事事関心! 神社探訪
[ 東京都大田区(1) ]
神社探訪: 東京都大田区(1)          2017/12/08(金) 更新
案内

 第一回目はJR京浜東北線「蒲田」駅を起点に周辺の神社を巡った。
 第二回目は京浜急行「雑色」駅から水門通りを通り御嶽神社を参拝後、八幡神社を経て六郷神社へ向かったが突然の雨に打たれたため、予定していた北野天神と他2社の参拝は取りやめた。
 第三回目(2015/02/13)は雑色駅を起点に西六郷を巡り六郷土手駅まで。
 第四回目は大森駅周辺を探索、本当は馬込まで足を延ばす予定だったが日差しが思いの外強く暑くめげた。
 第五回目として平和島駅から梅屋敷駅までを探訪し、続いて第六回目は京急空港線沿線(蒲田−穴守稲荷)を探訪した。
 第七回目は池上本門寺から第四回目に積み残した馬込を探訪した。
 大田区はもう第八回目だ、早朝は快晴にもかかわらず夕方から雨の天気予報だったので、約2時間と急ぎ足で東急多摩線沿線の武蔵新田−蒲田駅間を巡った。

NO.神社住所参拝年月メモ
 01 蒲田八幡神社 大田区蒲田4-18-18 2013/02/15 
 02 御園神社 大田区西蒲田7-40-8 2013/02/15 
 03 女塚神社 大田区西蒲田6-22-1 2013/02/15 
 04 六郷神社 大田区東六郷3-10-18 2013/12/20 突然降り出した冷たい雨風の中で撮影
 05 御嶽神社 大田区南六郷2-16-16 2013/12/20 
 06 八幡神社 大田区南六郷3-3-6 2013/12/20 
 07 熊野神社 大田区仲六郷2-44-7 2015/02/13 
 08 北野天神 大田区仲六郷4-29 2015/02/13 
 09 白山神社 大田区西六郷2-23-14 2015/02/13 
 10 高畑神社 大田区西六郷4-8-8 2015/02/13 
 11 熊野神社 大田区西六郷4-10-14 2015/02/13 
 12 日枝神社 大田区山王1-6-2 2016/02/12 
 13 天祖神社 大田区山王2-8-2 2016/02/12 
 14 熊野神社 大田区山王3-43-11 2016/02/12 
 15 根ケ原神社 大田区山王3-15-23 2016/02/12 
 16 長田稲荷神社 大田区山王3-10-9 2016/02/12 
 17 春日神社 大田区中央1-14-1 2016/02/12 
 18 鷲神社 大田区大森北1-15-12 2016/02/12 
 19 不入斗東伏見稲荷神社 大田区大森北4-23-14 2016/02/12 
 20 磐井神社 大田区大森北2-20-8 2016/02/12 
 21 東貫森稲荷神社 大田区大森北3-18-17 2016/12/09 
 22 穀豊稲荷神社 大田区大森北6-9-5 2016/12/09 
 23 甘酒稲荷神社 大田区大森北6-15-3 2016/12/09 
 24 大森神社 大田区大森北6-32-12 2016/12/09 
 25 王森稲荷神社 大田区大森東1-1-11 2016/12/09 
 26 津島神社 大田区大森東1-8 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 27 大森諏訪神社 大森諏訪神社 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 28 金山神社 大田区大森西2-23 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 29 谷戸三輪神社 大田区大森西5-18-5 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 30 貴菅神社 大田区大森西5-27-7 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 31 大森八幡神社 大田区大森中3-3-8 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 32 堀之内三輪神社 大田区大森中3-17-3 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 33 蒲田椿神社 大田区蒲田2-20-11 2016/12/09 別ページ-1 に掲載
 34 北野神社 大田区南蒲田1-6-5 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 35 子安八幡神社 大田区北糀谷1-22-10 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 36 東中江名天祖神社 大田区西糀谷2-20-22 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 37 西中江名天祖神社 大田区西糀谷1-25-3 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 38 糀谷神社 大田区西糀谷4-7-18 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 39 西仲天祖神社 大田区西糀谷4-9-17 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 40 濱竹天祖神社 大田区西糀谷3-19-18 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 41 三徳稲荷神社 大田区西糀谷3-29-2 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 42 萩中神社 大田区萩中1-5-18 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 43 妙法稲荷神社 大田区本羽田1-12-9 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 44 重幸稲荷神社 大田区本羽田1-7-14 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 45 中村天祖神社 大田区本羽田3-12-12 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 46 羽田神社 大田区本羽田3-9-12 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 47 鴎稲荷神社 大田区羽田6-20-10 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 48 白魚稲荷神社 大田区羽田5-27-8 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 49 穴守稲荷神社 大田区羽田5-2-7 2017/01/18 別ページ-1 に掲載
 50 徳持神社 大田区池上3-38-17 2017/05/17 別ページ-2 に掲載
 51 太田神社 大田区中央6-3-24 2017/05/17 別ページ-2 に掲載
 52 湯殿神社 大田区南馬込5-18-7 2017/05/17 別ページ-2 に掲載
 53 馬込八幡神社 大田区南馬込5-2-11 2017/05/17 別ページ-2 に掲載
 54 新田神社 大田区矢口1-21-23 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 55 氷川神社 大田区矢口1-27-7 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 56 今泉神社 大田区矢口2-2-21 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 57 十寄神社 大田区矢口2-17-28 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 58 安方神社 大田区多摩川1-5-11 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 59 多摩川諏訪神社 大田区多摩川2-10-22 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 60 道塚神社 大田区新蒲田3-4-10 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 61 若宮八幡神社 大田区東矢口3-28-7 2017/11/22 別ページ-2 に掲載。東急多摩川線沿線
 62 御嶽神社 大田区北嶺町37-20 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 63 嶺天祖神社 大田区西嶺町4-10 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 64 嶺白山神社 大田区東嶺町31-7 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 65 鵜ノ木八幡神社 大田区南久が原2-24-1 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 66 藤森稲荷神社 大田区南久が原2-30 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 67 下丸子天祖神社 大田区下丸子3-10-8 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 68 下丸子諏訪神社 大田区下丸子4-14-5 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線
 69 六所神社 大田区下丸子4-16-5 2017/12/06 別ページ-2 に掲載。東急池上線沿線

