事事関心! 神社探訪:
[ 愛知県名古屋市 ]
愛知県名古屋市              2018/06/01(金)新規
参拝神社一覧

 名古屋に足を踏み入れたのは学生時代以来となった。なので今回は初心者定番の熱田神宮、大須観音、名古屋城あたりを探訪した。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 熱田神宮 名古屋市熱田区神宮1-1-1 2018/05/27 
 02 愛知県護国神社 名古屋市中区三の丸1-7-3 2018/05/27 
 03 那古野神社 名古屋市中区丸の内2-3-17 2018/05/27 
 04 名古屋東照宮 名古屋市中区丸の内2-3-37 2018/05/27 
 05 北野神社 名古屋市中区大須2-12-21 2018/05/27 
 06 富士浅間神社 名古屋市中区大須2-17-35 2018/05/27 
 07 大直禰子神社 名古屋市中区大須4-11-20 2018/05/27 
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【履歴】
・2018/06/01(金): 新規。

熱田神宮 名古屋市熱田区神宮1-1-1

 名鉄「名古屋」駅から、三つ目の駅「神宮前」駅へ、ここで降車し神宮前口より徒歩3分で東門に到着。




 熱田神宮は「熱田さん」の名で古くから崇敬を集める名社で、三種の神器の1つ「草薙神剣」を神体とする天照大神を祀る。
 詳細は「愛知県名古屋市/熱田神宮」参照。


愛知県護国神社 名古屋市中区三の丸1-7-3

 名古屋市営地下鉄名城線「市役所」駅5番出口より西へ3ブロック、左手に鎮座している。(徒歩7分ほど)


鳥居(明神鳥居型)

神門

神額「愛知県護国神社」

 創建は明治二年。尾張藩主の徳川慶勝が、現在の名古屋市昭和区川名山に戊辰戦争で戦死した藩士ら25人の霊を祀り"旌忠社"としたのが始まり。 その後、第二次大戦までの御英霊九万三千余柱を、護國の大神として祀る神社となった。
 社名は明治八年に「招魂社」、明治三十四年に「官祭招魂社」、昭和十四年に「愛知縣護國神社」と改称され、戦後は一時「愛知神社」となったが昭和三十年に再び「愛知縣護國神社」へと復称された。 大正七年に名城公園内に遷座し、昭和十年には現在地に遷された。 第二次大戦時の空襲により社殿が焼失したが、昭和三十三年に再建された。

那古野神社 名古屋市中区丸の内2-3-17

 名古屋市営地下鉄鶴舞線「丸の内」駅5番出口より東へ3ブロック、左手に鎮座している。(徒歩7分ほど)


鳥居(伊勢鳥居型)

社殿

 平安時代中期の延喜十一年(911)那古野神社の前身である天王社がのちに名古屋城三の丸となる場所に創建された。 醍醐天皇の勅命によるものと伝わっている。 明治初期、神仏分離令によって祭神は牛頭天王から素戔嗚尊になり、天王社は須佐之男神社と改称させられた。 明治九年(1876)、名古屋鎮台が城内に置かれることになり、須佐之男神社は東照宮とともに外に出されることになる。 現在、神社がある場所は、旧藩校の明倫堂があった跡地で、明倫堂は明治四年(1871)に廃校となった。 昭和二十年(1945)の空襲で本殿などを焼失、戦後の昭和三十二年(1957)から昭和三十四年にかけて再建された。

名古屋東照宮 名古屋市中区丸の内2-3-37

 名古屋市営地下鉄鶴舞線「丸の内」駅5番出口より東へ2ブロック、左手に鎮座している。(徒歩5分ほど)




 創建は江戸時代初期の元和五年。 徳川家康の九男であり、尾張藩初代藩主の徳川義直が、父家康の三回忌である前年の元和四年に大祭を行い、その後名古屋城の三の丸に取り込んだ亀尾天王社(現在の那古野神社)の隣に東照宮を勧請し、家康の神像を祀ったのが始まり。 創建当時は「三之丸東照宮」とも呼ばれ、東照宮として最も豪華であったと言われている。 明治八年に、天王社(現在の那古野神社)とともに現在の地に遷座した。

北野神社 名古屋市中区大須2-12-21

 名古屋市営地下鉄鶴舞線「大須観音」駅2番出口より大須観音の境内を横切り観音の裏手へ向かうと左手に鎮座している。(徒歩5分ほど)


鳥居(明神鳥居型)

社殿

稲荷社

 初めは北野社又は北野天満宮といった。もとは尾張中島郡長岡庄大須(今は美濃羽島郡小藪村大字大須)に在り、後醍醐天皇の勅建にして、京都北野の社より菅公の画像を遷して鎮座したと云う。 慶長十七年、徳川家康の命に依る清洲越しの際に大須観音とともに現在地に移転した。今の神殿は当時の建立のものという。 明治初年村社に列し、三十年頃社務所を建てた。祭神は菅原道真である。

富士浅間神社 名古屋市中区大須2-17-35

 名古屋市営地下鉄鶴舞線「大須観音」駅2番出口より大須観音の境内を横切り、そのまま万松寺通商店街を東へ進み、100mほど先で右手へ折れるとすぐのところに鎮座している。  観音の裏手へ向かうと左手に鎮座している。(徒歩5分ほど)


鳥居(伊勢鳥居型)

社殿

神額「」

 明応四年(1495)六月、後土御門天皇の命により、富士山本宮浅間神社より分霊を勧請して奉祀したという由緒が伝えられている。
もともとは、尾張三名水として名高い柳下水を有する清寿院の鎮守として建てられたが、明治の廃仏棄却により清寿院は廃寺となり、富士浅間神社のみが残っている。
 祭神は中央に木花開耶姫命、左に瓊々杵命、大山祇命、右に天照皇大神、彦火々出見命を合祀するほか、数社が祀られている。
 なお、この神社には、近くの那古野山古墳から出土した有蓋脚付壺が保管されている。

大直禰子神社 名古屋市中区大須4-11-20

 名古屋市営地下鉄名城線「上前津」駅11番出口すぐのところに鎮座している。


大直禰子神社


 江戸時代までここは「おからねこ」と呼ばれる猫の神社だった。明治の終わりになり突然、「うちは猫の神社じゃない、おからねこは言い間違いで、本当はおおただねこ(大直禰子)を祀る由緒正しい神社なのだ」との多くの意見があり「大直禰子神社」となった。


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