | 青葉区市ヶ尾町1725 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
09 | 大場諏訪神社 | 青葉区大場町921 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
10 | 鉄神社 | 青葉区鉄町1553 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
11 | 甲神社 | 青葉区鴨志田町296 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
12 | 子ノ神社 | 青葉区たちばな台2-22-1 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
13 | みたけ台杉山神社 | 青葉区みたけ台26-1 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
14 | 千草台杉山神社 | 青葉区千草台17-2 | 2019/04/29 | 東急田園都市線「市ヶ尾」駅 |
【履歴】
・2014/02/13(木): 02/11(火)あざみ野駅周辺を探索。
・2017/10/29(日): 10/26(木)東急田園都市線「田奈」駅周辺を探索。
・2019/04/30(火): /04/29(月)東急田園都市線「市ヶ尾」駅周辺を探索。
横浜市営地下鉄ブルーライン「あざみ野」駅で下車。 NO.1出口に出て右手「たまプラ−ザ」駅方向へ向かう。川を超え次の右手脇道に折れ、西勝寺を左手に見ながらしばらく行くと左手にある。
創立年代は不詳。往古より延喜式所載の武蔵國石川牧の総鎮守である。
昭和十四年、横浜市に合併されるまで、此の石川には「秣場」と称する馬料共有地五十餘町歩が遺っていた。
又、社前は旧鎌倉街道に当たり、源頼朝の臣畠山重忠に篤く崇敬されていたと云わっている。
明治六年十二月村社に列し、昭和十年に拝殿を再築し、全く社殿の面目を一新。
昭和五十七年拝殿屋根を銅板葺に改修している。
当神社の名称は、先の如く馬を大切にする意から、馬を敬う即ち「驚」がついたと伝わっている。
祭神として素戔嗚尊を祀る。
横浜市営地下鉄ブルーライン「あざみ野」駅で下車、NO.1出口に出て右手「たまプラ−ザ」駅方向へ向かう。 県道13号線との交叉点である「西勝寺北側」交叉点を超え二つ目の四つ角で右折する。 左手に新石川公園を見ながら進み丁字路にぶつかった処にある。(約700m)
旧石川の中村と下谷の二つの集落の谷戸宮で、江戸時代後期の地誌「新編武蔵風土記稿」に「伊勢社、除地一段、村の東にあり、南へ向かう。」と記載がある。
当地の鎮守として古くから村民に崇敬されていたと云う。
祭神として大日女尊(天照大神の別名)を祀る。
境内社: 秋葉神社 |
秋葉神社は平成十年に新石川四丁目十七から造成工事のため遷宮した。江戸時代の文化五年に静岡県秋葉山にある秋葉神社の分霊を歓請したもののようだ。
東急こどもの国線「恩田」駅で下車。駅前の道を二辻ほど直進し左折、暫く下ると左手に鎮座している。
上恩田杉山神社の創建年代等は不詳ながら、嘉永五年(1852)の棟札が残されているといい、昭和七年には神饌幣帛料供進社に指定された。
東急田園都市線「田奈」駅で下車。駅前の「こどもの国通り」道を右手横浜方向へ進み、「神明社入口」交差点で左手の脇道に入り、真っすぐ伸びる登り道を進むと突き当りの丘の上に鎮座している。
万治二年(1659)田中作右ヱ門信友が伊勢皇太神宮に参宮し、戻って社殿を建立した。その後元禄十二年九月、田中伝兵ヱ信高が伏見稲荷神社分霊を奉斎し、以来、「神明稲荷社」とも称して来た。
祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)と宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)である。
天照皇大神は伊勢神宮をはじめ神明神社と呼ばれる神社で一般的に祭られる神で、いわゆる"お伊勢様"である。
宇迦御魂命は伏見稲荷大社に祭られている穀物の神で、いわゆる"稲荷様"で、太陽と穀物という組み合わせから農耕に関する信仰であることが伺える。
拝殿の右側には左から順に、神明稲荷、天王社、三嶋神社の3つの社が並んでいる。
中恩田神明社脇の道を進み、広い道に出たら左手へ向かうとすぐ先の交差点に椎の木地蔵尊があり、その隣に鎮座している。
椎の木地蔵尊の左方一段低い境内に鳥居が建ち、その奥に小さな石の社が鎮座している。
"天王様"と呼ばれ、地蔵尊と共に厚く信仰されている。
本社は京都市東山区祇園町にある八坂神社であり、古くは、「感神院祇園社」と云われていた。
明治維新の際、神仏分離の制となり、明治元年「感神院祇園社」から社名が八坂神社に改まり、祭神は素戔鳴尊となった。
東急田園都市線「田奈」駅で下車。駅前の道を右手横浜方向へ500mほど直進すると左手に鎮座している。
神鳥前川神社は、文治三年(1187)に稲毛三郎重成が勧請したと伝えられる、800年以上の歴史を持つ古い神社である。
昔は現在の田奈駅の近くにある萬福寺が別当寺としてこの神社を治めていて、下恩田一帯の鎮守として信仰されてきた。
明治四十三年(1910)には近くにあった神明社を合祀し、更に昭和六十年(1985)前後には下恩田の富士塚に置かれていた石碑石仏も境内の仙元社(せんげんしゃ)に移してきている。