【履歴】
・2013/02/15(金): 蒲田駅周辺を探索。
・2013/12/22(日): 12/20(金)南六郷周辺を探索。
・2015/02/15(日): 02/13(金)西六郷を探索。
・2016/02/14(日): 02/12(金)大森駅周辺を探索。
・2016/12/12(月): 12/09(金)大森駅周辺を探索。
・2017/01/22(日): 01/18(水)京急蒲田駅−穴守稲荷駅周辺を探索。
・2017/11/24(金): 11/22(水)東急多摩線・武蔵新田駅−蒲田駅周辺を探索。

蒲田八幡神社 大田区蒲田4-18-18

 JR蒲田駅東口から右手の「蒲田駅東口」交差点で横断し、野村証券脇の一方通行路に入り、この道を真っ直ぐに進む。京急本線の高架の手前にある(徒歩約15分)。 京急蒲田駅からだと約2分と近い。


鳥居

拝殿

裏鳥居

 創祀は不詳である。蒲田村から新宿村の分村に当り、鎮守の神として稗田神社の行基作神体三座のうち春日の像一体を分ち祀ったところ、霊験あらたかであったという。 新宿分村は慶長の頃と言われているが、一説に平安末期か鎌倉初期とも言われ、決定的な資料は残されていない。 明治維新の神仏分離により、春日の像は別当妙安寺に移されたが昭和二十年四月十五日の戦災で焼失してしまった。
 戦災により社殿も同様に灰燼に帰したが、直ぐに再建された。蒲田の中心にある所から昭和二十四年八月新宿八幡神社を改め蒲田八幡神社と称えるようになった。 現在の社殿は昭和三十三年に復興したものである。
 祭神は八幡神である誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)である。


