横浜市瀬谷区の神社を巡り参拝した。
NO. | 神社名 | 住所 | 拝観期日 | 備考 |
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01 | 若宮八幡宮 | 横浜市瀬谷区上瀬谷町40-8 | 2012/03/20 | 瀬谷八福神めぐりの序でに参拝 |
02 | 左馬社 | 横浜市瀬谷区橋戸3-20-1 | 2011/06/29 | サバ神社巡りの第一社して参拝 |
03 | 日枝社 | 横浜市瀬谷区本郷1-18-9 | 2011/09/23 | 大和市深見神社への足を延ばして参拝 |
04 | 諏訪社 | 横浜市瀬谷区相沢3-24-1 | 2012/02/21 | 車で参拝 |
05 | 宮沢神明社 | 横浜市瀬谷区宮沢3-1-27 | 2011/11/17 | 摂社として白姫神社、三峯神社を祀る |
06 | 山王稲荷社 | 横浜市瀬谷区宮沢4-21-16 | 2011/11/17 | 山王社と稲荷社を合祀 |
07 | 熊野神社 | 横浜市瀬谷区阿久和東4-7-1 | 2011/12/04 | まだ暗い早朝に自転車にて参拝 |
・2011/09/23(金): 新規作成
・2011/11/18(金): 更新(山王稲荷社、宮沢神明社を参拝)
・2011/12/04(日): 更新(熊野神社を参拝)
・2012/02/21(火): 更新(諏訪社を参拝)
・2012/03/20(火): 更新(若宮八幡宮を参拝)
瀬谷駅北口より神奈中バス「鶴間駅行き」か「八幡神社前行き」に乗り、「八幡神社前」バス停で下車すぐ。
鳥居(鳥居形) |
拝殿() |
神額 |
永禄年間(1558〜1569)に、善昌字を建立した岩崎丹後守により建立された。
境内に直刀と勾玉が発掘された円墳の八幡上古墳跡がある。
祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと)である。
手水舎(手水盤[明治43年]) |
神楽殿 |
石燈籠(安政4年) |
石燈籠(安政4年) |
瀬谷駅北口から神奈中バスで瀬谷駅01乗場-"立1系統/立場ターミナル行き"に乗り4つ目の"橋戸二丁目"バス停で降りる。 橋戸二丁目交差点でCOOP横の脇道へと折れ、しばらく進むと左手に西福寺がある。左馬社はこの寺の向かい側にあるので寺の先の角を左折すると150mほどだ。
鳥居(鹿島鳥居形) |
社殿(権現造) |
神額 |
祭神は左馬頭源義朝である。
隣接の真言宗西福寺が、この左馬社の別当職であったので、当時の神仏混淆の姿が今日に残り、神社の境内にある吊鐘は区内唯一のもので、厄除け、虫除けに鐘をついて祈願したとのことだ。
梵鐘は江戸時代の文久元年に鋳造されたが太平洋戦争の際供出されたため昭和三十二年に現在の鐘が作られた。
(境内の区役所の説明版から)
瀬谷駅から神奈中バスで瀬谷駅01乗場-"瀬1系統/八幡神社前行き"に乗り、2つ目の"本郷"バス停で降りる。
バス停の先にコンビニのある四つ角があり、その先約100m程のところの左脇道に入ると、その先約200mのところに"日枝社"がある。
(瀬谷駅発の鶴間駅行きか、八幡神社前行きに乗り本郷バス停から徒歩5分)
鳥居(両部鳥居形) |
社殿(日吉造) |
神額 |
祭神は伊弉諾命(いざなぎのみこと)と伊弉冊命(いざなみのみこと)。 祭礼は、3月4日に祈年祭、9月22日に例祭、12月2日に新嘗祭(しんしょうさい)が執り行われる。 日枝社内に自生している大ケヤキは、横浜市指定天然記念物および横浜市名木古木指定樹となっている。 樹高は35m、胸高周囲長8m、樹齢300年の巨樹で、神社の御神木だ。 戦時中はこの大ケヤキを航空機が着陸の目標としていたといわれ、遠くからでもひときわ目立っている。
相鉄「瀬谷」駅で降り、北上して瀬谷柏尾道路に出る。右折し相沢交差点の一つ手前の左手脇道を道なりに200m程の所にある。
鳥居(両部鳥居形) |
拝殿 |
神額 |
神社の起源は不明だが、吾妻鏡巻一によれば、房総に兵を挙げた源頼朝が治承四年10月6日(1180)鎌倉入りする前夜武蔵より相模に入り世野郷(瀬谷郷)の相辺沢の鎮守諏訪明神に一泊。
そして翌日、郷士相辺沢六郎義氏と共に俣野村で大庭三郎景親、俣野五郎景久兄弟を討ち鎌倉に向かったと云われている。
後、建久三年7月(1192)頼朝が征夷大将軍に任じられた時、かって1泊した故をもって相辺沢諏訪明神に宮の前の水田五反歩を寄進したと伝えられている。
祭神は建御名方神である。
手水舎 昭和41年(1966) |
灯篭 文化14年(1817) |
御神木/欅 樹齢約280年 |
三ツ境駅から神奈中バスにて"宮沢"バス停まで行く。少しバス停の先まで歩き最初の脇道を50m程登ると右手にある。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
創建年代は不明だが江戸寛永年中(1625〜1635)に、旗本石川六左衛門重勝支配下の上矢部村民が荒地を開墾して宮沢に集落を作ったと言われ、承応元年(1652)に検地が行われていることから、建立はその頃と考えられている。
祭神は天照大神。
神楽殿 |
白姫神社(左)、三峯神社(右) |
左が養蚕の神をまつる白姫神社、右側が農耕の神の三峯神社である。
宮沢神明社へのアクセスと同様に宮沢バス停から少し戻り、最初の右手脇道を300mほど行くと左手に眼鏡橋、右手に切通しの坂道がある。山王稲荷社はこの坂道の途中右手にある。
鳥居 |
山王社 |
稲荷社 |
慶安年間(1648)〜承応年間(1652)に、旗本石川六左衛門が石高を補うため瀬野(現在の瀬谷)と和泉の間(現在の宮沢地区)の荒地の開墾を開始し、山王社・稲荷社を現在の地に開墾作業の安全祈願、豊穣祈願のために建立した。
祭神は大宮権現と二宮権現で、稲荷社の祭神は宇迦之御魂命。
相鉄三ツ境駅南口バス乗場の2番乗場で"戸塚駅東口行き"に乗車、"阿久和"バス停で下車。 阿久和交差点まで戻り左対角に伸びる県道402号線を少し上ると右手にある。
一の鳥居 |
二の鳥居 |
拝殿 |
瀬谷区内最古の社で、平安時代の安和年間の頃には、「天地の神のおすまい」であると尊敬され、木を切ることを禁じられていた「まつりの場所」であったと言われている。弘和の頃に小さな社が建てられ祈願所とされた。
戦国時代の永禄の頃、後北条氏の家臣、増田駿河守満栄によって、社の再建及び整備が行われ、その後、徳川家康の関東移封に伴い、安藤治右衛門が領主になり、社が再興された。
九代治右衛門定喬は毎年多大な献物をし、現在残されている鳥居や灯籠等はその一部とのこと。
現在の社殿は明治六年(1873)に建立された。
祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 、伊邪那美命(いざなみのみこと)、諺坂姫命(ことさかひめのみこと)である。
手水舎 |
境内社 |
境内社として神明社、諏訪社、山王社、稲荷社、疱瘡神社、天神社、八神社の七祭神の末社があります。