祭神は倭建命(やまとたけるのみこと)と弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)、そして後に合祀された伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の4柱2組の夫婦の神である。
現在では旧恩田村エリアにある神社で唯一神職が常駐している神社として、祈祷を受けに来る方が絶えない神社である。特に出産や子供に関するご利益が多く、週末には若い夫婦や生まれて間もない子を抱いた家族連れで賑わっている。
東急田園都市線「市ヶ尾」駅にて下車、東口より駅前の道を右手へ下り県道12号線「横浜上麻生道路」に出る。 左折し新横浜方向に進み東名高速のガードをくぐった先にある「東福寺西側」交差点で右手の「横浜上麻生道路」に進み150mほど先右手の路地に入ると突き当りに鎮座している。
創立年代不詳であるが、徳川初期と思われる。新編武蔵風土記稿に記載されている。
明治初年氏子中の寄進により社殿改築、市ケ尾町総鎮守として篤く崇敬されている。
祭神は五十猛命。
東急田園都市線「市ヶ尾」駅にて下車、西口より駅前の道を右手へ進み国道246号線に出て、歩道橋を渡り国道246号線を横断する。 そのまま北へ延びる道を進み、「横浜市ヶ尾局」郵便局先の細い参道に入ると突き当りに鎮座している。
創立年代不詳。境内地後方谷を隔てて横穴式古墳群があり、古代集落の存在が推定される。
村民の信仰の中心として集落の中心の斎場に神社を造営したものと思われる。
旧社名「牛頭天王社」として新編武蔵風土記稿に記載されている。
明治初年「八雲神社」と社名を改め、大正四年拝殿を改築した。上市ケ尾鎮守神として篤く崇敬されている。
祭神は素盞鳴命。
東急田園都市線「市ヶ尾」駅にて下車、西口より駅前の道を右手へ進み国道246号線に出て、歩道橋を渡り国道246号線を横断する。 そのまま北へ延びる道を進み、「横浜市ヶ尾局」郵便局手前の右手の道に折れ、道なりに進むと約600m先右手に鎮座している。
創建は棟札によると「宝暦六年十月(1756)当時の領主筧内膳及び惣氏子により大場村鎮守産土諏訪大明神として建立された」とある。
安政六年には覆殿、拝殿を建築した。
明治元年(1867)「諏訪大明神」から「諏訪神社」に改称した。その後、昭和二十六年六月社殿拡充、境内地の整備更に昭和四十九年四月社殿修理、石段の改修を行った。
祭神は建御名方命。
東急田園都市線「市ヶ尾」駅にて下車、西口より駅前のバス9番乗場から「桐蔭学園前行」に乗り終点の「桐蔭学園前」バス停で降りると目の前に鎮座している。
創建年代等は不詳。天文年間(1532-1555)の勧請と伝えられ、「青木明神杉山明神合社」と称し、上・中・下鉄村三ヶ村の総鎮守社だった。昭和四年神饌幣帛料供進社に指定されている。
昭和四十七年現在の社殿を新築。
祭神は伊弉諾尊、五十猛命。
東急田園都市線「青葉台」駅にて下車、「青28 桐蔭学園前行」バスに乗り「常盤橋」バス停で降りる。 20mほど戻り右手の道に入り十字路まで進んだら右折し、あとは道なりに進むと250mほど先に鎮座している。
創立年代不詳であるが、戦国時代と伝えられ、新編武蔵風土記稿に記載されている。
御神体は石剣に似ているもので、祭神日本武尊、社名甲神社と称した。
現在の社殿は大正十四年十二月一日改築したもの。爾来鴨志田町産土神として篤く崇敬されている。
祭神は日本武尊。
東急田園都市線「青葉台」駅にて下車、「青28 桐蔭学園前行」バスに乗り「成合」バス停で降りる。 バス進行方向の成合交差点まで進み左折し最初の左手脇道に入る。60mほど先の丁字路で右折し更に50mほど先で左折すると右手墓地の先に鎮座している。
創立年代不詳であるが、新編武蔵風土記稿に、成合村鎮守と記載してある。
明治四十一年三月四日無格社浅間社を合併、社殿を改築した。
昭和五十一年五月には、出雲大社より新らたに御分霊を奉祀し社殿を新築、同年九月遷座、成合町産土神として篤く崇敬されている。
祭神は大国主命。
東急田園都市線「青葉台」駅にて下車、東急バス[青01: 藤ヶ丘駅行]に乗り、「みたけ台小学校第二」バス停で降りる。 十字路まで戻り左折し、進むと120mほど先左手に鎮座している。
天文年中勧請とも伝えられるが、一説には、それより以前、鎌倉古道の傍にあった古社で源頼朝が守護神として厚く崇敬したとも伝える。
明治六年村社に列格、同二十八年十月十三日社殿改築、大正九年六月十八日、八幡社を合併、同九年七月十六日神饌幣帛料供進社に指定される。
昭和四十九年三月現在の社殿を新築遷座、上谷本町氏神として篤く崇敬されている。
祭神は五十猛命。
東急田園都市線「市ヶ尾」駅にて下車、東口より駅前の道を右手へ下り県道12号線「横浜上麻生道路」に出る。 左折し新横浜方向に進み東名高速のガードをくぐった先にある「東福寺西側」交差点で右手の「横浜上麻生道路」に進み「谷本小学校入口」交差点で右折し、突き当りの「谷本小学校前」交差点で左折するとすぐ右手に鎮座している。
創立年代不詳。徳川初期の創立と伝っている。新編武蔵風土記稿に下谷本村鎮守とある。
大正三年六月三日、無格社八雲神社外五社を合併、社殿、拝殿、神楽殿等を氏子中の寄進により改築造営した。
昭和四十九年には、現在の社殿を新築、遷座している。
古来、下谷本町産土神として、又産業の神として崇敬篤い。
祭神は五十猛命。