事事関心! 神社探訪:
[ 奈良県奈良市 ]
奈良県奈良市                2020/10/31(土)更新
探訪案内

 奈良探訪の第1回目(2016/09/27)は奈良市の興福寺、東大寺とその周辺を巡った。
 第2回目(2017/09/26)は、近鉄京都線「西ノ京」駅から薬師寺、唐招提寺を見学するついでに休ヶ岡八幡宮・孫太郎稲荷神社に立ち寄った。
 第3回目(2019/09/25)は、大神神社参拝からの帰りに寄り道して興福寺中金堂を拝観、ついでに奈良公園南側にある神社を巡った。
 第4回目(2020/10/26)は、歴史の道をなぞり西大寺〜秋篠寺〜陵墓群〜平城宮跡〜法華寺を巡った。
 第5回目(2021/10/26(火))は、薬師寺⇒大安寺⇒春日大社と巡った。
 第6回目(2022/10/31(月))は、近鉄奈良駅の南側にある世界遺産「元興寺」を拝観し、ついでに"ならまち"にある神社を幾つか巡った。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 漢国神社 奈良市漢国町6 2016/09/27 
 02 率川神社 奈良市本子守町18 2016/09/27 
 03 道祖神社 奈良市東寺林町1 2016/09/27 
 04 氷室神社 奈良市春日野町1-4 2016/09/27 
 05 手向山八幡宮 奈良市雑司町434 2016/09/27 
 06 子守神社 奈良市雑司町406-1(東大寺) 2016/09/27 
 07 飯道神社 奈良市雑司町406-1(東大寺) 2016/09/27 
 08 大国主命神社 奈良市東城戸町47 2016/09/27 
 09 南都鏡神社 奈良市高畑町468 2019/09/25 
 10 天神社 奈良市高畑町1049 2019/09/25 
 11 瑜伽神社 奈良市高畑町1059 2019/09/25 
 12 采女神社 奈良市樽井町 2019/09/25 
 13 休ヶ岡八幡宮 奈良市西ノ京町457 2017/09/26 
 14 孫太郎稲荷神社 奈良市西ノ京町休岡 2017/09/26 
 15 西大寺石落神社 奈良市西大寺南町1-19 2020/10/26 
 16 西大寺八幡神社 奈良市西大寺芝町2-10 2020/10/26 
 17 野神神社 奈良市西大寺野神町1-4 2020/10/26 
 18 十五所神社 奈良市西大寺北町1-6 2020/10/26 
 19 八所御霊神社 奈良市秋篠町743 2020/10/26 
 20 山陵八幡神社 奈良市山陵町宮ノ谷446 2020/10/26 
 21 福松大神 奈良市山陵町宮ノ谷446 2020/10/26 
 22 山上八幡神社 奈良市山陵町326 2020/10/26 
 23 春日神社 奈良市法華寺町816 2020/10/26 
 24 八幡神社 奈良市東九条町1316 2021/10/26 
 25 西波天神社 奈良市六条1-35 2021/10/26 
 26 春日大社 奈良市春日野町160 2021/10/26 (別ページ)
 27 八王子・四之室神社 奈良市元林院町 2022/10/31 
 28 南市恵比寿神社 奈良市南市町28 2022/10/31 
 29 住吉神社 奈良市勝南院町5 2022/10/31 
 30 御霊神社 奈良市薬師堂町24 2022/10/31 
 31 いさがわ神社 奈良県奈良市西新屋町 2022/10/31 

【履歴】
・2022/10/31(月): 10/31(月)元興寺とならまちの神社 ・2019/09/28(土): 09/25(水)探訪
・2021/10/31(日): 10/26(火)春日神社〜東大寺探訪  ・2017/10/01(日): 09/26(火)探訪
・2020/10/31(土): 10/26(月)西大寺周辺探訪     ・2016/10/10(月): 09/27探訪

漢国神社 奈良市漢国町6

 近鉄奈良駅から徒歩約5分。


鳥居(変則八幡型)

神門

 漢国神社は、推古天皇元年(593)、勅命により大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が大物主命(おおものぬしのみこと)を、養老元年(717)には藤原不比等公が大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を合祀したのに始まる。 古くは、春日率川坂岡社(かすがいさかわさかおかしゃ)と称した。


二の鳥居

本殿

 本殿は、三間社流造・檜皮葺で、要所を極彩色に塗装した美しい建物だ。 桃山時代の形式・手法を示し、慶長十五年(1610)の神社文書に建築部材の明細を記したものがあるので、その頃の建立と推定される。



