第1回目は東山区探訪のついでに哲学の道を途中まで探訪した。続いて第2回目(2014/09/28-30)は宿を五条に変え、前回訪れきれなかった下鴨から銀閣寺周辺を訪ねた。
第3回目は修学院離宮を見学するついでに駅の傍の二社を参拝した。第4回目は鞍馬・貴船まで足を延ばした。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 八神社 | 左京区銀閣寺町26 | 2014/09/29 | |
02 | 大豊神社 | 左京区鹿ケ谷宮ノ前町1 | 2013/09/30 | |
03 | 熊野若王子神社 | 左京区若王子町2 | 2013/09/30 | |
04 | 岡崎神社 | 左京区岡崎東天王町51 | 2013/09/30 | |
05 | 平安神宮 | 左京区岡崎西天王町97 | 2013/09/30 | |
06 | 吉田神社 | 左京区吉田神楽岡町30 | 2014/09/29 | |
07 | 宗忠神社 | 左京区吉田下大路町63 | 2014/09/29 | |
08 | 竹中稲荷神社 | 左京区吉田神楽岡町 | 2014/09/29 | |
09 | 須賀神社/交通神社 | 左京区聖護院円頓美町1 | 2014/09/29 | |
10 | 御辰稲荷神社 | 左京区聖護院円頓美町29-1 | 2014/09/29 | |
11 | 熊野神社 | 左京区聖護院山王町43 | 2014/09/29 | |
12 | 下鴨神社 | 左京区下鴨泉川町59 | 2014/09/29 | |
13 | 河合神社 | 左京区下鴨泉川町59 | 2014/09/29 | |
14 | 岩上神社 | 京都市左京区松崎林山30 | 2015/09/29 | 地下鉄「松ヶ崎」駅 |
15 | 新宮神社 | 左京区松ヶ崎林山34 | 2015/09/29 | 地下鉄「松ヶ崎」駅 |
16 | 由岐神社 | 左京区鞍馬本町1073 | 2016/09/25 | 叡山電鉄鉄鞍馬線「鞍馬」駅 |
17 | 貴船神社 | 左京区鞍馬貴船町180 | 2016/09/25 | 叡山電鉄鞍馬線「貴船口」駅 |
18 |
【履歴】
・ 2013/10/05(土): 作成
・ 2014/10/23(木): 再訪した分を追加し更新
・ 2015/10/01(木): 松ヶ崎の二社を追加
・ 2016/10/10(月): 09/25(日)鞍馬・貴船を探訪
市バス「河原町今出川」バス停から203系統「錦林車庫前行」に乗り、「銀閣寺通」バス停で降りる(約10分)。 この系統は毎時6本程度と便数もあるので便利だ。 今出川通まで戻り、銀閣寺まで続く"お土産店通り"を東へ向かう参道を進み、銀閣寺の前で丁字に横切る道へと左折すると突き当りに鳥居が建っている。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
高御産日神、神産日神、他6柱を祀る。由緒等詳細は不明だが、大同年間(806〜810)とも延喜年間(901〜923)とも伝えられる。
八神社はもともと八所大明神(はっしょだいみょうじん)、十禅師大明神(じゅうぜんしだいみょうじん)と称していた。
浄土寺や銀閣寺の鎮守社であり、地域一帯の産土神として広く崇敬を集めている。
樹下稲荷大明神 |
雨社 |
末社の樹下稲荷大明神は、「十禅師大明神」、「樹下社」といわれ、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、また、稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祀るともいう。
雨社はニの鳥居のすぐ右手にある。水の神様である高■(雨冠に龍)神(たかおかみのかみ)を祀っている。
(たかおかみのかみは貴船神社にも祭られている)
南禅寺から鹿ケ谷通を先へ進む。最初の四つ角で右折し山側へ向かうと200m程で「哲学の道」に出るが、すこし山側に熊野若王子神社がある。
神社の南側の裏山に同志社創立者「新島襄」の墓があるが、約20分の登り道は少し疲れ気味の老体にはきつすぎる。そんなわけで行くのは断念した。
永暦一年(1160)後白河上皇が紀州熊野権現を勧請して創祀した永観堂の守護神社である。 京都三熊野のひとつ。明治期4社殿を修築したが、昭和五十三年(1978)に一社相殿に改築された。 付近の山には奇岩老木、滝などあり納涼、紅葉の名所である。
