横浜市が川崎市と接する東端に位置している鶴見区の神社を巡り参拝した。
NO. | 神社名 | 住所 | 参拝期日 | 備考 |
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01 | 駒岡八幡神社 | 鶴見区駒岡3-40 | 2015/01/24 | JR東海道線「鶴見」駅 |
02 | 駒岡浅間神社 | 鶴見区駒岡3-40 | 2015/01/24 | JR東海道線「鶴見」駅 |
03 | 末吉神社 | 鶴見区上末吉4-14 | 2015/01/24 | JR東海道線「鶴見」駅 |
04 | 愛宕神社 | 鶴見区下末吉5ー29ー17 | 2015/01/24 | JR東海道線「鶴見」駅 |
05 | 鶴見神社 | 鶴見区鶴見中央1ー14ー1 | 2015/01/24 | JR東海道線「鶴見」駅 |
06 | 神明社 | 鶴見区鶴見中央5ー1ー10 | 2015/01/24 | JR東海道線「鶴見」駅 |
07 | 杉山神社 | 鶴見区岸谷1-20-61 | 2015/01/24 | 京急「生麦」駅 |
08 | 白幡神社 | 鶴見区東寺尾東台8-5 | 2015/02/04 | JR京浜東北線「鶴見」駅 |
09 | 上の宮八幡神社 | 鶴見区上の宮1ー32ー2 | 2015/02/04 | JR横浜線「菊名」駅 |
10 | 横浜熊野神社 | 鶴見区市場東中町9-21 | 2015/05/01 | 京急本線「鶴見市場」駅 |
11 | 矢向日枝神社 | 鶴見区矢向4-16-2 | 2019/05/15 | JR南武線「尻手」駅 |
12 | 江ヶ崎八幡神社 | 鶴見区江ヶ崎町13-31 | 2019/05/15 | JR南武線「尻手」駅 |
・2015/01/24(月): 七社を参拝
・2015/02/05(木): 02/04(水)白幡神社、上の宮八幡神社を参拝
・2015/05/01(金): 05/01(金)横浜熊野神社を参拝
・2019/05/15(水): 05/15(水)南武線尻手駅周辺を散策
JR東海道線「鶴見」駅で下車。市バスの東口13番バス乗場から「一の瀬行」バスに乗り、「駒岡八幡神社前」バス停で降りる(約15分)。 バス通りを「八幡神社入口」交差点まで戻り、右手脇道に入り50mほど進むと、右手の先丘のふもとに鎮座している。
鳥居 |
社殿 |
先代扁額を飾った古社 |
駒岡の鎮守。創建、由緒等不明。
品陀和氣命、誉田別命を祀る。
JR東海道線「鶴見」駅で下車。市バスの東口13番バス乗場から「一の瀬行」バスに乗り、「上末吉」バス停で降りる。 直ぐ先にある左手脇道に入り、すぐにある兜塚への山道を登ると丘の上に鎮座している。
鳥居 |
社殿 |
兜塚 |
駒岡下村の鎮守。
新編武蔵風土記稿に「浅間社、是も中村の内北にあり、背後に甲山と云ふあり、高さ十間許り、所謂を伝へず」とある。
木花開耶姫命を祀っている。
JR東海道線「鶴見」駅で下車。市バスの東口13番バス乗場から「一の瀬行」バスに乗り、「下末吉国道際」バス停で降りる。 少し先の「末吉神社前」交差点で左手の脇道に入る。真っ直ぐ行くと県道14号線にぶつかるので、ここで左折。 30mほど先右手に末吉神社境内に至る裏参道がある。
社号標と一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
神額「末吉神社」 |
手水舎 |
力石 |
元々上末吉、下末吉両村の氏神であったが、現在では上末吉のみの鎮守となっている。
明治六年村社に列格される。もと村社三島神社へ昭和三十二年無格社梶山神社及び八幡社を合併、社名を末吉神社と改称し、現在地に移転した。
