事事関心! 神社探訪:
[ 滋賀県大津市 ]
滋賀県大津市                2023/10/04(水)更新
参拝神社一覧

 第一回目は比叡山延暦寺巡拝のついでに坂本にある神社を巡った。そして二回目は三井寺参拝に合わせて近場の神社を巡ってみた。
 三回目となる今回(2020/10/25)は大津市歴史博物館を訪れたついでに近場の未訪神社を巡った。
 第四回目は聖衆来迎寺、西教寺を参拝のついでに道筋にある神社を巡った。

NO.神社名住所拝観期日備考
 01 日吉大社 大津市坂本5-1-1 2023/10/04 
 02 日吉東照宮 大津市坂本4-2-12 2018/10/29 
 03 日吉御田神社 大津市坂本6-27-14 2018/10/29 
 04 石占井神社 大津市坂本3-16-41 2018/10/29 
 05 大神門神社 大津市坂本3-15-27 2018/10/29 
 06 早尾神社 大津市坂本4-3-7 2018/10/29 
 07 下野天神社 大津市坂本8-27-1 2023/10/04 
 08 興玉神社 大津市坂本5-15-21 2023/10/04 
 09 榊宮社 大津市坂本4-9-57 2023/10/04 
 10 福成神社 大津市坂本4-12-9 2023/10/04 
 11 杉生神社 大津市坂本3-11-5 2023/10/04 
 12 若宮神社 大津市下阪本6-5-1 2023/10/04 
 13 大崎神社 大津市比叡辻1-6-9 2023/10/04 
 14 供所神社 大津市比叡辻1-4-11 2023/10/04 
 15 近江神宮 大津市神宮町1-1 2019/09/26 
 16 長等神社 大津市三井寺町4-1 2019/09/26 
 17 大津大神宮 大津市小関町3 2019/09/26 
 18 新羅善神堂 大津市園城寺町246 2019/09/26 
 19 護法善神堂(千団子社) 大津市園城寺町246 2020/10/25 
 20 三尾神社 大津市園城寺町251 2020/10/25 
 21 蛭子神社 大津市観音寺12 2020/10/25 

【履歴】
・2023/10/04(水): 10/04(水)に参拝。  ・2019/09/28(土): 09/26(木)に参拝。
・2020/10/31(土): 10/25(日)に参拝。  ・2018/11/16(金): 10/29(月)に参拝。

日吉大社 

 JR湖西線「比叡山坂本」駅で下車し、県道316号線を山側へ歩いて約20分の処にある。途中、一ノ鳥居、二ノ鳥居を潜る。


赤鳥居

 日吉大社は比叡山の麓に鎮座し、約2100年前に創祀された全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。 平安京遷都の際してはこの地が都の鬼門にあたることから、日吉大社は都の魔除・災難除を祈る社に。 また伝教法師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは、天台宗の護法神として多くの方より崇敬を受け、今日に至っている。
 [詳細は 日吉大社 ]


日吉東照宮 【重文】 大津市坂本4-2-12


唐門と透塀

社殿

 徳川家康公は没後、静岡の久能山東照宮、後に栃木の日光東照宮に祀られたが、東照宮造営に縁の深い天海上人が天台宗の僧侶であったこともあり、元和九年(1623)徳川三大将軍家光公の時に比叡山の麓に造営された。 その際の本殿と拝殿を繋ぐ「権現造り」様式を用いた社殿が素晴らしかったので、その様式を基に日光東照宮を再建したといわれている。
 明治以前は比叡山延暦寺が管理をしていたが、明治時代に入り神仏分離令が出され日吉大社の管理する社となり、今日に至る。 昭和二十五年に社殿が国指定重要文化財に指定され、更に同三十一年に唐門と透塀が同じく重要文化財に指定された。

