事事関心! 神社探訪:
[ 神奈川県川崎市A ]
神社探訪: 神奈川県川崎市A          2020/09/17(木)更新
神社一覧

 川崎市市街地の探訪神社は「神社探訪: 神奈川県川崎市」に掲載。
 川崎市探索四回目は小田急線「柿生」駅周辺を「小田急沿線自然ふれあい歩道 柿生駅(王禅寺)コース」を使って探索した。 そして五回目はJR南武線「武蔵溝ノ口」駅周辺を探索。続いて久々の探訪は田園都市線「宮前平」駅−「鷺沼」駅間とあいなった。 第六回目の今回は急遽何の下調べをすることなく幸区を探索することとなった。
 第七回目は南武線「尻手」駅から横須賀線「新川崎」駅まで線路西側を探索した。第八回目(2020/08/14)は小田急多摩線「栗平」駅周辺を巡った。 第九回目(2020/08/26)は町田市の三輪地区探訪に出かけたが飛地の川崎市岡上にある岡上神社を参拝した。
第十回目(2020/09/16)は稲城市の神社探訪のついでに新百合ヶ丘駅そばにある十二所神社を訪ねた。

NO.神社名住所拝観期日備考
 16 鈴木稲荷神社 川崎市麻生区上麻生5-45 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 17 秋葉神社 川崎市麻生区上麻生6-34-1 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 18 月読神社 川崎市麻生区上麻生7-38-4 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 19 稲荷森稲荷社 川崎市麻生区王禅寺東5-37 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 20 子の神社 川崎市麻生区早野65 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 21 琴平神社 川崎市麻生区王禅寺東5-46-15 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 22 金子稲荷大明神 川崎市麻生区王禅寺351 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 23 白山神社 川崎市麻生区白山4-3 2016/03/02 小田急線「柿生」駅
 24 栗木御嶽神社 川崎市麻生区栗木1-10-1 2020/08/14 小田急多摩線「栗平」駅
 25 白鳥神社 川崎市麻生区白鳥2-10-1 2020/08/14 小田急多摩線「栗平」駅
 26 岡上神社 川崎市麻生区岡上809 2020/08/26 小田急線「鶴川」駅
 27 十二神社 川崎市麻生区万福寺3-2-3 2020/09/16 小田急線「新百合ヶ丘」駅
 28 溝口神社 川崎市高津区溝口2-25-1 2017/09/13 JR南武線「武蔵溝ノ口」駅
 29 久地神社 川崎市高津区久地1-39-1 2017/09/13 JR南武線「津田山」駅
 30 八幡神社 川崎市宮前区宮前平2-15 2018/07/04 東急田園都市線「宮前平」駅
 31 土橋神社 川崎市宮前区土橋1-10-2 2018/07/04 東急田園都市線「宮前平」駅
 32 犬蔵天神社 川崎市宮前区犬蔵 2018/07/04 東急田園都市線「宮前平」駅
 33 有馬神明神社 川崎市宮前区有馬5-13-24 2018/07/04 東急田園都市線「鷺沼」駅
 34 有馬荒井谷戸天満宮 川崎市宮前区有馬4-17-19 2018/07/04 東急田園都市線「鷺沼」駅
 35 鹿島田神社 川崎市幸区鹿島田684 2019/03/18 JR横須賀線「新川崎」駅
 36 天満天神社 川崎市幸区東古市場83 2019/03/18 JR横須賀線「新川崎」駅
 37 紺屋町女體神社 川崎市幸区紺屋町12-1 2019/03/18 JR横須賀線「新川崎」駅
 38 北加瀬熊野神社 川崎市幸区北加瀬1-13-2 2019/05/15 JR横須賀線「新川崎」駅
 39 北加瀬浅間神社 川崎市幸区北加瀬1-13-2 2019/05/15 JR横須賀線「新川崎」駅
 40 天照皇大神 川崎市幸区南加瀬1-2-2 2019/05/15 JR横須賀線「新川崎」駅
 41 小倉杉山大神 川崎市幸区小倉277 2019/05/15 JR南武線「矢向」駅
 42 小倉神社 川崎市幸区小倉1038 2019/05/15 JR南武線「矢向」駅

