事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市東山区/知恩院 ]
京都市東山区/知恩院           2012/10/06(日)新規
探訪案内

 八坂神社の北東にある浄土宗総本山「知恩院」を訪れた。 地下鉄東西線「東山」駅からだと、東大路通を南下し「知恩院前」交差点を過ぎた先左手に知恩院新門があり、門を潜り坂道を登った先に知恩院の三門がある。
 知恩院は、宗祖法然上人が承安五年(1175)、吉水の地に草庵を結ばれたことを起源とし、入寂された遺跡に建つ浄土宗の総本山。第二世源智上人により基礎が築かれ、徳川家康、秀忠、家光らの外護により現在の壮大な伽藍が形成された。 境内には、国宝の御影堂や三門、重要文化財の勢至堂、集会堂(法然上人御堂)、大方丈、小方丈、経蔵、唐門、大鐘楼など文化財指定建造物が建ち並ぶ。


知恩院新門

寺名: 総本山 知恩院(華頂山知恩教院大谷寺)
宗派: 浄土宗
本尊: 法然上人像(本堂)および阿弥陀如来像(阿弥陀堂)
住所: 京都市東山区林下町400
拝観: 無料、方丈庭園-400円
交通: 地下鉄東西線「東山」駅下車、東大路通を南へ徒歩8分

【履歴】
・2013/10/06(日): 09/30(月)探訪

三門【国宝】

三門【国宝】


 元和七年(1621)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立された。平成十四年に国宝に指定。
 入母屋造本瓦葺で、高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、わが国現存の木造建築として最大の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上ある。
 上層部(楼上)内部は、仏堂となっており、中央に宝冠釈迦牟尼仏像、脇壇には十六羅漢像(いずれも重要文化財)が安置されているほか、天井や柱、壁などには迦陵頻伽(かりょうびんが)や天女、飛龍が極彩色で描かれている。 また、七不思議の一つである白木の棺があり、三門を建立した棟梁、五味金右衛門(ごみきんえもん)夫妻の木像が安置されている。

阿弥陀堂


 御影堂の西側に建つ阿弥陀堂は、明治年間に建てられた唯一の建造物である。
 その昔、阿弥陀堂は知恩院第二世勢観房源智上人によって勢至堂の前に建立されたが、宝永七年(1710)に現在の位置に移築された。 明治に入り荒廃が進み、いったん取り壊され、明治四十三年(1910)に再建され、現在に至る。
 本尊は高さ2.7mの阿弥陀如来座像である。堂正面には「大谷寺」という勅額が掲げられている。 これは、後奈良天皇の宸筆であり、知恩院の寺号をあらわしている。
 現在では、得度式や各種道場に用いられている。

経堂【重文】


 御影堂の南東に建つ。三門と同じ元和七年(1621)に建てられたもの。 内部は、外側の静かな佇まいとは対照的に鮮やかな色彩で彩られており、天井や柱、壁面は狩野派の絵画で荘厳されている。 また、徳川二代将軍秀忠公の寄附によって納められた宋版大蔵(一切)経約六千帖を安置する八角輪蔵が備えられており、その輪蔵を一回転させれば、大蔵経を読誦するのと同じ功徳を積むことができると云われている。


宝物殿


 宝物殿は、平成四年四月に完成。本尊である総丈3mの阿弥陀如来像を安置している。 この本尊は、縁あって昭和四十年代に知恩院へ寄贈され、長い間、御影堂に安置されていたが、この阿弥陀如来像を本尊とする御堂として宝物殿が建立された。


大鐘楼【重文】

大鐘楼

釣鐘

 高さ3.3m、直径2.8m、重さ約70t。この釣鐘は、京都方広寺、奈良東大寺と並ぶ大鐘として知られている。 この大鐘は、寛永十三年(1636)、知恩院第32世雄誉霊巌上人のときに鋳造されたもの。 また、この大鐘を支える鐘楼は延宝六年(1678)、知恩院第38世玄誉万無上人のときに造営されたもので、国内最大級の大鐘を支えるにふさわしく、静かな中にも堂々とした佇まいを見せている。
 何はともあれ自分らにはNHKの除夜の鐘としての馴染みが深い。

勢至堂【重文】

勢至堂への参道階段(108段ある)

境内入口

 勢至堂の地は、法然上人がご終焉を迎えられるまでお念仏のみ教えを自ら広められた大谷の禅房の故地であり、知恩院発祥の地でもある。 堂内正面に掲げられている額「知恩教院」は後奈良天皇の宸翰であり、知恩院の名の起源である。


勢至堂

紫雲水(しうんすい)

 現在の勢至堂は享禄三年(1530)に再建されたもので、七間四面単層入母屋造本瓦葺、桁行21m、梁行20mの現存する知恩院最古の建造物。 本尊はもともと法然上人のご尊像(御影)だったが、現在の御影堂が建立された折に移されたため、それ以降は上人の本地身(ほんじしん)とされる勢至菩薩像(【重要文化財】)を本尊として祭っている。 これが勢至堂といわれる由縁である。また、上人終焉の本地の堂ということで、本地堂(ほんじどう)とも云われる。
 紫雲水は勢至堂の傍らの崖下にあり、法然上人入滅の時、聖衆が來迎し紫雲水が水面に現れ芳香が漂ったという伝えがある。


御廟所位牌堂/千姫の位牌

御廟所位牌堂/仏頭

御廟所位牌堂/地蔵菩薩像

 この仏頭は元は新潟県にあった「与板大仏」という丈六大仏(約5m高)のもので、大正十二年(1924)に造られた。 新潟県柏崎市与板の浄土真宗・光西寺の当時の住職が、日清戦争の戦死者慰霊のために仏像を造ろうと考え、高さ4m余りの阿弥陀如来像などと一緒に造り上げたもの。 その後、光西寺は次第に衰え、仏像類を安置していた建物も火災で焼失したり豪雪で失われ、阿弥陀如来像と大仏の頭部だけが新潟県の長岡に運ばれ、そこからさらに数カ所を経て神奈川県三浦市の城ケ島に至り、最終的に知恩院に辿り着いたと云う。

御廟【京都府有形文化財】


 法然上人のご遺骨をご奉安する廟堂。方三間の宝形造本瓦葺で、周囲を唐門のある玉垣で囲われている。 法然上人は建暦二年(1212)この地にあった大谷の禅房で入滅されたが、その後、門弟たちによって廟堂が建てられ、遺骨が奉安された。
 現在の御廟は、慶長十八年(1613)常陸国土浦藩主 松平伊豆守信一の寄進を得て改築されたものだ。


黒門と瓜生石【知恩院の七不思議の一つ】

 黒門を出て、階段を降り切った先の路上に周囲を石柵で囲まれた大きな石がある。 この石は、知恩院が建立される前からあるといわれている。


黒門

瓜生石

 この石には、「誰も植えた覚えがないのに瓜の蔓が伸び、花が咲いて瓜が青々と実った」という説と、「八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実った」という説が伝えられている。 また石を掘ると、二条城までつづく抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、さまざまな話が言い伝えられている不思議な石だそうだ。

あとがき

 現在、御影堂は平成大修理(2012年から8年間)のため残念ながら拝観出来なかった。 なお、七不思議については方丈内に展示エリアが設けられているので、半分くらいは観れる。

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