日吉御田神社 大津市坂本6-27-14




 本殿は一間社流造、石造の明神鳥居が建っている。祭神は水葉女神(みずはのめのかみ)。
 境内地は二段になっており、二段目の奥にクスノキの大樹がそびえている。 一段目に花崗岩で組まれた古井戸があり、これが信仰の対象とされていたといい、原始的な農耕祭祀が行われたのがこの社の起源と伝えている。
 正月15日には、大蛇に見立てた藁でつくった大綱を引き合う綱引き神事が行われ、その年の豊凶を占う。

石占井神社 大津市坂本3-16-41




 石占井神社は、日吉社、一の鳥居の東方100mに鎮座している。 祭神は、奥津島姫命(おくつしまひめのみこと)で、通称「いしらいさん」と呼ばれて親しまれている。 天智天皇の頃、大和の三輪山から大己貴神(おおなむちのかみ)がこの地に降臨された際に奉祀されたと伝わる。 大己貴神を西本宮に案内し、石に坐した神が鎮座の聖地を占い、境内にあった井戸水で御足を洗ったという故実につながっている。

大神門神社 大津市坂本3-15-27




 明治初期に"大鳥井社"を現在の"大神門神社"と改名した。
 祭神は天石門別神(あまのいわとわけのかみ)といい、古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神で門を守る神だと言われている。 こちらの大神門神社は日吉大社の門を守っている。


早尾神社 大津市坂本4-3-7



 日吉馬場の頂上に鎮座する日吉大社と延暦寺の門番の神である。祭神は須佐之男尊。
 日吉大社中七社の一つである。


興玉(おきたま)神社 大津市坂本5-15-21




 御祭神は天照大神。
 坂本本町第八区の住民の発意により、天照大神を氏神として奉斎し、昭和二十三年に創立する。昭和五十年現在地に奉遷された。

榊宮社(さかきのみやしろ) 大津市坂本4-9-57




 御祭神は大己貴命、配祀神に大山咋命 田心姫命 下照姫命。
 日吉大社境外百八社の一社であり、比叡大神と同神霊を奉祀し、創立年代もまた日吉大社とその起源を一にすると云う。 日吉大社の山王祭に特別の関係があり、当日大榊の神事を司る。この為神社名を「榊宮社」と称する。


福成神社 大津市坂本4-12-9




 御祭神は大国主神。
 由緒不詳であるが、日吉大社境外百八社の一社である。


杉生(すぎお)神社 大津市坂本3-11-5




 御祭神は大物主神。
 創祀年代不詳であるが、口伝によれば日吉大社降臨の時の創立と伝へられ、日吉大社の境外百八社の一社である。


若宮神社 大津市下阪本6-5-1

 若宮神社は、比叡山から降りてきた道が西近江路と交わる三叉路いわゆる比叡辻に位置している。




 祭神は大山咋神と国常立命を祀る。日吉大社の杜外百八社のひとつである。
 社伝では、創建は白鳳時代に遡ると伝えるが定かではない。 織田信長の延暦寺焼き打ちによって焼失し、一時、栗太郡に遷座していたが、天正年間(1573 - 92)に再びこの地に戻る。


大崎神社 大津市比叡辻1-6-9

 大宮川河口付近にある。




 大崎・供所・磯成社は、いずれも日吉社社家の祖霊を祭神としていた。 これは、以前このあたりの富崎(下阪本六丁目)から和田(比叡辻一丁目)付近にかけて、日吉社社家が居を構えており、自らの祖霊を祀っていたことに始まる。 社家祝部氏は、日吉大宮の祭神である大己貴神が、大和国三輪より大津へ影向され唐崎に上陸された時、唐崎に住み、神を迎えた琴御館宇志丸の末裔とされる。 「日吉社神道秘密記』には、「ことごとく社家中の住居この所にあり、成仲宿禰樹下に上がり初、行言生源寺へ上がり初む、上坂本中所々に住う所也」と記されている。 社家が上坂本に移った時期は、平安時代末から鎌倉時代にかけてと考えられている。 成仲は樹下家の祖、行言は生源寺家の祖となった。

