事事関心! 神社探訪:
[ 神奈川県横浜市泉区 ]
神社探訪: 神奈川県横浜市泉区        2012/01/05(木)更新
参拝社一覧

 横浜市泉区に点在している神社を少しづつ巡り参拝した。緑園の山王神社で無事に泉区のほぼ全ての社を巡り終えた。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 鯖神社 横浜市泉区和泉町705 2011/06/25
 02 和泉第六天神社 横浜市泉区和泉町785 2011/05/20
 03 中之宮左馬神社 横浜市泉区和泉町3253 2011/06/15
 04 須賀神社 横浜市泉区和泉町3662 2011/05/21
 05 佐婆神社 横浜市泉区和泉町4811 2011/06/25
 06 横根稲荷神社 横浜市泉区和泉町5963 2011/07/27
 07 八幡神社 横浜市泉区和泉町6287 2011/07/15 高倉探索のついでに参拝
 08 日枝神社 横浜市泉区和泉町7445 2011/10/12 朝早く自転車でひとっ走りして参拝
 09 三柱神社 横浜市泉区上飯田町840 2011/09/17
 10 飯田神社 横浜市泉区上飯田町2517 2011/06/29
 11 柳明神社 横浜市泉区上飯田町4579 2011/10/25 自宅から歩きはキツイので自転車で参拝
 12 琴平神社 横浜市泉区下飯田町742 2011/06/04
 13 日枝神社 横浜市泉区下飯田町1750 2011/10/11 朝早く自転車で一っ走りして参拝
 14 御霊神社 横浜市泉区中田北3-42-1 2011/06/16
 15 下和泉神明神社 横浜市泉区和泉町1660 2011/08/31
 16 三嶋神社 横浜市泉区岡津町2351 2011/11/02 猫が多く住みついていた
 17 神明社 横浜市泉区新橋町1377 2011/12/13 新年を迎えるために綺麗に清掃されていた
 18 五霊社 横浜市泉区新橋町109 2011/12/13 境内社の稲荷社を再建中
 19 山神王社 横浜市泉区緑園3-22 2012/01/05 「初詣 賑わいの痕塵 山高く」 残念なり
【履歴】
・2011/08/02(月): 掲載
・2011/08/13(土): 更新(記載見直し)
・2011/09/12(月): 更新(下和泉神明神社を追加)
・2011/09/17(土): 更新(上飯田町840三柱神社を追加)
・2011/10/12(水): 更新(和泉町日枝神社を追加)
・2011/10/25(火): 更新(上飯田町柳明神社を追加)
・2011/11/02(水): 更新(三嶋神社を参拝)
・2011/12/13(火): 更新(新橋-神明社,五霊社を参拝)
・2012/01/05(木): 更新(緑園-山王社を参拝)

鯖神社 横浜市泉区和泉町705

 立場ターミナルから神奈中バス「立場ターミナルー湘南台駅西口」系統を利用し、「赤坂」バス停で下車。 少し戻った四つ角を右手へ折れ北上し、環状4号線を横切り更に山側縁の道を進む。 集落に入り丁字路に至ったら、そのまま直進すると50mほど入った右手山縁に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

稲荷社

 慶長年代に当地の郷士、清水、鈴木の両氏が勧請したと伝わっている。元禄二年(1689)に社殿の修復が行われたと記された棟札、天保七年五月(1836)に神祇管領卜部朝臣良長が京都から参向奉弊し「鯖大明神」の額を奉納した旨を記した棟札が保存されている。
 戦後、住宅開発に伴い新旧氏子融和のため、神輿、囃子屋台を新調、例祭時に盛大な神輿渡御を行った。
 左馬頭源ノ満仲(さばのかみみなもとのみつなか)を祭神として祀っている。

和泉第六天神社 横浜市泉区和泉町785

 立場ターミナルから神奈中バス「立場ターミナルー湘南台駅西口」系統を利用し、「赤坂」バス停で下車。 少し戻った四つ角を右手へ折れるとすぐ左手山縁に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