林神社

源九郎稲荷神社

 林神社は、室町時代の初めに中国から渡来し、日本に初めて饅頭を伝えた林浄因(りんじょういん)を祀る。 「饅頭の始祖」と呼ばれている淨因は、肉饅頭「包子(パオズ)」から思いついたのだろうか、禅僧でも食せるように小豆を甘く煮込んだ餡を小麦粉から作った皮に包んで蒸した饅頭を創作した。これが記録に残る日本で始めての餡入り饅頭ということらしい。


率川神社 奈良市本子守町18

 近鉄奈良駅から徒歩約10分。


鳥居

拝殿

神額「子守明神」

 飛鳥時代、推古天皇元年(593)に創祀された奈良市最古の神社である。 御祭神の媛蹈?五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)は大神神社の大物主大神の御子で、初代神武天皇の皇后。 三棟の本殿の中央に祀り、その両側に父母神を祀っている。 両親が御子をお守りする形から、子守明神とたたえられ、安産、育児、生育安全、夫婦円満の神として信仰されている。


かえる石

境内社−率川阿波神社

 境内に、大切に置かれている石がある。その石は「かえる石」と呼ばれている。 カエルは一度に多くの卵を産むので、繁殖力や命の再生、裕福のシンボルとされてきた。 また「かえる」という言葉から、「幸せがかえる」という縁起にもつながり、「お金がかえる」「若かえる」「無事にかえる」など、昔から願掛けとして親しまれている石だ。 この石を撫でていく方も多く、「撫でかえる」とも呼ばれているそうだ。
 率川阿波神社は、宝紀二年(771)阿波国から勧請したと伝わる。 推古天皇元年に大三輪君白提が勅命により奉斎したと伝わる。延喜式神名帳の率川阿波神社である。
 祭神は事代主命(恵比寿神)。

道祖神社 奈良市東寺林町1

 猿沢の池より南へ150mほど四つ角左手前の一隅に鎮座している。近鉄奈良駅から徒歩11,12分。




 創建は、人皇五十一代平城天皇の御世と云うように非常に長い歴史を持つ社である。 元は元興寺境内に祀られていた鎮守社だったが、度重なる戦禍により衰微し、神仏分離令によって元興寺と切り離され現在に至っている。
 祭神は、猿田彦神、市杵嶋姫命。 道拓きの神さまとして知られる猿田彦神を祀っている。 古来より開運招福、商売繁盛、夫婦和合の神さまとして、地元の方々から篤い崇敬を受けている。

氷室神社 奈良市春日野町1-4

 近鉄奈良駅から東へ徒歩15分、または、奈良交通市内循環バス外回り「氷室神社・国立博物館前」下車すぐ。


鳥居

四脚門[奈良県指定有形文化財]

 平城遷都に伴い春日野に氷池や氷室を造り、稲作に重要な夏の天候を呪う祭紀を行ったのが始まりとされている。



拝殿・舞殿

本殿[奈良県指定有形文化財]

 本殿は、三間社流造・檜皮葺で江戸時代末期の造替といわれる。


手向山八幡宮 奈良市雑司町434

 近鉄奈良駅から市内循環バス「大仏殿春日大社前」バス停で下車、徒歩15分。または、近鉄奈良駅から東へ徒歩30分。


神門

表参道鳥居

南参道鳥居

 紅葉の名所として知られる手向山に鎮座する。 手向山八幡宮は、天平勝宝元年(749)、東大寺の守護神として宇佐八幡宮から勧請され「鎮守八幡宮」と呼ばれていた。 当初は平城宮南の梨原宮に創建され、その後に東大寺の大仏殿南方に移されたという。
 治承四年(1180)の平重衡による南都焼討によって焼失するが、東大寺大勧進重源によって文治四年(1188)に再建され、10年後の建久八年(1197)には新造の社殿への遷宮が行われている。 その後、建長2年(1250)、鎌倉幕府五代執権の北条時頼によって現在の地に再建された。 明治の神仏分離によって東大寺から独立し、御神体だった快慶作の「僧形八幡神坐像」(国宝)は、東大寺の勧進所八幡殿に安置されている。
 祭神は、応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇。


若宮神社

宝庫(奈良時代:重文・校倉)