【履歴】
・2016/03/04(金): 03/02(水)柿生駅周辺を探索
・2017/09/14(木): 09/13(水)JR南武線「武蔵溝ノ口」駅周辺を探索
・2018/07/05(木): 07/04(水)田園都市線「宮前平」駅−「鷺沼」駅周辺を探索
・2019/03/18(月): 03/18(月)幸区を探索
・2019/05/15(水): 05/15(水)JR横須賀線「新川崎」駅周辺を探索
・2020/08/15(土): 08/14(金)小田急多摩線「栗平」駅周辺を探索
・2020/08/27(木): 08/26(水)小田急線「鶴川」駅南側を探索
・2020/09/17(木): 09/16(水)小田急線「新百合ヶ丘」駅近傍を探索

鈴木稲荷神社 川崎市麻生区上麻生5-45

 小田急線「柿生」駅にて下車、南口よりロータリーを抜け、駅前の通りを右へ進む。 50mほど先の最初の交叉点で左折し、緩やかな坂道を進むと暫くして右手崖の上に麻生中学校がある。 学校の先左手道路脇に稲荷神社の鳥居が建っている。


一の鳥居

二の鳥居

三の鳥居と社殿

 神社は、正一位を授けられた鈴木稲荷で、他に瘡守稲荷、妙力稲荷の名を持つ。
 この土地の「鈴木」姓は、古来より熊野地方で神官職を務め、後に、紀州藤白(現和歌山県海南市)に移ってからは戦国時代の傭兵部隊「雑賀衆」を組織した一族の子孫だとされている。 「瘡守」は、皮膚病から身を守るという意とされ、昔、何らかの病が蔓延していたことがうかがい知れる。 また、「妙力」は、日蓮宗でいう妙法の四力という意味で仏力と法力に信力、行力が合わさることではじめて成仏できるとされているもの。

秋葉神社 川崎市麻生区上麻生6-34-1

 小田急線「柿生」駅にて下車、南口よりロータリーを抜け、駅前の通りを右へ進む。 50mほど先の最初の交叉点で左折し、緩やかな坂道を進むと暫くして右手崖の上に麻生中学校がある。 学校の先の「おっ越し山緑地」への登り路に入り進むと100mほど先で路が二手に分かれる。 道案内板の「淨慶寺」方向(右方向)へ向かうと50mほど下った坂の途中右手にある。


鳥居

社殿

 秋葉神社は、江戸時代、領主三井家が火防、厄除け、五穀豊穣、諸民安穏を祈願して遠州秋葉神社の火伏の神を勧請した。
 境内入口に置かれた一対の狛犬は、東京都文京区小石川にある「伝通院(傳通寺)」(徳川家康の実母「お大」の菩提寺)から移されたものと云う。

月読神社 川崎市麻生区上麻生7-38-4

 小田急線「柿生」駅にて下車、駅南口から"柿生の里の散歩道(おっ越山経由)"で里山風景を楽しみながら歩くと約20分ほどだ。


表参道鳥居

社殿

神額「月読神社」

 天文三年(1534)に麻生郷の領主・小島佐渡守が五穀豊穣を祈願し月讀宮の分霊を勧請して創建した。 祭神は神月夜見尊(つくよみのみこと)で「闇に光を届け人々を導く神様」である。


舞殿

日枝社古祠

熊野社古祠

 大正五年には熊野・日枝・白山を合祀し「麻生神社」となったが、昭和八年に再び「月讀神社」となった。
 現社殿は昭和四十九年に鉄筋コンクリート神明造で再建された。


稲荷森稲荷社 川崎市麻生区王禅寺東5-37

 小田急線「柿生」駅にて下車、南口より溝17系統バスに乗り、「王禅寺口」バス停で降りて徒歩3分のところにある。




 稲荷社は王禅寺村の鎮守五社の一つで、入口谷戸の鎮守であった。 江戸時代の初期に久保倉氏の祖先が村の安穏と五穀豊穣を祈願して創建された。京都の伏見稲荷から勧請したものと言われている。