社殿(日吉造)

酒湧池

 勧請年代は不詳。鎌倉開府以前からの社と伝えられている。社前の道は"古鎌倉道"という伝承があり、近くに陣屋敷、御畝、隠忍坊などという地名が残っている。 また社殿の傍らに孝子伝説が伝わる"酒湧地"または"弁天池"と呼ぶ泉がある。 和泉町の地名はこの泉から出たといわれている。 社伝には延宝年間、領主松平五郎兵衛甫昌の崇敬、社参が記されている。
 祭神として、面足能命(おもだるのみこと)、惶根能命(かしこねのみこと)を祀っている。

中之宮左馬神社 横浜市泉区和泉町3253

 相鉄線「和泉中央」駅で下車。線路と平行して流れる和泉川沿いに川下へと向かう。三本目の橋に至ったら右手の山側へ折れ進むと、右手の丘の縁に鎮座している。


鳥居(明神鳥居型)

社殿(権現造)

神額

 伝承では源氏隆盛の頃の勧請と伝えられている。昔から「相模七左馬(鯖)の一社」と崇められた社で、新編相模風土記稿にも「鯖明神社」と記述がある。明治六年十二月(1879)に和泉村の"村社"に列せられた。 寛永二年十二月(1625)に能見松平の勝左衛門昌吉が和泉村の領主になった時に村の鎮守として再興、また能見松平家累代の祈願所とした。 また代々の領主は氏子と共に社の護持や社殿の修復に尽力しており、文化十三年(1816)、天保六年(1835)の棟札が残されている。 平成十六年に本殿を保護する社殿が新築された。
 祭神は左馬頭源ノ満仲(さばのかみみなもとのみつなか)、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)である。

須賀神社 横浜市泉区和泉町3662

 相鉄線「和泉中央」駅で下車。線路と平行して流れる和泉川沿いに川下へと向かう。一本目の橋を渡り、少し戻ると右手にお寺があり、参道を進むと、山門の左手に鎮座している。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿(日吉造)

神額「須賀神社」

 信濃国の住人泉小次郎親衡が、伊豆修善寺で討たれた源頼家の遺児千寿を擁し、和田一族と共に北条義時討たんと旗揚げのため当地に築城した建暦二年(1212)、その鎮守として奉斎したのが創祀だと伝えられている。
 祭神として建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、櫛名田比賣之命(くしなだひめのみこと)を祀っている。

佐婆神社 横浜市泉区和泉町4811

 相鉄線「和泉中央」駅で下車。線路と平行して流れる和泉川沿いに川上へと向かう。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

神額

 勧請年代は不詳で、伝承では寛文年中(1661-1672)に伊予河野氏の後裔、石川治右衛門が当地に往来した時、一統の守護神として奉斎したのが創祀と云わっている。 また明治十一年(1878)に当地に伝わる伝承類をまとめた「和泉往来」の文書には「慶長年中の勧請という」と記されています。 恐らく境川の両岸に祀られている境の神としての性格を持つ古い社の一つと思われる。 当地字名の”神田(かみだ)”は当社の「神饌田」があったからと云われています。 天保六年に社殿修復をした時の棟札が残されている。
 祭神は左馬頭源ノ満仲( さばのかみみなもとのみつなか )である。

横根稲荷神社 横浜市泉区和泉町5963

 神奈中バス「富士見台」バス停で降り、泉警察署へ向かう道に入ると、約100mほど先右手に鎮座している。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

横根感念井戸

 横根稲荷神社は、「横根のいなり様」といわれて近郷住民や商人の信仰を集めていた。 境内にあった「横根感念井戸」は,現在埋められているが,和田義盛の愛妾巴御前が信濃に落ちていく途中に用いたと「和泉往来」に書かれている。
 祭神は字迦之御魂大神である。

八幡神社 横浜市泉区和泉町6287

 相鉄いずみ野線「いずみ野」駅で下車。線路沿いに泉中央方向に歩くと和泉川の手前にある。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿(日吉造)