手水舎

天祖神社

満願火伏稲荷神社

御園神社 大田区西蒲田7-40-8

 JR蒲田駅西口より真ん前の中央分離帯のある道を西へ「西蒲田七丁目」交差点の手前右手にある。


鳥居

拝殿

神額

 創建年代は不詳。多摩川の洪水で流れ着いた猿田彦命を祀り、「おしゃもじ様」注釈-1と称したことに始まると云う。 もともと御園村と女塚村の鎮守は現在の蒲田駅東口の付近に鎮座していた八幡社であった。 しかし明治五年(1872)新橋−横浜間に鉄道が敷設され、境内地が収容されたため明治二十一年(1888)、御園村は「おしゃもじ様」を「御園神社」と改称し、境内を整備して鎮守とした。
 祭神は天宇受売命、猿田彦命である。
 猿田彦命は天孫降臨に際して高天ヶ原に降臨した邇邇芸命(ニニギ)を高千穂まで道案内し、その後天宇受売命を伴って本拠地の伊勢へ帰ったが此処で貝に手を挟まれて溺死したと古事記にあり、"多摩川の洪水で流れ着いた"とは余りにも唐突過ぎる。 きっと道祖神塔と思われる石仏が流れ着いたのだろう。


手水舎

お福神社

伏見稲荷神社

栄龍神社
注釈-1: おしゃもじ様
 おしゃもじ様は、遠い昔から祀られてきた「風邪」の神様だ。
 この神は社宮司、社宮神、遮愚璽、杓子、舎句子、石護神、赤口神などと色々に書かれている神である。 社宮司は音が杓子と似ており「しゃもじ」に転じ、このような様々な字で表現されたのだろう。
 社宮司社は武蔵国を東限とし尾張・伊勢・飛騨の各国を西限とする地域に分布し、武蔵・相模の両国には四十社に近い数が見られる。 御社宮司の祭は諏訪大社の重要な行事とされていることが知られており、信濃国の諏訪大社の信仰圏内にこの神が分布している。
女塚神社(めづかじんじゃ) 大田区西蒲田6-22-1

 JR蒲田駅西口より都道11号線に出て西へ、「東武ハイライン西蒲田」先の道へ右折。五差路に至ったら真っ直ぐの道を進み、次の左手路地へ左折すると突き当りにある。大田区立相生小学校の隣だ(徒歩約7分)。


鳥居

拝殿

 創建については不詳。元は女塚村と御園村の鎮守で現在の蒲田駅東口付近に鎮座し八幡社と称していた。 しかし明治五年(1872)新橋−横浜間の鉄道敷設のために境内地が収容された。そのため明治二十一年(1888)八幡社を現社地に遷座し、女塚神社と称するようになった。 因みに御園村は御園神社を鎮守とすることになった。
 祭神は八幡神である誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)である。


手水舎

伏見稲荷神社、栄龍神社

お福神社

 境内には女塚霊神の祠があり、新田義興公(新田義貞の第二子で、矢口の新田神社に祀られている)の侍女であった少将局が祀られている。 伝承によれば、少将局は竹沢左京亮が新田義興の歓心を買うために京都から迎えられた若い上臈(高級女官)だった。 竹沢が新田義興の暗殺を企てていることを察知し、義興に文を送って奸計を防止しようとした。 そのため、竹沢に殺害され、遺体は捨て置かれたが、これを哀れんだ村人たちが少将局を葬ったのが女塚だという。

六郷神社 大田区東六郷3-10-18

 京浜急行電鉄「六郷土手」駅で下車。東口より第一京浜に出て、東京方向へ向かう。 「六郷橋北詰」交差点の先にある横断歩道を渡り更に100mほど行くと神社の鳥居が建っている。