御神紋「向い鳩」

 校倉造りの神宝庫は奈良時代の建造物で、正倉院の六倉の中の一倉(奈良時代に解体した部材)を江戸時代に移築したものである。 かつては御神宝やお渡りの神輿等を祀っていた。 校倉造りは校本(横材)を交互に組みあげ壁体とした構造様式を云う。 校本には円・四角・三角状の角材などがあるが、手向山八幡宮は正倉院と同じく、三角状の角材である。

子守神社 奈良市雑司町406-1(東大寺)

 大仏殿の西側、指図堂との間に鎮座している。




 東大寺伽藍略録によると良弁僧正の母を祭祀したと云い、「相模の国から来られた母が此処に住し、良弁は孝養を尽くした」旨の説明をし「孝養社」と言ったとも記されている。


飯道神社 奈良市雑司町406-1(東大寺)

 東大寺二月堂の右手山側の階段上に鎮座している。




 修二会において、最初と最後にお参りされる三社が、興成神社・飯道神社・遠敷神社である。 この三社は二月堂練行の神社で、実忠和尚の勧請と伝わる。 これらの三社はいずれも二月堂鎮守神である。
 滋賀県甲賀市の飯道山(標高664m)に飯道神社が鎮座している。 (祭神は穀物神の宇賀御魂神と弁財天を習合する飯道権現)
 東大寺大仏殿の修覆に際して信楽杣産の木材が用いられたことに因み、飯道権現を信楽杣の森林支配の神とする国家の承認が封戸の授与や飯道権現の祭祀に結びつき、東大寺二月堂守護神として飯道権現が祀られることになったと云う。
 祭神は軻具突智神、埴山媛命、稚皇産霊神。 軻具突智神は火の神、埴山媛命は土の神、稚皇産霊神は五穀の神と云う。

大国主命神社 奈良市東城戸町47

 率川神社から興福寺へ向かう道中に見つけた民家の庭に鎮座している神社。 率川神社から「やすらぎの道」を南へ行った最初の信号機のある交差点で左折して横断し、路地を東へ進むと100mほど先右手に鎮座している。




 創祀・由緒など不詳。昭和14年に旧地の隣に移転し、社殿などを新築したと云う。
 広い敷地は、もともとこの地にあった「奈良晒」の大きな商家のもの。 商家移転の際に「家運隆盛は大国さまのおかげであった」として、町内一同が引き続いて大国さんをお祭りすることを条件として、その敷地を町有のものとして寄贈されたと云う。
 祭神は、大国主命。

南都鏡神社 奈良市高畑町468

 新薬師寺の南側に鎮座している。




 大同元年(806)に遣唐使発遣の祈祷所であった当地に新薬師寺の鎮守として奉祀したと云われている。 また、奈良時代に太宰府で反乱を起こして処刑された藤原広嗣を祀った唐津(佐賀県)の鏡神社からの勧請を受け、藤原広嗣を祭神として祀っている。
 また、『元要記』には「延暦二十三年(804)に弘法大師(空海)が唐からの帰朝の際、松浦明神の加護により風波が静まったので これに感銘した弘法大師は大同元年(806)に帰朝した時、興福寺の庭中に松浦明神を奉斎して"鏡大明神"と号した」という伝説がある。

天神社 奈良市高畑町1049

 奈良公園内「浮見堂」近くの小さな丘の上、瑜伽神社前の道を東に行き、石段を登った先にある。




 首都が平城京であった八世紀に少彦名命を祀る社として始まり、少彦名命が手間天神という別名を持っていたことから、手間天神(てまてんじん)と呼ばれ崇められていたとされる。 平安時代になると、菅原道真を祭神とする天満宮が各地に建てられるようになったことに伴い、第72代 白河天皇の御代(1073〜1087)に相殿を建てて菅原道真公を祀ったと伝えられている(一説に承保五年(1078)とされる)。 その後は、元興寺禅定院もしくは興福寺大乗院の鎮守社となり、近世には奈良奉公や公卿の信仰を集めて現在に至るとされている。

瑜伽神社 奈良市高畑町1059

 奈良交通バス「奈良ホテル」下車、徒歩約2分。







 平城遷都により飛鳥(明日香村)の神奈備より移されたため明日香の元宮に対して今宮と呼ばれている。 地元では「ゆが」神社とも呼ばれるが、正式には「ゆうが」神社である。
 飛鳥神奈備、大己貴命の娘の賀夜奈留美命を祭神としている。