平成十五年社務所を改修し今に至っている。
現在の末吉神社は祭神を天照皇太神としているが、明治初年までは大山祇命を祀っていた。
JR東海道線「鶴見」駅で下車。市バスの東口13番バス乗場から「一の瀬行」バスに乗り、「上末吉郵便局前」バス停で降りる。 40mほど先で左手の横道に入り、真っ直ぐ進み国道1号線に出る。「下住吉会館前」交差点で1号線を横断。左手へ40mほど進み、2つ目の脇道に入る。 真っ直ぐ行くと県道14号線にぶつかるので右折して進むと、40mほど先左手に愛宕神社の参道がある。
社号標と一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
愛宕神社は下末吉の鎮守として、石段百四十段を登り愛宕の山頂に鎮座する。 往古は鶴見川沿いに鎮座していたが、洪水で社殿が流され、今のところに移され再建された。
JR東海道線「鶴見」駅で下車。東口に出て、線路沿いの道を川崎方面へ進むと約5分のところにある。
鳥居 |
拝殿 |
古くは杉山明神といい、大正九年に「杉山明神牛頭天王相殿」から「鶴見神社」に改称した。 創建は推古天皇の代と伝えれている。 現在の社殿は明治三十三年の火災のため焼失し、大正四年に再建されたもの。
神輿庫 |
浅間神社 |
境内社 |
鶴見神社境内からは古墳時代の貝塚が発掘されたほか、鶴見川橋付近にあった「寺尾稲荷道」道標が保存されている。 鶴見七福神の寿老神を祀っている。
JR東海道線「鶴見」駅で下車。西口より横浜方向へ進み、総持寺参道前のJR東海道線跨線橋を渡ると駅よりすぐにある。
全景 |
社殿 |
詳細は不明。
京急「生麦」駅より東海道線を跨ぐ歩道橋を渡って線路と並行して奔る道に出る。 ここを左折して、更に100mほど行くと右側に杉山神社の鳥居が建っている。
社号標と一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
創建の時期は不明。関口八郎右衛門(万年屋)の邸内に祀られていたが、天正二年(1574)八郎右衛門の抱地である今の地に移され、生麦村の鎮守となった。
度々改築されており、享保九年、天明元年の水鉢、石鳥居がある。高い石段は明治十年に出来た。
現在の社殿其他の建物は昭和十二年以降に新築された。
日本武尊を祀る。
手水舎 |
神楽殿 |
稲荷社 |
JR京浜東北線「鶴見」駅にて下車。西口から横浜市営バス38・41系統に乗り「宝蔵院前」バス停で下車し、下谷方向に向かい白幡公園の南側にある少し急な坂の脇道に折れ、坂を上り切った処に鎮座している。 (JR横浜線「大口」駅からだと、東口から北東へ徒歩15分ぐらい)
社号標と一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
勧請の時期は不詳ながら、寺尾の鎮守神として源頼朝を祀っていたが、永享七年六月五日(1435)寺尾城主諏訪三河守が「白幡大明神」として足利尊氏を祭神として祀った。 もとは寺尾四ヶ村の総鎮守だったが、明治六年「白幡神社」と改称し、祭神も品陀和気命に改め東寺尾の鎮守として今日に至っている。
神楽殿 |
境内社 |
稲荷社 |
境内社として稲荷社、熊野社、三峯社、氷川社がある。
JR横浜線「菊名」駅で下車。東口より綱島街道に出て、横浜方向に向かう。三つ目の信号のある横断歩道で左手前の脇道に折れる。 30mほど進み、左手の脇道に入り、更に100mほど行くと右手の杜に鎮座している。
鳥居 |
拝殿 |
神額「八幡神社」 |
創建年代は不詳であるが、新編武蔵風土記に「八幡社 北寺尾村小名上の宮耕地にあり。