鳥居(明神鳥居)と神門

拝殿(権現造り)

神額「六郷神社」

 天喜五年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉に源氏の白旗を掲げて軍勢を募って石清水八幡に武運長久を祈り,前九年の役に勝利した後,その分霊を勧請して創建したと伝えられている。 文治五年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久二年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営した。
 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が奉献したもの。
 天正十九年(1591)徳川家康は、神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、慶長五年(1600)には六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にある。  当社が八幡宮の巴紋と併せて葵紋を用いているゆえんである。
 江戸時代には、東海道をへだてた西側の宝朱院(御幡山建長寺)が別当寺だったが、明治維新により廃され、明治五年(1872)東京府郷社に列格し、明治九年より六郷神社と称し今日に至っている。


神楽殿

太鼓橋

旧東海道口の鳥居(明神鳥居)

 神門前に置かれた太鼓橋は、景時が寄進したものと云われている。


御嶽神社 大田区南六郷2-16-16

鳥居(靖国鳥居)

社殿

神額「御嶽神社」

 京浜急行電鉄「雑色」駅で下車。東口より第一京浜を超え「水門通り」を「南六郷二丁目」交差点まで直進する。 交差点の少し手前にある路地に左折すると約50mほど先右手に鎮座している。


八幡神社 大田区南六郷3-3-6

 京浜急行電鉄「雑色」駅で下車。東口より第一京浜を超え「水門通り」を「南六郷二丁目」交差点まで直進する。 交差点で右折し、約400mほど先の信号のある交差点の一つ先の右手路地に入ると約50m先左手に鎮座している。


一の鳥居(明神鳥居)

二の鳥居(明神鳥居)

社殿


熊野神社 大田区仲六郷2-44-7

 京浜急行電鉄「雑色」駅で下車。東口より第一京浜(国道15号線)に出第一京浜を東京方向に約150mほど行くと左手にある。


社号標

鳥居(明神型)

社殿

 社殿は流れ造りで、昭和二十五年に竣工した。
 祭神として伊邪那岐命を祀る。


力石



北野天神 大田区仲六郷4-29

 京浜急行電鉄「六郷土手」駅で下車。駅前の道を右折して50mほど先の右手路地に入ると突き当りにある。


鳥居

社殿

神額「止め天神」

 徳川八代将軍吉宗公が乗った馬が暴走したとき、北野天神のご加護のおかげで吉宗公が落馬を免れたとされたことに端を発する。 以来、「落馬止め」が転じて「落ちない」につながり、「止め天神」として知られるようになった。
 祭神として菅原道真公を祀る。


手水舎

神楽殿

千年石・万年石

 手水石は貞享元年(1684)に寄進されたものだ。
 千年石・万年石は、江戸時代天神さんの祭りの時、氏子が力自慢のため担いだり、かゝえた力石を村人が相談の上、自分達の一生が達者で働けるようにと願い千年石を鶴さん、万年石を亀さんと名づけ、親しまれたと云う。 天神さんの縁日にはその鶴亀の力石をお互いに撫で合い御利益にすがったそうだ。

白山神社 大田区西六郷2-23-14

 京浜急行電鉄「雑色」駅で下車。西口より雑色駅前通りを西方向へ向かう。 JR東海道線の線路を超え、すぐ左折して100mほど先の人道跨線橋手前で右折すると、50mほど先右手にある。


鳥居

社殿

神額「白山神社」

 創建年代は不詳だが、正徳甲午年(1707)銘の手水石が残されていることや、別当寺の薬王寺が宥範法印(延宝5年1677年寂)から創建されていることから、薬王寺と共に創建されたものと推定されている。
 祭神は伊邪那岐命である。

高畑神社 大田区西六郷4-8-8

 京浜急行電鉄「六郷土手」駅で下車。駅前の道を左折し、東海道線のガードを潜り最初の右手斜め方向に延びる道に折れる。 最初の四つ角で左折して100mほど先右手に鎮座している。