子の神社 川崎市麻生区早野65

 小田急線「柿生」駅南口より、柿20,21系統バスに乗車し、「麻生新町」バス停で下車すると徒歩5分のところにある。


鳥居

社殿

 子ノ神社は明徳元年に勧請で、天文15年(1546)には再建されている。祭神は大国主命で、親神様の素盞鳴命から試練の修業を受けた。
 なお、大国主命が野火により周囲一面が火に包まれ逃げることが出来なくなった時に、一匹の白鼠が現れ、地中の洞穴に命を導き、火難から救ったので、「子ノ神社」というようになったと言い伝えがある。
 明治十三年(1880)に村社となり、大正年間に富士浅間神社・稲荷社・八雲神社を合祀し早野一村の氏神となった。

琴平神社 川崎市麻生区王禅寺東5-46-15

 小田急線「柿生」駅 南口よりバス「琴平下」徒歩1分、「新百合ヶ丘」駅より「あざみ野行き」バス「裏門坂」バス停にて下車 徒歩7分。




 王禅寺村の名主・志村文之丞が文政九年(1826)に讃岐の金刀比羅宮の分霊を勧請し神明社と合祀したもので、祭神は天照大神。正月には「茅の輪くぐり」という行事がある。またどんど焼き、豆まきも行う。3月7日、人形の供養を行う「人形和(なご)めの浄火祭」が催される。 残念ながら平成十九年(2007)放火により上宮の本殿が焼失した。 現在の本殿は平成二十三年に再建されたものである。

金子稲荷大明神 川崎市麻生区王禅寺351

 小田急線「柿生」駅にて下車、南口よりバスに乗り「琴平下」バス停で降車し徒歩1分、または「新百合ヶ丘」駅より「あざみ野行き」バスに乗り、「裏門坂」バス停にて降車、徒歩7分の処にある。




 創建等不明。


白山神社 川崎市麻生区白山4-3

 小田急線「新百合ヶ丘」駅より、新10系統バスに乗り「白山神社」バス停にて降車し徒歩1分の処にある。


一の鳥居

二の鳥居

 白山神社(旧白山社)の創建時期は不明ながら、宝永三年(1706)の王禅寺村絵図にその存在が書かれており、18世紀初めには創建されていたものと思われる。 旧王禅寺(おうぜんじ)村真福寺谷の鎮守で、白山姫命を祀る。
 中宮(本殿の中)の登り龍・下り龍の彫刻には金箔の跡があり、県の重要文化財に指定されている。






栗木御嶽神社 川崎市麻生区栗木1-10-1

 小田急線「栗平」駅下車、南口より坂道を下り県道137号「上麻生蓮光寺線」に出て右折、次の交差点「栗木御嶽神社入口」で左手道路に折れ、緩やかな坂を登ると右手に鎮座している(徒歩15分)。


一の鳥居

二の鳥居

裏参道一の鳥居

 古来、栗木には古き時代より日本武尊を祭神とする村社御嶽神社と素盞鳴尊を祭神とする無格社「八雲神社」があり、共に村の守り神として村民をはじめ近隣の人々に崇敬されてきたがいづれもその由緒は不詳である。
 明治三十九年一村一社の勅令により八雲神社境内地に両社を合祀し村社「御嶽神社」とすることにして以来、70有余年地域の鎮守の役割を果たしてきた。 従ってこの神社には二神が祭祀され厄除けの神、縁結びの神として広く知られている。
 昭和六十二年、開始された栗木第二土地区画整理事業に神社境内地が含まれるため、境内設備全てを新設することとなり 平成八年十月竣工した。 社名は地域の末永い平和と繁栄の御加護を願い「栗木御嶽神社」とした。
 祭神は日本武尊、素盞鳴尊。





白鳥神社 川崎市麻生区白鳥2-10-1

 小田急線「栗平」駅下車、南口より坂道を下り県道137号「上麻生蓮光寺線」に出て左折、白鳥2丁目公園手前に「白鳥神社参道」案内板がある小路があるので登ると白鳥神社の鳥居がある道に出る (徒歩15分)。


