東塔地区から比叡山内シャトルバスにて西塔地区へ移動。 西塔バス停で降り、いざ西塔地区参拝と脚を踏み出すとすぐ目の前に案内ゲートがある。
寺名: 比叡山 延暦寺
宗派: 天台宗総本山
本尊: 薬師如来
創建: 延暦七年(788)
開基: 最澄
住所: 滋賀県大津市坂本本町4220
アクセス: JR京都駅より湖西線比叡山坂本駅下車、更にバス・ケーブルカーを乗り継ぎ約90分。
【東塔地区堂塔】 | |||
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根本中堂 | 文殊楼 | 大黒堂 | 大講堂 |
戒壇院 | 正覚院不動 | 法華総持院 | 弁慶水 |
山王院 | |||
【西塔地区堂塔】 | |||
箕淵(みのふち)弁財天 | にない堂(常行堂・法華堂) | 恵亮堂・円戒国師寿塔 | 西塔政所 |
釈迦堂(転法輪堂) | 西塔鐘楼 |
【履歴】
・2018/11/10(土): 10/29(月)参拝。
・2019/06/08(土): 東塔地区と西塔地区に分割。
ゲートを潜り、緩やかな下りの参道を突き当りまで進む。
此処を右折するとみ、で左折すると浄土院を経て東塔地区へ戻れる。
先ずは左折して西塔地区を巡拝する。
歩き出すと直ぐ左手に箕淵弁財天があり、その先に入山料を収める案内所がある。
箕淵弁財天は、東塔の無動寺弁財天、横川の箸塚弁財天と共に比叡山三弁財天の一つに数えられている。
参拝案内所を過ぎ更に進むと道の谷側脚下に"椿堂"がある。崖下へ降りるのは面倒なので今回はパスして更に進むと"にない堂"だ。
常行堂 |
渡り廊下 |
法華堂 |
向かって左が阿弥陀如来を本尊とする常行堂で、右が普賢菩薩を本尊とする法華堂となっている。
同形の2棟の建物が廊下でつながり、弁慶が廊下に肩を入れて担いだという伝説が残されていることから「にない堂」とも呼ばれる。
法華と念仏が一体であるという延暦寺の教えを建物で表しているそうだ。
にない堂も参道の一部になっており、中央の渡り廊下を潜ると下りの石段が続いており、石段の途中に恵亮堂、西塔政所がある。
恵亮堂 |
円戒国師寿塔 |
延暦寺西塔の興隆に尽力した天台宗僧・恵亮和尚(800‐859)を本尊として祀っている。
この和尚を「大楽大師」と称し、当時お山の中では修力霊験に最も優れた和尚であり、京都の妙法院を創建した人であった。
円戒国師寿塔は円戒が生前あらかじめ作った自らの墓である。
当時の寿塔は"比叡山焼き討ち"による兵災で破壊されたため、天保十年(1839)に再建された。
西塔政所 |
石段の途中右手に、立ち入り禁止の延暦寺学問所「止観道場」が佇んでいた。
石段を下った先にの広場の奥には釈迦堂がある。
釈迦堂(転法輪堂) |
内陣 |
釈迦堂は西塔の中心的伽藍で、正式名称の転法輪堂の」転法輪とは釈迦の講義の意味で、すなわち西塔の講堂である。
古来より「転法輪堂」の正式名称よりむしろ「釈迦堂」の名で知られている。
現在の建造物は延暦寺に位置するものとしては最も古い建物で、比叡山焼き討ちの後、文禄四年(1595)に豊臣秀吉が園城寺(三井寺)にあった弥勒堂を移築したものだ。
明治二十四年(1891)・昭和三十年(1955)にも解体修理工事が実施され、平成十年(1998)に台風によって屋根に倒木が直撃し破損したため修理が行なわれている。
内陣には本尊の木造釈迦如来立像【重文】を中心に、東西南北に四天王像が配置されている。なお、この本尊は天台宗の開祖、最澄の自作と伝わる。
通常、参拝客が拝観できるのは新しくつくられた御前立の仏像である。
釈迦堂手前左側の石段を登った先にある。
西塔地区は他の堂宇とポツンと離れた浄土院を除けば30分程度で巡拝出来る。 東塔地区に比べると観光客の数は格段に少なく静寂の中でゆっくりと巡れて良いところである。