鳥居

社殿

 創建年代は不詳。石柱に寛政10年の彫銘があり、江戸期の創建と推定される。
 祭神として日本武尊を祀る。


手水鉢

がまんさま(左)

がまんさま(左)
熊野神社 大田区西六郷4-10-14

 京浜急行電鉄「六郷土手」駅で下車。駅前の道を左折し、東海道線のガードを潜り最初の右手斜め方向に延びる道に折れる。 最初の四つ角で左折して50mほど先右手に鎮座している。


鳥居

社祠

 「新編武蔵風土記稿」に熊野社は、「見捨地一畝二十歩、堀の内耕地のうちにあり、百姓の持」との記述あり。


日枝神社 大田区山王1-6-2

 JR京浜東北線「大森」駅下車、北口より山王方向に出て駅前の池上通りを品川方向へ向かう。 最初の三差路の直進側で横断し、そのまま品川方向に進むと30mほど先左手に鎮座している。


鳥居

拝殿

 もとは新井宿村の名主酒井権左衛門の庭内社だった。延宝五年(1677)円能寺が別当となり、その後は明治初年まで同寺の管理下にあった。当時は「山王社」と呼ばれていたと云う。


山王日枝神社稲荷社鳥居

栄利稲荷と山王稲荷


天祖神社 大田区山王2-8-2

 JR京浜東北線「大森」駅下車、西口より駅前の池上通りの左斜向かいに鎮座している。


鳥居

社殿

扁額「天祖神社」

 天祖神社の草創年代は不明。祭神は天照大神である。
 八幡太郎義家が奥州征伐に赴く途中、ここで戦勝を祈願、その際境内にあった松の木の枝に鎧を掛けたと言われる”鎧掛の松”の伝説がある。 この松の木は安藤広重の絵になって、八景坂とともに名勝として広く世間に知られていたが、残念ながら枯れてしまった。 昭和の初めまでは境内に根株だけが残っていたそうだが、今はその痕跡もない。


稲荷社/全景

稲荷社/石祠


熊野神社 大田区山王3-43-11

 JR京浜東北線「大森」駅下車、西口出て道路(池上通り)を蒲田方向へ進み、300mほど先右手に「熊野神社参道口」の標石がある脇道に入り進むと善慶寺があるので山門を入りまっすぐ行くとある。


表参道口

社殿

扁額「熊野神社」

 元享年中(1321-1323)紀州民がこの地の開墾のために移住し、氏神の熊野本宮・新宮・那智の三社を勧請し創建した。
 現在の社殿は昭和四十四年に鉄筋コンクリート造りで再建されたもの。


稲荷社

舞殿


根ケ原神社 大田区山王3-15-23

 JR京浜東北線「大森」駅下車、西口出て道路(池上通り)を蒲田方向へ進み、環七通りにぶつかったら右折、50mほど進むと右手に鎮座している。


一の鳥居

二の鳥居

社祠


長田稲荷神社 大田区山王3-10-9

 JR京浜東北線「大森」駅下車、西口出て道路(池上通り)を蒲田方向へ進み、大森郵便局先の細い路地に左折する。 路地を進み丁字路にぶつかったら右手に進むと50mほど先左手に鎮座している。


全景

社祠

 長田稲荷神社は、山王熊野神社の神主長田氏が創建したといわれている。


春日神社 大田区中央1-14-1

 JR京浜東北線「大森」駅下車、西口出て道路(池上通り)を蒲田方向へ進み、環七通りにぶつかったら右折、50mほど進み根ヶ原神社の手前にある横断歩道を渡り、正面の道に進むと50mほど先左手に鎮座している。