神額「八幡神社」

 勧請年代は不詳で、昔から上和泉の八幡さまという呼称以外に「織部八幡」と称しており、元亀年中に汲沢の郷土森織部義秀が勧請したという伝承がある。 森織部義秀の後裔である繁春が明治十三年(1880)に記した「汲沢往来」の森家の項に「寛文年中、松平氏より和泉田地13石拝領」と記されている。 天正期に何かの事情があって徳川への領地委譲が出来なかったようだ。


鐘楼

 いずみ野住宅の開発前は主水分(もんどぶん)集落の一番上手の、和泉川に面した豊かな森を背景に持つ丘陵の末端に鎮座している。 境内からは先土器時代の礫や石斧が多数発見されている。 享保十三年に社殿を再興したという棟札は平成八年八月(1996)の不審火で社殿とも焼失、現在の社殿は平成九年九月(1997)に新築された。
 祭神として應神天皇(おうじんてんのう)を祀っている。


日枝神社 横浜市泉区和泉町7445

 電車を利用した駅から歩いての直接アクセスはキツイのでバス利用となる。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

神額

 大永六年(1526)後奈良天皇即位の年に、住民の代表が上京しての帰途、近江国一宮の日吉神社の神霊を当地に分祀したのが初めといわれている。境内社に第六天神社、御獄神社、白神社がある。
 祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)である。


神楽殿

 現在、神社前の道路工事に伴い庚申塔が置かれていた敷地の一部が削られたため塔の移設とともに境内の整備工事が行われていた。(2011/10/12現在)


三柱神社 横浜市泉区上飯田町840

 相鉄いずみ野線「いずみ中央」駅から長後街道に出て長後方向へ和泉坂上交差点を過ぎ最初の左手脇道に入る。 四つ角を過ぎ左三叉路にぶつかったら左折し200mほど先左手に三柱神社がある。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

神額

 上飯田の下組地域内に祀られていた字溝下385番地鎮座の神明社、字島廻り188番地鎮座の日枝社、字天神山1-118番地鎮座天満宮の三つの社を、大正元年十二月(1912)に寄宮し、現在の地に社殿を建てて三柱神社としたのが始まり。 現在の社殿は昭和44年に新築再興された。
 祭神は豊受津姫命(とようけつひめのみこと)、大山咋命(おおやまくいのみこと)、菅原道眞公(すがわらみちざねこう)だ。

飯田神社 横浜市泉区上飯田町2517

 立場バスセンターから神奈中バス「上飯田車庫行」に乗り、「飯田神社前」バス停で降りると反対車線側に飯田神社がある。


鳥居(素木鳥居型)

社殿(日吉造)

 勧請年代は不詳で、社伝に「延応元年(1239)に飯田三郎能信、当時の地頭に復するや篤き奉幣の儀あり猶知行平山源太郎の崇敬特に深かりし社なり」と伝え、寛政十二年二月(1800)、式部権大輔菅原長量が「飯田大明神」と刻まれた銅製の神号額を奉納、また文化十三年二月(1816)に神祇管領占部朝臣良長が当社に幣帛を献上して祝詞を奏上している。 新編相模風土記稿に「飯田明神社、鯖明神とも唱ふ、村の鎮守なり、稲荷、山王を合祀す、村持。」と記され、鯖明神とあるように昔から境川沿いに多く祀られているサバ神の一社で、当社は「相模七鯖」のひとつに数えられている。 境の神としての幾多の伝承も残されている。 明治六年(1873)に村社に列された。現在の社殿は昭和三十年に新築されたものだ。
 祭神は左馬頭源義朝( さばのかみみなもとのよしとも )、宇迦之御魂大神( うかのみたまのおおかみ )、大山咋大神( おおやまくいのおおかみ )である。

柳明神社 横浜市泉区上飯田町4579

 立場バスセンターから神奈中バス「上飯田車庫行」に乗り「上飯田」バス停で降りて、その先へ100m歩くと松並交差点がある。そこを左折すぐのところにある。


鳥居(素木鳥居型)