采女(うねめ)神社 奈良市樽井町

 猿沢池の北西に位置する春日大社の末社。




 『大和物語』によると「奈良時代に帝に仕えていた采女(後宮で帝の給仕をする女官の職名)が、帝のご寵愛が衰えたのを嘆いて猿沢池の池畔の柳に衣を掛け、入水したので、その霊を慰めるために社を建てた。しかし、采女は我が身を投じた池を見るに忍びないと一夜のうちに社を後ろ向きにした。」と伝えられている。


休ヶ岡八幡宮 奈良市西ノ京町457

 近鉄京都線「西ノ京」駅を出て目の前の道を右へ進み、南へ向かう。線路と平行に進み、最初の線路と交差する道路で渡ると薬師寺の南門の前で右に折れると少し先に鎮座している。




 この神社は大分の宇佐八幡を勧請したものであり、平安時代の寛平年間(889〜898)に創建されたと云われている。 当初から薬師寺を護るための鎮守神として設けられた神社は、1000年の時を経てなお「薬師寺の鎮守神」として鎮座している。 社殿は江戸時代初期の慶長八年(1603)の建造である。
 祭神は八幡宮の神として、僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命を祀っている。 なお、この祭神は国宝"八幡三神坐像"という"神像"の形で祀られている。

孫太郎稲荷神社 奈良市西ノ京町休岡

 近鉄京都線「西ノ京」駅を出て目の前の道を右へ進み、南へ向かう。線路と平行に進み、最初の線路と交差する道路で渡ると薬師寺の南門の前で右に折れるとすぐ先左手に鎮座している。




 孫太郎稲荷神社は、田原藤太秀郷四代の孫藤原頼行が下野国唐沢山(栃木県佐野市)に祀った稲荷社を始まりとする。 頼行後裔の足利孫太郎家綱、あるいは佐野孫太郎義綱が社を再興したことに因んで孫太郎稲荷と称した。 その孫太郎稲荷の分霊がのちに播磨国の姫路城下(城内とも)に祀られる。そして、寛政年間(1789〜1801)に奈良西ノ京に遷座となったと云う。
 祭神は宇迦之御魂神である。


西大寺石落神社 奈良市西大寺南町1-19

 近鉄京都線「西大寺」駅南改札を出て線路沿いに北西方向へ歩き左手にある交番を回り込むように南向きの道に折れる。 するとすぐ先右手に西大寺の外塀が見えるのでそのまま南へ進むと約100m先左手に鎮座している。


全景

本殿【奈良市指定文化財】

 石落神社の歴史自体は奈良時代に西大寺が創建された時代には遡らないが、西大寺の鎮守社として西大寺「中興」の時代である鎌倉時代の仁治三年(1242)にその西大寺再興を成し遂げ、般若寺などにも深く関わり福祉の先駆者としてもよく知られている叡尊によって少彦名命を勧請する形で祀られたことをその創始としている。
 祭神は少彦名命(石落神)を祀る。

西大寺八幡神社 奈良市西大寺芝町2-10

 西大寺の南門を出て右折しまっすぐ200mほど進むと突き当りに神社の鳥居が建っている。 境内はさらに参道を200mほど進んだ林の中にある。




 明治期に神仏分離が図られるまでは西大寺の鎮守神として機能して来た。 創建は西大寺の創建期と同じ奈良時代にまで遡るものとされている。
 社伝によると、現在のような神社として整備されたのは西大寺を中興した「叡尊上人」の活躍した鎌倉時代、弘安四年(1281)頃とされ、当時は神仏習合の文化があったことから「僧形八幡神像」が社殿に祀られていたともされている。
 祭神については本殿主祭神として気長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・誉田別命(ほんだわけのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀る。


 

本殿【重文】

 重要文化財に指定されている三間社流造の本殿は、室町時代の中期に建立されたものであり、境内には大きな拝殿や覆屋が存在しないことから、大きな本殿の全体像がよく見えるという少し珍しい空間となっている。

野神神社 奈良市西大寺野神町1-4

 近鉄京都線「西大寺」駅南改札を出て線路沿いに北西方向へ歩き左手にある交番を回り込むように南向きの道に折れる。 するとすぐ先右手に西大寺の外塀が見えるのでその手前の右手路地に折れ進むと約300m先十字路右手に鎮座している。




「元禄壬午十五年(1702)奉造立野神社」と右の石灯籠に刻まれている。左の石灯籠には「元禄壬午十五年(1702)奉造立愛宕大権現」。
 大正三年八月に十五社神社に合併が決まり、後に届けも出されたが、野神町の人々は祀り続けている。
 祭神は別雷神。


