伏見区の神社を纏めた。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
01 | 伏見稲荷大社 | 伏見区深草藪之内町68 | 2012/02/10 | |
02 | 東丸神社 | 伏見区深草藪之内町36 | 2013/09/04 | |
03 | 伏見神宝神社 | 伏見区深草笹山町15 | 2013/09/04 | |
04 | 御香宮神社 | 伏見区御香宮門前町174 | 2020/10/27 | |
05 | 乃木神社 | 伏見区桃山町板倉周防32-2 | 2020/10/27 | |
06 | 八千代大明神 | 伏見区平戸町 | 2020/10/27 | |
07 | 城南宮 | 伏見区中島鳥羽離宮町7 | 2020/10/27 |
【履歴】
・2020/10/31(土): 近鉄「桃山御陵前」駅周辺、城南宮を探訪。 ・2013/09/04(水): 更新。
JR奈良線「稲荷」駅で降りると、道を隔てて稲荷大社の表参道が真っ直ぐに伸びている。
全国に3万社以上はあると言われている稲荷神社の総本山がこの伏見稲荷大社だ。
和銅四年(711)2月7日初午の日に、泰公伊呂具(はたのきみいろく)によって創建されたと云われている。
詳しくは「伏見稲荷大社」参照。
JR奈良線「稲荷」駅下車、徒歩0分で表参道だ。京阪電車「伏見稲荷」駅で下車の場合、徒歩約5分で裏参道に着く。 東丸神社は表参道途中右手にある。
江戸中期の国学者で伏見稲荷大社の社家に生まれた荷田春満(かだのあずままろ)を祭る。
春満は賀茂真淵の師で本居宣長らとともに国学の四大人の一人で、近くに旧宅と墓地がある。
明治十六年(1883)春満に正四位が贈られたのを記念して社殿を造営、創祀された。
現本殿は昭和十一年(1936)の改造営である。「学問向上、受験合格」の神として広く崇敬されている。
参道の左手には『荷田社(かだのやしろ)』がある。ここには荷田春満の祖先が祀られているとのこと。
鳥居 |
社殿 |
創祀は平安期にさかのぼり、かつては稲荷山上に祀られていた。
伏見神寶神社の境内は稲荷神社が山上創祀された頃から山上奉拝所(丸山)であり、その社殿の所在は中古図竝に洛中、洛外図にも記載されて現今に及んでいる。
天正十七年(1589)に里宮が造営されると共に漸次寂れ、遂に旧跡地となったが其後も霊威顕著に振現し、昭和三十二年(1957)に再建された。
御社号を神宝宮と賜わり主祭神に天祖天照皇太神が奉斎され、御親授の十種神宝が同殿に奉安してある。
尚、稲荷大神が相殿に鎮座している。
社名の"神宝"は奉安の十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいい、物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。
近鉄京都線「桃山御陵前」駅で下車し、改札口前の大手筋通(府道79号線)を左(東方向)へ進むと150mほど先左手に鎮座している。
一の鳥居(大手筋通) |
表門【重文】 |
二の鳥居(境内参道) |
表門は豊臣秀吉が築城した伏見城の大手門を移築したもので、三間一戸、切妻造りの単層門。 幅が約9m、高さが8m弱の大きさで本瓦葺きの屋根の両端に鯱を上げている。
拝殿 |
神額「御香宮」 |
本殿【重文】 |
初めは「御諸神社」と称したが、平安時代貞観四年(862)九月九日に、この境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇よりその奇瑞によって「御香宮」の名を賜った。
日本第一安産守護之大神として広く崇められている神功皇后を主祭神として、仲哀天皇、応神天皇他六柱の神をまつる。
拝殿は、中央に通路がある割拝殿形式の社殿で、紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣の寄進により寛永二年(1625)に建てられた。
正面の唐破風や蟇股には、美しい彫刻が施されている。
拝殿の奥に鎮座する本殿は慶長十年(1605)徳川家康による造営で国の重要文化財に指定されている。
当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、 この水を産湯として使われた。
絵馬堂には御香水の霊験説話を画題にした『社頭申曳之図』が懸っている。
明治以降、涸れていたのを昭和五十七年復元 、昭和六十年一月、環境庁(現、環境省)より"京の名水"の代表として『名水百選』に認定された。
JR奈良線「桃山」駅で下車し、線路沿いに60mほど北西(京都方面)に進み丁字路で右折し踏切を渡る。 更にまっすぐ進むと桃山御陵入口に至るが、右手の車道を進み250mほど先右手の道に折れると少し先左手に鎮座している。
鳥居 |
神門 |
拝殿 |
乃木神社は、文武にわたる御功績この上なき乃木希典命とその賢婦人であられた乃木静子命を鎮め祀る神社である。
山城ゑびす神社 |
摂社: 山城ゑびす神社
大正八年(1919)「静魂神社」として創建され静子夫人の霊を祀るが、後に七福神が合祀されて「靜魂七福社」となる。
平成十八年(2006)乃木神社創建90周年を機に静子夫人の御霊を本殿に遷して七福神を祭神とする「山城ゑびす神社」に改称した。
平成二十七年(2015)には祭神を恵比須神のみとするように改めた。
京阪宇治線「観月橋」駅で下車し、国道24号線を横断し約250mほど西へ進み丁字路で左折すると橋を渡った左手に鎮座している。
古くは「剣崎稲荷社」/「剣崎さん」と呼ばれた。宇治川に突き出た、剣先のような地形に祀られていたからという。
祭神は八千代大明神という女狐であり、稲荷神になる。
稲荷山より猟師に追われた女狐が、この付近の「おこう」という女性の家に逃げ込んだ。狐はおこうに憑いた。狐は八千代という名で、どのような病も治すから家に匿ってくれと頼む。
やがて、人々は、おこうの家に集い、祈祷を依頼するようになる。おこうより託宣を受け、よく当ることから騒ぎになった。奉行所はおこうを取り調べた。だが、怪しいことはなく、予言の正しさが裏打ちされた。
奉行は、河川合流地の川の氾濫を防ぐために、この地に社を祀ることを命じた。本殿に狐(八千代明神)が祀られ、子狐(八千力大明神、清姫大明神)も境内末社として祭祀されたという。
京都市営地下鉄烏丸線「竹田」駅にて下車し、西口より名神高速道の高架に沿って西方向に進むと徒歩15分の処にある。
東の鳥居 |
本殿に向かって正面にある赤い鳥居はよく見ると変わった様式となっている。 これは城南宮鳥居と呼ばれ、基本型は神明鳥居に属するが、柱下に饅頭があり、棟の部分に島木・笠木を重ねて、さらに屋根を葺いている。その島木の正面中央に神紋の金具が打たれている。
創立年代は不詳である。平安遷都の際に国常立尊を八千矛神と息長帯日売尊に合わせ祀って創建された。
城(平安京)の南にあることから「城南神」と称した。
白河天皇が鳥羽離宮(城南離宮)を造営してからはその一部となり、離宮の鎮守社として代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあった。
また後代になると京都御所の裏鬼門を守る神となったことから貴族の方違の宿所となり、方除けや厄除けの神としても信仰されるようになった。
主祭神は城南大神(八千矛神、息長帯日売尊、国常立尊)。