神体は木の立像にして長さ九寸許 社前に石灯籠二基長さ五尺許なり、又石の鳥居を丘上に立つ、又石階五十段を下りて木の鳥居をたつ。」とある。
明治6年村社に列した。
応神天皇を祀る。
京浜急行電鉄京急本線「鶴見市場」駅から出口前を奔り線路を横切っている道路を北へ進む。 神社は120mほど先の丁字路正面に鎮座している。(徒歩2分ほど)。
鳥居 |
拝殿 |
神額「熊野神社」 |
旧別当寺古文書によれば、約1200年前の弘仁年間に、紀州熊野の別当尊慶上人が、紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まりである。
徳川家康が江戸入国の折に立ち寄り、天下泰平、国家安穏、武運長久を祈念したと伝わる。
江戸幕府作成の「東海道分間延絵図」には"熊野権現"として画かれ、同じく幕府作成の「新編武蔵風土記」には"熊野宮"として記載されている。
江戸時代初期には、鶴見川西方にあったが、その後鶴見区元宮町付近に移ったので、現在、このあたり地名を元宮というそうだ。
天保年間には、JR線(東海道線)踏切の近くに移転している。
明治三年、新橋−横浜間に日本で初めての鉄道敷設が決まったが、境内地と敷設線路が交差するため、同年の秋、現在地に遷座した。
社殿は江戸時代より、川崎市平間に代々続く宮大工の名門渡辺家(屋号:銚子塚)により造営されていると云う。
祭神は、国常立尊、伊邪那岐命、伊邪那美命である。
南武線「尻手」駅にて下車、武蔵小杉方向に徒歩5分ほどの線路に近いところに鎮座している。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
神額「日枝神社」 |
滋賀県大津の日吉神社の御分霊を勧請し、「山王権現」/「山王社」などと称され、寛永十五年の創立と云い、古は矢向村、市場村、江ヶ崎村、塚越村、古川村、下平間村、上平間村の七ヶ村の鎮守神であった。
過去には鶴見川や六郷川の氾濫で度々社殿が破損したが、天保十四年に再建し、明治六年に村社に列せられ、山王社を改め「日枝神社」と改称した。
明治四十二年無格社十二柱、神明社、稲荷社の三社を併合の上、大正十一年に神饌幣帛料供進社(国または市町村から産物を献納する)に指定された。
祭神は大山咋命。
昭和三十二年(1957)社殿の大改修が行われ、現在の社殿はこの当時のものを基礎として引き継いでいる。
平成二十七年(2015)には社殿の大改修工事が行われ現在の拝殿が竣工した。平成二十八年(2016)には本殿も竣工し現在に至る。
稲荷社 |
やるき稲荷 |
御神木 |
御神木の大銀杏は横浜市名木・古木指定されている。
JR「川崎」駅西口から「川55:小杉駅行/横須賀線小杉駅行」に乗り6つ目の「江ヶ崎八幡」バス停で降りるとすぐの処に鎮座している。
参道鳥居 |
拝殿 |
随神像(天明8年/飯嶋吉六) |
天文元年(1532)上杉謙信の武臣荒川伊豆守景親が主命により江ヶ崎村に武運長久祈願のため創建せられたと伝える。
明治六年村社に列し、同四十二年九月七日寛政以前の無格社「大六天社」(面足尊、惶根尊を奉斎)を併合し本殿に合祀した。
昭和三年七月二十日境内地全域が鉄道省用地に編入のため現在地に遷座した。
祭神は応神天皇を祀る。
拝殿前には天明八年(1788)荒川数馬が社殿改築の際、奉納した石造の随神像(阿吽)が置かれている。
観たかった飯嶋吉六の狛犬は修理中とのことで不在となっていた、残念!!。
神明社 |
庚申塔(宇賀神?) |
古祠 |
稲荷社 |
庚申塔(宇賀神?)は寛政十一己未年(1799)のものだが保存状態は良好だ。