鳥居

社殿

神額「白鳥宮」

 創立年代は不詳。正徳四年(1714)吉辰、小机郷片平邑総鎮守白鳥大明神拝殿破朽したので五力田邑の功力を加え再建され、片平村、五力田村の鎮守であった。
 天保十年(1839)法橋佐脇主馬作の銘がある御神像(宝物)が奉安されている。
 慶応元年(1865)社殿建替、明治四十四年片平村内の熊野神社、山王社、天神社等六社を合併合祀した。 大正四年供進の村社に指定された。
 昭和二年本殿の建替、昭和四十四年拝殿屋根を亜鉛ぶきとするなど修復がなされている。
 祭神は日本武尊、木花開耶媛命。


浅間神社


 社殿右手裏の山裾に祀られている。


岡上神社 川崎市麻生区岡上809

 小田急線「柿生」駅にて下車、北口より右手へ向かい県道139号「真光寺長津田線」に出たら南へ進む。 小田急線の跨線橋を渡るため道路の下を通り跨線橋の歩道を歩く。 そのまま県道139号の緩やかな坂道を登って行くと右手に岡上神社の参道が見えてくる。


一の鳥居

二の鳥居

社殿

 明治四十二年(1909)三月、岡上村中にあった五つの神社(諏訪神社、剣神社、日枝神社、宝殿稲荷社、開戸稲荷社)が合祀された。 敷地は村の中央にある諏訪神社に決まり、村民融和のため村名を取り「岡上神社」として祀られている。
 祭神は日本武尊、健御名方命、大山昨神、稲倉魂命。




 境内の金勢大明神。嘉永四年(1851年)建立。高さ95cm線書で子孫繁栄が窺うことができる。


十二神社 川崎市麻生区万福寺3-2-3

 小田急線「新百合ヶ丘」駅にて下車、北口より真っ直ぐ進み世田谷通りに出たら十字路交差点の右手向こうの丘の上に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

社殿

 正徳元年(1711)の創建と伝えられ、元は「十二所社」と称せられていたが、明治期に万福寺村の村社とされたころから「十二神社」と改称したといわれています。一説には、十二神社は十二所社として熊野三山を勧請、奉斎する起源を有する、熊野十二所神社の別称ではないかともいわれています


溝口神社 川崎市高津区溝口2-25-1

 JR南武線「武蔵溝ノ口駅」駅北口から正面の道を左へ東急田園都市線ガードをくぐり栄橋交差点まで進む。 交差点で右折し大山街道を東京方向へ200mほど進むと左手に鎮座している。




 創立は不詳。神社保存の棟札によれば、宝永五年(1709)武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されており、江戸時代まで神仏習合にて、溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、社名を赤城社と称していた。 明治維新後、神仏分離の法により、溝口村・下宿・中宿・上宿・六軒町・六番組の各部落を統合、総鎮守として祀るべく新たに伊勢の神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と改称した。更に明治六年(1873)幣帛共進指定村社に列せられた。
 祭神は天照皇大神、倭健命。天照皇大神は万物に活力を与え、物事の調和を図る最も尊い神だ。開運、厄除け、安産、子育て、縁結びなど、全てに御利益がある。





久地神社 川崎市高津区久地1-39-1

 JR南武線「久地」駅より府中街道を東へ徒歩約14分。




 風土記には「赤城社、村の南の丘にあり、此所鎮守なり。社二間に一間半東南向、前に石段あり、木の鳥居を立てり。祭礼六月十九日、村内浄元寺持」と記載されているのみで、勧請年代も由来も不詳である。
 明治初年、神仏分離により浄元寺より離れ、祭神を天照大神と改め、社名を「久地神社」とした。
 現社殿は、昭和四十一年十月に再建されたものである。





八幡神社 川崎市宮前区宮前平2-15

 東急田園都市線「宮前平」駅下車、北口正面右手に鎮座している。







 八幡神社の創建年代は不詳ながら、古くより馬絹と土橋の共有地に鎮座していた。 明治四十三年神社統合令により馬絹神社に合祀されたが、昭和四十一年の田園都市線開通以来地域の発展に伴い分宮として奉斎された。
 祭神は応神天皇である。