南禅寺側から「哲学の道」を北へ約400m進むと、水路に架かる四つ角がある。ここを右折するとすぐに大豊神社だ。
修学旅行の生徒と思われる五、六人のグループが社殿前に屯していたので近寄りがたく、つい社殿の写真を撮り忘れてしまった。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
大國社 |
社伝によると、仁和三年(887)宇多天皇の病気平癒のため尚侍藤原淑子が勅命を奉じた勅願所で、朝野の信仰が篤かったという。
建武の内乱・応仁の兵火などに遭って焼失したが、本殿・末社・拝殿・絵馬堂が再建され、鹿ケ谷、法然院、南禅寺一帯の土産神として信仰を集めている。少彦名命・応神天皇・菅原道真を祀っている。
末社の大国社の狛鼠、日吉社の狛猿、愛宕社の狛鳶は、それぞれの神の使いとして有名である。
大豊神社で銀閣寺観覧をあきらめる時間になってしまった。哲学の道を横切り参道をまっすぐ下ると大豊神社の一の鳥居がある。 潜って更に400m程先の白川通りまで下る。白川通を左折し丸太町通とぶつかる「天王町」交差点へ。この交差点を右折すると150m程先に岡崎神社がある。
平安京の鎮護のため桓武天皇が四方に建立した社の一つで、都の東にあたる処から「東天王」とも称されている。 素戔嗚の尊ほかを祭っている。貞観十一年(869)清和天皇が社殿を再建し、播磨から改めて祭神を勧請した。 足利義政らが社殿を修造。治承二年(1178)中宮のお産の奉幣を賜ったことより安産の神として信仰されている。 古くより兎が氏神様の使いと伝えられ、手水屋形に子授けの兎の彫像、本殿前には縁結びの狛うさぎ一対がある。子授け、安産、厄除の神として信仰されている。
さらに丸太町通を進み岡崎通との交差点で左折。右手の森が平安神宮の神苑だ。参道は南側にあるので右折する三叉路まで進み応天門を目指す。
応天門 |
平安遷都1100年祭に市民の総社として鎮座した。桓武、孝明両天皇を祀っている。
広大な敷地に平安京大内裏の正庁を模した応天門、大極殿など朱塗りの建築が建ち並ぶ。
詳細は「平安神宮」に記載。
百万遍にある京都大学正門からだと左手に向かうとすぐの処に鎮座している。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
貞観元年(859)藤原山蔭卿が春日の神を勧請し、平安京の鎮守神にしたのが起こり。 室町期吉田兼倶卿が吉田神道を唱え権威を高めた。本殿は慶安年間(1648-52)再建の春日造である。
本宮 |
若宮社 |
摂社:若宮社の祭神は本宮第三殿の天之子八根命と第四殿の比売神の子の天忍雲根命(あめのおしくもねのみこと)。 当初は本宮の第二殿と第三殿の間に無社殿で祀られてあったのを慶安元年(1648)現在地に造営され、後に吉田神社の摂社に定められた。
祖霊社 |
今宮社 |
今宮社 |
今宮社は吉田神社の末社。古くから木瓜大明神と称され吉田町の産土神で、鎮座の年代は詳らかではないが、建保三年には吉田小社駐進状の内にその名が既にあり、文化十三年に現地に造営されたお社である。
菓祖神社 |
菓祖神社 |
菓祖神社 |
菓祖神社は吉田神社の末社。果物の祖と言われる橘を日本に持ち帰ったとされる田道間守命と、日本で初めて饅頭をつくったとされる林浄因命の2神を菓子の祖神として祀っている。
京都を中心に多くの菓子業界の方々から信仰を集めている。
京都菓子業界の総意により菓祖神社創建奉賛会を結成、昭和32年11月11日兵庫県中島神社、和歌山県橘本神社、奈良県林神社の祭神を鎮祭した。
山蔭神社 |
山蔭神社 |
山蔭神社は吉田神社を創建し、又我が国に於いてあらゆる食物を初めて調理調味づけた始祖と仰ぐ藤原山蔭卿を祀り、古来庖丁の神、料理、飲食の祖神として信仰をあつめている。
本元宮 |
本元宮[重要文化財] |
昔左京室町にあった社を吉田兼倶が後土御門天皇の御代/文明十六年(1484)に現地に造営、同年11月24日奉請の上遷座された。 吉田神道の根元殿堂として道を説き教えを設け、神職界の宗家として「宗源宣旨そうげんせんし」並「裁許状さいきょじょう」を発行するなど、大元宮を神道の中心地として神祇道の振興に貢献した。 現在でも当社節分祭では大元宮を中心に特殊神事が行われ、厄塚による厄除祈願の参拝者が群集する。
吉田神社の境内から右手にある大元宮を経て進むと四つ角に出る。 ここで左手にある竹中稲荷神社の鳥居を潜ると少し先右手に宗忠神社の裏参道(吉田口)がある。
吉田山の南丘陵上で、吉田神社から寺地の譲渡を受け、文久二年(1862)に創建された。
