事事関心! 神社探訪:
[ 横浜市戸塚区 ]
神社探訪: 横浜市戸塚区           2013/06/04(火)更新
神社一覧

 横浜市戸塚区の神社を探訪し、参拝した。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 羽黒神社 横浜市戸塚区戸塚町41432011/06/10
 02 八坂神社 横浜市戸塚区戸塚町41892011/06/10
 03 冨塚八幡社 横浜市戸塚区戸塚町38272011/06/10
 04 浅間神社 横浜市戸塚区戸塚町32752011/09/14宮之谷集落に鎮座
 05 第六天宮 横浜市戸塚区戸塚町33552011/06/10改築完了してました(2011/08/03)
 06 下郷熊野神社 横浜市戸塚区戸塚町22262011/07/22
 07 小雀五霊神社 横浜市戸塚区小雀町2012/06/14
 08 五霊神社 横浜市戸塚区汲沢町12732011/06/03
 09 大久保神社 横浜市戸塚区汲沢町309ー22011/06/19兼任宮司なのでよいのだが狭小
 10 三島神社 横浜市戸塚区深谷町10262011/09/18
 11 相州春日神社 横浜市戸塚区俣野町7002011/05/31 
 12 上俣野神社 横浜市戸塚区俣野町7632011/07/29 
 13 神明社 横浜市戸塚区俣野町12702011/07/29 
 14 八坂大神 横浜市戸塚区東俣野町16372011/06/21分社を含む。再訪(2011/07/30)
 15 子之八幡社 横浜市戸塚区上倉田町9782011/05/25
 16 下倉田八幡神社 横浜市戸塚区下倉田2011/07/22
 17 影取諏訪神社 横浜市戸塚区影取町882011/07/24
 18 浅間神社 横浜市戸塚区原宿町3412011/06/20
 19 平戸白旗神社 横浜市戸塚区平戸町3022012/05/19(別紙掲載)
 20 御嶽神社 横浜市戸塚区上柏尾町2492012/05/19(別紙掲載)
 21 王子神社 横浜市戸塚区柏尾町9392012/05/19(別紙掲載)
 22 東峯八幡宮 横浜市戸塚区吉田町12632011/08/03(別紙掲載)
 23 待山八幡社 横浜市戸塚区矢部町辻10032011/08/29(別紙掲載) 横浜新道脇
 24 篠塚八幡神社 横浜市戸塚区上矢部町19492011/12/24(別紙掲載)
 25 第六天社 横浜市戸塚区上矢部町11302012/01/07(別紙掲載)
 26 松尾神社 横浜市戸塚区上矢部町4212012/01/07(別紙掲載)
 27 日月社/姥子社 横浜市戸塚区上矢部町15252012/01/07(別紙掲載)
 28 舞岡八幡宮 横浜市戸塚区舞岡町9462012/01/30(別紙掲載) 拝殿に壁が無い造りが珍しい
 29 白旗神社 横浜市戸塚区品濃町518-72013/06/04(別紙掲載) 昨年10月に再建!
【履歴】
・2011/07/29(金): 相州春日神社、上俣野神社、神明社を追加
・2011/07/30(土): 浅間神社を追加
・2011/08/04(木): 八坂大神分社、東峯八幡宮を追加
・2011/08/29(月): 待山八幡社を追加
・2011/09/14(水): 宮之谷浅間神社を追加
・2011/09/24(土): 三島神社を追加
・2011/12/24(土): 篠塚八幡神社を追加
・2012/01/07(土): 第六天社,松尾神社,日月社/姥子社を追加
・2012/01/30(月): 舞岡八幡宮を参拝
・2012/05/19(土): 平戸から戸塚まで散策
・2012/06/14(木): 小雀五霊神社を参拝
・2013/06/04(火): 東戸塚の白旗神社を参拝
羽黒神社 横浜市戸塚区戸塚町4142

 JR戸塚駅から一号線を藤沢方向に約500m戸塚消防署の手前右手にある。参道入口には澤辺本陣跡の標柱がある。


鳥居(明神鳥居形)(裏面)