土橋神社 川崎市宮前区土橋1-10-2

 東急田園都市線「宮前平」駅下車、北口正面左手の道を尻手黒川道路と平行するように300mほど進むと、右側に緑の小山が見えてくる。その小山に土橋神社が鎮座している。




 創建年代等は不詳ながら、"神明宮"と称していた。明治四十年に元土橋村内の神明社、八幡大神、八雲神社、稲荷社二社、荒神社、御嶽大神二社、神明太神宮、三嶋明神の十社を合祀、"土橋神社"に改称した。 社殿は天保十四年八月に再建され、合併後多少の改修を行い昭和四十八年四月に現在の社殿を建立。平成七年に奥殿を神明造りに改修市宮前区ている。
 祭神は大日霊貴命(天照皇大神)。

犬蔵天神社 川崎市宮前区犬蔵



 東急田園都市線「宮前平」駅下車、駅前の尻手黒川道路を右手(西方向)へ1300mほど進むと、右側に鎮座している。


有馬神明神社 川崎市宮前区有馬5-13-24

 東急田園都市線「鷺沼」駅駅前から東急バス[鷺01]に乗車し、[神明社前]バス停で下車する。 バス停から少し戻って右折し、次の十字路で左折、すぐ先の丁字路で左折すると右手に神社の入り口がある。


鳥居

社殿

神額「神明神社」

神輿

境内社/稲荷社

 創建年代は不詳ながら、当社近くにあった杉山神社とともに当地の鎮守だったと云う。 明治四十三年杉山社、東寄りにあった神明社を合祀した。 平成十三年五月老朽化により取りこわし、十四年九月新社殿が竣功した。
 祭神は大日霊貴命(天照皇大神)。
 神輿は関東最大級とも言われる総重量2トンの巨大なものだ。


有馬荒井谷戸天満宮 川崎市宮前区有馬4-17-19

 有馬神明神社の裏口から右手へ進み突き当りの丁字路を左折する。坂を下り2つ目の右手の道に折れるとすぐ左手にある。




 江戸時代から当時の宮前村字有馬通称、荒井谷戸(現在の有馬3-26付近)に30数戸の住民の手によって近くの天満宮より『菅原道真公』を分けて祭り、田畑お雨乞い等の農業信仰として建立された。 その後、明治三三年四月にこの地に移転した。
 祭神は菅原道真公。


鹿島田神社 川崎市幸区鹿島田684

JR横須賀線「新川崎」駅にて下車、東口より線路沿いの道を北へ向かうと100mほど先右手に鎮座している。




 地名「鹿島田」の由来ともなった神社。鹿島大神の創建年代は不詳だが、鎌倉時代に当地へ開墾に入った人々が鹿島神宮から勧請して創建したと伝わる。江戸時代には、鹿島田村の鎮守となっていた。 新鶴見操車場の建設に伴い昭和二年当地に移転した。
 祭神は武甕槌命。

天満天神社 川崎市幸区東古市場83

JR南武線「鹿島田」駅にて下車、出入口2より東へ進み、3つ目の「下平間」交差点の先の十字路で右折する。 この道を道なりに進み、2つ目の車が通る道路と交差する処を右折すると横断信号先左手に鎮座している。(約1.2km)




 創立年代不詳であるが、明治年間現多摩川敷地内に鎮座していた。 当神社が北を向いて居り「北向天神」と愛称され、市も開かれ、村民の信仰厚く非常ににぎわった。 また、村名が古市場村となった地名発祥の社でもある。
 祭神は菅原道真公。





紺屋町女體神社 川崎市幸区紺屋町12-1

JR南武線「矢向」駅で下車、駅前を奔る道路を左折し線路を跨ぎそのまま進むと国道一号線「第三京浜」の「都町」交差点にぶつかる。 この交差点で第三京浜に左折し、品川方向へ進む。約800m先左手にトランクルームQurazと潟}ンキッキ間を真っ直ぐ北に奔る脇道があるのでそちらの道に入ると、120mほど先右手に鎮座している。