供所神社 大津市比叡辻1-4-11




 日吉大社の社外百八社のひとつに数えられ、祭神は供所大神をお祀っている。
 その創建は弘仁二年(811)と伝えられている。現在、地元の氏神として崇敬を集めているが、もとは、日吉社家の祖霊を祀る社だった。 「日吉社神道秘密記』には、「比叡辻北ノ口小唐崎町供所大明神」として祝部成遠を祀るとある。 供所神社は、日吉大社の神体山を正面に拝する場所にあり、日吉大社を遥拝する祭祀場所が、現在の供所神社として発展したのではないかと考えられている。 社蔵の古文書によると、当社は、織田信長の延暦寺焼き打ちによって焼亡したが、天正年間(1573 - 92)に再建され、また慶長九年(1604)に社殿が大破することがあり、片桐主膳正貞隆が再興したとも伝わる。 境内社として、奥成神社、福成神社、大将軍神社がある。

下野天神社 大津市坂本8-27-1




 創祀年代は不詳。天台宗比叡山飲室谷松禅寺玄俊が同寺の鎮守として、飯室谷字下野と云う地に創始されたものと伝えられ明治八年現在地に奉遷し社殿を造営した。 この由縁によって、今も下野の地を御旅所として、例祭には神輿が渡御する。
 御祭神は菅原道真公。

近江神宮 大津市神宮町1-1

 京阪石山坂本線「近江神宮前」駅で下車し、駅前の線路と交差する道を山側(西方向)へ進み、県道47号線に出る。 この県道を右折して北へ進むと300mほど先に近江神宮の森がある。


二の鳥居

楼門

 近江神宮の創立は、昭和十三年五月内務省告示で決定し昭和十五年十一月七日近江大津宮宮址に近い大津市錦織町南滋賀町宇佐山の琵琶湖に面する地域六万坪の浄地に鎮座になった。 尚日本書紀に伝える天命開別天皇とは万物の運命、開拓をつかさどるの意であり。その御神徳として漏刻(水時計)を造って国民に時を教え、また百人一首の一番札「秋の田」で知られる通り、世直し、文化の神として崇敬をうけている。



外拝殿

内拝殿

 楼門をくぐると正面に巨大な外拝殿が聳えている。 その外拝殿に上ると拝所があり、正面に見えるのが祭典や祈祷の行われる内拝殿だ。 外拝殿中央から左右に回廊が続いており、両端まで進むと内拝殿の上横に千木・鰹木のある本殿が望める。

長等神社 大津市三井寺町4-1

 京阪石山坂本線「三井寺」駅から徒歩で10分。


鳥居

楼門【市指定文化財】

 楼門は技師:安藤時蔵・技術員:青池安太郎の設計で明治三十八年に竣工した。 三門一戸、屋根入母屋造、檜皮葺の構造である。 比較的小型ながら上・下の均等が美しく左・右の広がりも適度に、また、各部の曲線も美しくとられ、室町時代頃の様式にのっとった秀作で、明治時代の楼門の代表作ある。



拝殿

回廊と本殿

 長等神社は、天智天皇の御世(667年頃)、近江大津宮の鎮護として長等山岩座谷の霊地に須佐之男命を祭祀されたことを起源とする1300年の歴史を持つ神社である。  後に園城寺(三井寺)の守護神として勧請合祀された大山咋大神(日吉大神)など五柱の主祭神を祀っている。


稲荷神社

馬神神社

 馬神神社は、大津東町に鎮座され、馬の守護神として、徃古から崇敬されてきた。 明治三十四年、長等神社境内地に鎮座(現札の辻)した。
 古くより旅人、諸人は道中の馬の無事、安全を祈願し、最近においては競馬、乗馬関係者、馬の愛好者、馬年生まれの方の参詣が増えている。