安政三年(1856)、朝廷から「宗忠大明神」の神号を与えられ、文久二年(1862)高弟の一人、赤木忠春を中心とした門人たちが、この地に社殿を建立したのである。
幕末、慶応元年(1865)には孝明天皇の勅願所となり、皇室や二条家、九条家などの公家からも深い崇敬を受ける。
現在の本殿は明治四十五年(1912)の改築で 、拝殿も昭和十二年(1937)に改築されたもの。
本殿と並ぶ神明宮(北社)には、二条家から移された天照大御神が祀られている。
宗忠神社の鳥居を出て、稲荷神社の鳥居の処まで行ったが、長い参道を見て予定していた時間をオーバーしているので参拝は断念した。
吉田神社の末社で、宇賀御魂神・猿田彦神・天鈿女神を祀る。創建等の由緒は不明。 古記によると、在原業平の住居が「神楽岡稲荷神杜の傍にトす」とあり、天長年間(824〜834)にはすでに社殿があったことがうかがえる。
金戒光明寺の高麗門を出て真っ直ぐ西方向の道を進む。約300mほど行くと左手にある。
平安時代末の康治元年(1142)、美福門院(びふくもんいん)の建てた歓喜光院(かんきこういん)の鎮守として創祀されたもので、祭神は素戔鳴尊、櫛稲田比売命を主神に、久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を加え、五柱を祀っている。
もとの社地は平安神宮蒼竜楼(そうりゅうろう)の東北にある西天王塚で、岡崎の東天王社と相対して古くは西天王社と呼ばれていた。
その後、吉田神樂岡に転じ、大正十三年(1924)に今の地に移った。
聖護院一帯の産土神とされ、また縁結び、厄除け、交通安全の神として崇敬厚く、ことに節分祭には参詣者で賑う。
須賀神社の手前にあった南へ向かう脇道に折れる。真っ直ぐ行くと丸太町通にぶつかるが、その手前右角にある。
宝永二年五月の新大典侍新崇賢門院が霊夢により、東山天皇に奉請され勅許に依り創建された。
祀られた社が禁裏御所の辰(東南)の方角にある森であったことから、御辰稲荷と呼ばれた。御辰稲荷は、「辰」の字が達成の「達」につながるとされ、芸事の神様として信仰されている。
丸太町通を西へ向かい、約200mほど行くと東大路通とぶつかる。この「東山丸太町」交差点の右手向かいの角に鎮座している。
弘仁二年(811)修験道の始祖役小角(えんのおづぬ)の十世僧日圓が、国家護持のために紀州熊野大神を勧請したのに始まる。
寛治四年(1090)白河上皇の勅願により創立された聖護院は、当社を守護神として祟められ別当職を置いて管理した。
平安末期後白河法皇は度々熊野詣を行われたが、当社にも厚く尊信をよせられた。
応仁の乱により社殿は焼失したが、寛文六年(1666)聖護院宮道寛法親王は、令旨を下し再興され、その境域は鴨川に至る広大なものであった。
その後、天保六年(1835)にも大修造が行われた。現在の本殿は、この時、賀茂御祖神社(下鴨神社)から移築された代表的な流れ造りである。
祭神は、我国最初の夫婦神である伊弉諾尊・伊弉冉尊であり、縁結び・安産のご利益があるとされている。又、病気平癒の祈願も多いと云う。
下鴨神社へのアクセスは京阪電鉄鴨東線「出町柳」駅からだと徒歩8分ほどだ。
今回は地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅から上御霊神社経由でアクセスした(神社参拝を入れて約30分ほど)。西参道より入る。
南口鳥居 |
楼門 |
平安期以前の創祀で京最古の社の一つで山城国一の宮と崇められ、国事を祈願し、国民の平安を祈る神社として「賀茂斎院の制」「式年遷宮の制」等が定められた。
祭神は賀茂建角身命と玉依媛命。
国史跡「糺の森」の広大な境内には本殿(国宝)2棟や53棟の重要文化財社殿が並び、平成6年12月(1994)「古都京都の文化財」として、「世界遺産条約」に基づく世界文化遺産に登録された。
三井社 |
中門 |
言社 |
舞殿 |
御手洗社鳥居 |
御手洗社 |
下鴨神社の表参道口直ぐの左手にある。
鳥居 |
四脚門 |
拝殿 |
正式には小社宅(おこそべ)神社、鴨川合坐小社宅神社(かものかわいにいますおこそやけ、かものただすにいますおこそべ)ともいう。かつては川合社(ただすのやしろ)、只洲(ただす)社とも呼ばれた。
祭神は、多多須玉依姫命(たまよりひめ、玉衣日姫命、玉依日売命)を祀る。賀茂別雷神(かもわけいかずちのみこと)の母であり、カモ一族の祖先を祀る社となっている。女性守護神、日本第一美麗神として崇敬されている。