 旧南河原村の女躰大神を分祀して創建された。 戦国時代の永禄年間(1558-1570)に、女躰大神を分祀して戸手村紺屋橋耕地に創建されたと伝わる。 大正時代に一度戸手神明大神に合祀されたものの、戦後に改めて分祀され、現在地(旧社地)に祀られた。
 御祭神は伊邪那美命。


北加瀬熊野神社 川崎市幸区北加瀬1-13-2

 JR横須賀線「新川崎」駅で下車し、跨線橋を渡り目の前にある加瀬山を目指していくと約5分ほどの丘の上に鎮座している。




 社伝によると、天正十五年北条氏直の創建と伝える。新編武蔵風土記、北加瀬村の項に「熊野社、加瀬山の中、了源寺の背にあり村の鎮守なり」と記され、明治四十二年稲荷神社を合祀した。
 祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、速玉男命、事解男命、倉稲魂命。
 現在の境内に本宮、二の宮、三の宮と三社鎮座していたが明治四十二年二の宮、三の宮並に村内山崎、原、西の各稲荷社を本宮に合祀した。 大正十二年九月関東大震災に罹災したため應急修理をなし昭和七年春再建工事に着手九月完成現在にいたる。

北加瀬浅間神社 川崎市幸区北加瀬1-13-2

 JR「新川崎」駅の西側に見える加瀬山は夢見ヶ崎動物公園となっている。この丘にある加瀬台6号古墳の墳丘上には北加瀬浅間神社が鎮座している。





 北加瀬熊野神社の境内社。北加瀬浅間神社は、江戸時代の文化元年(1804)に建立された。
 本社は静岡県の富士山本宮浅間大社であり、祭神は木之花佐久夜毘売命である。
 現在の社殿は昭和四十七年(1972)に再建された。

天照皇大神 川崎市幸区南加瀬1-2-2

 JR横須賀線「新川崎」駅で下車し、跨線橋を渡り目の前にある加瀬山を目指していくと約5分ほどの丘の上「夢見ヶ崎動物公園」の先に鎮座している。




 天照皇大神の由緒は不詳ながら、元弘年間の創建と云う。
 室町時代には太田持資入道道灌が当地に参籠、東北の空天に丹頂が舞う夢を見たことから、東北の地に江戸城を築城、当地を夢見ヶ崎と呼ぶようになったと云う。 戦国時代には小田原北条氏の祈願所となり、北条氏政により歯救山神社の建立を受けた。 大正四年村内無格社五社を合祀した。
 祭神は、天照大神、撞榊厳魂天疎向津姫命、天満大自在天神、誉田別命、市杵島姫命、白山比当ス、第六天神、石神。





小倉杉山大神 川崎市幸区小倉277

 JR横須賀線「新川崎」駅で下車し、跨線橋を渡り線路の西側に出る。 線路と並行する道で左折し、600mほど先で脇道に右折するとその先150mほどのところ右手に鎮座している。(徒歩約12分)




 小倉杉山大神の創建年代は不詳。鎮座は古く、飛鳥時代、大化の改新によって国郡制度を敷いた頃より祀られていたと云う。
 祭神は五十猛命、天照大神。

小倉神社 川崎市幸区小倉1038

 南武線「矢向」駅で下車し、西口から江ヶ崎跨線橋に向かって進み、跨線橋で横須賀線を超え「江ヶ崎跨線橋西」交差点まで進み右折、そこから250mほど先左手のコンビニ「ローソン」の手前にある左手の道に左折する。 そのまま進むと250mほど先右手に鎮座している。




 小倉神社は、小倉にあった八雲神社、八幡神社の二社を合祀して、昭和31年八幡神社の地に新社殿を創建した。 八雲神社、八幡神社の創建年代等は不詳ながら、八雲神社については出土した板碑から鎌倉時代より崇敬されていた地に鎮守神を奉斎したと云う。
 祭神は素盞嗚尊、誉田別尊。


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