大津大神宮 大津市小関町3

 滋賀県神社庁(神社庁会館)に隣接して鎮座している。



 明治11年、久邇宮朝彦親王の御令旨により、神宮奉斎会滋賀県地方本部奉斎所として下栄町に社殿を設立し、天照皇大神宮を奉斎した。 後に豊受大神宮を合祀している。昭和四年、現在地に社殿を移築。 昭和二十一年まで神宮奉斎会滋賀県地方本部奉斎所として県内への神宮奉斎にかかる啓発運動の中心拠点としてその役に担ってきた。
 祭神は天照皇大神宮、豊受大神宮。


新羅善神堂【国宝】 大津市園城寺町246

 京阪石山坂本線「大津市役所前」駅にて下車し、道路を隔てた市役所先の駐車場左手の入口を入り、まっすぐ奥へ突っ切ると裏手の道に出られる。 するとすぐ右手山側に新羅善神堂への道がある。




 三井寺の北院伽藍の中心だった。十四世紀前半に足利尊氏によって再興された三間社、流造を代表する社殿建築である。 外観には目立った装飾を使わず、 簡素で上品な建築となっている。 内部には開祖・智証大師ゆかりの新羅明神像(国宝)がまつられている。

護法善神堂(千団子社) 大津市園城寺町246

 京阪石山坂本線「大津市役所前」駅にて下車し、駅前の線路に並行して走る道路を左手へ進むと三井寺仁王門に至る道にぶつかる。 右折して仁王門へ向かい、仁王門の前で左手の駐車場方向に進むと突き当りの広場の右奥に鎮座している。




 本尊は護法善神として鬼子母神を祀っている。 鬼子母神は従来人間の児を奪い食する悪鬼だが、釈尊がこれを聞き、母神の子を鉢で隠したところ、狂髪・啼哭して悲しんだ。 釈尊が慈愛を垂れたところ、仏教に帰依し、以後善女神になったといわれている。

三尾神社 大津市園城寺町251

 京阪石山坂本線「大津市役所前」駅にて下車し、駅前の線路に並行して走る道路を左手へ進むと約400m先の三井寺総門に隣接して鎮座している。


表参道鳥居

神門

 昔、長等山の山頂に腰に赤・白・黒の三つの帯を付けた伊弉諾尊が降臨し長等山の鎮守神となり、祀られた。また、腰に付けた三つの帯が尾に見えたためにこの神は三尾明神といわれるようになった。
 三尾明神は貞観元年(859年)卯の年に園城寺初代長吏に就任した円珍によって、本神である赤尾神が現れた現・園城寺の境内の西方・琴尾谷(琴緒谷)に園城寺の鎮守として祀ることとし、社殿が建立された。その後、園城寺の境内が整備されると北院の鎮守は新羅社(現・新羅善神堂)、南院の鎮守は三尾社となった。
 明治時代に入り、神仏分離が行われると新羅社は新羅善神堂として園城寺に残ったのに対し、三尾社は明治九年(1876)に社地を園城寺の境内から白尾神ゆかりの御旅所である現在地に移し、本殿なども移築して新たに「三尾神社」として独立した。


拝殿

本殿【重文】

 応永三十三年(1426)に足利将軍が社殿を再興したものと伝え、明治九年(1876)に現在地へ移された。
 珍しい兎の神紋が特徴の神社である。



阪下茂畑稲荷神社

日御前神社

夷子神社

天満宮

白山神社・愛宕神社

蛭子神社 大津市観音寺12

 京阪石山坂本線「大津市役所前」駅にて下車し、皇子山公園を横切り公園反対側のヴュルツブルク通りに出る。 道に出たら右折し進み競技場先左手の路地に折れる。この路地が旧北国街道にぶつかる右手に鎮座している。




 天保年間に古老が観音寺の浜辺に漂着した蛭子神像を社殿を建立して祀り、昭和四十二年に表通りに遷座したという。 家内安全、家門繁栄を守る神として崇拝されている。
 祭神は事代主命(蛭子大神)・天照皇大神・早尾大神・愛宕神社。



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