社殿

 弘治二年五月(1556)富塚郷の住人澤邉河内守信友が勧請した。 信友の子信重は富塚村が宿駅に定められたことを当社の霊験によるものと感謝し、御伝馬証文下付の日を記念して十一月十七日を祭礼の日と定めた。その後信重が此処に御遷座させた。 社殿は寛永、慶安、寛文年中に修造、宝永年中には全て破壊したため信興が願主となり本社並に拝殿を新造した。 明治十四年五月(1881)台風のため破壊されたのを機に、裏山の高台から同年八月十七日(1881)に現所に移し再建された。 明治六年十二月(1883)に村社に列せられ、昭和八年八月十九日(1933)羽黒神社と改称された。
 祭神は稲倉魂命(うかのみたまのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)。

八坂神社 横浜市戸塚区戸塚町4189

 JR戸塚駅から国道一号線を藤沢方向に約800m、「八坂神社前」交差点の手前右手にある。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 元亀3年6月(1572)、郷の庄司内田兵庫政親が牛頭天王社を草創勧請したものです。その後、いつしか社殿敗壊、御神体は草莽の中に散在し、止む無くこれを地中深く埋め祭祀を欠くこと数十年に及んだ。 内田氏の子孫、内田佐衛門蔚源政利がこれを憂い、元禄元年(1688)、矢部村庄司河原氏の霊夢により土壌を起こし、御神体を得て、その再興をはかり祭祀を行った。この時、鶴ヶ岡の神職が湯花神楽を奏した。 正徳六年四月十四日(1716)正一位の神号を受け、政利の子孫は累代社司に任じられた。 明治元年(1868)「八坂社」と改め、更に昭和七年九月十九日(1932)「八坂神社」と改称し、現在に至る。
 祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)と奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
 境内に上がる石段を登ると右手に明治元年に明治天皇がご東幸の際「神器」が置かれたところを示す賢所奉安所跡の碑、その奥に庚申塔・神体出現地の碑、および歌祭御大詠の歌碑(文政六年(1823)建立)がある。

冨塚八幡社 横浜市戸塚区戸塚町3827

 戸塚駅から一号線を藤沢方向に約1km(徒歩約15分)戸塚町交差点右手のところにある。また、山頂には古墳がある。 富属彦命の墳堂と伝えられており、これを"富塚"と称し、戸塚の地名発生となったと伝承されている。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 前九年役注釈平定のための源頼義、義家父子が奥州下向の途次、当地に露営し、夢に応神天皇及び富属彦命の信託を蒙り、その加護によって戦功を収めたので、延久四年(1072)富塚山中腹に社殿を営み両祭神を勧請したもの。 後に鎌倉権五郎景政の臣・戸塚修六友晴は、当社の霊験の灼なるを畏み、応徳三年(1086)に社殿を再建した。 現在の本殿は天保十一年(1839)、拝殿は昭和九年(1934)に改築され現在に至る。
 祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)(応神天皇)と富属彦命(とみやすひこのみこと)(古墳時代の戸塚の豪族)。

【前九年役】
 永承六年(1051)から康平五年(1062)にかけて、陸奥の豪族安倍頼時とその子貞任(さだとう)・宗任(むねとう)らが起こした反乱を、朝廷が源頼義・義家を派遣して平定させた戦役。
浅間神社(せんげんじんじゃ) 横浜市戸塚区戸塚町3275(宮之谷)

 JR戸塚駅バスターミナルから「汲沢経由立場ターミナル行」に乗り「細田」バス停でおり少し先の右手の脇道に入り下ると左手に宮谷西公園がある。 浅間神社はこの宮谷西公園奥の脇に鎮座している。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 延宝二年二月(1674)富士山浅間神社より勧請し創建された。
 祭神は木之花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。


摂社-諏訪神社

摂社-??

