事事関心! 仏閣探訪:
[ 京都市東山区/方広寺 ]
京都市東山区/方広寺            2020/10/31(土)新規
探訪案内

 JR「京都」駅から市バス100/206/208系統に乗り、「博物館三十三間堂前」バス停で降りる。 50mほど戻り右折して大和大路通を北に250mほど進むと右手豊国神社の先にある。 なお、京阪電鉄の「七条」駅からは北東に歩いて約8分、「清水五条」駅からは南東に歩いて約10分だ。
 方広寺は、豊臣秀吉が東大寺に倣って大仏(盧舎那仏)を安置するために天正十四年(1586)から十年もの歳月をかけて造られた寺院である。

寺名: 方広寺
宗派: 天台宗山門派
創建: 文禄四年(1595)
開基: 豊臣秀吉
本尊: 大日如来(盧遮那坐像)
住所: 京都市東山区正面通大和大路東入茶屋町527-2
拝観: 境内は無料、本堂拝観は大人200円
アクセス: 京阪電車「七条」駅下車、徒歩約8分

【履歴】
・2020/10/31(土): 10/28(水)再訪。

本堂



 かつて方広寺は、現在の豊国神社、京都国立博物館付近、七条通を南限とする広大な敷地(東西200m、南北240m)に建てられていた。
 現在の本堂は、明治11年(1878)に再建されたもの。
 本堂には本尊「盧遮那坐像」が安置されている。5回目に造られた大仏という。 木像金箔で2回目に造られた大仏を模し、その10分の一の大きさという。

大黒天堂


 大黒天堂には大黒尊天の木像が祀られている。 平安時代の伝教大師(767-822)作という。手掌大で、臼の上に坐り鎧を身に着けており、秀吉の護持仏だったという。
 伝教大師(最澄)が第50代・桓武天皇の勅命により、比叡山へ上る途中、笑みを含む神人が現れ、法華経薬草諭品の句を唱えた。その所感の像を自ら刻んだものという。


鐘楼

鐘楼

天井絵

 鐘楼は明治時代に再建されたもの。
 鐘楼の天井には草花や鳥獣と人の現世・来世を描いた天井絵が当時のままで残されている。



梵鐘【重文】

「国家安康・君臣豊楽」

 「国家安康・君臣豊楽」の文字のある著名なこの「梵鐘」は三条釜座の鋳物師、名越(名護屋)三昌らによって慶長十七年(1612)に制作された。 高さ4.2m、外径2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7tの大きさを誇る。
 奈良の東大寺・知恩院・方広寺と日本三釣鐘(【重文】)に指定されている。


国家安康の鐘

 天下統一を成した秀吉が東大寺の大仏に習って大仏殿の建立を始めたが、大地震による倒壊や火災による焼失というアクシデントが相次ぎ、慶長十七年(1612)に息子の秀頼によってようやく完成した。 完成後、落慶供養を行う手筈となっていたが、銘文の「国家安康」、「君臣豊楽」が家康の名前を分断し、豊臣を君主とするものだと徳川家康から難癖がつけられた。 これが大坂冬の陣の導火線となったといわれている。

あとがき

 最初に伺った際は梵鐘に夢中になり他は全く見てなかったので再度訪れた。


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