表参道鳥居

社殿

扁額「春日宮」

 鎌倉時代に当地に仮寓した鎌倉の残党が奈良春日大社の御分霊を勧請したのが当社の始まりといわれている。

鷲神社 大田区大森北1-15-12

 JR京浜東北線「大森」駅下車、東口より駅前の大森銀座商店街を抜け、道路を隔てた大森MILPA商店街にある。


表参道鳥居

社殿

舞殿

 日本武尊を祭神としており、商売繁盛の神様として地元の信仰を集めている。

不入斗東伏見稲荷神社 大田区大森北4-23-14

 JR京浜東北線「大森」駅下車、東口より蒲田方向へ、徒歩15分。


全景

社祠

 神社の名前は、大森北界隈は江戸時代から明治の中頃まで「不入斗(いりやまず)村」と呼ばれていたことによる。 ただ、神社の創建年に関しては不明である。


磐井神社 大田区大森北2-20-8

 京浜急行「大森海岸」駅にて下車、京浜15号線を川崎方向へ少し歩くと右手に鎮座している。


鳥居

拝殿

扁額「磐井神社」

 敏達天皇の2年8月の創祀と伝え、貞観元年官社に列した延喜式内社である。 永正年中には兵火にて社殿が焼失している。 その後享保十年には、徳川八代将軍吉宗公造営の記録がある。 昭和二十年五月戦火にあい、同二十九年九月再建され今日に至っている。


弁天社

舞殿

石碑群

東貫森稲荷神社 大田区大森北3-18-17

 京浜急行「平和島」駅にて下車。 西口から50mほど西へ進み、北方向へ奔る道に折れ、道なりに300mほど進むと正面に鎮座している。


鳥居

社殿

扁額「東貫森稲荷神社」

 創建年代等は不詳。
 祭神は蒼稲魂命。

穀豊稲荷神社 大田区大森北6-9-5

 京浜急行「平和島」駅にて下車。 西口から50mほど西へ進み、北方向へ奔る道に折れ、道なりに200mほど進むと右手に鎮座している。


鳥居

社殿

扁額「穀豊稲荷神社」

 創建年代等は不詳。
 祭神は蒼稲魂命。


甘酒稲荷神社 大田区大森北6-15-3

 京浜急行「平和島」駅にて下車。 西口から50mほど西へ進み、北方向へ奔る道に折れ、道なりに100mほど進むと左手に鎮座している。


鳥居

社殿

扁額「甘酒稲荷神社」

 創建年代は不詳だが、かつては稲生社と呼ばれ、嘉永五年(1852)に再建された。 咳の病に霊験があるといわれ、祈願が成就した御礼参りに甘酒を奉納したことから『甘酒稲荷』の名称が生まれたと伝わる。
 祭神は蒼稲魂命。

大森神社 大田区大森北6-32-12

 京浜急行「平和島」駅にて下車。京浜15号線を品川方向へ150mほど進むと左手に鎮座している。


鳥居

拝殿

扁額「大森神社」



 天正年間の創建と伝えられる。当時この辺りは海辺であり、里人達は漁業をもって生活をしていた。 ある時黄金色に輝く像が岸辺に流れつき里人達は畏れて沖へ流すこと三度に及んだが元の場所に寄り来たるので社を建てて、この像を祀ったのが当社の起源といわれている。
 そのため、この社を寄来明神と称し、また「寄来神社」と称した。明治元年に神伯・白川資訓王より「大森神社」の社号並びに額面を賜わり、その後昭和七年十月の大東京都実現の折に「大森神社」と公称するようになった。
 祭神は久久能智命。

王森稲荷神社 大田区大森東1-1-11

 京浜急行「平和島」駅にて下車。京浜15号線を川崎方向へ進み、「大森橋」交差点横断し少し駅方向に戻ると鎮座している。


鳥居

社殿

扁額「王森稲荷神社」

 王森稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、東大森美原の里内川の耕地に貝塚に王森稲荷神社があり、天保年間(1830-1844)の不作時に祈願したところ五穀豊穣となり、崇敬を集めたと云う。
 祭神は倉稲魂命。


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