碑-「浅間神社」

道祖神塔
正徳4年(1714)
第六天宮 横浜市戸塚区戸塚町3355

 JR戸塚駅から国道一号線を藤沢方向に約1.4kmの大阪下右手にある。この先から"大坂"が始まる。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 第六天という神は神道では、天神六代目にあたる面足尊(オモダルノミコト)、惶根尊(カシコネノミコト)というふたりの神である。
 境内には産魂祠(天保十年)、藤行翁之碑(寛永七年)がある。

下郷熊野神社 横浜市戸塚区戸塚町2226

 JR戸塚駅より神奈中バス「大船行」に乗り、「下郷」バス停下車すぐ。


鳥居(明神鳥居形)

拝殿(入母屋造)

神額

 新編相模風土記によれば、享禄年中(1528-1531)に村民信心の右衛門と申す者が藤沢の遊行上人に帰依し剃髪して僧侶となり信阿と号し、後に紀州熊野本宮に詣で熊野大権現を当地に勧請して側に草庵を結び常念佛修行したのが始めで善男善女の信仰するものが多かったと伝えられている。 昭和五十三年一月(1978)に神社創建四百五拾周年にあたり社殿を再建、氏子代表が熊野本宮へ参詣し御分霊を奉還勧請し四月十五日御遷座した。 (「下郷熊野神社の由来」より抜粋)
 御祭神は家津美御子大神。

小雀五霊神社 横浜市戸塚区小雀町1193

 JR大船駅西口より神奈中バス「船21/船22系統 立場ターミナル行」に乗り「神社前」バス停で下車、四つ角交差点を南へ入り登り道を進むと丘の頂上にある。


鳥居(靖国鳥居型)

拝殿(入母屋造)

神額「五霊社」

 明徳年間(1390-1393)に当地の金竜山燈明寺の開山円仲省鏡が「一村の五穀豊穣と氏子息災延命」の願書を以って創建した。 明治六年一月(1873)伊勢大麻の神霊を祀るこの地に社殿を移し、同二十一年(1888)に改築しましたが大正十二年(1923)大震災で倒壊。 翌年再建し、さらに昭和四十四年(1969)に現在の鉄筋コンクリートの社殿に作り直された。
 祭神は天照大神、天忍穂耳尊、天孫瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊の五神である。


手水舎

古石祠

「伊勢神宮参拝記念」碑

五霊神社 横浜市戸塚区汲沢町1273

 JR戸塚駅より神奈中バス「汲沢経由立場バスセンタ行」に乗り「五霊神社前」バス停下車すぐ。


鳥居(明神鳥居形)

拝殿

 元亀二年(1571)森織部義秀が村岡郷宮前村の御霊社を勧請創建した。後に鎌倉景成、鎌倉権五郎景政を合祀して祭神が5柱となったので社名を五霊と改めた。 慶長二年(1597)社殿を再建して「五霊大権現」と称した。その後社殿の改築2回、更に関東大震災で倒壊し直に復興し大正十三年十二月十五日(1924)竣工したが雨漏りが激しく、昭和五十七年十一月六日(1982)に竣工した。
 祭神は村岡五郎平良文(むらおかたろうたいらよしふみ)、村岡公致(むらおかきみとも)、村岡致成(むらおかともなり)、鎌倉景成(かまくらかげなり)、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)。

大久保神社 横浜市戸塚区汲沢町309-2


鳥居(神明鳥居形)

「人道之碑」

 伊勢大神を奉斎し明治天皇の教育勅語を奉載して国家安泰と世界の平和を祈念するため、石井孝三郎翁が其の所有地を開放して、昭和二十六年十月十五日(1951)創立した神社である。
 祭神は天照皇大神と明治天皇。


三島神社(みしまじんじゃ) 横浜市戸塚区深谷町1026

 専念寺の隣に鎮座している。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 文治年間(1185〜1189)に梶原景時により創建された。景時の祖・影政の神霊をまつり、相殿に伊豆三島明神を勧請して御霊社と称し、子孫繁栄、武運長久を祈ったとのこと。 村人もこれを鎮守として尊崇し、後に社号を三島神社と改めた。現社殿は大正三年三月に改築された。 境内社として稲荷社、秋葉神社、大六天神社を祀る。
 祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)と鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)。

相州春日神社 横浜市戸塚区俣野町700


鳥居(明神鳥居形)

拝殿

稲荷社

 春日神社は、奈良春日大社の御分霊を勧請している。 武甕槌神・経津主神二柱は武神(勝負事)の神、天児屋根命は学問の神、比売神は安産の神で、この4柱を春日皇大神(かすがすめおおかみ)として皇室も代々崇拝になられ、又国民が崇敬する神々である。 殊に武甕槌命が奈良にお移りの際、本社鹿島神宮をご出発になり無事に奈良に到着した事から鹿島立の信仰が生まれ、以来、旅行安全・交通安全の神として尊ばれている。 この処に横浜ドリームランド開設されるに当たり、開発の神・殖産工業安産の守護を仰がれる春日大社の御分霊を勧請し、奉斎されたもの。