十五所神社 奈良市西大寺北町1-6

 近鉄京都線「西大寺」駅南改札を出て線路沿いに北西方向へ歩き左手にある交番を回り込むように南向きの道に折れる。 するとすぐ先右手に西大寺の外塀が見えるのでその手前の右手路地に折れ進み、西大寺の外塀が終わる処で右手の道に折れる。 暫く行くと近鉄線の踏切があり、この踏切の先に神社の鳥居が建っている。




 西大寺創建当時より鎮座する鎮守社。名称の通り15の鎮守社を1ヶ所に合祀された神社である。 ただ、現在の祭神は、生野大神・小森大神・廣田大神・白山大神・住吉大神・加茂大神・春日大神・天照大神・松尾大神・稲荷大神・熊野大神・大原大神・布留大神・三十川大神・八幡大神の15柱に、大正三年に奈良市西大寺野神町1丁目にある野上神社より別雷大神が合祀され16柱となっている。

八所御霊神社 奈良市秋篠町743

 秋篠寺南門を出てすぐ右手に鎮座している。




 秋篠寺の鎮守神で、社伝によると本殿は宝亀十一年(780)創建、保延元年(1135)類焼、同年再建したというが、現社殿は室町時代の増築。 当初は御霊神社と称したが、貞観年中(859-77)八所御霊神社と改称したという。明治二十四年の『神社明細帳』には、祭神を崇道天皇(早良親王)・伊予親王・藤原夫人・橘逸勢・文屋宮田麻呂・藤原広嗣・吉備大臣・火雷紳。と記されている。本殿瑞垣内の二小祠は『宰相宮』と『野ノ神・荘厳紳』である。





 本殿は、三間社流造で、室町時代の造立と言われ、奈良県指定文化財となっている。 この建物は、春日大社末社三十八所神社本殿と酷似しており、その旧社殿の可能性が高いと言われている。
 主祭神は八所御霊神。

山陵八幡神社 奈良市山陵町宮ノ谷446

 平城宮跡からもそれほど遠くはない「佐紀盾列古墳群」が広がるエリアの西部、近鉄「平城」駅の北300mの神功皇后の陵とされる古墳の南側に南面して鎮座している。




 拝殿から上へ本殿まで石段が続くが立ち入り禁止である。
 主祭神は神功皇后本人である気長足媛命、そしてそれ以外には品陀和気命(応仁天皇)と神功皇后の母親である玉依媛命が祀られている。

福松大神 奈良市山陵町宮ノ谷446

 山陵八幡神社鳥居前の道を右手へ進むと近鉄京都線の踏切があるが、そのすぐ前左手に鎮座している。





山上八幡神社 奈良市山陵町宮ノ谷446

 近鉄京都線「平城」駅より徒歩6分、佐紀陵山古墳(日葉酢媛命陵)拝所のすぐ南に鎮座している。




 神社の創建自体は、江戸時代に入ってからの延宝五年(1677)とも言われているが、その詳しい由来については不詳である。 藤原鎌足公の末裔の超昇寺氏が一家の安栄を祈るため奉納した祈願文が保存されていて、超昇寺氏の厚い信仰を受けていた古社である。
 安政元年(1854)、明治九年(1876)に修理されている。
 祭神は天照皇大神・八幡大明神・春日大明神である。

春日神社 奈良市法華寺町816

 近鉄奈良駅前のバス停から奈良交通バス[西大寺行]に乗り「法華寺」バス停で降りるとすぐ傍に鎮座している。




 本来海龍王寺の鎮守社として天児屋根命を祀っていたが、寛延年中に左右二座が合祀され、氏神として崇敬されるようになった[2]。宇奈多理神社を西宮、当社を東の宮と称して法華寺町の氏神として信仰篤い。
 祭神は天児屋根命、白山比当ス、伊弉冉命。

八幡神社(元石清水八幡宮) 奈良市東九条町1316

 JR奈良駅・近鉄奈良駅より「大安寺行」・「シャープ前行」・「白土町行」に乗車し「大安寺」バス停下車徒歩15分、大安寺南大門から塔跡へ向かう途中に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

神門

 八幡神社(元石清水八幡宮)は、大同二年(807)奈良・南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立された。
 祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇。