式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「愛宕郡 二十一座 大八座 小十三座」の「鴨川合坐小社宅神社」に比定されている。
鴨長明の栖 |
三井社 |
鴨長明(かものちょうめい)が、『方丈記』を執筆した「栖」(すみか)が再現されている。 広さは一丈(約3m)四方であることから、「方丈」の名がある。
地下鉄烏丸線「松ヶ崎」駅で下車し、2番出入口より出て、すぐ脇道に入り丁字路まで北へ向かう。 ここで右折し、120mほど先の四つ角で左折し、暫く道なりに進む。約120mほど先のY字路右手の山裾にある。
鳥居 |
磐座 |
磐座は平石の天然の岩を御神体としている。古代祭祀のままの神社である。 神石は、兵庫の海中で霊光を発していたものを得て勧請したと伝わる。古くから漁猟・牛馬の神として信仰されていた。 式内末刀岩上神社と掘られた石碑が目立つ。
地下鉄烏丸線「松ヶ崎」駅で下車し、2番出入口より出て、北山通を250mほど先左手の脇道に折れ、進むと約100m先の山裾にある。
鳥居 |
拝殿 |
幣殿と本殿 |
もともと大比叡大明神と称す独立社であったが、徳治二年、松ヶ崎村の日蓮宗改宗の時、熊野新宮より諾冊二尊を勧請し新宮大明神と改称した。
以来、妙泉寺の鎮守社として寺僧が祭祀を行い、法華経・日像直筆の曼荼羅を神体として合祀した。
廃仏毀釈の際、妙泉寺より分離し、白鬚神社と称して猿田彦を合祀した。
明治二十年、社号を「新宮神社」と復称し、松ヶ崎一体の産土神として現在に至っている。
祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・猿田彦神。
叡山電鉄鞍馬線の終点「鞍馬」駅にて下車、駅前の道を進み、道なりに左折すると鞍馬寺山門がある。 門より山中に入り暫く旧参道を行くとある。
鳥居 |
本殿 |
神額「由岐神社」 |
鞍馬本町の産土神であり、かつて神仏習合期の鞍馬寺の鎮守社になっていた。通称「靫明神(ゆきみょうじん)」と呼ばれる。
大己貴命と少彦名命を主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。
祭神は元は宮中に祀られていたが、都で大地震・天慶の乱が起き、当時の天皇である朱雀天皇の勅により、天慶三年(940)、鞍馬の地に遷宮し、北方鎮護を司った。
御神木 |
大杉社 |
大杉社、祭神は大杉の御神木(京都市指定天然記念物)の根元に祀られている。 願掛け杉の神木、一心に願えば叶うといわれている。
冠者社 |
岩上社 |
三宝荒神社 |
冠者社、祭神は素戔鳴命、鞍馬の冠者町に祀られていた。商売繁昌、家運隆昌。
岩上社、祭神は事代主命、大山祇命、かつては鞍馬の岩上の森に祀られていた。山岳登山安全。
三宝荒神社、祭神は三宝荒神大神、この地の火の神様、竈の神様、火難除け、災難除け。
叡山電鉄鞍馬線「貴船口」駅にて下車、京都バス33番に乗り終点の「貴船」バス停へ。(乗車約5分)
ここから山の方へ歩いて約5分ほど。
本社−鳥居 |
本社−拝殿 |
神馬 |
貴船神社は、古く貴布禰社とも記された。鴨川の支流のひとつ貴船川に沿い、南から本社、結社(中宮)、奥宮と谷間に社殿が続いている。
古来より水の神の崇敬を集め、平安時代は鴨川の水源を預かる治水神、「川上の神」とも呼ばれた。
都の丑寅(北東)の鬼門の方角にあたり、邪気の侵入を防ぐ意味も有していた。
祭神は晴雨を司る高おかみ神(たかおかみのかみ)。
また、罔象女命(みずはのめのみこと)といい、いずれも水の神。また、貴布祢(きふねの)明神ともいう。
中宮 |
中宮・結社の祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)を祀る。
奥宮−鳥居 |
奥宮−神門 |
奥宮−拝殿 |
奥宮祭神は、闇おかみ神(くらおかみのかみ)(船玉命)を祀る。闇おかみ神と高おかみ神は同一神、対の神ともいう。
船形石 |
賀茂建角身命の娘、神武天皇の母である女神・玉依姫命(たまよりひめみこと、玉依比売命、玉衣日姫命)が、浪花の津から黄色い船(黄船)に乗って淀川を遡った。鴨川を上流に辿り、貴船の地に着き水神を祀ったことに始まるという。(「御鎮座縁起」)。この地には龍穴があり、その上に社殿が建てたともいう。現在、奥宮本殿の西に石積みの「船形石」が残されており、これはその時の黄船を人目に触れないように小石で覆ったものという。