 横浜ドリームランドは閉鎖され、現在は俣野公園(野球場、緑の公園)とメモリアルグリーン(墓地)として再整備された。

上俣野神社 横浜市戸塚区俣野町763

 県道403号線「明大グランド前」交差点で山側の路地へ入り道なりに約300m入った処にある。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 古代欽明天皇の御代に創建されたと伝えられ、「欽明天王社」と呼ばれていたが、明治六年に村社となった際に「上俣野神社」と改められた。
 祭神は須佐之男命、欽明天皇。

神明社 横浜市戸塚区俣野町1270

 上俣野神社から西方400m程の所、俣野町内西谷戸会館のところにある。


鳥居(神明鳥居)

社殿

神額

 宝暦十年創建と伝えられている。現在の社殿は昭和五十二年に改築されたもの。
 祭神は天照大神。

八坂大神 横浜市戸塚区東俣野町1637

 国道一号線「影取歩道橋」の東俣野町側にある道を道なりに500mほど下ると八坂大神の鳥居がある。 ただ、ここには社殿は無く、鳥居側(右手)へ折れ50m程先にある。


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 享保十八年(1733)創建、寛政七年三月(1795)社殿造営、文政三年(1820)覆殿修造、明治十三年四月(1880)改築された。 明治六年(1873)には村社に列格され、昭和六十一年(1986)に再度改築され現在に至る。
 祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。

 鳥居と境内は道路整備の折りに社域が削られ離れ離れになっている。


分社−鳥居(明神鳥居形)

分社−神額

 本社から南に約800mの俣野中央公園脇にある。


子之八幡社 横浜市戸塚区上倉田町978


鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 創立年代は不詳だが、元は古来村の鎮守の子神社だった。 享和二年三月(1802)及び天保二年六月(1831)社殿の造営があり、明治六年十二月(1873)村社に列された。 明治十七年九月(1884)及び二十二年九月(1889)に相次いで暴風雨で破損し直ちに再建された。 大正四年四月(1915)に八幡社を合祀して「子之八幡社」と改称し、大正六年(1917)に現在の社殿を造営した。
 祭神は大己貴尊(おおなむちのみこと)、応神天皇。

下倉田八幡神社 横浜市戸塚区下倉田町宮谷470

鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 勧請年月は不詳で、新編相模風土記によれば村の鎮守として記されている。 明治六年十二月(1873)に村社に列せられ、明治十五年四月(1882)に社殿を再建した。 大正十二年四月(1923)に社殿を増築、幣殿を新築した。
 祭神は応神天皇と天照皇大神。

影取諏訪神社 横浜市戸塚区影取町88

鳥居(明神鳥居形)

社殿

神額

 創建年代不詳だが、往古当地字名を鉄砲宿と称し、鉄砲の練習場であったのに因み武神を勧請したものと伝わる。 鎮座地は山谷仲町117番地だったが、明治四十年九月(1907)現在地に遷座し、同四十二年(1909)改築された。 明治六年(1873)には村社に列格され、昭和四十三年(1968)改築し現在に至る。
 祭神は健御名方命(たけみなかたのみこと)。

諏訪神社の由来説明柱
明治40年遷座、影取の池在地の説明。
横浜の古木名木
「クスノキ」
(樹齢100年)
神社の遷座から見守り続ける古木。

 神社の後ろ辺りに”影取池”があり大蛇がすんでいたという伝説が残っている。 大蛇が住んでいた池を「影取池」、撃ち殺された辺りを「鉄砲宿」と呼ぶようになったという。


浅間神社 横浜市戸塚区原宿町341


鳥居(八幡鳥居形)

社殿

神額

 永禄年間(1558〜1570)村中安全を祈願して勧請された。玉縄城主北条左衛門大夫の崇敬が特に篤かったと伝えられている。 安永九年造営、安政五年、明治五年にそれぞれ社殿を改築し、明治六年村社に列された。
 祭神は木花佐久弥毘売命(このはなさくやひめのみこと)である。


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