事事関心! 仏閣探訪:
[ 東京都目黒区/目黒不動尊 ]
東京都目黒区/目黒不動尊         2012/11/24(金)新規
探訪案内

 瀧泉寺は関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、千葉の成田不動尊と併せて日本三大不動の一つに上げられ、「目黒不動(目黒不動尊)」の通称で呼ばれている。 また、甘藷(サツマイモ)の栽培を普及させた人物として知られる江戸時代中期の儒者青木昆陽(1698-1769)の墓(「甘藷先生墓」と刻まれている)もある。毎月28日の不動縁日には露天商が出るほど賑わうとのこと。
 目黒不動尊へのアクセスは東急目黒線「不動前」駅からが最も近く、且つ分かり易い。駅出口を出て左手に進み、二車線の道路にぶつかったら左へ折れ先の信号のある交差点で表参道へと右折する。不動尊はここから直進250m程だ(徒歩10分)。

施設: 泰叡山護國院 瀧泉寺(目黒不動尊)
宗派: 天台宗
開創: 大同三年(808)
本尊: 目黒不動明王(秘佛)
住所: 東京都目黒区下目黒3-20-26
拝観: 無料
交通: 東急目黒線「不動前」駅下車、北西方向へ徒歩10分

【履歴】
・2012/11/24(金): 11/21(水)散策。

天台宗泰叡山瀧泉寺(目黒不動尊) 

 開基は、今から一千百余年前の平安時代。慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄った。 その夜の夢の中で、面色青黒く右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持つ恐相の神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』 とのお告げを受け、夢覚めた後その尊容を黙想し自ら像を彫刻して安置したのに創まる。
 その後、大師は唐の長安にある青竜寺の不動明王を拝し、先の神人がこの明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立した。 棟札に『大聖不動明王心身安養咒願成就瀧泉長久』と認め、この「瀧泉」をもって寺号と成し、山号は清和の御代に「泰叡」の勅額を賜り、泰叡山と称した。
 江戸時代には、徳川三代将軍家光がこの地で鷹狩りををした際、その愛鷹が行方知れずになり自ら不動尊の前に額ずき祈願を籠めた。 すると、忽ち鷹が本堂前の松樹(鷹居の松)に飛び帰ってきたので家光公はその威力を尊信し、諸堂末寺等併せて五十三棟に及ぶ大伽藍の復興を成し遂げた。 その伽藍は『目黒御殿』と称されるほど華麗を極めた。 (広重の「江戸名所図会」に詳しい)
 かくして五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)のひとつとして江戸城守護、江戸城五方の方難除け、江戸より発する五街道の守護に当てられ、江戸随一の名所となった。

瀧泉寺−仁王門 

仁王門

社号標

 仁王門は三間一戸の朱塗りの楼門で、昭和三十七年(1962)再建の鉄筋コンクリート造りである。
 表側を那羅延金剛像(阿)、密迹金剛像(吽)が、内側を狛犬が護っており、階上には韋駄天が祀られているとのこと。


瀧泉寺−大本堂、大日如来像 

大本堂

大日如来像【区指定文化財】

 大本堂は急な石段を登った先の一段高い土地に建っている。入母屋造に千鳥破風をもつ大規模な仏堂で、昭和五十六年(1981)に鉄筋コンクリート造りで再建された。傾斜地に建っており、室生寺金堂や石山寺本堂のような懸造(かけづくり)風のつくりになっている。 大本堂内部には、開祖慈覚大師が刻んだといわれる不動尊像が安置されている。この不動明王像は十二年に一度、酉年ご開帳『破邪顕正』の明王として、あらゆる災難厄難を除けて、福となす『福寿開運』の仏とのこと。
 大本堂の背後に露座の銅製大日如来像がある。膝前で印を結ぶ胎蔵界大日如来像で、天和三年(1683)の作。

瀧泉寺−八大童子の山、力石 


八大童子の山

力石


愛染明王像

延命地蔵像

鐘楼

百度石

瀧泉寺−地蔵堂、阿弥陀堂、観音堂 

地蔵堂


奪衣婆像

 地蔵堂は地蔵尊、閻魔王、葬頭河の婆(奪衣婆)を祀っている。



阿弥陀堂

観音堂


 阿弥陀堂は瀧泉寺の本坊で、阿弥陀三尊(観音・勢至・阿弥陀)を祀っている。


瀧泉寺−垢離堂、前不動堂 

垢離堂

前不動堂【東京都指定有形文化財】

 垢離堂は密教で如意輪観音の化身とされる神である青龍大権現を祀っている。
 前不動堂は、独鈷の滝の左方にある宝形造朱塗りの小堂。江戸時代中期の建築で、当時には将軍や大名たちも参拝したが、その際は一般参詣客は大石段を登ることは許されなかった。そこで、そのような場合でも一般参詣客が一応不動詣でが出来るようにと大石段の下に前不動堂を建立したと云う。

瀧泉寺−水掛不動尊像 

水掛不動尊像

親子ガエル

 仁王門から不動尊本堂に登る大石段の下左側に「独鈷(どっこ)の滝」という小さな滝が落ちており、その滝の下が池になっている。 今から1200年前、伝教大師最澄の弟子慈覚大師がこの瀧泉寺を開いたとき、大師が持っていた独鈷を投げたところその場所から滝泉が湧き出したとされている。 この滝はそれ以後一度も涸れたことがないとのことで、池の中に「水かけ不動明王」という不動像が奉られている。 不動像の近くに置いてある柄杓で不動像に水を掛けると様々なご利益があるそうだ。
 写真は親子カエルだが、「無事カエル」の置物もあった。

比翼塚 

比翼塚と伏見稲荷

 比翼塚は愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚。この塚は鳥取藩士平井権八とその愛人だった吉原の遊女小紫の二人を哀れみ建てられた。 平井権八は金を奪ったために鈴ヶ森の刑場で処刑され、愛人だった遊女小紫が後を追って自害した。この平井権八の話は、浄瑠璃や歌舞伎に脚色され、白井権八のモデルとなっている。


つぶやき

 木枯らし一番も吹き早朝の冷え込みは一ケタに落ちた平日の午前のせいか、参拝者はポツリポツリと疎らだった。大本堂でお参りし急ぎ足で一通り観て廻ったが見落としもあったので其のうちに再訪しよう。

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