社殿(日吉造)

神額

 廃寺となった鎌倉郡観音二十四番札所大石寺跡に村境の伊勢山に祀られていた神明社を遷したものだ。 昭和五十年に柳明神社に改められた。


鐘楼

庚申塔群

地蔵尊
琴平神社 横浜市泉区下飯田町742

 小田急/相鉄「湘南台」駅で降り、西口ロータリーから神奈中バス「立場ターミナル行」に乗り「飯田」バス停で下車する。 少し戻った「下飯田」交差点で右折し進むと100mほど先右手に鎮座している。


鳥居(台輪鳥居型)

社殿

 天正十八年(1590)に下飯田の領主になった筧助兵衛為春が菩提寺の東泉寺を、境川のたび重なる氾濫から寺を守るため寺域を現在地に移築し、その際、水難守護治水の神である金毘羅神を元木の村と寺の鎮守として勧請したのが当社の初めと云われている。 昔から下飯田の金毘羅さまとして近郷住民の信仰を集め、特に西湘方面の漁師や船員の崇敬を得ており、今でも毎月10日には各地から多くの参詣者がいる。この日は「お堂番」と呼ばれる当番の人が参詣の人を待ち、お札と「おごっく」という供物を授与している。
 例祭時には神輿と囃子の屋台が繰り出され、盛大な神輿渡御が行われている。 現在の社殿は平成十二年十月に新築再興された。
 祭神は大物主神( おおものぬしのかみ )、崇徳天皇( すとくてんのう )である。

日枝神社 横浜市泉区下飯田町1750

 相鉄線「ゆめが丘」駅で下車し、湘南台方向へ200mほど進み、右手の道に入り250mほど先の十字路で右折する。 300mほど進むと左手に鎮座している。(徒歩約10分)


社殿

 下飯田、杉の木地区の美濃口、持田両氏の氏神として祀られた社で元文年間の勧請と伝っている。
 祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)である。


御霊神社 横浜市泉区中田北3-42-1

 地下鉄ブルーライン「中田」駅で降り、長後街道を200mほど立場方向に行ったところにある「中田小学校入口」交差点で右折、北方向へ奔る道を道なりに行くと、突き当りにこの地域の鎮守である御霊神社がある。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

神額

 新編相模風土記稿に「天正中の勧請という」、藤沢市の村岡御霊神社に伝わる仁安二年(1167)記の文書に当地の地名があり、分社したと記されている。 このことから勧請年代は更に遡るようだ。 文禄元年(1592)石巻康敬が中田村の領主になって以来、鎮守神として崇敬、屡々社参奉賽したと伝っている。 現存する享保十一年(1726)社殿修復の棟札は康敬5代の孫石巻康久のものである。 明治六年(1873)村社に列し、大正十年に神饌幣帛料供進社に指定された。
 享保十一年再興の建物が大正の震災で倒壊し、その主要部分を用いて、翌十三年九月に本殿のみ復旧し、拝殿、幣殿、渡殿等は昭和七年二月建立したものである。
 祭神は鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)、日本武尊(やまとたけるのみこと)である。


金毘羅社、日枝社

大日大聖不動

正一位矢並稲荷社

石祠(庚申様)

弁天池

笠付角柱庚申塔
寛文6年(区内最古)

御獄山信仰碑
下和泉神明神社 横浜市泉区和泉町1660


鳥居(素木鳥居型)

社殿

供養塔

 安永元年に山の守り神として鈴木伊左衛門が作った祠で、地の人々によりお伊勢山様として豊作を祈願し参拝されてきたが時とともに廃れてしまった。 昭和五十一年九月、宅地造成に伴い放置状態にあった祠を自治会の家内安全を願り下和泉神明神社として祭った。

三嶋神社 横浜市泉区岡津町2351

 神奈中「岡津」バス停から岡津小学校横を通り徒歩4分のところにある。


一の鳥居(明神鳥居型)

二の鳥居(両部鳥居型)