拝殿


 962年の年紀をもつ『大安寺八幡宮御鎮座記』は、入唐した大安寺の僧侶が帰朝の途次に豊前宇佐八幡宮に参籠してその神影を奉戴、807年に大安寺東に鎮座したのが起源で、後に神殿を造営して遷座し、「石清水八幡宮」と号して大安寺の鎮守神とした。しかし859年に神託によって山城男山へ遷座したために改めてその跡に祀ったのが創祀であるとしている。


西波天神社 奈良市六条1-35

 近鉄橿原神宮線「西ノ京」駅で下車し駅前の道を右手へ、線路と並行に南へ進み、薬師寺南門へ続く左手道の先、小川に架かる橋の手前で右折し徒歩2分の処に鎮座している。




  遠くから鎮守の杜の大樹が望め、その大樹の下に一の鳥居が建つ。 参道途中には狛犬や二の鳥居が建立されている。勧請年月・縁起・沿革等については不明。
 祭神は管原道真公。

八王子・四之室神社 奈良市元林院町

 近鉄奈良駅すぐ、奈良市元林院町にある。



 当神社は、八王子・四之室(よのむろ)の両社を祭る。 八王子社の祭神は素盞鳴尊の八人の御子神様、四之室社の祭神は春日大社・第四殿の姫大神様である。
 両社の創建時期は不詳で江戸期以前と考えられている。 江戸時代、両社は当町の別々の場所に祀られていたが、明治の始め教部省の達しにより、当町の氏神・氷室神社に合祀された。


南市恵比寿神社 奈良市南市町28

 三条通り界隈から南にすぐ、餅飯殿商店街から東にすぐの処に鎮座している。 多くの観光客で連日大賑わいの"ならまち"エリアで、商売をしている方々に慕われている。




 南市は鎌倉時代に開かれたとされ、高天市や北市とともに南都の三市と呼ばれ毎年1月5日には初戎が催され、多くの方が商売繁盛・福徳招来・五穀豊穣などを色鮮やかな朱色の本殿に向かい祈願している。 初戎当日は周辺に縁起物を売る露店が多数出店し、年始の恒例行事として定着している。
 祭神は事代主命(えびす様)である。

住吉神社 奈良市勝南院町5

 近鉄「奈良」駅より南へ行くと、住宅地の中に一際見張る程鮮やかな朱色と黒の門扉が視界に飛び込んでくる。



 元興寺の一院であった仙光院が衰えたのち、勝南院が建立されたが、その勝南院内に古くから鎮座していたという。
 宝徳二年(1450)、元興寺と興福寺の争いを起因とする火難に会い、その跡は人家で占められるようになった。
 そのため、現在地に住吉大神を祀る祠を建て、町名を勝南院町とし、町内の安全や商売繁盛を祈願するようになったという。


御霊神社 奈良市薬師堂町24

 元興寺五重塔跡の南西に鎮座している。


神社石標と鳥居

参道鳥居

 延暦十九年(800)人皇第五十代・桓武天皇の命で創建された。
 奈良の町には南の出入口として三つの街道があり、疫病の侵入を防ぐための御霊会が営まれ、上つ道に早良親王を祀る崇道天皇社、中つ道に井上皇后を祀る井上御霊社、下つ道に他戸親王を祀る他戸御霊社が造営された。 この井上御霊社が当社のはじめである。


拝殿

本殿

 本殿に井上皇后、他戸親王の神霊二座、東側社殿に早良親王、藤原広嗣、藤原大夫人の神霊三座、西側社殿に伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿の神霊三座を祀り、あわせて八所御霊大神と云う。
 『三代実録』によると最初に行われた御霊会は貞観(じょうがん)五年(863)五月二十日に神泉苑で行われている。 早良親王、伊予親王、藤原吉子、観察使、橘逸勢、文屋宮田麻呂ら六所の御霊を祀り、御霊を慰めるために供物をして僧侶の読経、雅楽を奏し盛大に行われた。


出世稲荷神社

 縁結びのご利益でも知られる御霊神社。南門を潜って左手にある末社・出世稲荷神社がその神様を祀る社で、昭和27年(1952)に京都の出世稲荷神社から分霊した。 天正15年(1587)に豊臣秀吉が聚楽第に勧請したことが始まりで、「出世」の称号は農民から天下人となった秀吉にちなみ後陽成天皇が授けたものといわれている。




いさがわ神社 奈良県奈良市西新屋町




 飛鳥神並神社、率川阿波神社との呼称で記録されたこともある。宮司は御霊神社宮司の兼務。
 祭神は事代主神。



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