社殿

神額

 創建の年は不詳。和銅六年(714)の相模国風土記に鎌倉郡中川村字岡津三嶋神社の記述がある。 現在の社殿は、文化四年(1807)建立後百六十年を過ぎ、修復も難しいため昭和四十四年(1969)再建されたもの。
 祭神は大山祇命(おおやますみのみこ)である。


神明社 横浜市泉区新橋町1377

 相鉄いずみ野線「弥生台」駅を利用すると便利だ。駅前の道路を「駅入口」交差点まで出て、ぶつかった県道218号線の坂道を約600m下る。 瀬谷柏尾道路と交差する手前にある柏尾川縁には遊歩道が整備されている。 ここを川上方向に相鉄線の高架下の瀬谷柏尾道路(401号線)の新橋交差点まで約400m歩く。 ここで、瀬谷柏尾道路の上り車線側に渡り、そのまま約300m瀬谷方向に進む。 観音禅寺前の交差点で右手に入り、道なりに約150m進んだところにある。


鳥居(靖国鳥居型)

社殿

神額

 嘉永年間(1303-05)の創建で正和年間には神宮参拝者の多さを鑑み天照大神を合祀したと伝えられている。 文政から万延にかけて社殿・境内の整備が行なわれた。
 祭神は国常立神(くにのとこたちのかみ),天照大神(あまてらすおおみかみ)である。

五霊社 横浜市泉区新橋町109

 相鉄いずみ野線「弥生台」駅にて下車。駅前の道路を「駅入口」交差点まで出て、ぶつかった県道218号線の坂道を約600m下る。 瀬谷柏尾道路と丁交叉する手前にある柏尾川縁には遊歩道が整備されている。 ここを川上方向に相鉄線の高架下の瀬谷柏尾道路(401号線)の新橋交差点まで約400m歩く。 五霊社は高架の少し手前右手の丘の上に鎮座している。 神社参道の階段は道路整備の際削られ、再築されている。昔の名残は階段上右手に奉納者の標石のみ残っている。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

神額「五霊社」

 永享三年(1431)頃、凶作が続き盗賊害の続発に悩んだ村人が集まり対策協議中に、一老人が「吾人鼓腹して楽しみとするも唯我が力のみにして衣食を得べからず。 天地神明の加護なくんば之を得ず。足りて驕れば賊を招くなり。 宜しく日本武尊を奉斎して報賽祈請し且つ霊威によりて鬼賊を封止すべきなり。」と言ったことに一同飜然と悟り、協力して一社を建て(創祀)日夜熟祷した。 社殿は享保年間及び文久元年に改築したが、昭和二十七年不慮の火災で炎上、再建・改築を加えて現在に至る。
 祭神として日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っている。


水盤(手水鉢)

神楽殿

招福石

鳥居の神額

 手水鉢は水を流す術がなく今は使われていない。 右側面には寄贈者三名(長者長屋、藍屋前の家、後一名は未調査)の名前が刻まれている。 招福石は亀の上に蛇が蜷局を巻いた様子をした彫り物で、賽銭を上に供えると金運が上昇する(お金がたまる)と言われているそうだ。
 境内摂社の稲荷社は再築中(2011/12/13)だった。

山王神社 横浜市泉区緑園3-22

 相鉄いずみ野線「緑園都市」駅にて下車。駅西口に出て線路沿いに横浜方向に50m程歩き左折し200m程真っ直ぐ進む。 右折T叉路にて右折し100m程登ると右手に鎮座している。 住宅地の中の角地にコジンマリとまとめられた質素な神社だ。


鳥居(明神鳥居型)

社殿

神額(鳥居)

 この神社の本社は比叡山山麓にある日吉大社で、大山咋神(おおやまくいのかみ)が祀られている。
 手水舎や社務所、等はなかった。


追補
指定村社
 国家神道時代に入り、国家が神様へお供えする供物代の一部や、 弊帛料(御進物料)を負担する地域代表の神社。 この「指定村社」の制度は、終戦の昭和二十年まで続いた。

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